第177話 大審問

3月某日。正教会の総本山である聖教都はこれまでに類を見ない程の人でごった返していた。その目当ては大聖堂で行われる大審議を一目見る為だ。とは言え、人口20万の聖教都の人口が倍以上に膨れ上がる程に人が詰めかけており、とてもでは無いが全ての人達が大審議を直接観る事は叶わなかった。


大審議の内容は先日教皇から布告された聖女認定、その是非を問うものである。

聖女の二つ名は神託。歴代の聖女と比較しても稀有な、神の声を直接賜る奇跡を行う事が出来る聖女なのだそうだ。


これ迄も聖女や聖女候補と呼ばれる高位の聖職者達は、神の声を賜る事があった。だが、その信託は非常に曖昧で漠然としたイメージで伝わる事が殆どだ。だが今代の聖女は神から明確なメッセージを賜ったのだと言う。その内容は、【現世に降臨する神の現身と共にあれ】と言うもの。


皆はその話を聞いた時に首を傾げた。神が降臨する? 現身? あえて現身と表現するのだから神そのものでは無いのだろう。だが神が自ら神託で降臨を予言したのだ。仮に人だとしても只人である筈が無い。そして聖女は既に共にあり、件の人物に嫁いだのだと言う。それはとても喜ばしい事だ。それが本当に神から託された言葉通りならばだ。


だが当然、疑問が浮かぶ。果たして聖女が嫁いだ人物は何者なのか。本当に神の名を冠する程の人物なのか。それに疑義を唱えたのは枢機卿の1人であるユダ枢機卿だ。彼は年若いが政治的な手腕に長け、真しやかに次期教皇の座を狙っていると噂されている。


現在の教皇は歴代の教皇の中でも一際強大な神の力をその身に帯びていると言われていて、信徒からの信頼が篤い。その教皇に権力が集中する事を防ぐ為、牽制する為に疑義を唱えたと目されている。


不敬ではあるがあえて問うのだ。聖女は本物なのか。認定した教皇の行いは正しかったのか。神託は正しいものだったのか。その真偽を問うならば、聖女が嫁いだ相手が本当に神の現身であるのかを見定める必要がある。少なくとも歴代の聖女や英雄ですらなし得なかった事を体現して見せねば納得は出来ないだろう。その審問を行うのは、苛烈で知られる審問官の長であるシクスト枢機卿だ。


大聖堂へと通じる登山道の登り口はかなり広い。これ迄にも幾度と無く大審議が行われた場所で、今は登山口を背に教皇、12人の枢機卿、聖堂騎士、聖騎士と正教会の主だった面々が軒並み顔を揃えている。その人々が囲う様に一段高い土台が3つ作られている。真ん中には現在ユダ枢機卿が立ち、広場を囲って居並ぶ信徒達に向けて大審議の開催を宣言していた。


「故に、私は皆を代表して彼の方の資質に疑問を呈する物で有ります。神が人の身を借りてこの地に降臨するのは喜ばしき事なれど、帝国の勢いは増し、大陸に未曾有の危機が降りかかろうとしている。我らが信仰する神ならば、何故慈悲をお与えにならないのか。不敬を承知ながら、皆の声を代表して私は問わなければならない。聖女がお認めになったあなたは私達が信ずるに足りる方なのか。あなたは何者なのかなのかと」


美丈夫であるユダが、大仰な身振りを交えながら声を響かせる。この人、役者としても大成するだろうな。ユダの声を聞きながら卓也はそんな事をぼんやりと考えていた。


ユダが舞台から降りると引き続いて小柄な老人が進み出る。この人物がシクスト枢機卿だ。背はやや丸みを帯びていて、何とも卑屈な表情を浮かべている。彼が審問官を束ねその一切をを取り仕切る人物だ。


審問と言えば異端審問が有名だが、そのロジックはここでも変わらない。神の寵愛や加護を受けているのであれば、この程度の試練は乗り越える筈だ。乗り越えられないのは神の加護が無いのだから、だから異端であると。今回は俺の資質を問うものだが、やる事自体は変わりはない。中央の舞台のやや前方、その左右には同じ様に審問の為の舞台が設置されている。右手には油を煮立てた大鍋。左手には正面をガラス張りにした特製の水槽だ。その更に前方の中央には舞台は誂えてはいないが、幹の太さが50cmはある丸太が3本積まれている。


