第50話 First Wave

神託の聖女、その名は意外と知られている。正教会から聖女と認められた人物は、それぞれ固有の奇跡を神から授かっており、その奇跡から聖女としての2つ名が授けられている。


過去の聖女は、それぞれ【聖剣の聖女】、【共鳴の聖女】、【祝福の聖女】。その名を聞けば、何となくでもそにの能力が解ると言うものだ。


そしてフランシーヌは【神託の聖女】。神から何某かの神託を授かる事は容易に想像が出来るが、それが何時なのか、どう言った内容なのかは伝わっていない。それがここに来て、聖女による神託と思しこ内容についての宣告が行われた。


実の所祝福の聖女もまた、神託により未曾有の大災害が起こる事を予言している。にも関わらず今代の聖女は神託の2つ名を冠するのだから、聖女の2つ名を知る者達は一体どれ程の災害が予言されるのかと恐れてさえもいた。蓋を開けて見れば告げられたのは神の降臨である。かつて大陸を襲った大津波よりも大事と言えば大事と言える内容だった。もっとも告げられた内容が恐れていた大災害では無かったから安堵した者も少なくは無かったが。


モンペリエの町に住む住民の内、結構な人数がその言葉を聞き、奇跡と呼べるその業を見た。なにせ、見上げる程の塔が瞬く間に出来上がるのだ。聖女はそこにあった人を、神の現身であると喧伝した。それは、敬虔な正教会の信徒であっても俄には信じ難い内容だったが、その後に奮われた奇跡の未業を見れば、神自身の手によるものだと信じざるを得なかった。人の身で、どうやってそれを為し得ると言うのか。


だが一方で、時を経るつれ訝しむ声も挙がった。何せ、瞬く間に築き上げられた塔が人目を引いたとは言え、それ自体が何を意味するものなのかを理解する事が出来なかったからだ。

城壁付近に居る者の多くは騎士団を始めとする領軍の兵士であったり冒険者であったり。下から見上げる塔の上に座しているのが大型のクロスボウである事は直ぐに理解が出来た。しかし、塔には登る為の足場も無ければ、狙いを定めて撃つための砲座も無い。あれではただの飾りでは無いかと。


気にはなるが、日も暮れ、東の空には真っ赤に染まった月が上りつつある。紅の月を何度か目にした事のある人も多いが、記憶にある月と比べて見てもその日の月はいつにも増して鮮やかな紅色に染まっており、否が応でも不吉な予感が増すばかりだった。


月が頂点に差し掛かる頃、城壁の上で監視を務めていた兵士は遠くに魔物の襲撃を告げる狼煙が上がるのを見つけた。狼煙に呼応する様に、方々の篝火に魔物を誘導する為の香木が次々と焚べられる。それとほぼ同時に町のあちこちから魔物の襲撃を告げる警鐘が鳴り響き始めた。


防衛に努める兵士達は、城壁の上で、中で、思い思いの武器を手に、敵の到来を待ち構えていた。

城壁の上では、その多くは弓、極少数ではあるが杖を手に持って。飛び道具に自身が無い者達は、その後方に控える。魔物が城壁へと取り付く前に、出来る限り数を減らさなくてはならない。城壁に取り付かれれば、その内に壁の上までよじ登るものも現れるかも知れない。

壁を登れなくても、月の魔力により凶化した魔物は、容易く壁や城門を撃ち破ってしまう。だから、その前に城門から撃って出る為に、城門前に整列して待ち構える者達も多い。


敵の渦中へと撃って出るのだから、その部隊こそが一番危険性が高い。そこに居並ぶのは精鋭である騎士団であり、腕利きの冒険者達だ。


魔物の先陣たちは、足の速い狼の魔物が中心となる。少し遅れて熊や猪といった魔物が連なる。魔物寄せの香に誘導されて各方面から魔物が城門へと集まって来るので、城門の上からは容易に街道を埋め尽くす魔物の軍勢が町へと押し寄せる様を見る事が出来る。近付く程に、その大群の足音は段々とその音を響かせ、次第に大地を震わせて行く。見晴らしの良い街道沿いに焚かれた篝火が、遠くから徐々に消えていく。恐らくは魔物の大群に飲み込まれたのだろう。押し寄せる魔物がどれ程の数を数えるのかは想像が出来ない程だった。100や200では到底利かないだろう。万には届かないにしてもそれは1000は下らない様に思える。


篝火が消えていくとは言え、天に上る紅き月は大地を煌々と照らしており、ここまでくれば魔物の全容を伺い知る事が出来る。


もう間もなく、町へと魔物の先陣が辿り着く筈だ。城壁の上では皆が弓に矢を番え、魔法使いは己が内の魔力を練り上げ始めた。敵の数を考えれば狙いを絞らなくても容易に当たるだろう。だが、射程には限界がある。ぎりぎりまで引き付けて先陣を挫く事で、その流れを止めなければならない。


