第178話 大審問その2

水槽に沈む事1時間。次の試練は釜揚げだった。

巨大な釜には油が満たされていて、火に掛けれている。煮立った油は、時折はねてばっと燃え上がる。


最初に罪人が連れて来られて鉄の格子の檻に入れられると、ゆっくりと吊り上げられて釜の中に入れられた。響き渡る絶叫。そして沸き立つ油。人の身体はその大半が水分だから、そのまま油に入れると水分が一気に膨張して凄まじい勢いで油が跳ねる。まぁ周囲には人も居なければ引火する様な物も無いから、防災関連の実験で良く見る様な天ぷら油が引火して火災になるなんて事は無い。油に具材を入れた時のじゅわっと言う音があっという間に絶叫を掻き消してしまった。


暫らして格子が油の中から引き上げられると水分が抜け落ち、表面は微かに炭化していて、辛うじて原型を見て取る事が出来る良く解らない状態になっていた。


広場に程近く、その光景を間近に見る事が出来た者たちからは悲鳴に似た声が上がる。


神の試練と言う割には随分と残虐だなと思う。何故この様な行為が認められているのだろうか。格子の中から死体が片付けられると、次は俺の番だ。入れ違いで檻の中へと入ると、先程と同じ様に俺の入った格子の檻が吊り上げられ、ゆっくりと油の中に沈められていく。


そもそも、何故この様な審問が行われる様になったのかと言えば、正教会の歴史が関係している。


かつて魔導文明の時代、その当時から神を崇める宗教は幾つも存在した。

信仰する神は同じだが教義は異なる宗教が幾つもあったらしい。多くの宗教で、魔力は神の祝福により人に与えられたものであるとされていた。

魔力が高い=より神に愛されているとされていて、魔力に基づく厳格な階級社会が形成されていた。


国王は最も魔力が高く、地上における神権の代行者であると自称をしていた。

宗教はそれほど実権を持たず、最大の信徒数を誇る国教では神と王とを同一視しており、王の権威を担保する役割を担っていた。


一方、魔力が少なく神に愛されていないとみなされていたブリアント大陸の人々は、魔導文明のメジャーな信仰とは異なる独自の信仰を持っていた。

その教えはこうだ。神と人とを同一視する信仰は誤っており、誤った信仰を掲げる人々にはいずれ神の罰が下る。虐げられた人々は正しき行いをすれば救われるのだと、神による救世を説いていた。


魔導文明が滅びると、大陸における宗教組織は一気に勢力を増した。

神の怒りにより魔導文明が滅びた事を受け、自分たちの信仰は誤りではなかった事を証明されたと説いた。そして、多くの支持を集めたのである。


だが、魔物が跋扈し、さらなる苦難の時代が来る。人々は、自分たちは救われたのでは、自分達の信仰は正しかったのでは、と疑念を覚えた。

その疑問に対し、指導者達は魔物は神の試練であり、試練を乗り越え、打ち勝つ事で魂が救済される。また、魔物に勇敢に立ち向かい死した魂は、死後安息の地へと導かれると改めて説いたのだ。救いを求めて、多くの人々が神を盲信した。


とは言え大陸の宗教も一枚岩では無く、魔物により国家間の連絡は寸断されていた為、様々な宗教が各地で台頭する事になった。

転機は聖女の誕生だ。初代の聖女、聖剣の乙女は、とある宗教の敬虔な信徒であった。大陸を襲った未曽有の災害に際して神から奇跡を賜り、神の奇跡を体現して見せたのである。


その聖女を象徴として、幾つかの宗教が集まって出来たのが現在の正教会である。聖女の出現により、神の威光は大陸に広まった。その影響も有り、それまでの救世を説いた宗教とは一線を画し、改めて神への信仰を説いたのである。


だがその後も、各地には独自の信仰を持つ宗教が幾つも存在した。

時代を経ると宗教間の対立は激化し、特に自身が聖女であると主張する偽物が数多く表れた。


正教会は自身の正当性を示す為に、他の宗教や聖女を騙る偽物を厳しく弾圧した。その際に組織されたのが現在の審問官である。


審問官の在り方は長い歴史の中で大きく移り変わっている。最初の頃は今ほど過激では無かった。逆に今よりも遥かに弾圧の厳しい時代もあった様だ。


そして現在の審問官の役割は、正教会の権威を保つ事。そして魔導文明を滅亡に導いた過度な文明や魔力を管理、抑制する事にある。


未だ大陸の人々は魔物に対して有効な手段を持っていない。その為、生存圏が非常に限られている。食料の自給率を向上させるのも限界があり、どうしても限られたスペースを有効に活用する必要があった。

