第6話
戦後。俺は盗人になった。
どんな手を使ってでも、生き残る事にした。
悪人と呼ばれようと。母や兄の分も、生き延びねばならない。
だが、俺は幼児だ。素早く動くことは難しく、ばれたら袋叩きにあって死ぬだろう。
つまり、俺が盗みに入る先は。
「お、ついてる。この骸骨は金歯じゃん」
無縁仏の様に乱雑に積み上げられた死体から、金目のものを剥ぎ取る盗人。そう、死体専門の泥棒だ。
流石に死んだ人間には、幼女でも勝てる。というか、それ以外の相手には大体勝てない。
配給の米だけではとても生きていけない。というか、今まで俺があんな栄養不足で生きていられた理由は家から一歩も出ずにしゃがみ続けていたからだろう。
積極的に活動し始めた今、俺は栄養をつけて丈夫な身体を作る必要がある。
だから集めた金属を質屋に卸し、その金で闇市に行ってビスケット等を買い。その場で食べて、そして帰っていく日々を繰り返していた。
貯金はしない、強盗されるだけ。食料を持ち歩かない、取り上げられるだけ。
俺は一度米を買った帰り道でカツアゲされてから、道行く人間を皆盗賊だと思うようにしていた。
痩せこけた幼女が相手だ、腕力では余裕で勝てるだろう。
まぁただ、実は痩せこけた幼女と言うのは生き抜く上で別に悪いことではない。何せ、庇護欲を最大限にそそる事が出来るのだ。
中途半端に成長していれば、身体を売らされたりしたかもしれない。だが、流石に5歳の女の子に発情するアホは居なかった。
目をかけて貰いやすい。それはこの時代の子供が生きていく上で、何より大切な能力だった。
「ぎぶみー、ぎぶみー」
そう、米兵相手のモノ乞いの成功率が滅茶苦茶に高いのだ。
一人ポツンと立って、チョコレートをくださいと拙い英語でおねだりしたら殆どの米兵は何かしらくれた。中には「Stay」と俺を待たした上で、基地からクッキー缶を沢山持ってきてくれた人もいた。
正直、滅茶苦茶助かった。帰り道は戦々恐々だったが。
あと、拠点があるのも大きい。両親が残してくれたこの家は借り家では無かった。つまりこの家の所有者は、法的に俺ということになっていた。これは、お巡りさんに確認したから間違いない。
空襲を耐え抜いた我が家は所々焦げていたり穴が開いていたりしているが、雨風はしっかり凌げる。それに旧式とはいえ鍵も掛けられるので、モノ乞いして得た食料を安全に保管することも出来る。
おかあは死んでしまったけれど、おかあや父の残した家が俺を守り続けてくれた。
俺は、このまま何としても生き延びる。生きて生きて生き抜いてやる。
それが、母への孝行だ。そんな考えを信じ、俺は毎日母の遺影を拝みながら生きていた。
「────鍵だと? おい、誰か居るのか!」
そんな折。
文字通り親の形見の何より大事なマイホームの戸を、ガチャガチャと叩く音がした。
……え、来客? 誰だよ、一体。
「……だれ?」
「子供の声だと? 誰だ、ワシの家に住み着きおって」
「おまえがだれ? ここは、みくの家だ」
「────みく? みく!? みくだと、本当にか!?」
扉越しに、驚愕の気配が伝わる。どうやら、向こうは俺を知っているらしい。
「生きていたのか!! あの大空襲を生き抜いたのか!!」
「うん、まあ。あんたこそだれ?」
「ワシか、ワシは────」
となると、この老人の正体は限られてくる。
みくという名前を知っていて、かつこの家の所有権を主張しそうな存在と言えば。
「ワシはお前の爺やだよ。開けておくれ」
……まぁ、母方の実家の人間だよな。
「だいさんもん。おかあの誕生日は?」
「四月の八日じゃの」
「ねんすうはー?」
「え、生まれ年? えっと、えっとのう」
とは言え、戦後の闇市で鍛えられ疑り深くなっていた俺は、おかあのクイズを出してコイツが本物の爺か確かめたのだった。
「……ここが、サヨの過ごした家か」
「うん」
話を聞いた感じ、この老人が
母の実家はそこそこに格式のある家柄だったらしく、家同士で結婚相手を決める事が多かったそうな。だが知っての通り、母は軍人だった父親にベタ惚れして駆け落ち。それで勘当されていたと言う。
「サヨは愛して育てたつもりだった。アイツに相応しい相手を用意したつもりだった。でも、サヨには伝わらなかったらしい」
老人は悲しそうに、母の形見の衣類を抱き締めた。
恋愛に燃え上がって何もかも捨てて駆け落ち、と聞くとロマンチックだが。家を飛び出される側としたらたまらぬショックだっただろう。
「おかあは、やさしくていい人」
