第2話
────次に感じたのは。
人肌の温もりだった。
「~~~」
音がよく聞き取れない。目の前もぼやけて、よく見えない。
だが、誰かが俺の身体を抱き上げているのが分かる。誰かが、俺を呼んでいるのが分かる。
「~~~」
深い海中に居るみたいだ。聞こえてくる音すべてにエコーがかかり、モザイクのかかった幻想的な世界が俺を包み込んでいる。
「~~~」
何かが、俺の唇に押し当てられ。気づけば、夢中で俺はそれに吸い付いて。
ああ、成る程。これはまさか。
「~~~ケプッ」
背中をとんとんと叩かれて、自分のゲップの音が響く。そうか、やはりそうなのか。輪廻転生とは本当にあったのだな。
「~~~あうあう」
声を出してみて、確信する。それは、まごうことなき赤子の声。
俺は、生まれ変わった様だ。
「みく、てつ。来なさい」
「おかあ。なに?」
和を以って、尊しと成す。
くそったれな事に、俺が生まれた国はまたしても日本だった。
「みく、行くぞ」
「あーい」
視力が成長して視界がクリアになると、古くさい和室が広がっていた時の絶望感よ。生まれ変わってもまた、俺は受験戦争を勝ち抜かねばならないらしい。
恐らくここは、日本のド田舎。ろくに電気も通ってなさそうな屋敷で、庭には井戸が掘ってあり服もチャンコの様な質素なモノだ。
「こけるなよ、みく」
坊主頭の4ー5歳程度の兄貴が、最近漸く固形物を食べさせて貰える様になった俺の手を引いて土間へ行く。
そう、俺はまだ幼児。恐ろしく残酷な受験戦争は、まだまだ大分先の話だ。
それに俺が死んでからどれくらい経ったか知らないけど、日本の文化も変わってきているかもしれない。
受験の過酷さで自殺率は世界トップクラスの愚かな国日本が、反省してもっと学生に優しい国になっているかもしれない。受験とか無くなってるかも。
それに、このド田舎だ。そもそも家柄的に、受験などする必要がない可能性もある。ここは農家で、俺は農家の跡取りとしてのんびりスローライフを送れるかもしれない。
そう、俺はまだ希望を失う必要は無いのだ。今度こそ、今度こそ俺は普通の人生を────
「子供達、良く聞きなさい。今夜から、我が国は米英の暴虐から亜細亜を解放する戦争を始めます」
「せんそー?」
「ええ、我らが大日本帝国は悪い奴等を懲らしめるために立ち上がったの」
「すごーい」
────ふぁい?
ちょっと待って。今、何と申しましたかお母様。
「きっとすぐに、おとうが米兵を皆殺しにしてくれます。ただ、軍人の皆様のために色々と私達は寄付をしなければいけません。ご飯の量が減ってしまうけど、みく、てつ、頑張りましょうね」
「えー! 減っちゃうの?」
「大丈夫です、少しの間だけですよ」
目を白黒させて、ごねる兄。
そんな兄とは対称的に、俺は混乱の極致だった。
嘘だろ。ちょっと待ってくれ。その言い方だとまさか、今この国は日本なんかじゃなくて────大日本帝国?
だとしたら。俺が生き残らなければならないのは、受験戦争なんてそんなチャチな戦争どころか────
「大東亞戦争が終わったら、きっとおとうは英雄として末代まで語られます。楽しみですね」
「たのしみー」
やっぱり、太平洋戦争ですやん。
「おかぁー、ここどこー?」
「ここは、家ですよみく」
そうじゃない。
俺が知りたいのはそういう情報じゃない。
「ここあー、なんてーの?」
「ここは、居間ですよみく」
だからそうじゃない。お願いだから教えてくれ。ここの地名を!
第二次大戦で壊滅的な被害を被った都市は数知れない。もし此処がヤバい場所なら、一刻も早く引っ越すように助言せねば。
これは流石に想定外だ。死んだ後は未来に行くもんだと勝手に想像していた、まさか戦時中に生まれているとは思っていなかった。
受験戦争すら生き残れなかった俺が、ぼんやり待ってて過酷な本物の戦争を生き延びられるか。行動せねば。
「にほんのー、どこ?」
「日本はね、ここですよ」
そうじゃない、地名だ地名。
どうやら、うちのお母さんは天然入ってらっしゃる。箱入り娘かなんかだったのだろうか。
確かにニコニコと笑って服の繕い物をしながら、弱冠2歳の俺の相手をしてくれている良いお母さんなんだけど……。
「てつー、てつー! ここの服を畳んでくれますか?」
「分かった、おかあ!」
ととと、ぼふん。
兄も兄で、なんかアホっぽい。素直で良い子なんだが、服を畳めと言われて服の山に飛び込むあたり理知的な性格とは言えないだろう。
「こら、服に乗ったらだめですよてつ」
「ごめんなさーい」
それより、場所だ場所。一体ここは、日本の何処なのか。
案外、部屋のどっかにヒントがないか? 居間に囲炉裏とかあるし最初はド田舎だと思ったけど、戦前だとすればそんなに田舎じゃないかもしれない。
あ、そうだ。新聞とかに土地の情報が載っているかも。印刷元の地名とか記載されてるかもしれない。
新聞なら、家で何枚か見たこと有る。何故俺は気付かなかったのか。
よし、と俺は椅子をよじ登り机に乗っていた新聞を1枚手に取って見た。
「……?」
そこには『聞新都』と太い文字で記され、開戦を告げる見出しがテカテカと彩られていて。
────都新聞。それってつまり、ここ首都じゃね?
あ、やっぱり本社が東京って書かれてる。アカン、ここ東京ですやん。大空襲されますやん。
未来を知ってしまっている俺は、一人絶望した。なんとしても、この死亡フラグを回避せねば。東京なんかに居たら命が幾つ有っても足りない。
よし、ごねよう。ごねて騒いで引っ越ししよう。
「おやおや、みくは新聞に興味があるのですか?」
この人の良さそうなお母さんを守るためにも。少し頭の悪そうな兄を救うためにも。俺はごねまくって、東京から引っ越しを敢行するしかない!!
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