第187話 春の訪れ
大陸に春が来た。卓也は、しばらくは迷宮探索が忙しくアマテラスを不在にする事が多くなった。日課の朝議も2〜3日に1度は不在にする程だ。転移門でいつでも戻ってくる事が出来るので、大半は日参、日帰りだ。とは言え4月に入って迷宮探索が佳境になる頃にもなれば、更に不在がちになった。
卓也が居なくてもアマテラスに大きな変化は無い。街並みは随分と整ってきて、町の往来は人で溢れていた。アマテラスに入る事が出来るのは正式に居住権を持つ領民と、許可のある商人や冒険者、それと正教会の信徒達。暖かくなるにつれてアマテラスを訪問する人は増える一方だった。
アマテラスに立ち入る許可が無ければトウカで一旦足を止める事になる。モンペリエ方面の南側に町は更に拡張されて、門前町として幾つも宿屋が立ち並んで賑わっていた。
聖教都で開催された大審問の話は各地の教会を経由して大陸全土に瞬く間に広まった。そもそも教皇の名における聖女認定の布告は異例ではあったが、大審議を経て正式にフランシーヌを聖女として認定する布告が正教会からなされた為、聖女に信仰を捧げようと周辺諸国の信徒がいよいよこぞってアマテラスを目指す様になった。
魔導アーマーの噂も随分と広まっていて、士官を希望する者も多かった。
また大審問と殆ど時を同じくするが、アマテラス周辺の雪が溶けた頃、移民の受け入れを再開した。ここ数年魔物が活性化しており、魔物被害が増加傾向にある。加えて旧侯爵領の反乱もあり、食用の供給が滞っていた。本来なら冬半ばにして食料の備蓄が枯渇する領も出て来る可能性があった。魔物被害の拡大により傷病者も増えていた。勇敢に戦った者達を放逐すれば領主の求心力が低下する事も問題だ。
だがアマテラスのお陰で安定して食料が供給された。それに傷病人を抱える必要が無く負担が軽減出来た事などが要因で、どの領地も当初の予想に反して殆ど餓死者や凍死者を出す事なく冬を越す事が出来た。当初は卓也に懐疑的だった貴族達も、今では卓也を地方領主として封じた国王を手放しで誉めている。どんな領主であっても、自分が心血を注いで守ってきた領民の命が無碍に失われるのを、諾々と受け入れられる訳では無かった。
卓也が特区の長として任命された当初、ぱっと出の何処の馬の骨とも解らない人物に、破格と言える特権を与えた事に多くの貴族が懐疑的だったし、批判的だった。だがトリスタン陛下はその反発を押し除けて強行をした。卓也の資質を誰よりも早く見抜き、結果を見れば特権と引き換えに、国内に繋ぎ止める事に成功したのだから、慧眼であったと言う訳だ。
加えて諸国会議の開催である。開催されるのは実に300年ぶり。前回は冥王に対抗する為と、冥王討伐後に冥王殺しの英雄を10等級として認める為に開催された。諸国会議は主にギルドの運営に関わる為、招聘されるのはギルド加盟国の国家元首である事が通例だが、今回はギルド加盟非加盟を問わずに通達が届いている。ギルドと敵対関係にある帝国であってもだ。
そして大半の国家が会議に出席する意向を示している。大陸中の国家元首が一堂に会するであろう300年ぶりの諸国会議が、自国で開催されるのは非常に名誉な事だった。
開催地にシャトー王国が選ばれたのは国王の手腕あっての事だが、そこに卓也の影響があったのは容易に想像が出来る。卓也の評価は鰻登りだった。
シャトー王国の貴族達にとって問題があるとすれば、アマテラスへ移民を希望する者が後を立たない事、位だろうか。領民が挙って移民を希望するのは領主にしてみれば気持ちの良い話では無い。だが優秀な人材を送り卓也の目にとまる事が出来れば、卓也の覚えがめでたくなる可能性もある。その結果、継承権を持たない貴族の子息や既に引退をした官職経験者が、数多くアマテラスへ移民をする事になった。中には腹心の部下を送る貴族も居た程だった。貴族の思惑も様々だろうが、少なくとも人材不足のアマテラスでは好意的に受け入れられた。
さて、シャトー王国では他にも大きな変化があった。それは、隣国バローロ王国が正式にシャトー王国の属国となった事だ。当初は春が来る頃に一戦を交える予定だったが、3月に入って直ぐに、バローロ王国から特使がやって来た。バローロ王国では冬の間に政変があり、親帝国派の王族が皆排除されたのだと言う。特使は政変を起こした新たな国王その人で、前国王の縁戚にあたり軍の要職を務めていた人物だ。新たな国王は自らシャトー王国に足を運ぶと、無条件の降伏と、シャトー王国への恭順を示した。
シャトー王国は幾つかの条件と引き換えにそれを受け入れた。バローロ王国に国王は、自国民の為にどの様な条件も飲むつもりだったが、結果的にシャトー王国の支援を受ける事が出来たのだからバローロ王国にとって賢明な判断だったと言える。最悪の場合、多額の賠償金を課せられたり、無茶な要求をされたりする可能性も有ったが、トリスタンはそれを由とはしなかった。
