第72話 回復薬の実力
俺が少し仮眠をとる前、打ち合わせが終わってフランシーヌがブルゴーニへ向かおうとした際、俺は少しでも助けになればと思いポーションを持たせる事にした。
エターナルクラフトにはMPの概念は無い。あるのは体力としてのHPと、餓えによりダメージを受けるスタミナゲージ位のものだ。
食事を摂らずに一定時間を過ごすと、スタミナゲージが徐々に減少をしていく。スタミナゲージが0になると、今度は徐々にHPが減少を始める。
この世界でも同じで、クラフトモードなら視界の隅にそれぞれの残量を示すステータスバーが表示される。
スタミナゲージについては食料系のアイテムを使用すれば回復するので、例えば長時間採取を行っている時に少し疲れを感じたら、アイテムメニューから食料を使用すれば直ぐに回復出来る。食事によるスタミナの回復はワンクリックなので、疲れ知らずで延々と作業が出来たのは、多分その手軽さ故だ。
減少したHPはスタミナゲージがあれば休養を取る事で徐々に回復をする。手っ取り早く回復をしようと思った時、そこで使用をするのが回復薬だ。
エターナルクラフトでは、ゲームで一般的にある様な状態異常が余り存在しない。
毒、麻痺、呪い、炎上、それ位のものだ。エターナルクラフトには病いを表現したり、傷の度合いを示す様なステータスが存在しない。減少したHPは減少した理由を問わず回復薬で回復させる事が出来る。
エターナルクラフトには筋力や知力と言ったステータスは存在しないが、技術レベルが上昇すると最大HPや最大スタミナが上昇する。飢えによるスタミナの減少率は変わらないのだが、数値自体は上昇しているのでレベルが上がるとより上質な食事を摂る必要がある。HPも最大値が増えるので、レベルが上がればより上質な回復薬をクラフトして使用する必要が生じる。
ではNPCならどうだろうか。何とNPCには技術レベルの概念が無い。つまり、俺から見ればHPはレベル1の最小値に等しく、初級の回復薬でも簡単に最大値まで回復する事が出来る。
ただし、契約をすれば話は異なる。NPCは自分の技術レベルに応じてステータスに補正を受け、一緒に戦える様になる。むしろ卓也にして見ればフランシーヌこそが普通のNPCだったので、それ以外のNPCがその様な扱いである事をすっかり忘れていたのだ。それにゲームでは契約をしていないNPCに回復薬を使う事自体がそもそも無かった。だから気付かなかったのだ。
そんな回復薬を、重傷を負ったり、死に瀕する程の病を患った者に使用したならば、どの様な扱いになるのだろうか。
フランシーヌの魔力は限りがある。重傷や重篤な病を治そうと思えば直ぐに魔力が尽きてしまうので、癒やせる人数には自ずと限界がある。だから、回復薬で少しでも体力を回復させて延命が出来れば、少しでもフランシーヌの救けになればと思い、何本かを渡したのだ。
ところが、フランシーヌが実際に使用をしてみると、効果は余りにも劇的だった。
フランシーヌが最初に回復薬を使用したのは、右目と左足を失った冒険者だった。足の傷は壊死を始めており、手の施しようが無かった。それでもフランシーヌが四肢再生の奇跡を願えば回復できる望みがあった。男は死に瀕してなお意識を保っていたのは、凄腕の冒険者だったからだろうか。
フランシーヌは治療で既に魔力が尽きかけていたので、その男に回復薬を飲ませる事にした。だが、卓也の言う様に僅かでも傷が治れば位の気持ちではあったのは事実。卓也が「少しは体力が回復するだろうから、多少の助けになると思う」そう言って渡したのだから、そう思うのも無理は無い。
凄腕の冒険者とは言え、エターナルクラフトの仕様では彼も有象無象のNPCの1人にしか過ぎない。だからシステム的に見るとすれば、HP表記はこんな感じだ。
【HP 1/10】
HPは技術レベルが1上がる毎に10ずつ上昇をする。そしてフランシーヌに渡した一番品質の低い回復薬でも、HPが10〜20回復する。回復するHPは乱数とは言え、最低値でも10は回復する効果がある。
卓也の技術レベルは現在40だから、最大HPは400。その内HPが10〜20回復したところで、大した効果では無いと思うのは当然と言える。
だが、その男のHPは回復薬を飲ませる事で10にまで回復した。システム的にはHPが全快した状態だ。そしてエターナルクラフトの仕様では病や怪我を表現する方法が無い。だからきっと、HPが最大値の状態の時、エターナルクラフトの仕様では彼は傷1つ無い、身体的には痂疲の無い状態と判断されたのだろう。
結果はと言えば、回復薬を飲んだ瞬間、なんの前触れも無く唐突に怪我が何も無い状態へと変化をした。
目を覆っていた布はそのままだったが、足の傷口を固く縛っていた布切れは何処かに消え去った。そして、そこには傷一つない足が元通りに生えていた。
あまりにも唐突な、あまりにも呆気ない奇跡にフランシーヌでさえ理解をする事が出来なかった。だが、そこは卓也の理解者であるフランシーヌだからこそか。直ぐに目の前の奇跡は飲ませた回復薬の効果によるものだと確信をした。
フランシーヌは、男の目を覆う、こびり付いた布をそっと剥ぎ取って男に尋ねた。
「目の具合はどうですか?」
「見えます。あなたの美しい顔がはっきりと見えます」
男は死に瀕していた。つい先頃までは、傷ついて居ないもう片方の目も霞んで良く見えなかった。もうじき視力は失われるだろうし、ともすれば命の火も燃え尽きてしまう。そう思っていた。だが、フランシーヌに尋ねられて、ようやく目が見える事に気がついた。
