第180話 大審議のその後

階段を上り切ると、クラフトモードからリアルモードに切り替える。そのまま参道の脇に駆け込むと、そのままの勢いで胃の中の物を思いっきり吐き出した。


クラフトモードでは、身体的な疲労や異変はシステムにより抑制される為、身体の不調を感じ難い。最初の頃は慣れなくて、長時間クラフトモードで採取に勤しんだ後にリアルモードに切り替えると、途端に便意を催して大変な目に遭う事があった。

空腹は一応空腹ゲージがあるから感覚的には解るのだが、それ以外は分かり難い。恐らく病気になったりはしない筈だが、一方で精神的な疲労はどうしても蓄積するから、精神に端を発する身体の不調までは抑制が出来なかった。


精神が訴える不調とクラフトモードで抑制された身体的疲労とに乖離が生じると、精神への負荷が増大する為、適度にクラフトモードとリアルモードは切り替える様に心掛けている。


だが、先程から感じる精神的なストレスは限界に達していて、ついに耐えきれず階段を上り切った所でリアルモードに切り替えた結果がこれだ。

ここなら下からは見えないから、無様な姿を晒しても見咎める人は居ない筈だ。大聖堂には、現在は大聖堂を守る聖堂騎士が僅かに残るだけで、この辺りに人の目は無かった。


神の名を借りて人を裁くな! 等と、どの口が言うんだか。俺は先程、帝国の間者を排除する為に魔導タワーを設置した。恐らくは間者だけを狙い撃つと信じてはいたが、最上級エリアの魔物にさえも痛打を与えられる程の火力だ。周囲に被害が出ないとも限らない。あれだけの人が密集しているのだから尚更だ。

それに、その数にしたって5〜60人は居た事になる。それだけの人の命を、俺は簡単に摘み取って見せたのだ。俺が審問官を非難する事等出来るはずも無かった。


勿論必要だからそうしたのだ。俺には神の威光を示す手段など無いから、極端な話、派手に雷を落とす事で神の怒りを演出した訳だ。聖教都に紛れ込んだ帝国の間者を排除したいとは前から考えていたし、下手に煽動されて暴動にでも発展したら目も当てられない。


審問官が、試練がどれ程過酷かをアピールする為にデモンストレーションをする姿を見ながら忌避感を覚えると共に、どうしたってこの後に自分が為そうとしている事を思うと吐き気を覚えずにはいられなかった。そしてその光景を見て熱狂する信徒にもだ。


短い時間とは言え、限られた時間で可能な限り良く良く考えて決めた事だから後悔は無い。最善であったと信じてはいるが、それでももっと他にやりようがあったのでは無いかと後悔ばかりが募ってくる。


心が折れそうになる。こんな時はフランシーヌの温もりが恋しくて仕方が無い。

そんな俺の様子を慮ってか、マリーズがすっと側に寄ると、背中をさすってくれる。


「マリーズありがとう。もう大丈夫だよ」


王族としての教育を受けてきたマリーズだから、時には非情な決断を下す事もある。そんな時でも感情を表に出す事はない。そもそも領内における最高権力者なので、俺が不在の時は俺に成り代わって裁きを下す事も多い。領内で犯罪があれば厳しい処罰を下す事もあるのだ。


マリーズに聞いた事がある。辛くは無いかと。


「辛くは無いと言えば嘘になります。それでも王族としての責任が御座いますから」


それでも、最近は2人きりの時は弱った表情を見せてくれる様になった。共に痛みを抱えているからこそ、2人でその痛みを分かち合うのだ。1人では背負い切れない痛みでも、2人なら、勿論フランシーヌも居るから3人なら、何とか抱える事が出来る気がする。


何時迄もへたっている訳にはいかないから、何とか気持ちを切り替えると俺たちは大聖堂を後にした。


その後の正教会については、ジョエルさんに任せてある。元々根回しを進めていて、枢機卿の中にあって信徒の信任が厚い何人かは既に取り込んでいる。神聖魔術に長けている枢機卿は、神の奇跡を体現するだけあって信徒からの人気も高かった。


そして今回の一件もあり、聖女認定に異議を唱える者は居なくなった。

シクスト枢機卿を筆頭とする審問官は、今後在り方を変える様になる。教会法が整備され、あくまで法に基づく裁きを行う様になっていく。ただ、直ぐに変えられる訳では無いから、今後何十年と言う長い時間をかけて、徐々に変化をしていく事になるのだ。


