第94話 娼館の朝
翌朝、何時もより少し遅い時間に目を覚ますと、ジゼットは既に起きて朝ご飯の支度をしていた。部屋にある調理竈で、手ずから作った朝ご飯を振舞ってくれる様だ。
カーテンの隙間から微かに朝日が差し込んで来る。日差しはそれ程強くは無く、微かに部屋を照らす程度だから、まだ夜が明けてそれ程時間は経っていないのだろう。夜の闇に慣れた目だからか、それ位の明るさでもジゼットのシルエットがはっきりと見て取れる。
こうして見ると、やっぱり美しい人だなと思う。
楽しそうに口ずさむ鼻歌が聞こえて来る。
「! お早うございます、タクヤ様。起こしてしまいましたか?」
不意に俺の気配に勘付いたのか、こちらを振り返ると俺の視線に気付いて声を掛けてくれる。親密な時間を過ごしたからか、少し砕けた口調でちょっと可愛い。
「いや、少し前から起きてたから大丈夫だよ。何時もは日が空ける少し前には目を覚ますしね」
「それは良かったです。朝ご飯は食べて行かれますか?」
「そうだね。折角だから、一緒に汗を流さないか?」
俺が設置した浴槽は常に温かいお湯が流れているので何時でも適温で入る事が出来る。汗でべたついていたので、折角なので誘ってみた。
「もう少しで準備が出来ますので、それからで宜しければ」
結局勢いに流されて夜を共に過ごしたが、ここまで来たら開き直って楽しむしか無い。それにジゼットと過ごした夜はとても素晴らしいものだった。彼女がプロ中のプロなのだと理解させられてしまったが、俺もやられるばかりでは無く多少はやり返せたのだと信じたい。それすらも彼女の手の平の上な気もするが。現に、フランシーヌでさえもそんな夜の翌朝は中々起きれないのに、ジゼットは俺よりも早く眼を覚ましていた。ちょっと悔しい。
ジゼットが食事の支度を済ませた後に、2人で一緒に汗を流す。この入浴施設は設置してから利用した回数は少ないから、備え付けのシャンプーやボディソープは残ったままだった。俺の手でジゼットの柔らかい肌の感触を楽しみつつ隅々まで綺麗にするが、気がつけば攻守が交代して結局俺もジゼットに朝も早くから隅々迄綺麗にされてしまった。
町に設置した入浴施設の備品は早々に切らしている。トイレのペーパーと同様に勝手にば補充はされないので、今は湯に浸かって汗を流すだけか、こすると泡が出る薬草で身体を洗う位だ。それでも1日に1度は湯に浸かれるので衛生環境は非常に良い。
将来的には石鹸が用意出来ればと思うのだが、聞いてみると作り方自体は知られている様で作れない事は無いらしい。
石鹸は灰と脂を使用して作るのだが、灰は兎も角として脂は貴重品だ。主に燭台の灯りに使われるので、石鹸の材料に回せる程には量がない。結果かなりの高級品になるのだそうだ。
脂か。動物性で無くても植物から取れる油もあるから、今度オデットさんに相談をしてみよう。
朝食は、干し肉を削って煮だして味を調えたスープに小麦粉を練って焼いた素焼きのパン。それに野菜のサラダだ。
畑には香辛料も植えてあって、トウカでは普段使いが出来る程度には出回る様にしている。なにせ塩が貴重品なので、香辛料が欠かせなかった。
2人で朝ご飯を食べながら、ゆったりとした朝の時間を過ごす。程無くして身支度を調えると、まぁ調えると言ってもジゼットの前でスキン変更するのは憚られるので、昨日脱いだ服をそのまま着るだけなのだが、酒場兼食堂へと移動をした。
因みにジゼットが少し目を離した隙にスキン変更で服を清潔な状態にしておいた。目敏い彼女は変化に気付いた様だが、流石にスキン変更で新品同様になっているとは思い至らないのか首を傾げるだけだった。
俺と同じ様に、部屋で一緒に朝食を摂った者も居たが、食堂で朝ご飯を食べる者も少なくは無い。適当なテーブルに座ってジゼットが入れてくれたハーブティーを飲みながら寛いでいると、程無くして昨晩の宴会を一緒に過ごした面々が勢揃いした。見渡した限りでは一人も欠けて居ないから、どうやら先に帰ったフランシーヌとオデットさんを除いて、皆誰がしかと一緒に夜を過ごしたらしい。
