第146話 年越し

戦力が整ったとは言え、クラフトが完了したのは何と大晦日だ。出発は年が明けてからになる。流石に年内最終日の今日は日課の朝議も行わず、皆には休みを取らせている。


無事に今年1年の終わりを迎えられるとあって、町の人々の表情は誰も彼もが明るい。とは言え、今日1日は年越しの準備をする必要が有るから、皆慌ただしく過ごしていた。


正教会では、年内最終日の今日は沈黙の儀が行われる。日が暮れて夜が明ける迄は一言も発せずに沈黙を守るのだ。1年を無事に過ごせた事を感謝し、新年を迎える事が出来る喜びを夜を通して祈りで伝えるのだ。


実際に沈黙を保つのは難しいが、この日ばかりは皆自分の家で家族と静かに過ごす。新年明けて2~3日は何処も新年のお祝いで賑わう。その間は大半の店は休みになるので、慌ただしく年越しの準備をするのだ。


時間を掛けて準備をすれば良いとも思えるが、大半の人は前日まで仕事をしているし、それ以外の時間でも他にも色々な作業を行っている。例えば新年に自分を着飾る衣装の制作等だ。それに冬でも新鮮な野菜が出回るから、早めに買う必要性が無かった。


今日は、年内最後の大掃除や、生鮮食料品の買い出しが主になる。昼過ぎには町の往来を行き交う人影がまばらになる。店も早仕舞いをするので夕方頃になると町はすっかり静けさを漂わせていた。


日が沈む頃には皆家の戸を閉ざし、口を閉ざす。正教会の敬虔な信徒で無ければ完全な沈黙を保つと言う事は無い。だがフランシーヌやマリーズも敬虔な信徒だ。今日はアマテラスの聖堂で日が暮れる頃から祈りを捧げる。なので、俺は明日まで一人だ。


今日は身の回りの世話をしてくれる人達も、無理を言って休みを取って貰っている。

オデットさんやオーギュストさんとて例外では無い。


だから今日ばかりは宮殿では無く、大蜘蛛の森の拠点で過ごす事にした。かなり慣れて来たとは言え、やっぱり俺には宮殿での生活は落ち着かない。


久々の一人の時間だ。折角なので自前で料理を用意する事にした。勿論、クラフトでだけど。取り出したるはリヴァイアサンの霜降り肉でクラフト出来る鉄板ネタのステーキ。そして、12月に入ってついに完成した、レジェンド等級のワインだ。


テーブルの上に燭台を設置して雰囲気を出す。暖炉では薪がパチッと爆ぜる音がして、部屋を暖めてくれている。


今日の献立は新鮮な野菜のサラダ。リヴァイアサンの霜降り肉のステーキ、そしてレジェンド等級のワイン。まだリアルでは食べていないので、楽しみで仕方が無い。


ステーキがとんでもないサイズで出てきたらどうしようと少し心配だったが、比較的常識的な範囲で出て来てくれた。まぁオブジェクトとしては50cm×50cmの1ブロックに納まるサイズなので、さすがにそれを越える事は無い様だ。嫌、ジャイアントスパイダーの茹で足の様に納まらない物もあるので、油断は出来ないんだけどね。


とは言え、横幅40cmはあるだろう大きなプレートに、巨大な肉塊が鎮座している。今までに見た事の無いサイズだ。あれ、常識って何だっけ? これ何㎏あるんだろうね?


得も言えぬ芳香が部屋中に充満する。ワインを樽からグラスに注ぐと、こちらも負けじと芳醇な芳香を放つ。2つの香りはぶつかる事無く、混じり合い、更に1段上の何かに昇華される。これが、マリアージュと言う物だろうか。


もしこの場に魔力を視認出来る者が居れば、ステーキとワインから非常に密度の高い魔力が溢れ出し、混ざり合う光景を目にしたであろう。魔力を知覚する五感とは異なる感覚をも満たす料理だから、味も格別な物だと容易に想像する事が出来る。否、その味は想像すら出来ないものだ。


ナイフとフォークを手に取り、ステーキをカットする。すっと何の抵抗も無くナイフが入る。断面は綺麗なピンク色。絶妙な焼き加減だ。一切れと言うには大き過ぎる肉の切れ端を口に運び入れる。噛む必要も無く、口の中で解けて行く。


