第186話 挿話 斜陽

拡大路線を続ける帝国では信賞必罰、実力のある者は積極的に登用され、功を上げれば多大な報酬が与えられた。その反面、失敗には厳しい罰が与えられる。降格、更迭であれば優しいもので、明らかな失策があれば見せしめとして処刑される事も少なくは無かった。


厳格な実力主義が、僅か200年で帝国を大陸最大の国家にまで押し上げた原動力となったのは疑う余地が無い。恐らくクラフターの存在が無ければ、帝国は冒険者ギルド、正教会を相次いで下し、大陸の覇権を掴み取っただろうと後世の歴史家の意見は大方で一致している。


その帝国の躍進に一石を投じたのが後にクラフターと呼ばれる卓也の出現だ。


帝国の躍進に影を落としたのは、最初は聖女討伐軍の大敗であった。

大陸でも有数の歴史を誇るシャトー王国内で、帝国の情報部は国内において強い影響力を持つセザール侯爵の調略に成功した。当初は王国に反旗を翻してシャトー王国の王都へ攻め上がる事が計画されていた。帝国で開発、運用を進めている魔導兵装も実戦配備し、盤石な体勢を整えていた筈だった。


紅の月により王国の緊張が高まり、いよいよ兵を挙げんとした矢先、正教会がフランシーヌを聖女認定した。聖女認定を受け、正教会の影響力を削ぐ為に計画を修正して聖女討伐軍が挙兵される事になった。隣国バローロ王国の精鋭も合流し、聖女討伐軍は1万を数える。いかな歴史あるシャトー王国の一角と言えど、新興の一地方都市を攻略する事は容易い。その結果は火を見るよりも明らかだった、筈だ。だが蓋を開けてみれば聖女討伐軍は文字通り壊滅の憂き目に遭う。


後々シャトー王国の国王が記した戦況報告書により、卓也が齎した強大な力を持つ兵器群により瞬く間に雌雄を決した事が明らかになっている。卓也の残した数々の偉業を後々検証すれば、報告書の内容が非常に正確であった事は明白だ。しかし、当初帝国ではその報告書の内容は懐疑的に見られていた。


時の皇帝は各所から上がってくる報告を検証し、真偽の程は定かでは無いものの卓也が要注意人物であると判断をする。そして卓也の排除を最優先とする事を命じた。この時点でその判断を下した皇帝は、非常に聡明であったと言えよう。


皇帝は、長い時間を掛けて大陸全土に張り巡らせた組織網が優秀である事を信じていたし、卓也排除の報が直ぐに届くと考えていた。だが、何時迄経ってもその報告が届く事は無い。


ようやく卓也暗殺の報が届いたのは年が明けて暫く経ってからの事だ。


胸のつかえが取れて安堵した皇帝であったが、3月に入ると正教会で大審議が行われたとの報告が届いた。一見なんの関連性も無い情報だったが、その内容を確認すると、あろう事か暗殺した筈の卓也が審問を受け、聖人認定されたとあるでは無いか。皇帝の怒りは凄まじかった。


親衛隊により、情報部の査察が厳しく行われた。その結果、あろう事か卓也暗殺は幾度と無く失敗をしており、何ら成果を出せていない事。大陸で活動をしていた帝国の情報網が大きく損なわれている事、その報告が情報部で歪曲されて報告されている事が解った。


度重なる作戦の失敗により、情報部の有能な人員が軒並み更迭をされており、すっかりと骨抜きになっている事が解った。帝国の躍進を支えた情報部は、僅か数ヶ月の間に壊滅的な打撃を人知れず受けていたのだ。


組織の士官、幹部は皇帝の逆鱗に触れ、軒並み斬首される事となる。組織の立て直しを図る為に更迭された人員の行方を追ったが、大半は行方が解らなくなっていた。優秀な士官は粛清される事を恐れて、早々に姿を消していたからだ。皮肉な事に、早期に更迭された人員は皆優秀であった。こうして情報部の再建は全く見通しが立たなくなった。


その後それ程間を空けずに、正教会とギルドの連名により諸国会議の開催が通達される。そして追い討ちをかける様に、あろう事か帝国が擁する原初の迷宮が消滅をしたのだ。原因について調査を命じたが、手掛かりすら掴めなかった。


迷宮の最深部に到達し、迷宮核を破壊すれば迷宮が消滅する事は知られている。つまり、誰かが最深部へ辿り着いたと言う事だ。迷宮の出入りは厳しく管理されているし、最深部から入口に転送する魔法陣があり、魔法陣を利用して迷宮から脱出した場合は入り口に忽然と現れるので直ぐに解る。常に監視の目がある迷宮の出入り口でそんな異常事態が起これば見逃すとは考え難かった。最も、これは今までに迷宮を踏破した記録から類推された事で、原初の迷宮も同じかは保証は無い。だが、恐らくはそう大きな違いは無い筈だ。


つまり、誰も辿り着けなかった最深部まで踏破出来る程の実力者が人知れず迷宮へと入り、脱出したと言う事なのだ。それも、あろうことか帝国のお膝元で最も警備の目が厳しい原初の迷宮で。それに迷宮を踏破出来る程の実力者であれば、親衛隊が束になって掛かっても対処出来るかは怪しい。