これらは3日前から設置されていて、信徒が自由に触れられる様になっていた。事前に細工などがされていない事を示す為だ。


この大審問は、正教会の掌握を一気に進める為のデモンストレーションとして計画をされたものだ。実の所ここだけの話、ユダはどちらかと言うと教皇の協力者だった。彼は神への信仰というよりも正教会と言う組織そのものに対しての忠誠を誓っている人物だ。だから俺に対しては忠誠を誓っていない。正規の手順に従って信任を得る事を何より大事なものだと考えている。その為、進んで教皇に疑義を唱えると言う一種悪役を買って出てくれているのだ。


シクスト猊下が審問の内容について説明をする。既に事前に内容は布告がされている。それは事前に予想した通りの内容だった。


さて、説明が終わったので、両脇に聖騎士。教会から正式に任命をされた騎士に先導されて中央の舞台へと進む。俺が身につけているのは非常に簡素な貫頭衣だけだ。頭から無垢な布を被り、腰を紐で縛ってあるだけの物。俺が身に何を帯びていない事を示す為の意匠になっている。


舞台の中央に進むと、次に両手、両足に特別性の封環が装着される。魔力を阻害する魔道具で、主に魔力持ちの犯罪者を拘束する為に使用される物だ。装着した者の魔力を阻害するだけで無く、周囲1m四方位の魔力を霧散させる力を持つ。


その性能を示す為、2人の魔術士が進み出て俺に向かって火の魔法を撃つが、しゅっと霧散して封環の効果を示した。


その後、案内されるままに水槽の中へと進む。封環はそこそこの重さがある。水深も2mはあるので飛び込むのではなく、掛けてある梯子を利用して水槽の底に降りる。直ぐに梯子は外される。卓也は気にする風も無く、そのまま水槽の底に座した。


しばらくは固唾を飲んでその行く末を見守っていた信徒達も、10分を過ぎた辺りから段々の祈りを捧げ始める。気が付けば神に慈悲を乞う祈りの声が広場に満ちていた。


審問は数えきれない程行われてきたが、その結末は例外無く1つだけだ。神の慈悲を得られずただ死にゆくだけ。だから、皆、死に瀕した卓也に神の慈悲が有らん事を願うのだ。


卓也は祈りの声を聞きながらも平然と座して時間が過ぎるのを待っていた。

平然としているのは簡単な話で、メニューを開いて水中呼吸薬を飲んだからだ。水中でも地上と同じ様に見え、呼吸ができ、動ける様になる薬だ。別に罪人という訳でも無いので手は自由に動かせるが、どこからかポーションを取り出して飲み干した訳では無い。そもそもメニュー画面は手を動かして操作する必要も無い。水槽に入る前にメニューを開き、自分に対してポーションを使用するだけ。メニューからの使用なら実際に飲む動作も必要が無いから、周囲から何をしているかを知る術は無い。


予想外だったのは、水槽の水は毒入りだった事だ。水に浸かると毒を受けたとシステムメッセージが表示されたので直ぐに解った。致死性の毒だった可能性もあるが、エターナルクラフトにそんな毒は存在しないから、スリップダメージで表現される事になる。幸いな事に大した毒では無かった様で、10秒に10点ずつダメージが入る程度。いや、NPCなら即死か? だがエターナルクラフトにはもっと強烈な毒もある。沼バイオームに出現するギガントトードの吐き出す毒が良い例だ。俺にとっては大した脅威では無いので、慌てずメニューを開いて抗毒ポーションと解毒ポーションを使用した。


こう言う時に備えてと言う訳では無いが、各種ポーションは十分なストックがあるから問題は無い。30分程するとシクスト枢機卿が様子を見に水槽の正面に回って来たので、俺は微笑みながら手を振って無事をアピールした。


シクスト枢機卿が俺を見た時の表情は見ものだった。苦虫を噛み潰した様な顔で何事か呟いていたが、残念ながら水槽の中からでは聞き取る事が出来なかった。


1時間も経つと銅羅の音が鳴り響く。水槽に入る時に使った梯子は外されているので梯子を入れてくれるのを待つが、梯子がなかなか来ない。恐らくは使う事態を想定していなかったのでは無いだろうか。5分ほどするとようやく梯子が入れられたので、梯子を伝って水槽から出ると、手を大きく広げて信徒に無事をアピールした。その姿を認めた信徒から大歓声が上がった。


審問に関わる人達は、この水槽の水が猛毒だと知っているからだろうか。それとも、単純に無事な事に恐怖を感じているのだろうか、誰も俺に近寄ろうとはしない。


何はともあれ1つ目の審問が終わったので、次は2つ目の審問だ。

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