「そうじゃな、その通り。ちょっと、情熱的だっただけじゃ」
「すっごくやさしかった」
「そりゃそうじゃ、素直な心優しい娘だったよ」
ポロリ、と。老人は母を偲んで涙を溢した。
「ああ、みく。お前もよく見るとサヨの面影があるのう」
「そりゃ、むすめだもん」
「一体どうやって、サヨが死んでから一年近く生き延びたんじゃ?」
「いえにこもってた。きっと、おかあが守ってくれたの」
「そうか、そうか」
ポロポロと老人は流涙しながら、薄汚れた俺をしっかと抱き締めた。
「辛かったの。会いに行けずごめんよ。孫があの苛烈な空襲を生き抜いているなんぞ、思いもよらんでな」
「別に。ひとりでいきていけるし」
「……いや、もうそんな必要は無い」
老人はそう言うと、静かに俺を抱き上げ。
「ワシの家に来なさい、みく。もう、一人で生きていく必要は無いんだよ」
そう、言ってくれた。
「────でも。この家にはまだ、おかあが居る気がして」
「……分かる、分かるぞ。だがの、みく。きっとサヨは、お前に幸せになってもらいたい筈だ。だから、ワシと一緒に来てくれないか」
大泣きしながら俺を抱き締める老人。
彼に、きっと他意はないだろう。闇市で接した、生き馬の目を抜く連中とは違う優しい目だ。
人のために涙を流せる人間の目だ。
「……ほんとに、良いの?」
「勿論だとも」
こうして。俺は、母親の実家に引き取られることとなった。
「うそよ。からかっているんでしょう、孫が生きていたなんて」
「嘘なものか。みく、おいで」
「はい」
でっけえ。
何だこの家、ちょうでっけえ。薄々そんな気はしてたけど、やっぱりウチの母親は滅茶滅茶良いところのお嬢様だったらしい。
ここは、首都圏を少し離れた埼玉よりの住宅街。空襲の被害を免れたこの街に、私の祖父だという老人の持つ家はあった。
「ほら、この目元を見て見なさい。小さい頃のサヨに生き写しだろう」
「……まさか、本当に? あの東京で、こんな小さな子が一人生き延びていたの?」
「この子の話から、間違いなくサヨの娘だと確信したわい。この娘、サヨの口調から好きな歌まで全部知っておったぞ」
「ああ、本当に!?」
そんなでっかい家で私と爺を出迎えたのは、おそらく俺のおばあ様。爺と同じくらいの年の女性が、感極まって口元を押さえていた。
「おいで、みくちゃん。私が貴方の婆様よ」
「……婆様?」
「そうよ。ああ、本当にサヨの面影が有るわ! 今日は、今日は何て日なのかしら!」
ひょっとしたら爺さんがテンション上がっただけで、婆さんは孤児の俺を家に受け入れたがらないかもと不安だったが。目の前の老婆は狂喜乱舞し、大はしゃぎで俺を抱きしめて飛び跳ねた。
何だ、この喜びようは。
「うむ、うむ。今日はごちそうを出そう。みくの歓迎会だな」
「爺。ビスケットの缶、わたし持って来てるよ」
「お、おお? 英語……。そうか、米兵からこういうものを貰って生き延びとったんだな」
「うん」
何やら、俺を歓迎すべく貴重な食料を使って歓迎会を開いてくれるらしい。
世話になるばかりでは悪いから、俺は家に隠しておいた非常食を全て持ち出して来ていた。内容はビスケット缶3つと、乾パン半袋程。
ざっと俺が、1~2週間は生きていける食料である。
「ありがとう、みく。じゃがの、もっと旨いものを食べたくないか?」
「うまいもの?」
「そう。……食べる相手が居なくなった、国からの下賜品よ」
爺は寂しげにそう言うと、牛肉缶と書かれた缶詰を戸棚から取り出した。
「息子達が戦争に行って、戻ってきたのは数枚の紙と少し高価な食料のみ。まるで、戦死した息子を食うような気持になって、今の今まで食えなかったんじゃ」
「……この家にむすこが、居たの?」
「今は、ワシらだけしか住んどらんがな。皆みんな、死んでしもうた」
老人は、そんな哀しい事実をポツリポツリと語りながら缶切りを手に取った。ああ、この家の若い男はみんな戦死してしまったのか。
「本当に、本当に良く生き残ってくれたのう、みくや」
それで。おかあの遺品を引き取りにウチに来て、俺を見つけて歓喜したわけね。
そりゃ喜ぶわ。全滅したと思っていた自分の子供や孫が、ひょっこり生き延びていたんだから。
「戦争が始まって以来、嬉しかったことなど何もなかったけど。まさか、こんな嬉しい日が来るとは思わなんだ。嬉しいのう、嬉しいのう……」
その老人の心からの言葉に、俺は生きていて良かったと心から感じた。
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