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2024年4月27日 22:13
夫と妻のパートだけで終わらないのがいいですね。さいごまで妻は妻であるのに、妻自身がそれを拒否しているのは哀しいですね。拒否しているということは、それこそが妻の証であるのに。テセウスの船。それはテセウスの船と同じなのか違うのか。「テセウスの船のオリジナル」と「テセウスの船の模型」はわたしは違うものだと考えていますが、のいげるさんはどうお考えですか?
作者からの返信
それは立場により変化します。素粒子の世界では「違いが分からないもの」は「同じもの」です。そのため力を伝達するボソン系の粒子はお互いの間に重なることが可能です。この観点では2つの船が見分けがつかないならそれは同じものです。一方、人間世界では一つの船でも所有者が代われば「Aの船」と「Bの船」というよるに別物になってしまいます。これはテセウスの船の論理の逆バージョンです。となると、テセウスの船の議論はそれを取り巻く環境と観点により論理の帰結が変化することになるわけです。ちなみにこの話の女性の場合には主人公の男が妻に対してどのようなイメージを持っているかで、判断が異なって来ることになります。(もちろん物語の帰結も)
夫と妻のパートだけで終わらないのがいいですね。さいごまで妻は妻であるのに、妻自身がそれを拒否しているのは哀しいですね。拒否しているということは、それこそが妻の証であるのに。
テセウスの船。それはテセウスの船と同じなのか違うのか。
「テセウスの船のオリジナル」と「テセウスの船の模型」はわたしは違うものだと考えていますが、のいげるさんはどうお考えですか?
作者からの返信
それは立場により変化します。
素粒子の世界では「違いが分からないもの」は「同じもの」です。そのため力を伝達するボソン系の粒子はお互いの間に重なることが可能です。この観点では2つの船が見分けがつかないならそれは同じものです。
一方、人間世界では一つの船でも所有者が代われば「Aの船」と「Bの船」というよるに別物になってしまいます。これはテセウスの船の論理の逆バージョンです。
となると、テセウスの船の議論はそれを取り巻く環境と観点により論理の帰結が変化することになるわけです。
ちなみにこの話の女性の場合には主人公の男が妻に対してどのようなイメージを持っているかで、判断が異なって来ることになります。(もちろん物語の帰結も)