そうして生き永らえようと思えば、可能な限りイレギュラーを排除する必要があるのだろう。その為、異端や犯罪者、強大な魔力持ちは厳しく排除されてきたのである。


冒険者ギルドの役割もある意味同じだと言える。ギルドでは、高魔力持ちは成長する前に厳しく管理、審査が行わる。加えて魔力の多寡を問わず人間性に難があると認められれば秘密裏に排除される事もあった。その為に暗部が存在する。


冒険者ギルドの暗部、そして正教会の審問官。表か裏かの違いだけで、結局のところやっている事は同じだと言えよう。


多分、必要悪なんだろうな。閉塞したこんな世界が表面的にはそれでもまだ健全に見えるのは、裏で患部と言える人達を排除して来たからだ。疑わしきは罰せずでは無く、疑わしきは罰するのだ。


そうなれば、当然無実の人々も数多く排除されてきたのだろうと容易に想像が出来る。だが疑わしきは罰せずでは、法の目を掻い潜って悪がのさばる可能性もある。極端な話、疑わしきは罰せずで悪がのさばる世界と、疑わしきは罰するで無辜の民が犠牲になる世界。果たして、どちらがより正しいのだろうか。


この世界ではどちらが正しいのか悩んでは見たが、結局俺には答えを出す事が出来なかった。


審問官は矛盾の塊だと思う。この手と足に嵌められた封環は良い例だ。魔力は神から与えられた祝福だと言うのに、その恩寵を推し量る試練を受ける為に魔力を封じるのだから矛盾している。そもそも過ぎた魔力を異端とする考え方自体がおかしな話だ。神から与えられた祝福である筈の魔力が、多い事が禁忌とされるのは自ら神を否定している行為では無いのか。


正教会に於いても、この様な形式による異端審問を禁じる事が長い歴史の中で何度も議論されて来た。だが、元々は正教会の正当性を証明し権威を保つ為に執り行われて来た為、禁止する迄には至らなかった。


それでもこの様な審問を執り行う事になったのは、ジョエルさんも出来れば審問官を廃したいと考えていて、今回の事がそのきっかけになると考えていたからだ。


この大審議、宗教裁判は教皇の正当性を問うものだ。突き詰めれば俺が神の現身かそうで無いかを問う為に行われている。そして、俺が全ての試練を乗り越えたなら、神の現身であると認められる訳だ。その時、神の恩寵を試そうとした審問官の責は当然問われる事になるだろう。


その勢いに任せて、審問官の見直し、最終的には廃止に追い込みたいのがジョエルさんの考えだ。


俺にも思惑はある。これ迄の聖女は、大陸を襲った未曽有の危機から救済すべく神が恩寵を与えた存在だ。そこには明確な危機が有り、結果として聖女の正当性を担保していると言える。だが、今回の聖女には目に見える危機は無く、そうした状況にあって聖女を認定した前例が無い。

果たして聖女は本当に神から恩寵を与えられたのか。その神託は神の御言葉だったのか。表立ってその疑問を口にする者は居ないが、そうした声が燻ぶっているのは否定が出来ない。


俺にとってはフランシーヌが本当の聖女かどうかなんて問題では無かったが、後ろ指を指されるのはどうにも癇に障るし、帝国が暗躍して騒乱の火種になる事も避けたかった。実際この場にも結構な数、帝国の間者が潜んでいるのは確実だろう。


だから、この様な審問はおかしいと思いつつも、疑問や不満を一気に吐き出させる為に審問を受ける事にしたのだ。これを乗り越えれば、結果として正教会の信任を正式に得られると言う目論見もある。大陸の人々が一致団結して災厄の竜に挑む為には、必要なプロセスだと言うのが大方の考えだった。


だが、実際にこうして試練に挑んでみると、俺はどうにも居心地の悪さを感じるのだった。

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