トリスタンはバローロ王国と戦争になったのなら、徹底的に叩いて禍根を残さない様に根切りを行う事も考えていた。だが恭順を示すのならば属国として援助をして、後々取り込んだ方が良い。そもそも隣国に不和の種を残す事は賢明な判断では無いし、今の情勢を鑑みると隣国に割く労力も時間も無いのが実情だったからだ。それでも尚、従順に尻尾を振らなければ、その時はいよいよ滅ぼしてしまえば良い。
バローロ王国は先の戦いで有能な兵士を5000人失った為、著しく防衛能力が低下していた。元々今年の冬は例年に比べると厳しく、各地で凍死者や餓死者が多数発生し、加えて魔物による被害が拡大していた。
バローロ王国が属国になると、直ぐ様アマテラスから大量の支援物資と正教会の使節団が派遣された。見返りに求めたのは人材だ。詰まるところ、シャトー王国の貴族と同じものを求めたのである。アマテラスでは人手は幾らあっても困らなかった。
バローロ王国は長らくシャトー王国打倒を国是として来た。国を挙げて反シャトー王国教育を行っており反シャトー感情が根強かった。しかし、上が打倒シャトー王国をお題目として唱えた所で、生活すらままならない大半の国民にとっては、様々な支援を行ってくれる新たなお上の方が良いに決まっている。親帝国派で有った為、正教会やギルドは国内から排除されていたが、救援物資と共に正教会だけでは無くギルドからも支援が行われ立て直しを図った。一部の貴族で反発もあったが、生活が安定する頃になると、国民は総じて新たな国主へと鞍替えをしたのである。
しばらく経ってバローロ王国はシャトー王国の属領になり国としては滅亡をしたが、その後は特に反旗を翻す事もなくシャトー王国と共に歩んだ。
さて、アマテラスでは5月を間近に控える頃になるとバローロ王国の移民受け入れも始まって、その人口は4万人に達しようとしていた。しかも5月以降はベビーラッシュを控えている。ブルゴーニの元領民で現在アマテラスに居住する適齢期の女性の内、実に3人に1人は年内の出産を予定していた。
ところで、アマテラスでは犯罪発生率が驚く程に低かった。恐らくは、卓也がアマテラスの領民と契約を行ったからだと考えられる。システムがどれ程の強制力を持つのかは定かでは無いが、基本的に卓也の不利益になる様な事は行わない様に思考が誘導されるのだろう。一見すれば、単に卓也への忠誠心や信仰心が強いからだと思えるが、実際に統計を見ればそれだけでは説明が付かなかった。領民同士に限って見れば、犯罪発生率は限り無く0に近い。これは幾らなんでも余りにも低すぎる発生確率だ。
卓也はある時ふと思い立って統計を調査した際に、NPCとの契約が人格や思考に影響を及ぼす可能性に思い至った。それは余りにも恐ろしい考えだ。とは言え元々懸念が無かった訳では無い。ただ忙しい日々を過ごす卓也にとって、その可能性に目を向けるのは中々に難しかったし、何より心の何処かでは目を背けていたのだろう。
フランシーヌやマリーズから向けられる親愛の情が、もしかするとシステムの影響を受けた物だったのかも知れないのだ。人は一度抱いた疑念を拭い去るのは難しい。しかし卓也はしばらく思い悩んだものの、何時迄もその考えに囚われる事は無かった。幾度も共に死地を潜り抜け、苦楽を分かち合う仲だったからだ。仮に影響があったとしても共に積み重ねて来た時間が失われる訳では無い。
ただ、全ての領民に対してフランシーヌやマリーズと同じ様に考える事は出来ない。一度契約を行った人達が契約を破棄する事は無かったから、少なくとも影響がある事は明らかだ。人の心は移ろい易い。心が離れたり、裏切ったり。出会いがあれば別れがある様に、本来それは人としては自然な事だろう。だから、数万人と契約をしている状況で1人として契約が途切れないのはやはり不自然に思えた。
新たな契約は最近では極力控える様にしたし、後年は世界中に設置した迎撃装置の撤去も進めた。人々が大陸の外へ進出した際に、いつ卓也の拠点を発見するか解らないからだ。その時不慮の事故が起きる可能性も有った。それは卓也の望む事では無かった。
5月を目前に控えると、大陸中から諸国会議に参加をする為、各国の国家元首やその名代が続々とシャトー王国を訪れた。各国の威信が掛かっているし、そもそも道中は非常に危険だ。少なくとも一国あたり百人前後、多い国だと数百人規模の人員を伴っていた。
大陸は広い、所変われば様々な文化や風土がある。各国から来訪した人々はそうした文化や風土に根差した様々な衣装を身に纏っており、王都はさながら祭りの様相を呈していた。
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