第44話 特措法

「ニコラ様がいらっしゃれば話は早いのだが、何故このタイミングなのか。そもそも、聖女様は何故還俗をされたのだ?」


とは領主殿。まぁ言い分も解る。


「それは、私が使えるべき真の主に出会う事が出来たからです。」


フランシーヌのその言葉をどう捉えるかは、おそらく反応は2つに大別されるだろう。フランシーヌが享けた神託を知っているか否かだ。さすがに余り知られていないんじゃないかと思うのだが、領主ともなれば違う可能性もある。


「それは貴方様がお仕えする神では無く、その男の事でしょうか。」


先程から値踏みする様な視線は途切れる事は無かった。言っちゃ悪いが、俺はクラフトが出来る位で、後は普通の一般人だ。領主の目にどう映るのかは解らないが、まぁ今も俺の事を下に見る雰囲気は変わらないから想像通りなのだろう。でも今の一言は頂けない。うーん、領主と言えども神託の中身までは知らされていないのかな?


「我が主を侮辱するとは、恥を知りなさい!」


フランシーヌさん、激おこである。勢い良く立ち上がると、領主を見下ろす。何と言うか身に纏っている空気が一瞬にして変わる。怒気が立ち上っていると言うか、フランシーヌの周りの空気が揺らいでいる様に感じる。さすがの領主様も、踏んではいけない尾を踏んでしまった事は解るらしい、たじろいだ表情を見せる。


「リュック様、魔物の襲撃を目前にして今はその様な駆け引きに興じる時では無いでしょう。余りおふざけが過ぎる様でしたら、私共ギルドとしても特措法に基づいて独自に動かざるを得ませんが宜しいのですかな?」


特措法?


後から聞いてみた所、ギルドは国からは独立した組織で独自の規則、法によって運営をされているそうだ。そしてギルド加盟国は、その法に批准する契約をしている。その為、一部の法は国の定めた法よりも強制力があるとの事。

本来町の防衛に際しては町の領主が最高権力者でギルドもその指揮下に入るが、領主がその責務を果たせないと判断をした時、特例措置としてギルドマスターが領主の権限を接収し、一時的に最高権力者として指揮を執る事が可能になるのだと言う。

勿論、後からその判断が正しかったか、適正だったかは厳しく審査をされる。殆ど行使された事は無いが、それでも、それこそ魔物の大規模な襲撃等の緊急時には度々実例があると言う。さすがに国王や上級貴族を差し置いては無理だが、こうした町単位でなら有り得る話なのだそうだ。


仮に特措法が行使されるとなれば、それは即ちギルドが領主に無能としての烙印を押すと言う事だ。


「これまでの事は多少は目を瞑って参りましたが、我々ギルドとしても、こうも軽んじられては困りますな。我々は今後も聖女様を支持致します。それでは不服ですかな?」


ギルドマスターを頼りないと言って御免なさい。声に出した事は無い筈だが、ポール達の一件で多少也ともそう思ったのは事実だ。勿論ギルドには色々と便宜を図って貰っていて感謝をしている。だが、ギルドとは言え貴族には逆らえないという先入観があったから、今のギルドマスターを見ていると申し訳なさで一杯だ。その内何か礼でもしよう。


「それは済まなかった。聖女殿の信仰を疑ったり、ギルドを蔑ろにしたり軽んじたりするつもりは無かった。謝罪をしよう。」


そう言って領主様は立ち上がって頭を下げる。貴族でもこうして頭を下げるんだな。意外だ。


「フランシーヌ様、タクヤ様。リュック様もこうおっしゃっておられる。一旦は水に流してこれからの事を相談したく思うが如何かな。」


さりげなく俺を立ててくれるあたり、やっぱりギルドマスターは出来る人だな。


「構いませんよ。俺が頼りなく見えるのも、フランシーヌが教会から還俗をして神の身許から離れたと判断されるのも無理からぬ事ですし。ですが、紅き月が昇るのは確定事項です。早急な対応をお願いしたい。フランシーヌも、俺の為に怒ってくれるのは解るけど、ここは矛を納めてくれないか?」


「卓也さんがそうおっしゃるのなら解りました。」


そう言ってフランシーヌが座ってくれる。怒気も納めてくれたにで、部屋に満ちた緊迫感が多少は和らいだ。


「領主様もどうぞ座られて下さい。申し遅れました、フランシーヌの夫でモノノベタクヤと申します。以後お見知り置きを。」


この瞬間、この席での主導権が完全に入れ替わったのは幸いだった。後々領主との間に禍根が残る可能性はあるが、まぁあまり大した問題でも無い。


その後はスムーズに話を進める事が出来た。領主としても色々と詮索したい事はあるだろうが、そこは仕事が出来ると評価されるだけの事はあり、その後は微塵も表情には出さなかった。


領主の名において、聖女が享けた信託を広く公布する。知らせは王都まで早々に届くとの事。警鐘を鳴らし厳戒態勢を取る。ギルドは冒険者を招集し、迎撃部隊を編成して後、領軍の指揮下に入る。町の東側は平原に恵みを齎す河が流れていて、雨季を目前に控えた今は多少水量が減ってはいるが、それでも魔物の襲撃を抑制するには十分な水量がある。東からの襲撃は比較的少ない筈だ。その為、残りの北、西、南を中心に戦力を割り当てる。

俺が町中に迎撃装置を設置する事は許可を得た。さすがに簡単な説明だけでは理解が難しい様だが、領主の詮索はフランシーヌとギルドマスターが無言で黙らせてしまった。

とは言え勝手に動けば問題が起こる可能性もあるので、騎士団から人を出してくれるとの事。監視役、お目付け役を兼ねてだろうが、それで面倒事が避けられるのなら断る手は無い。


だが、さすがに騎士団長が出張ってくるとは思わなかった。


「騎士団長のイザークと申します。タクヤ殿、どうかお見知り置きを。フランシーヌ嬢はお久しぶりですな。何時ぞやは大変お世話になりました。この度は我が主君がフランシーヌ様のお怒りを買ったとの事。申し開きも御座いませぬ。」


歳は60前後。髪はすっかり色が抜けて銀灰色。豊かな髭を蓄えている。顔や、服から覗く肌には至る所に古い傷跡が残されている。数多の戦場を経験した歴戦の戦士なのだろう。


「奥様の体調はその後お変わりは御座いませんか?」


「お陰様で、寄る年波には勝てませんが、今も元気に過ごさせて頂いております。」


何でも、奥さんが1年程前に死病を罹ったところをフランシーヌに癒してもらったのだそうだ。イザーク夫妻は元々正教の敬虔な信徒だったが、それからと言うもの夫婦で足繁く教会に訪れては祈りを捧げているとの事。

教会でフランシーヌとすれ違う事もあるが、フランシーヌが教会にいる間は大半の時間を神への祈りを捧げており、こうして言葉を交わすのは久々なのだそうな。


イザークさんは先代領主の頃から騎士団長として仕えており、領主が幼少の頃は指南役も勤めていた。領主の部下と言うよりもお目付け役的な立場らしい。先程のフランシーヌとのやりとりを小耳に挟んだそうで、慌てて俺たちに同行する役目を自ら志願してここに来たそうだ。


「リュック様の教育が足りず申し訳御座いません。しかし、驚きましたぞ、まさか還俗してご夫君とご一緒になられるとは。」


その言葉には嫌味や詮索する気配は全く無く、純粋に俺たちを祝福してくれている様に感じる。フランシーヌもそれが嬉しいのだろう。


「はい。お待ちしていた我が主とこうして出会う事が出来ました。これからは私の祈りは卓也さん唯1人に捧げる所存です。」


「ふむ、フランシーヌ様のお心を射止められた御仁はタクヤ殿とおっしゃられるのか。タクヤ殿、私の様にフランシーヌ様にお助け頂いた者は数多い。皆一様にフランシーヌ様の幸せを心より願っております。どうか、フランシーヌ様の事を宜しくお願い致します。」


「勿論です。フランシーヌは私が幸せにして見せます!」


何故、騎士団長とこう言う話しになったのかはいまいち解らないが、フランシーヌの幸せを願う、その気持ちに偽りは感じられなかった。悪い気はしなかった。

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