皇帝は知らず知らずの内に、自分の喉元に剣先を突き付けられている様な、そんな恐怖を覚えた。警備の目を搔い潜って迷宮へと忍び込み、迷宮を踏破する程の実力者だ。その刃が自分に向けられた時、果たしてその刃から逃れる事が出来るのか。明晰な皇帝の頭脳は、それを不可能だと断じた。


迷宮監理局は迷宮に出入りしている迷宮探索者の動向を常に把握している。皇帝陛下の命を受け名簿をチェックしたところ、最近迷宮に立ち入った者の内、所在の確認出来ない5人組の新人探索者の名前が浮かび上がった。探索者の名前はそれぞれ卓也、マリーズ、ニコラ、ブリアン、オーギュスト。件の卓也と結びつくのに、それ程時間は掛からなかった。だが、彼らが迷宮を攻略した証拠は何1つ存在しない。疑わしき一団が探索者として登録を行い、そして行方が知れないだけ。だが、迷宮管理局の受付嬢は調査を命じられた際に、この5人の事が思い出されて、どうしても頭から離れなかった。


その後の調査で殆ど手ぶら同然の5人組が20階層を越えたと言う目撃情報が上がった。姿形は迷宮管理局で目撃された5人組と一致する。


そして驚く事に、彼らが迷宮に入って20階層に到達する迄に1日も要していない事が解った。とんでもない探索速度である。目撃をしたのは20階層の階層守護者を討伐する程の実力者だ。階層守護者の再出現のタイミングを把握する為に、正確に時を刻む魔道具を所持していたから、彼らがその5人組を見たとする時間は殆ど誤差が無いと思われた。それに彼らもその5人の事は特に印象に残って居た様で、その時の事を書き記していたメンバーが居たから、尚更その情報の信憑性は高い。


名立たる迷宮探索者に確認をしたが、20階層まで1日で駆け抜ける事は不可能と皆が口を揃えて回答した。つまり、その一事を持ってしても、その5人組がとんでもない実力を有している事を証明していた。


皇帝はその5人こそが、迷宮を攻略したに違いないと直感で悟った。そして後々その直感は確信へと変わる事になる。だが、この当時の皇帝はその可能性を排除してしまった。恐らくは信じたく無かったのであろう。最も、仮に自分の直感を信じたとしても、その後の判断に影響があったかは疑わしい。


迷宮が消失した事により、帝国の戦略は大幅な修正を余儀無くされる事になる。帝国は領内に幾つかの迷宮を抱えていたが、いずれも皇都からは距離が有り、安定した魔石を供給する体勢を整えるには年単位の時間が掛かる事が予測された。


帝国の軍事力を支える魔導機や魔導兵装は魔石を動力源として利用しているが、燃費は余り良いとは言えない。最新鋭機ともなれば大型の魔石が必要となるし、連続で稼働をさせると魔石1個あたり1ヶ月も保たないので、このままでは満足に運用が出来なくなる可能性があった。原初の迷宮消失は、結果的に見れば帝国が開戦に踏み切る決断を後押ししたと考えられている。


もしかするとほんの僅かでは有ったが、卓也が迷宮を踏破して消滅させなければ、ギルドと帝国が平和的な解決手段を取る可能性が残されていたかも知れない。卓也の齎した数々の奇跡により帝国の軍事的な優位性は既に失われていたし、諸国会議が開催されれば帝国は大義すら失う。帝国の皇帝は暗愚では無く、むしろ聡明な人物とされているので、当時の状況を鑑みれば開戦に踏み切る利があったとは思えなかったからだ。故に後世の歴史家は、帝国滅亡のきっかけとなったギルドとの開戦は、原初の迷宮消失が決定的な引き金になったと結論付けていた。


帝国は迷宮を失った事でもう後戻りが出来なくなってしまった。結局、卓也の一連の選択と行動が人知れず帝国を窮地へと追い込み、最後の一押しをする結果となってしまっていたのだ。だが、神ならぬ卓也には知る由もなかった。


帝国は原初の迷宮を失ったが、今ならばまだ魔導機を運用する為の魔石には備蓄がある。だが魔石の供給改善に時間を要すれば、帝国の軍事力は一時的にしろ大きく損なわれる事になるだろう。

周辺諸国を次々と併呑し、圧政を敷いているのは圧倒的な軍事力あっての事だ。そこに陰りが生じれば今まで抑圧して来た人々が反旗を翻す可能性すらある。それはあってはならない。


それに帝国を支えるもう1つの屋台骨である情報部が、壊滅的な状況であった事も大きな問題だった。情報部は大陸中で行ってきた諜報や工作活動のみならず、国内の不穏分子を粛清する機能も有していたからだ。情報部の人員を大量に粛清した事で情報部は機能不全に陥り、結果、帝国内のそこかしこで反帝国の機運が高まる事になった。


さて、ギルド主導の諸国会議など少し前の皇帝なら鼻で笑い飛ばしただろうが、こうなってくると情勢を見極める為に参加をしない訳にはいかない。皇帝は名代として皇太子に諸国会議へ出席をする様に命じた。


帝国の未来は、ほんの少し前までは明るく拓けていた筈だった。だが、今はすっかりと暗雲が立ち込め、一寸先すら杳として知れなかった。

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