第4話


 母親は数日床に臥せったが、やがて起き上がってせっせと働き始めた。


 俺や兄の食事は近所の人の助けで何とかなったけど、おかあは何も食べず痩せ細っていった。このままマジで死ぬんじゃないかと焦ったけど、自力で母は立ち直った。


「心配かけてごめんなさいね」


 母は俺達子供を育てるため、気力で復活したらしい。本当はまだ臥せっていたいのだろうけど……、よく立ち直ったものだ。


「おかあ、むりすんな」


 元々細かった母は、数日何も食べれなかっただけで骸骨のようになっていた。


 そんな体で、今までのように家事をバリバリ出来る筈がない。


「ねー。おじぃ、おばぁのとこにいくのはどう?」


 俺は、母方の実家に帰ることを提案した。まだ会ったことは無いが、母親は見た感じ裕福な令嬢っぽい。そこならば、きっと母だけでなく俺達の面倒も見てくれるだろう。


 上手くいけば、東京からも逃げられる。


「────お母さんは、家と縁を切られてます。なので、家は頼れません」

「あれま」


 だが、どうやら母は父と駆け落ち結婚したらしい。それで絶縁されているのだとか。


 どーすっかなぁコレ。



















 更に1年ほど過ぎて。


「お腹、空いたね兄ぃ」

「やらんぞ」

「ちぇっ」


 戦争はいよいよ終盤に差し掛かっていた。配給の食事は汁のみになり、鍋などの金属はほとんど軍に差し押さえられた。


 本土決戦に備えるらしく、竹槍の訓練に駆り出された母は身体を壊して床に臥せった。


 現在の日本帝国は、まさに末期である。いつ空襲が始まるのか怖くて仕方がない。


 だけど、


「この家にいると、まるであの人が私を看病してくれている気分になるんです」


 母には、父親との思い出の詰まったこの家から離れるつもりはないらしい。そんな事を言われたら、ここから引っ越そうと大騒ぎすら出来ない。


 どうする。どうする。


 このままじゃじり貧だ。怪我で動けない母が東京なんかに居たら、空襲されて焼け死ぬのを待つだけである。


 だけど引っ越し費用は? 引っ越し先は? 東京から逃げたとして、どうやって生きる?



 ────疎開。もはやそれしかない。


 学徒疎開と銘打たれているが、あれは病人も対象だ。母は栄養失調と訓練による骨折で病人として扱われてもおかしくないだろう。


 つい先週、疎開の第一陣が出発したらしい。俺達は次の疎開に参加して、東京から離れねば。


「おかあ、おかあ。この家に居るのがそんなに大事か?」

「大事ですよ、何より」

「そこかしこで、疎開しようと話が出てる。おかあ、私達は疎開しないの?」

「私はこの家を離れるつもりは有りません。彼との思い出の詰まったこの家が、きっと私達を守ってくれます」

「おかあ、きっと東京は危ないよ」

「大丈夫です。いつか、神風が吹いて米英を蹴散らします」


 ────そう言って、現実を受け入れず疎開をしない母親を。


 俺は根気強く、連日のように説得し続けるのだった。

















 一人だけ。最初は兄や母を置いて一人だけ疎開をする事も考えた。俺は大人の人格のある幼女である、きっと一人でも上手くやれるだろう。


 だけど、ずっと母や兄と暮らしているうちに。いつしか二人を、本当の家族だと思えるようになっていた。


 ワンパクで朗らかな兄。繊細で丁寧な言葉遣いの母。この二人と、生まれてからずっとずっと過ごしてきたのだ。


 見捨てるなんて選択肢を、俺は取ることが出来なかった。


 空襲が始まる前に母と兄と、安全な田舎へ疎開出来なければ。


 俺は、ここでこの二人と心中しよう。そう決心するくらいには、俺はこの家族が大好きだった。
















 ────悪辣。


 人は餓えると、理性を失う。


 それは、現代日本に生きていた俺には考え付かない過酷な事件だった。



 たまたま、疎開の情報を調べるため一人役所に行っていた俺は助かった。


 役所で聞いた話でおかあを説得しようと家に帰ると、部屋は荒らされて。


 おかあも兄ぃも誰もいなくなっており、町中を探して回ったが見つからず。


 数日間の間なんの音沙汰もなく、二人が家に戻ってくることもなかった。



「お嬢ちゃん。他に家族はいるかい?」


 ────そして3日目の朝。警察が俺の家に、二人分の死体を持って来た。


 目の前が真っ白になる。その警官が運んできた死体とはすなわち、変わり果てた俺の兄と母だった。


「可哀想に、まだこんな幼い子供を残して」


 その警官から話を聞くと。


 俺の愛する家族は餓鬼のように痩せ細った浮浪者どもに、金銭目的で強盗されたらしい。




 俺の家は、狙いやすかったのだ。


 母方の実家とは縁が切れ、父方の親戚の知り合いはいない。復讐されるリスクが低かった。


 食うに困った浮浪者共は賊として民家を襲い、そして食料や金品を強奪する計画を立てた。そしてたまたま、その被害者は俺の兄と母親だったという話だ。


 戦争は人を変える。飢えは人を殺す。



 ────因みに、これは戦後になってから調べたのだが。俺の家族が殺されたこの事件は、どうやら単純な強盗殺人ではなく。


 「うら若い未亡人を狙った」男の下劣な犯罪だったらしい。幼い当時の俺に、警察はそんな説明をしたりはしなかったけれど。



「ころす!! ころしてやる!!」


 俺は叫んだ。


 そんな不条理があるか。何も悪いことをしていない、母や兄が何故殺されなければならないのだ。


「かえせ! おかあを、兄ぃをかえせ! 復讐してやる、今そいつらはどこで何をしているんだ!」


 俺は復讐を誓った。優しい母を、愛らしい兄を殺した連中を許す気はない。どこまでも追い詰めて、後悔の果てに殺してやると誓った。


 だが、その警察官の答えは。


「彼らは捜査の際に抵抗をしたので、その場で銃殺されている」

「……あ」


 俺には、復讐すら許されないと言う事実だった。

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