第73話 避難は続く。亡き領主とオデットさんの話

俺がフランシーヌに渡した回復薬は全部で10本。俺が未だ理解が追い付かない状況の中で、フランシーヌは先程と同じ様に、次々と回復薬を飲ませて傷や病を癒して行く。中には腕や足を欠損していたにも関わらず一瞬で再生してしまう人も居たから、さすがに下級回復薬の実力を疑う訳にはいかなかった。


考えてみればエターナルクラフトでは病気や怪我を表現する仕様は無い。全てHPの増減によってのみ表現をされている。だからHPを回復させると、仕様上表現出来ない怪我や治療は無かった事にされてしまうのでは無いだろうか。


それにしても何故下級回復薬でそれ程の効果が?と疑問に思ったが、契約を行っていないNPCは等しくHPが10なので、下級回復薬なら確かに全快する筈だ。ただ、アプデ以降は大量のNPCを雇用する事になるので、HPが初期値のNPCと関わる機会など早々無い。ましてやそんなNPCに回復薬を使う機会なんてある筈も無い。こうして目の当たりにして、ようやく思い至った位だ。


今更ながらに、そんなまさかと思わなくも無いが、今までだってゲームの仕様が許容するなら結構何でもありだったので、それが人であっても変わりは無いのかも知れない。

だが、そうなるといよいよ彼らとゲーム中のNPCとの違いはあるのだろうかと疑問が浮き上がる。これは現実等では無く、やっぱり良く出来たゲームの延長線上なのでは無いかと。

だが、俺がこれまでに幾度と無く感じたフランシーヌの柔らかさや温もりが、これは現実だと鮮明に訴えかけていた。


下級回復薬をクラフトするには、幾つかのハーブとガラスが必要になる。下級回復薬の原料になるハーブは結構種類が多い。セージ、アロエ、タイム、ローズマリー、ヨモギ等だ。その辺りに生えている草を採取すれば、何某かの回復薬の原料が手に入る。この辺りだとその辺に生えている草を採取すれば、結構な確率でセージを獲得する事が出来た。


ガラスは回復薬を入れる容器を作るのに必要だ。溶鉱炉で珪砂を材料にガラスをクラフトし、ガラスを材料に空き瓶をクラフトする。空き瓶といずれかのハーブを材料にクラフトすれば下級回復薬の完成だ。


今まではガラスの原料が確保出来なかったが、大型自動採掘施設のお陰で纏まった数の硅砂を採取する事が出来る様になったので、万が一の為にと30本だけ作っておいたのだが、こんな事ならもっと作っておくべきだった。フランシーヌに渡したのは、そうして作っておいた回復薬の内の10本だった。


取り敢えず残った回復薬は全てフランシーヌに渡して、一旦拠点に戻ってクラフトを仕込む事にした。幸いガラスは結構な数を仕込んでおいたので、ガラスを原料に空き瓶を大量生産する。下級回復薬なら一瞬でクラフトが可能なので、持ち運び用に革袋をクラフト。出来上がった空瓶とセージを材料に下級回復薬をクラフトする。どれ位あれば大丈夫だろうか?取り敢えず1000本位なら材料はあるので、順次クラフトをして出来上がった物を適時渡す事にした。


町に戻ると、再度合流したフランシーヌに10本ずつ詰めた皮袋を5つ渡す。時間さえあれば1000本は作れるので、随時取りに来る様に伝える。


フランシーヌは一晩徹夜での作業だったが、手を休める事無くブルゴーニで活動を行った。俺はそれを見送った後は、町の施設の拡張だ。


さて、町に避難してきた人々は、食事を摂り、汚れを落として、余裕があれば風呂で疲れを癒す。そうして今まで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたのか、そこかしこで死んだ様に眠りに着く人も少なくなかった。日が傾く頃にはそうした人々も次々と目を覚ます。その目には生気が戻っているのが感じられた。


下級回復薬で瞬く間に死の淵から甦った人を思い出す。ブルゴーニに手を伸ばすと決めて本当に良かった。元気になっていく人々を見ると、少しずつ実感が湧いてきて思わず笑みが零れる。


夕方頃になると、もう1つ明確な変化があった。それは町の人々の大半のネームカラーがオレンジ色、親密な状態への変化だ。小さい子供たちには青色のネームも残って居たが、自分で言うのも何だが恐らくはまだ良く解っていないからだろう。


夕方になれば動ける人が増えたので、井戸と調理竈を増設した。そこかしこで煮炊きをしていて、笑顔を浮かべている人も見かける事が出来た。


ところで建造した家に設置したベッドを使うのは、まだ怪我や病気から回復していない人々を優先している。まだブルゴーニから避難が完了していない人も居るが、ベッドに横たわっている人はそうした重篤な状態の人達では無く、どちらかと言うと時間が掛かるが快復が見込める人達なので、当初予想をしていた程深刻な状況では無い。


日が暮れる頃になると、例の打ち合わせ部屋に集まって今日の報告と明日からの事を話し合った。集まった人々の表情は皆晴れやかだった。


ところで、集まった人数は、早朝と比較をすると倍になっていた。どうも回復薬で回復した人々の中に、ブルゴーニの要職にあった人達も居た様で、ニコラ様や既に顔見知りの皆から改めて紹介を受けた。