将来的に審問官は、法に基づく調停者として人々の信頼を得ていく様になる。だがそれも、ずっと先の話だ。


教皇の名の元に、異端審問は禁止される事になった。また神の名を借りて人を裁く事を禁じる事も正式に布告された。


卓也達の思惑通り、魔導タワーの効果は絶大だった。攻撃の対象になったのは帝国の間者達で、煽動した全ての人が対象になった訳では無い。中には金を掴まされて所謂サクラとして雇われた者達も居たが、システム的にはエネミーカラーと迄は判定されなかった人が結構な数居た。そうした人々はこぞって自ら罪を告白して神の赦しを請うたので、帝国の暗躍は直ぐに人々の知るところとなった。


押し合う程では無かったが袖が擦り合う程度には密集していた中で、人が一瞬で焼け焦げる程の雷が落ちたのだ。周囲に居た人達の衝撃は想像を絶するものだった。

何よりも恐ろしかったのは、それ程の威力が有りながら周囲には全く被害が無かった事だ。彼らの目には、それは神の怒り、神がおこした奇跡にしか見えなかった。


ジョエルは正教会における卓也の立場をあえて明確にはしなかった。卓也自身は自らを神では無いと否定したが、信徒達の間では真しやかに神が地上に降臨をされたのだと囁かれる事になった。


大審問の後、ジョエル主導により卓也が建造した穀物製造拠点は正式に稼働する事になる。種を植えれば5日で実るのだから誰もが疑念を抱いたが、それが卓也のもたらした奇跡だと言えば信じる他無い。働き手を広く信徒から募ったが、むしろ誰もが神の御許で働けるのだと、日増しに希望者は増えるばかりだった。


拠点周辺の魔物に対する備えも、正式に正教会所属の騎士に任される事になった。迎撃装置を設置すれば防衛は簡単だが、どうしても事故が起こる可能性を排除する事が出来ないからだ。その為、卓也は防衛戦力を補強する為に正教会に鋼鉄製の武器を提供する事にした。


この世界の製鉄技術はそれ程高くは無い。良質な鉄を作るには大量の薪が必要になる。薪は非常に貴重でおいそれと使用する事が出来ないから、どうしたって鉄製品の品質向上には限界があった。


そこで、鋼鉄製の武器をクラフトし、正教会に供給したのだ。鋼鉄製の装備は上級エリアでも通じる火力が有るので、教会所属の騎士が装備すれば、大型種相手でも早々に後れを取る事は無くなった。


拠点の防衛に当たって率先して巡回に当たったのは審問官達だ。その中にはシクスト枢機卿の姿も有った。枢機卿自らが現場に出るのは異例の事だ。魔物を見れば誰よりも真っ先に飛び出して行く。シクスト枢機卿は既にご高齢であったから配下の審問官達は何とかして思い留まる様に願ったが、シクスト枢機卿の意思は固く、彼は死ぬまで戦場に有る事を願った。


大審議の開催を呼びかけたユダ枢機卿については、シクスト枢機卿と同様に罪を問う声が無かった訳では無いが不問に付された。過去の例を見れば聖女認定の正当性を担保できる材料が無かったのは事実であったし、卓也自らが一切を赦すと宣言をしたのだから、その罪を問う事等は出来ないからだ。


最も、ユダ自身は教皇と通じていて、率先して悪役を買って出ていたので無罪放免は既定路線でもある。それでもユダは卓也に正式な臣下の礼を取らなかった。


ユダが教皇に協力をしたのは、あくまでも正教会に身を尽くしており、今回の一件を機に正教会が本来の信仰に立ち戻る事を願ったからだ。ユダは敬虔な神の信徒である事を自認している。彼は彼なりの信念に基づき、神へ信仰を捧げていた。


ユダの立ち位置は大審議の後も大きな変化は無かった。変わらず大聖堂の守護を司っていたが、卓也が教皇の居室を出入りしても咎める事は無くなったのは、彼なりに卓也の事を認めたからだろう。


かくして、正教会はジョエル教皇を名目だけでは無く実質トップとする体制へと移行した。ジョエル教皇体制時代は、正教会の長い歴史の中で見ても特に変革の大きい時代となった。大陸の歴史を見ても非常に大きな変革のあった時代だったが、その渦中に有って時代に即した信仰の在り方へと柔軟に変化をした時代でもあった。その中核に有ったのは、間違い無く教皇の存在であっただろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る