第179話 大審問その3

煮立った油が入った釜だが、当然の事ながら俺は何の痛痒も感じない。耐熱ポーションを飲めば溶岩の中にだって入れるのだ。煮立った油程度の温度なら何の問題にもならなかった。


さて、俺は先程から何とも言えない気持ちの悪さを感じている。広場を埋め尽くす信徒。彼らは一心に何かを祈っているが、何を祈っているのだろうか?


先程罪人が惨たらしく死んだ姿を見て軽く悲鳴を上げた人も居たが、大半の人はそれ程驚いた様子を見せなかった。ここに居る人達は、聖教都から出た事の無い人も居るかも知れないが、大半は魔物が跋扈する町の外を旅して聖教都を訪れた信徒だ。ほぼ例外無く魔物に相対した経験がある。大審議の開催に当たって遠方から聖教都を目指す旅の途中、魔物に襲われて命を落とした者も少なくは無い。


日頃から魔物の脅威に抗って生きている人達にとって、人の生き死には実に身近だ。人が1人、ましてや罪人が死んだ位で動じる人はそれ程多くは無かった。そんな彼らが審問に当たって何を祈るのか。


神の到来を待ち望む祈りか、神を疑う不敬に対し赦しを乞う祈りか、神の名を語る不届き者へ断罪を乞う祈りか。これだけの人が居るのだからきっと様々な祈りがあるのだと思う。それらが綯い交ぜになって、試練の経過と共に熱を帯びたそれが俺に纏わりついて来る様に感じるのだ。それが何とも不快だった。


程なくして油から引き上げられると、俺は何事もなく格子の檻から歩いて出て、先程と同じ様に無事をアピールした。身に纏っている衣服は装備品扱いにはならない筈なのでどうなるか心配だったが、今の所問題は無さそうだ。全身油まみれの嫌悪感はクラフトモード故かそれ程感じなかった。


最後の審問は、審問官による試しだ。審問官は敵対する宗教組織の信徒を断罪する事もある。その場合は、大抵の場合は物理的な実力行使により行われる。異端審問官は単純な戦闘能力にも秀でていて、恐れられていた。


そこに居るのは審問官の長であるシクスト枢機卿の信任厚い審問官だ。その手には巨大な大刀。刃渡は1m半はあろうかと言う程。刀身は肉厚で、緩やかな曲線を描いている。見た目の印象は巨大な肉切り包丁。その巨大さも相まって何とも言えない不気味さを感じる。


先程と同じく、まずはデモンストレーション。置いてある丸太に向かって大きく吠えて大刀を振り下ろすと、一刀の元に3本積まれた丸太を一撃で断ち切って見せた。

丸太一本の幹の太さが50cmはあって、それを3本同時にだから中々の切れ味では無いだろうか。その大刀を今度は俺に向かって振り下ろすと言うのだ。


俺は至って平然と突っ立ったまま、その瞬間を待つ。合図と共に審問官は俺に向かって踏み込み、先程よりも気合いの籠った一撃を俺に向かって振り下ろした。大刀は俺の首を正確に狙って斜めに振り下ろされるが、ガンっと景気の良い音を立てるものの俺は身じろぎすらしなかった。


審問官は、そのまま大刀を振りかぶって再度振り下ろす。それを繰り返す事3度目、ガキんと一際大きな音を立てると大刀が中程から真っ二つに折れた。折れた剣先は宙に舞った様な気がしたが、そのまま何処かに消失してしまう。


種を明かせば簡単な事だ。装備のグラフィックは表示をオフにすればスキンが表示されるが、何も装備効果が失われる訳では無い。俺は一見簡素な貫頭衣を纏っているだけに見えるが、その実はヒヒイロカネ製の装備を身に纏っている。たかが鉄製の剣でダメージが通る筈も無かった。コモン等級が相手なら、これがミスリル製でも結果は変わらないだろう。相手はと言えば遥かに格上の装備相手に全力で剣を振り下ろしたのだから一気に剣の耐久値が削れる。振り下ろす事僅か3度で破損状態になってしまったと言う訳だ。今審問官が手にしている大刀は破損表示の為、刀身が半ばから折れた様に見える。しかし、あくまで破損状態にグラフィックが置き換わっただけなので、実際に折れた刀身が何処かにいった訳では無かった。


審問官は呆然と自分の手の中にある大刀を見ている。まぁ結果は一目瞭然だ。


試練の結果を見れば、俺は審問官の試しに打ち勝った事は一目で解る。当然、俺が神の寵愛を受けている事が証明がされたので、教皇の認定は正しく、聖女は本物だった事になる。ならば、神託に預言された神の現身とは俺の事で間違いが無い筈だ。そもそも一連の試練を見れば、無傷で潜り抜ける事が人に出来る筈も無かった。彼らは待ち望んだ神がこの世界に降り立ったのだと確信をするに至った。


広場を徐々に歓声が満たしていく。だが少しすると、今度は神を疑った審問官に裁きをと誰かが言った。神に刃を向けたのだからこれ程の不敬は無い。信徒達の高まった熱気に煽られて、徐々に断罪を望む声が大きくなっていった。


審問官は職務に忠実だっただけだ。行き過ぎた面もあるが、少なくとも枢機卿であるシクスト猊下からはそこまで不快感は感じなかった。ある意味誰よりも純粋に神を信じているのだと言える。彼が信じる神の祝福を受けたのであれば、これ位の試練は乗り越えてみせるだろうと。事実、今現在シクスト猊下がどうしているかと言えば、舞台脇で深々と頭を下げて一心に祈りを捧げている。誰よりも断罪を求めているのは彼かも知れない。