恥ずかしがる様子は全く無く、皆思い思いに朝の時間を過ごしている。ぱっと見は、ホテルや旅館の朝食会場みたいな感じ。この世界では娼館の利用は一般的な事なんだなと、その光景を見て改めて納得をした。
7時、朝を告げる鐘が鳴り響く。2日前からトウカには鐘楼が立てられ、時を告げる鐘が打ち鳴らされる様になった。朝が早い農作業なら、この鐘を合図に仕事を始める。
職種によって仕事の時間はまちまちだが、農作業なら合間にしっかり休憩も取るし15時位には仕事を終えるので、そこまでブラックな訳でも無い。いや、むしろホワイトか? それに闇の日は安息日なので、週に1回はちゃんと休みが有る。
そう考えると、ここに居るメンバーは随分とブラックな職場環境だなと思う。朝8時頃を目途に朝議に参加して、日が暮れる頃だから今だと19時頃から報告会。拘束時間が随分と長すぎるのでは無いだろうか。労働環境の見直しをオデットさんに相談してみようと心に誓った。
さて、鐘の音は朝の到来と共に夜の終わりを告げる。皆、お気に入りの女性との親密な夜を過ごしたが、別れを告げる時間でもある。
通常の営業時なら、多分個々に別れを済ませるのだろうが、今日は俺が率いる領主様御一行だ。店の従業員一同が壁際に整列をして、ジゼットさんが進み出て口上を述べる。
「タクヤ様、皆さま方。本日は当娼館をご利用くださり、誠にありがとう御座います。昨晩は如何お過ごしでしたでしょうか。お楽しみ頂けましたでしょうか。我ら一同、これからも日々精進を致します故、末永くお付き合いを頂けます事を心よりお願い申し上げます」
なかなか堂に入った物言いだ。ジゼットの口上に合わせて、皆が一様に礼をする。まるで示し合わせた様に一糸乱れぬ動きだった。
その姿勢のまま、しばらく動く様子が無い。あ、これ、俺が何か言わなきゃいけない流れだ。
「一同面を上げよ。細に至るまで心遣いが行き届いた素晴らしい歓待だった。礼を言おう。これからも精進をして、このトウカを盛り上げて欲しい」
俺の言葉を合図に、皆が顔を上げる。
「有難きお言葉。その言葉を励みに一同、精進を致します。本日は、当娼館をご利用くださり誠に有難う御座いました」
ジゼットはそう言って笑みを浮かべると、改めて一同深々と礼をした。歓待を受けた皆が拍手で応える。
まるで劇の終幕を見る様な、そんな光景だった。娼館は彼女達の舞台でもあるから、あながち間違いでは無いのかも知れないな。さながら俺達は一時の夢を見る、観客と言う事か。そう思えば実に素晴らしい一時だったと思う。
その後は、簡単に声を掛けて娼館を退出する。まぁ大半はこの後の朝議に参加するのだから、向かう方向は同じだけど。ジゼットも少し遅れて合流をするので、ちょっと気不味くなるかと思ったが、意外とそんな事は無かった。
朝議を行う会議室へと着くと、既にフランシーヌとジゼットさんが待っていた。
「卓也さん、お早う御座います。昨晩はお楽しみ頂けましたか?」
「ああ、お陰で疲れが取れたよ。でもフランシーヌと一緒に過ごせなくて寂しかったさ」
「それは宜しかったです。私も一人で寝る夜は寂しかったですよ?」
昨晩ぶりに会ったフランシーヌは普段と変わらぬ感じで、ちょっと位は妬いてくれてもと思ったが、寂しかったと言うフランシーヌは少し拗ねた感じで、後ろめたさは有るもののちょっと嬉しく思った。
娼館に関連する色々や、昨日のジゼットとの話でも再確認をしたが、どうしたって住んでいた世界が違うのだから根底にある価値観が違う。ちょっとした認識のずれやすれ違いはこれ迄だって何度もあったが、その度に擦り合わせをして行くしか無い。郷に入っては郷に従えと言うが、俺もこの世界の流儀や価値観を少しずつでも理解をしなければと改めて思った朝だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます