第76話 後悔
翌朝は随分と早くに目が覚めてしまった。
昨日の楽しい時間と、フランシーヌの温もりと、そしてブルゴーニのあの光景とが一気にない交ぜになって押し寄せて来る。そして、ふと今更ながらに大事な事に気が付いてしまう。
ベッドで上体を起こして暫らく考えを整理する。ある考えがどうしても頭から離れない。いや忘れるべきでは無い。どうして俺はそんな事にすら気が付かなかったのか。
「どうしたんですか、卓也さん?」
しばらくして目を覚ましたフランシーヌが、俺の様子に気が付いて声を掛ける。
「お早うフランシーヌ。大丈夫、何でも無いよ」
その時の俺はどんな表情をしていたのだろうか。不安と後悔と恐怖とが波の様に押し寄せて来る。
「嘘は良くありませんよ。顔がすっかり青ざめています」
フランシーヌはそう言って、ベッドの上で少し位置を調整して座りなおすと、俺の斜め前から俺の頬にそっと手を添える。
「どうか私にお聞かせください」
優しい声音でそっと語りかけてくれる。フランシーヌにはちゃんと話をしておくべきだと思った。
「俺はモンペリエの冒険者にさ、家畜の確保をお願いしたんだ」
どうして俺は気が付かなかったのだろう。
「そうでしたね。これからの、ブルゴーニの民にとって大切な糧となるかと思います」
「そうだね。でもさ、ふと気が付いたんだ。あの家畜があれば、もしかしてもっと多くの民を救えたんじゃ無いかって。飢えて亡くなった人達の中には、俺が殺した人も居たんじゃないかって」
それを聞いて、しばしフランシーヌは言葉を選んでいた様だ。
「そうですね、もしかしたら救えた方も居たかも知れません」
そしてまたしばしの沈黙。
「ですが、卓也様の御力が無ければ、もっと沢山の方が亡くなった筈です。それに、仮に家畜を食料として供出したとしても、そもそもあの人数ですから口にする事が出来る量には限りが有ります。どれ程の効果があったかは疑問です」
「うん。それでも、俺の選択が間違ってたんじゃないかと思うと」
俺は耐え切れずに、涙が零れるのを感じた。それはクラインに矢を射た時よりも、更に大きな恐怖となって俺を襲う。自分の手にある天秤の秤に人の命が乗っているのだと。重く圧し掛かって来る。
「俺の何気ない選択に、人の生き死にが掛かって居るんだって当たり前の事に、今更ながらに気が付いたんだ」
フランシーヌが優しく俺を抱きしめてくれる。
「解っていたんだ。町だって、建造を進めるよりも先に移動先だけ確保してブルゴーニに行けば、もっと早く動けたと思うんだ。もっと上手くやれたんじゃないかって。何時も思っている」
なるべく考えない様にしていたが、後悔なんて幾らでもある。これはゲームじゃない。何をするべきか、何を優先すべきか。ゲームなら効率の一言で片付けられる話でも、現実ならそんな甘い話では無い。その選択の1つ1つが、大きな結果となって返って来る。
「自分の選択した行動が結果となって返って来る。そんな事は当たり前なんだ。仕事でも大きな案件を任せられた時に、重大な決断を迫られる事もある。時には一か八かの勝負を掛ける事だってある。でも、この世界での選択はそう言う事じゃないんだ」
「卓也さん、それでもあなたは最善を尽くされました。それでも望む結果が得られなかったのなら、それは背負うしか有りません」
「それでも、俺は」
俺の押し殺した嗚咽が部屋に小さく響く。
「それがあなたの罪と言うなら、私が一緒に背負います」
頭では解っている。選択を誤る事も、失敗する事も人間だから当然ある。それを受け止めるべきなのは。それでも、今の俺には余りにも重い。何故俺は、こんなに多くの人の命を背負わなければならないんだ。
背負ったつもりは無かった。だが、気が付けば俺の選択があれだけの人の生き死にを左右するのだと、本当に今更ながらに気が付いたんだ。こんな情けない姿をフランシーヌには見せたくなかった。
「もう少しだけ、もう少しだけ。そうしたら、ちゃんと立ち直るから」
そう言ってフランシーヌの胸に顔を埋めると、堰を切ったように俺は感情を吐き出すのだった。
どれ程経ったのだろうか、ようやく感情の波が落ち着いてくると、そっと顔を上げる。フランシーヌは何も言わず、ずっと俺の背を優しく擦ってくれていた。きっと今の俺は随分と情けない顔をしている事だろう。
「もう、大丈夫、だから」
「はい。私は何時も卓也さんと共に有ります。何かあれば何時でも私にお話しください」
「うん、ありがとうフランシーヌ。フランシーヌも一人で抱え込まないで何でも俺に話して欲しい。俺一人ならきっと無理だ。でも、フランシーヌが居てくれるなら俺は頑張れるから」