だが神を疑ったと審問官に罰を与えれば、審問官の正当性は失われてしまう。神の信任を得て審問を行った筈の審問官が神に刃を向けたのだから、そもそもこれ迄の審問官は正しかったのかどうかが疑問視されるからだ。だからと言って赦しを与えれば、これまでに審問官の手によって断罪された人々は神の赦しを得られ無かった事になる。そうすると神の正当性さえ疑われる事になる。神に刃を向けた審問官が許されるのならば、何故今まで審問を受けた人々は許されなかったのかと。結局、どう転んでも正教会の正当性が損なわれる事になる。


だからだろう。広場で断罪を求める声を上げたのは、全部とは言わない迄も帝国の工作員による煽動だ。今の広場の熱気は高まる一方で、うねる様な激情の波が俺に押し寄せてくる。何と言う不快感。


俺はメニューを呼び出し、登録済みの迎撃タワーを二箇所に設置した。


程無くして、高さ10mはある魔導迎撃タワーが完成する。技術レベル70でクラフトが可能になる魔導タワーの上級レシピで、有効射程はコモン等級でも5km。落雷によりダメージを与える事が可能だ。レジェンド等級なら射程は12.5km。ドラゴン戦以降のボス戦でも非常に有効な迎撃装置だ。


熱に浮かされた信徒達は今にも暴動を起こしそうな勢いだったが、ふと舞台袖にいきなり現れた塔に気付く。程なくして、その頂上がちかっと光ると、ズドーンと凄まじい音が広場に響き渡った。


魔導タワーに動力源となる魔石(大)を入れると、後は広場に忍び込んだ帝国の間者に自動で狙いを定め、何処からともなく一条の雷が落ちて貫いていく。射撃間隔は2秒。2本の魔導タワーが交互に雷を放つので、ズドーン、ズドーンと間断なく立て続けに轟音を響かせた。


忍び込んでいた間者は結構な人数だった様で、鳴り止むまでに凡そ1分は掛かっただろう。唐突に途切れると、先程の熱狂が嘘の様に広場が静まり返っていた。


これ程激しい落雷でも、密集した群衆の中から正確にエネミーカラーだけ狙い撃ちして周囲に被害が出ないのだから、それはもう奇跡にしか見えなかった。


「マリーズ、拡声の魔法を!」


今なら声がよく通る。舞台袖に控えるマリーズに声を掛けると、直ぐに魔力が身体を包み込むのを感じた。


「諸君、傾聴せよ」


出来る限り声を抑えて、威厳が出る様にする。


「まずは諸君らの疑問に答えよう。私は神では無いが、見ての通り神から力を授かった者だ。それに異議がある者は? ...異議があった者は先程の雷により撃たれたのだから、ここに残る者は神を疑う事なき者達であろう。故に私は皆を赦す」


誰1人として声を上げる者は居ない。ゆっくりと反応を待ちながら、声が行き届いたのを確認しつつ、声を繋いで行く。


「先程、神を疑う者に断罪をと声を上げた者がいた。だが、神の名を借りて人を裁くのは、些か不敬では無いかな? 故に、今後一切神の名の元に人を裁く事を禁じる」


結局のところ、俺がどうしても我慢が出来なかったのはこの一点だ。人の身でありながら神の名を借りて人を裁く。何と傲慢な事だろうか。法の元に公正な裁きを行う事が理想だが、さすがにそこまでは求めない。でも、せめて人を裁くのは人であるべきだ。


「神は常に汝らと共にある。だが、神の祝福はこの世界に住む全ての人々に等しくあるべきだ。悪き行いには死して後、神の裁きを。善き行いには導きを。汝らは善き人であれ。神の信徒であると願うのであれば、隣人の模範であれ。神には感謝と祈りを。いずれ苦難の日々は終わりを告げよう」


「神よ、どうかこの私に裁きを」


そう声を上げたのはシクスト枢機卿だ。何と言うか、空気の読めない人だよなと思う。


「先程赦すと申した筈だ。汝が罪を悔いるのであれば、残りの生を人々に尽くせ。汝の生が善きものであったかは、死して後神が自ら裁かれよう」


実際に神様が何を考えているか何て俺には解らない。それでも日本に居た頃は神社に行けば神様に手を合わせるし、先祖の霊はちゃんと祀ってある。因果応報、悪い行いはいずれ巡り巡ってその人にかえるとそう信じても居た。そうあって欲しいと願うし、善き行いは報われて欲しいと願う。神様への祈りってそう言う物じゃ無いだろうか。


実際に善き行いが報われるか、悪き行いが裁かれるかどうかは神様に丸投げだ。死んだ後の事まではさすがに責任は持てない。


「は、必ずや人々に尽くします」


そう言ってシクスト枢機卿は涙を流していた。


「ジョエル教皇」


ジョエルさんが進み出て膝を突く。


「正教会の事はその方に託す。善きにはからえ」


「はっ、タクヤ様の仰せのままに」


その後は枢機卿全員が俺を囲む様に膝を突いて、祈りを捧げ始める。教皇の先導で聖句が唱えられる。広場を祈りの言葉が満たした。俺はそれを横目に退場する事にする。何とも締まりが悪いが、マリーズとオーギュストさんを伴って階段を上り大聖堂へと向かう。今更俺達を咎める人は居ない。今も後方から祈りの言葉が絶えず聞こえてくるので落ち着く迄には今しばらく時間を要する事だろう。後の事は全部ジョエルさんにお任せだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る