第136話 聖教都へ
折角お呼ばれをしたので、正教会の総本山へと向かう事にした。
標高が1000m程の山の中腹、開けた場所に教会は建造されていて、ぐるりと強固な壁が取り囲んでいる。教会に至る山道は幅の広い階段が設けられていて、日中は教会で祈りを捧げる為に訪れた巡礼の信徒が行き交っている。
山の麓には城塞都市があり、その周囲には広大な耕作地が広がっている。人口20万の巨大都市。正教会の総本山であるアンジュ大聖堂を頂点とする都市国家だ。
それ自体が完結した1つの国家だが、正式な名前はなく、大聖堂の名称をそのまま冠してアンジュ聖教都、アンジュ聖教国、もしくは単に正教国と呼ばれる事が多い。都市の人口は20万程度だが、巡礼の多い季節ともなれば30万に膨れ上がる事もあった。
正教会の信徒は大陸全土で数千万とも言われており、帝国に比肩し得る最大勢力である。
その数千万の信徒を束ねるのが、12名の枢機卿であり、枢機卿により選出された教皇がその頂点として君臨する。
正教会の教えは世界を創造し人に祝福を与えてくれた神へ日々祈りを捧げ、感謝をし、生きる事。その神が聖女を遣わした場合は、聖女を神の使徒として仕え、来るべき災厄に共に立ち向かう事を教義としている。
フランシーヌは還俗をして正教会に籍を置いておらず、教義に縛られない身ではあった。だが、厳密に言えば正教会から正式な聖女として認められている現状においては、教皇を頂点とする正教会は聖女に仕えている格好となっていた。つまり、聖女が一声発すれば、正教徒は神の尖兵として戦いへと赴くのである。
勿論、信徒が皆付き従う訳では無いだろう。それでも一度号令が掛かれば、動員される信徒の数は数百万は下らない筈だ。
現在正教会は、教義を異にする真教会を国教とする帝国との対立を深めていた。そうした状況にあって、聖女を招待する教皇の思惑とは如何なるものであったか。
卓也の本音としては、宗教組織など関わっても碌な事になる気がしない。面倒事は避けたかった。とは言え、フランシーヌが聖女である事は明白な事実だし、最初の頃に助けられた恩も感じている。それにニコラ枢機卿は義理の父だ。面倒だからと言って不義理を通すつもりは無かった。
そう言う訳で、卓也はマリーズを伴って、フランシーヌと3人で聖教都を訪れていた。昼早々にアマテラスを出たが、聖教都の郊外に到着したのは既に日が暮れてから。そこから徒歩で移動して町へ着いたのはすっかりと暗くなってからだったから、今日ばかりは聖教都で一泊をする事にした。何のかんのでアマテラスを不在にするのは始めてだった。
人目を避けて拠点を設置しても良かったが、流石に正教会とのいざこざは全力で避けたい。それに郊外まではアパッチで移動をするので、どうしたって人目に着く可能性は排除出来ない。ならば無用なトラブルを避ける為に、さっさと移動をした方が良かったから、今回ばかりは宿を取る事にした。
聖教都ではギルド貨幣がそのまま使えるし、巡礼者向けの宿も多いから、遅くに到着をしても宿には困らなかった。
巡礼者の出入りが夜中でもあるからだろう、城門は開けられていて出入りに困る事は無かった。身分証がわりにギルド票を見せたが、驚かれはしたものの直ぐに通された。
城門を守る衛兵におすすめの宿を紹介して貰い、宿を取ると一息つく。予算に糸目を付けないと言ったら、貴族も利用する最高級の宿を紹介して貰った。部屋は広くゆったりとした作りで、調度品は品があるものがお揃いデザインで統一されて据え付けられていた。清掃も行き届いていて、部屋の奥にはお風呂も完備してある。お湯は部屋代に含まれていて、従業員に声を掛ければ専任の魔術師が水を張ってお湯を沸かしてくれるそうだ。
部屋は勿論、俺とフランシーヌはペアでマリーズとは別部屋だ。
翌日、朝を何時もよりもゆっくりと過ごす何て事も無く、何時も通り日が明ける頃には目を覚ます。程なくして支度を整え、食堂でのんびりとした時間を過ごす。
食後にお茶を味わいつつこれからの予定について考えていると、宿の従業員が声を掛けて来る。
「タクヤ様、お寛ぎのところ申し訳御座いません。タクヤ様にお客様がいらっしゃいますが、こちらへご案内を差し上げても宜しいでしょうか?」