フランシーヌは何が起きたのかを正しく理解して卓也の元へ走り出した。
男が視力どころか自分の足が元通りになっている事に気付いたのは、そんなフランシーヌの背中を目で追いかけて見失い、それから更に大分経ってからの事だった。
走り出したフランシーヌと言えば、胸の内から溢れ出る感情で、喜びで満ち溢れていた。これまでに卓也が起こした数多くの奇跡に触れてきたが、回復薬の齎した奇跡はこれ迄の比では無かったからだ。
フランシーヌは神の力を魔法と言う形で、限定的ではあるが奇跡として行使する事が出来る。四肢再生や、浄化と言った奇跡だ。だが、神の力を行使するフランシーヌでさえも、あれほど見事に傷を癒やして見せることは不可能だった。あれが御業で無ければ何だと言うのだ。
最初の頃は一抹の不安があったのも事実だが、今では卓也が神の現身である事は疑う余地は無い。卓也が神の現身であると信じるフランシーヌであったが、それでも自分が得意な分野だからこそ、その喜びは一塩だった。
「卓也さん!」
「あれ、フランシーヌ、どうした?」
フランシーヌが駆けて来たのは、仮眠から覚めて町の状況を確認している最中だった。
「すごいです。卓也さんがくれた回復薬は、神の奇跡に他なりません!」
これ程興奮しているフランシーヌを見るのは初めてかも知れない。いつも冷静で、何かあれば助言をくれる様な彼女が、何を言っているのか直ぐには理解が出来なかった。
「奇跡? 効果があったなら良かった。もう少し持っていく?」
「違います、奇跡なんです。回復薬を飲んだ方が一瞬で快復したんです」
「まぁ回復薬は、効果が出るのは一瞬だからね。何にしても回復したなら良かった。正直下級回復薬だから、どれ程効果があるか心配だったんだ」
「もう!」
そう言ってフランシーヌは俺に抱きついてくる。
「あなたは神の現身たるお方、どうか御自覚ください。あなたが齎した回復薬は死の淵にある人を救ってみせたんです。それはとても尊き御力。奇跡に他なりません」
何が起こったかはちょっと解らないが、彼女がとても喜んでいる事は解る。一旦作業の手を止めてフランシーヌに手を引かれるままブルゴーニへ移動をする。
すっかり慣れたかと思ったが、改めてその臭いを嗅ぐととてもでは無いが慣れる様な物では無い。蝿がわんさかと飛び交っていて、顔にさえまとわりついてくるのを手で払いながら、フランシーヌに手を引かれるままに連れていかれる。
夜も明けたから視界は広く、粗方町への避難を済ませたから、あれだけ狭く感じた広場も随分と開けた印象を受ける。広場を抜けていくと、まだまだそこかしこに横たわった人々がいる。今ここに残っているのは自力では動くすら出来ない人々だ。恐らくは何割かは既に絶命をしているのだろう。
さっきまではしゃいだ感じだったフランシーヌも、そうした人々を前にすると途端に真剣な表情に変わる。この辺りには、まだ何人かの冒険者の姿があった。今ここに居る冒険者が何をしているかと言えば、残った人に声を掛けて状態を確認する。辛うじて返事ができるなら、町へと移動をさせる。タンカーなんて物は無いので肩を貸したり背負ったり。助けがあっても移動が困難な場合は、赤く彩色した布を身体の何処かに巻き付ける。
返事が無いなら生きているか、死んでいるかを確認する。もし死んでいるなら死体を少し離れた場所へ運び出す。
2人1組で手と足を持って死体を運ぶ姿を見ると、やはりここは地獄なんだと思い知る。その中にあって既に赤い布が巻かれた微かに返事が出来る者の傍に、フランシーヌは膝をついてゆっくりと上体を抱き起こす。
歳の頃は解らないが顔は血色が悪くすっかり黒ずんでいて、死に瀕しているのだと直ぐに察する事が出来た。俺は思わず口元を袖で覆う。無意識の行動だったから、漂う死の気配を嫌ってか、何某かの病気が移るのを忌避してかは解らない。
ふと、そんな自分の行動が嫌になるが、そんな俺にお構いなしにフランシーヌは腰に結えた袋から俺が渡した回復薬を取り出すと、瓶の口のコルクをキュポンと引き抜いて、ゆっくりと口に流し込んでいく。回復薬はとても小さな小瓶で、一口で飲める程度の量だ。イメージとしては某乳酸菌飲料な感じ。小瓶だから、むしろ飲み会の前に飲むウコンのドリンクだろうか。
そんな益体も無い事を考えていると、変化は劇的だった。恐らくは俺の意識から外れた一瞬、それこそ瞬きの間に一瞬でその顔の血色が良くなる。死の気配が遠のくのを感じる。
「私の声が解りますか?」
「え、は、はい?」
その人も自分の身に起きた変化に理解が追いついていない様だ。フランシーヌはゆっくりと立ち上がらせる。さすがに飢えや疲労は抜けた訳では無い様で簡単では無かったが、それでもどうにか自分の足で立ち上がる。
フランシーヌは近くに居る人を呼びつけて、町への案内を任せた。冒険者の肩を借りるとゆっくりとした足取りだが何とか歩いて行くその後ろ姿を、俺は呆然と見送る事しか出来なかった。
「見ましたか、卓也さん。卓也さんが授けてくれた回復薬が、死の淵から救ってくれたんです。これは伝説に謳われるエリクサーだったんですね」
え、なんで? 俺にとってもあまりに衝撃的な光景で呆然とする事しか出来なかった。
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