城壁の防衛を監督する衛士長が号令を掛ける。


「矢を番え、狙え。」


一段高い場所から自身も手に馴染んだ弓を引き絞りながら声を響かせる。

警鐘は未だ鳴り止まない。果たして魔物の軍勢はどれ程の規模なのだろうか。恐らくはこの城門だけに殺到している訳では無いだろう。ここに居る者達のどれ程が次の朝日を拝む事が出来るだろうか。だが、ここを死守しなければ、町で帰りを待つ大切な人達にさえ、その凶刃が届いてしまう。


自身も迫り来る魔物の先端へ狙いを絞りつつ、号令を掛けるタイミングを見定める。まだだ、まだ早い。もう少し引き付けなければ。


撃てっ、


そう号令を掛けようとした時、プシュンっと、何かが空気を切り裂く音が聞こえた。

えっと思わず声が漏れてしまう。何だ、何が起こった?


衛士長は慌てて周囲を見渡す。っと、同時に一瞬遅れて、幾重にも先程の音が鳴り響き、幾条もの何かが夜の虚空を切り裂いて魔物の群れへと襲い掛かり次々と突き刺さって行った。


それは、聖女が神の現身と呼んだ方が設置した、あの塔に設置されたクロスボウが放った矢だった。射手が誰も居ない大型のクロスボウから、一拍置きに矢が弾き出されて次々と魔物の群れに突き刺さっていく。


「う、撃て、撃てー!」


慌てて号令を掛ける。同じ様にその光景に目を奪われた射手達が、慌てて気を取り直して弓を放ち始めた。だが、彼らが矢を射って新しい矢を準備する間にも、城壁の直ぐ傍に設置された塔の頭上から、大量の矢が飛び出していく。それは圧倒的な光景だった。


矢の射程は、弓の弦の強さにもよるが、平面での射撃であれば50m程度だろうか。高所から射程を重視して狙いを付けなければ100mは先まで飛ばす事は可能だが、強靭な魔物に矢を通そうと思えば、やはり魔物がある程度の距離に近づくまで待つ必要が有った。魔法の射程も同じ位だ。むしろ矢よりも短いかも知れない。


だが、塔に設置された大型クロスボウが放つ矢は、それよりも遥かに遠い場所まで矢を放ち、しかも次々と魔物を貫いて屠っていく。

魔物の進行は、目の前の魔物が矢に貫かれ倒れようとも、その勢いは留まる事を知らない。月を赤く染める魔力で狂暴化しており、魔物寄せの香に惹きつけられた魔物達は到底止まる事を知らず、次々と魔物の屍を乗り越え、次第にうず高く積もって来るとその死骸を弾き飛ばしながら城壁へと寄せて来る。だがそれ以上に勢いの全く止まらないクロスボウの矢は、そうして寄せて来る魔物の群れを次々と貫いて屠り続けていくのだった。


城壁の上でその光景を目にした者達は、気付けが完全に手を止めてその光景を見る事しか出来なくなっていた。それは想像した戦いとは余りにもかけ離れた光景だったからだ。


その光景が見えずとも、城門の内側で来るべきその時を待つ人々もまた、異変を感じていた。

攻撃の号令に先駆けて空を裂く音、それが延々と鳴り止まない。上を見上げれば大型クロスボウが少しずつではあるがその向きを変えながら矢を発射している様を見る事が出来た。

大半は気付かなかったが、誰かがそれに気づき、あれと指させば気付かざるを得ない。


3年前の紅き月を経験した者も多い。その際は程無くして魔物が城壁を叩き付ける音が響き渡る。そうなれば自分達の番だ。決死の覚悟で城門から飛び出して魔物を屠るのだが、今日に限っては城壁を叩く音は鳴る気配が無い。それどころかさっき迄城壁の上に響いていた声が次第に小さくなり。今では全く聞こえない。魔物の軍勢の押し寄せる音すらも、徐々に小さくなっていく。そして、空を裂く音も次第に間隔が空いて、その数を減じて行くと、ついには音がしなくなった。


誰もが首を傾げる。戦いは?魔物の軍勢は?状況が全く見えず、理解の及ばない状況に緊張感が最大限高まったその時、城壁の上から一斉に歓声が響き渡った。


こうして、第一ウェーブの魔物の襲撃は、一人の負傷者すら出す事無くその幕を閉じた。


それが後に英雄と呼ばれる卓也の伝説の幕開けであった。

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