見ろ、肉がまるで飲み物のようやー。脳内で、何処かで聞いた事のあるセリフをもじった様なセリフが、同じく何処かで聞いた事のあるグルメリポーターの声で再生される。

やめろ、俺はこの一瞬の幸せを感じたいんだ! 脳内から雑念を追いやる。肉の余韻が薄れない内に、ワインを一口すする。先程脳内で再生されていた何かが一瞬で吹き飛び全身を満たす多幸感。


我が生涯に一片の悔い無し。


俺は、我知らず滂沱の涙を流していた。


気が付けば、肉はすっかりと無くなっていた。正直自分の何処にあれだけの肉が入ったのかは疑問だ。一緒に用意していたサラダも気が付けばちゃんと無くなっていた。その間の記憶が一切無いから、何とも神秘的なものを感じる。


流石にワインも飲みすぎた様で、ベッドに移動しようと立ち上がると随分と身体が重い。だが、とても幸せな気分だ。


千鳥足でベッドへ辿り着くと、ベッドに体を投げ出す。満ち足りた気分だ。でも、今日は俺の横にフランシーヌは居ない。少しだけ寂寥感を覚える。


もうじき今年も終わる。思えば、今年は随分と色んな事が有った。


エターナルクラフト10年の集大成として挑んだ銀河戦争。あの結果はどうなったのだろうか。昨年はレシピをゲットする為に、人生で一番仕事を頑張った年だった。今年は、そのレシピを完成させるべく励んだ年だった。アレを3艦建造したのは俺位だと自負もある。結構良い戦績だったと思うんだけどなー。結果を見ずにして、この世界に来た事だけは悔やまれる。


そして、フランシーヌとの出会い。本当にそれは運命だったと思える。

完全に俺の一目惚れだ。外見だけでは無い。こう、まとう空気感と言うか、ちょっとした仕草や表情だとか。テレビで芸能人が、あ、この人と私結婚するんだと一目会った瞬間に感じたなんて話を聞いた事が有る。眉唾だと思っていた。

勿論、フランシーヌとの間にそんな運命めいたものを感じた訳では無い。でも、彼女と一緒に居られるなら俺はどんな犠牲だって厭わない。そう思ったのは事実だ。今ならあのコメントも、そんな事もあるのかもなと思える様になっていた。


フランシーヌと俺を結び付けてくれたのは、間違いなくこの世界の神だ。一体どんな神なんだろう。その正体は解らないが、正直何だって構わない。これからもフランシーヌと過ごせるのなら、どんな苦労も困難も犠牲だって厭わない。


きっと来年も忙しい年になるだろう。明ける年に思いを馳せつつ、気が付けば俺は眠りに落ちていた。



翌朝、何時も通りに夜が明ける直前に目を覚ます。思ったよりも酒は残っていなかったので、ベッドから出るとぶるっと寒さに体を震わせながら、顔を洗う。


どうせなら温かい地域に生活拠点をちゃんと作ろうかな。

移動は転移門で簡単に出来るのだから、避暑地、避寒地があっても良い気がする。

海は危険だが、沖合を強固な壁で囲ってしまえば、景観は兎も角安全に海水浴をする事だって可能だ。レシピには無いが、スキー用具は自前で用意するのはそれ程難しくは無い筈だ。雪山で滑るのだって面白いかも知れない。最も、俺は上手に滑れないんだけど。でもこの世界に来て、かなり体力は着いた。贅肉はすっかり落ちて、筋肉質になっている様に思える。姿見に自分を映せば、腹筋もしっかりと6つに割れていた。今なら昔よりも上手に身体を動かせる気がする。今すぐは無理だけど、落ち着いたら色々と試してみたいな。


朝食は簡単に済ませると宮殿へと移動する。途中、アマテラスの町を覗くと、昨晩の静けさが嘘の様にまだ夜が明けてそれ程経って居ないにも係わらず、すっかり賑やかになっていた。


どの家も門戸を開けて、新年最初の澄んだ空気を家に循環させる。こうして、昨年中の澱固まって淀んだ空気を追い出すのだ。家と家を渡す様に、ロープを張って新年の飾り付けをしている人も多い。


既に華やかな衣装に身を包んでいる人も居る。皆晴れ晴れとした表情をしていた。俺も何だか嬉しくなってくる。


宮殿に着くと、自分でお茶を入れて椅子にどっかと腰を据える。流石にここまでは町の喧騒は届かないから静かだ。昨晩食べた料理の味を思い出しつつ、余韻に浸っていると、程無くしてフランシーヌが戻って来た。


ああ、やっぱり俺は幸せだ。


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