最後に紹介されたのは、少々変わった御仁だ。フードを目深に被っており、その表情は伺い知れない。細身ではあるが身体のラインを見るに女性である事は解る。彼女をここに連れてきたのはニコラ様で、最後に到着したので先に部屋にいた人々も彼女が誰なのかは知らなかった様だ。

身に纏ったローブはすっかりと汚れていて、まだ身綺麗にはしていなかったから、かなり鼻に突く異臭がする。直ぐ傍に居た人は少し顔を顰めていたが、ちょっと前までは皆同じような状態だったから、改めてその事を指摘をするような者は居なかった。

後変わった所と言えば、ローブの隙間から腰に履いた剣の柄が覗いている事だろうか。随分と上等な装飾をされた剣だと解る。


他の人達の紹介は済み、最後に彼女の番になる。彼女は一歩進み出てフードを取って顔が顕になると、皆誰かが一目で解ったのか、驚きの表情を浮かべる。そして口々にオデット様、良くぞご無事でと声を掛けた。


歳は50を過ぎている様にも見える。身にまとったローブと同様、手入れのされていない髪色はくすんだ灰色で、だがそれでも光を失わない美しい碧眼の瞳で真っ直ぐに俺を見つめる。その立ち姿は一本筋が通っていて一部の隙も無い。


「お初にお目に掛かります、タクヤ様。亡きブルゴーニ領主が妻でオデットと申します。この度は、我々ブルゴーニの民をお救いくださり、心より感謝を申し上げます」


そして、右足を後ろに引いて軽く腰を落とすと、美しい所作で礼をする。カーテシーと言うんだっけか。さすが領主の奥さんと言うだけあって、当然貴族の礼法に通じているのだろう。見事な立ち振る舞いだった。


「多大なご厚情を賜りながら、私共が受けたご恩が余りに深く、お返しする事が叶いません。願わくば貴族籍を返上し、わが身命尽きる迄、貴方様にお仕えを致したく存じます」


そう言って腰に履いた剣を鞘ごと抜くと、今度は更に一歩俺の前に進み出て膝を折り、恭しく剣を俺の前に捧げる。


「えっと、フランシーヌ。こう言う時はどうしたら良いの?」


「どうかお受け取りくださいませ」


「うん、オデットさん。解らない事だらけだけど、どうか宜しく頼むね」


こうして、オデットさんが俺の臣下? になった。


オデットさんは伯爵家の第4子。幼少の頃から剣の腕に定評があり、また継承権が低かった事もあり自ら志願して騎士団に所属した。ブルゴーニの領主であったラウルも3男で継承権が低かった事から、寄り親でありこの一帯を治める上級貴族である伯爵家の騎士団に入団をする。騎士団ではオデットさんとラウルさんは同期で、その縁で婚姻関係を結んだのだと言う。

因みにこの町の領主を継いだのは結婚後の事だ。クレマンの父でラウルの兄に当たる次兄は素行が悪かった。長男が亡くなった事を切っ掛けに伯爵の命で粛清され、ラウルは義父の命を受け子爵家を継いだ経緯がある。

横紙破りで爵位を継いだ事に負い目を感じていて、その結果、甥のクレマンに余り強く言えずに居た為、襲撃後の専横を許す結果となってしまった様だ。

クレマンやラザール商会の専横を見ると、亡くなられた領主の怠慢では無いかと推測をしていたが、ラウル自身は非常に真面目な性格で、ラザール商会の独占を禁じて市場を健全化しようと努めていた事からも解る様に、為政者としては必ずしも不出来では無かった。


さてオデットさんと言えば、これ迄は夫を立てて貞淑な貴族の妻を演じて居たが、元々は騎士であった事から解る様に、快活で、非常に潔白な人物である。

町に魔物の侵入を許した際も領主屋敷を最後の砦と決め、町の住人の避難を一早く受け入れると共に、自身は領主屋敷を守る騎士団を率いて、自ら剣を持ち先頭に立って町に侵入した魔物に立ち向かった。しかし、魔物に右腕を嚙み千切られ生死の境を彷徨っていた。その最中、フランシーヌに救われたのだ。


ニコラ枢機卿はこの人物が領主の妻であるオデットである事には早くから気が付いていた。とは言え余りに傷が深く、手の施し様が無い。フランシーヌでも癒す事は難しいのではと思っていたが回復薬の効果により奇跡的に快復を果たす。

オデットは意識を取り戻すと、知己であったニコラ枢機卿にこれ迄の経緯を聞き、タクヤに仕える事を決めたのだと言う。


ところで、フランシーヌが彼女の剣を受け取る様に言ったのは、1つには彼女の覚悟が本物であると直ぐに解ったからだ。それに領主の妻として施政に精通しており、これからのブルゴーニの復興には欠かす事は出来ないだろう。潔白な人物である事も義父より聞き及んでいた。きっと卓也の力になると思ったからこそ、臣下の礼を受け取る様に示唆をしたのだ。


ただの臣下の礼では無く騎士として剣を捧げたのは、きっと彼女なりの決意の現われだろう。


オデットに倣い、他の人々も膝を折って臣下の礼を取った。名実ともに、卓也が新たな町の領主となった瞬間である。

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