軽い依存だって事は解る。昔の彼女も、もしかしたらこんな気持ちだったんだろうか。
「でも、俺が間違っていると思ったら、ちゃんと教えて欲しい」
「はい。私も間違う事は何度だってあります。一緒に乗り越えて行きましょう」
顔を袖で拭うと気持ちを切り替える。ニコラさんとオデットさんにはみっとも無い所は見せたくないが、そうは言っても防音を考えた作りじゃないから、さっきの俺の泣き声は聞こえたんじゃないかな。感情を吐き出して少し落ち着いたから、ちょっと気恥ずかしくなった。
その後、顔を洗って食事の支度を調える。ニコラさんとオデットさんも直ぐに起きて来た。多分、もっと早くに目が覚めていたと思うんだけど、きっと気を使ってくれたんじゃないかな。
先の件は、経験豊富な2人の意見も聞いておくことにした。今後、同様の状況になった時に間違わない様に。何が正しかったのかを確認する為に。
「と言う訳で、俺は家畜を皆の食糧に回すべきでは無かったかと思うのです」
朝ご飯を食べながら、朝方気が付いた事の意見を貰いたいと、2人に説明をする。
「ふむ、そうですなぁ。それはさすがに気にしすぎかと存じます。モンペリエの人々はタクヤ様の依頼で、大量の物資の支援と、家畜の確保を行ったのでしょう? むしろ、その支援のお陰で助かった方が大勢おります。それに依頼時点でブルゴーニの詳細な状況を知り得る筈も無いですし、商会も冒険者も正当な依頼として請け負っているのですから、家畜の確保を最優先に行う事に異論は無かった筈です」
とはニコラさん。モンペリエの冒険者は俺の依頼で動いているので、食料が足りないからと勝手に家畜を屠殺して食糧にする選択肢は無い。だからこそ、俺は自分の責任ではないかと悩んでいるのだ。
「家畜はブルゴーニでは大切な資産ですから、本来は非常時だからとどうにか出来る物では有りません。それが出来る権限があるものはあの場にはおりませんでしたので、むしろブルゴーニの民は家畜を守る事を優先した筈です。それにクレマンが食糧の供出を制限していなければ、そもそもあそこまで困窮する事は無かった筈です」
とはオデットさん。
「ですな。タクヤ様の選択が罪であったと言うのであれば、クレマンの専横を許した我らこそ裁かれるべきでしょうな」
「はい。兼ねてから兆候は有りました。気付かなかった、むしろ見て見ぬふりをしていたのは領主である夫の責ですし、それを諫める事が出来なかった私の責でもあります。タクヤ様の御心を煩わせてしまい申し訳御座いません」
「いや、あっ、煩わせてるとかじゃなくって。申し訳ない、多分俺が弱いからさ。自分一人で消化出来ないからお二人の意見を聞きたかっただけなんだ」
「やはり貴方様は稀有な方で御座いますな」
ニコラさんが感心したように頷く。ちょっと前にも、そんな感じの事を言ってた気がする。昨夜の酒の席でだったか。
「ニコラさんは、どうしてそこまで俺の事を評価してくれるのですか?」
「評価とはちょっと違いますが、そうですな。タクヤ様はこの世界とは異なる世界から来られた方かと思います。私共がきっと想像する事が出来ないような文化、価値観に根差す場所から来られたのですから、驚きや戸惑いがあるのは当然の事です。にも拘わらず私共に寄り添ってくださる。本来ブルゴーニの民の生死はタクヤ様が責を負うようなものでは御座いません。にも拘わらず心を痛めていらっしゃる。タクヤ様がおっしゃった通り、主の存在を抜きにしても、貴方と言う方はとても善良でいらっしゃる。その心根がとても好ましいと思っているのです」
そう言って手放しで褒めてくれるのが、何だかとても嬉しかった。
「改めてお願いを申し上げます。教皇様にご挨拶を申し上げましたら戻って参りますので、その際は是非タクヤ様のお側にお仕えさせて下さい」
「はい。でも仕えるとかじゃなくて、義父として至らない点をご指導頂きたいと思います。フランシーヌから、子供の頃から厳しかったと聞きました」
「そうですな。タクヤ様は私にとっては義理の息子でも有りましたな。フランシーヌを幼少の折に父母から奪った身ですから、とても恐れ多い事では有りますが、お許しが頂けるのであれば是非御傍に有りたいと思います」
「ニコラさんありがとう御座います。ニコラさん、オデットさん、これからもどうぞ宜しくお願いします」
多分、これからも間違う事は一杯あると思う。でもフランシーヌやニコラさん、オデットさん、そして皆の助けを借りて、少しでも最善を尽くそうと改めて思うのだった。
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