「誰だろう?俺たちがここに来たのは昨日の夜になってからだから、訪ねて来る人何て居ないと思うんだけど」
「それが、ニコラ枢機卿様でいらっしゃいまして」
ああ、城門では身分証としてギルド票を提示して町に入ったから、ニコラさんに報告が届く様になっていたのかも知れない。
「ああ、それなら俺たち宛の客で間違いないな。なら出発する時間だし、俺達から出向くよ?」
「ああああ、その、宜しければ是非こちらへご案内をさせて頂きたいのですが」
椅子から腰を上げて席を立とうとすると、慌ててそう言ってお願いをされる。その従業員は食堂フロアに居る給仕とは明らかに格の違う服装をしていて、年配の方だからこの宿でも偉い人なのだろうとは思う。
「申し遅れました。当宿の支配人を務めておりますフランクと申します。実は、枢機卿猊下に当宿にお越しいただくと言う栄誉を賜りたく、是非お願い出来ないでしょうか」
まぁこの宿は居心地が良かったし、サービスも行き届いていた。別にそれ程無理を言われている訳でも無いから断る理由も無い。
「それじゃ、案内をお願い出来ますか? あとお茶のお代わりをニコラさんの分も含めてお願い出来れば」
「はい、直ちに!」
支配人は羽でも生えたかの様な軽やかな足取りで退席した。直ぐにお茶のお代わりと、頼んでもいないのにお茶請けにと甘さ控えめのデザートを用意してくれた。まぁ悪い気はしない。
「タクヤ様、ようこそお越し下さいました」
程なくしてニコラさんが案内されて来て、歓迎の意を示してくれる。
「朝からびっくりしましたよ。丁度大聖堂に向けて出ようかと思っていた所でしたから。折角なので一緒にお茶でも如何ですか?」
「では、席をご一緒しても?」
丁度4人掛けの席だったので空いた席に座って貰った。マリーズとは面識が無い筈なので、紹介をして、しばらくお茶をしながら世間話をした。
宿を利用している客の大半は、大聖堂目当ての巡礼者だ。正教会では魔物との戦いを奨励しているので、わざわざ大聖堂まで来る様な敬虔な信徒は意外にも腕に覚えがある者が多い。
食堂を利用している宿泊客も一見してそれと解る巡礼服や法衣を纏っている者が多い。
正教会の正式な法衣であれば、教会内の序列に従って厳密にデザインが決められている。当然、枢機卿であるニコラさんも法衣を身に纏っているので、見る人が見れば直ぐにその立場を推し量る事が出来る。そして、ニコラ枢機卿と言えば放浪の聖人と呼ばれており正教会内部で非常に人気が高い。とくれば、そんな人物が同じ空間でお茶をしていれば、どうしたって気になるのだろう。流石に直接声を掛けて来る人は居なかったがこっそり祈りを捧げる人が居る始末。
でも、そんな光景もすっかり見慣れていた。フランシーヌに手を合わせる人は今でも多いし、最近では直接俺に向かって祈りを捧げる人も居たりする。何と言うか、深く祈りを捧げている姿が視界に入っても、何とも思わなくなってしまったのだ。
フランシーヌは言うに及ばず、マリーズも仮にも一国の王女なので人に傅かれる事には慣れているから、それ程気にした様子は無い。
そう言う訳で、折角出して貰ったお茶をのんびりと飲み干し、一息付いてから宿を出る事にした。因みに宿代は結構ですと固辞されたので、好意は甘んじて受け取る事にした。
支配人はと言えば、ニコラ枢機卿と連れ立って歩く客の後ろ姿を見送りながら、ふと先程浮かんだ疑問を思い返す。ニコラ様を気軽にニコラさんと呼び、あまつさえニコラ様がタクヤ様と呼ぶ彼は一体どんな人物なのだろうと。とは言え考えても解るはずもなく、直ぐに気持ちを切り替えると仕事に戻った。
卓也の存在が市井に伝わるのはまだずっと先の話だが、聖女の存在は秘匿されてはいない。支配人が、フランシーヌが聖女である事に思い至る迄にはそう時間は掛からなかった。卓也達が泊まった部屋を、聖女様が泊まった部屋として宣伝して人気を博するのは少し先の話。
支配人がフランシーヌが聖女だと気づいた時、ならば一緒の部屋に泊まったあの男性は何者だったのだろうと、むしろ疑問が深まったのもまた別の話。
そんな事はつゆ知らず、卓也達一行はニコラの案内で聖堂へと足を運ぶのだった。
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