第37話 ミレイユ
私ミレイユは5歳の時に
ある日突然、視界が眩いばかりの輝きで包まれました。私は多幸感で満たされ、それが超越者たる主の気配を間近に感じた最初の出来事でした。
その時、誰かの声を聞いた気がしましたが、内容までは理解が出来ませんでした。それは恐らく私が初めて主から授かった啓示だったのです。
その気配が遠のくと私は左胸に熱を感じ意識を失いました。その後3日3晩高熱に苛まれて生死の境を彷徨ったそうです。
その時、私を救い見出してくれたのが養い親であり後見人でもあるニコラ枢機卿です。
ニコラ様は聖人との呼び声の高い方で、教会内では非常に高い地位にあります。
教会の指導者たる教皇を補佐する立場であり、次代の教皇を決定する権限を持つ評議会のメンバーでもあります。
ニコラ様は市井での活動に重きを置かれる方です。常日頃から教会内部に閉じこもるのではなく、世界を広く見聞せよと教えを説かれています。ご自身も日々の大半を教会に留まらず、旅の中で人々を救う活動に力を入れられております。そうした活動の最中、偶然立ち寄った村で私と出会ったのです。
その日、私の産まれた村にたまたま立ち寄ったニコラ様は、高熱を出している子供の治療をお願い来た親子に遭遇し、そこで印を刻まれた私に出会ったのだそうです。
ニコラ様は私が纏う神気に気づき、直ぐに神託の聖女であると気付かれました。治療の際に印を認め、確信を深められて両親に説明の上引き取る事にしたのだと言います。
両親は私の事を非常に大切にしてくれていたましたが、教会の敬虔な信徒でもありました。ニコラ様は自身が枢機卿である事を明かし、養子として引き取る事をお願いすると、両親は泣きながらに私を預ける事を了承されたのだそうです。それ以来、両親とはお会いしていません。
ニコラ様に引き取られる以前の事は余り覚えてはいません。其の頃、近所に住んでいて良く一緒に遊んでいたポールの事も朧気ながら覚えていますが、主に触れたあの日以降それ以前の記憶は酷く曖昧になってしまいました。
教会に入ってからは、厳しい修行の日々でした。今にして思えば、主から授かった奇跡の力を正しく使う為には必要な修行だったのだと解ります。ですが、修行の中には大の大人でも根を上げる様な厳しいものも沢山ありました。
何度もくじけそうになりましたが、そうした修行に耐えられたのは一重に主の声を賜ったあの時感じた多幸感。主に抱かれる幸せをもう一度感じたかったからだと思います。
それ以降、私は幾度か主の啓示を授かりました。主の御心を近くに感じる度に私の敬愛の念は深まり、より修行に打ち込む様になっていったのです。
いつしか主の啓示を受けた者にしか使えない奇跡を行使する事が出来る様になりました。その頃から私は教会では聖女と呼ばれる様になります。ニコラ様と共に旅をし、その行く先々で多くの人を癒しました。失われた手足を癒したり、不治の病と言われる病気を癒したり。その度に人々は私の事を聖女と敬い手を合わせるのです。
フランシーヌの名は、ニコラ様の養女となり教会で洗礼を受けた時に新しく賜った名前です。聖女様、フランシーヌ様と呼ばれるうちに本当の名前は薄れつつありました。ポールに再会したのはそんな時でした。
神託に従いモンペリエに居を移してしばらく経ったある日の事、買い出しの為に町を歩いていると、ミレイユと私を呼び止める人が居ました。それがポールでした。
最初はミレイユが誰の事か解りませんでした。人違いだと思いその事を伝えましたが、ポールにはそれからも町で会う度に声を掛けらえる様になりました。
その内に私の本来の名前がミレイユである事、その人が幼馴染だったポールである事を思い出します。そうしてポールに何度目か呼び止められた時、一緒に冒険者にならないかと誘われたのです。その時、私は主の啓示を賜りました。
主はおっしゃいます。この者と共に行けと。私は主の声に従い、ポールと同じパーティーメンバーとして活動をする事にしました。
冒険者として活動をしますので、教会を空ける事も多くなりました。それでも主への祈りを欠かした事は有りません。ですが、自然と奇跡を行使する機会は少なくなり、前程には聖女と呼ばれる事は無くなりました。
それからの5年は、正直に言えばとても楽しい日々でした。ポールもジェロームもアンヌもアメリーも、皆良い人ばかり。誰も私の事を聖女とは呼ばず、同じパーティーのメンバーとして仲間として接してくれます。そうして過ごした5年という月日は、何時しか失っていた何かを思い出させるには十分な時間でした。
私は聖女です。主の言葉を聞き、主から力を与えられた存在。主の為に、人々の為に尽くさねばなりません。そうでなければ主からの寵愛を失ってしまうでしょう。それは、余りにも恐ろしい事でした。
主が私に与えたもうた使命は唯1つ。いつかこの地に降臨する神の現身たる方と、共にある事。それが何時になるのかは解りません。主の啓示に従ってポール達と行動を共にしているので、この活動の連なる先に、その出会いがあるのだと言う事は解ります。でもそれは何時なのでしょうか。
ポール達と過ごす楽しい日々、果たさねばならない聖女としての使命。私の中にある不安は日増しに膨れ上がっていきます。
そんなある日の事です、ご主人様と出会ったのは。
最初の印象は良く解らない人でした。
大蜘蛛の領域に居ながら、余りにも警戒心の無い人。その身に纏った鎧は、明らかに上質な素材を超一流の職人が仕立てたのであろうものでした。その腰にある剣も飾り気の無い作りながら、明らかに尋常では無い気配を纏っていました。
何より、あれだけのジャイアントスパイダーに囲まれながらも易々と打倒して見せる圧倒的な力の持ち主。余程の実力者なのだろうと想像してみれば、本人は隙だらけで、その立ち姿は剣に触れた事の無い素人同然のものでした。
その後、短いながらも共に過ごす中でご主人様が起こす奇跡の数々。それは神が示された現身たるお方に違い無いと、そう確信させるに足るものでした。何故なら、ご主人様の御業の数々は神たる身にしか到底成しえない物だったからです。
その日の晩、早速ご主人様の人となりを見定める機会が訪れます。
私は、容姿が秀でている事を自覚しています。きっと主が共にある為にそう授けて下さったものです。慢心をせず、さりとて自分の美貌が損なわれない様に日々の生活の中でも注意を怠って居ません。ですが、常日頃清貧に努めていたので、持っている服と言えば余り飾り気の無い物が1つきり。これで主のお眼鏡に叶うのでしょうか。念入りに身体を清め、髪を整え、食事の席へと臨みます。
幸いな事に、ご主人様の視線は終始私へと向けられていました。それは様々な方が私に向ける視線と同種のものでしたから、私への好意である事は直ぐに解りました。酒を嗜みつつ、徐々に警戒心の和らいだご主人さまから色んな話を伺いました。
こことは違う世界に住んでいた事。ゲームと呼ばれる別世界を体験する遊戯の最中に突然この世界へと来られた事。そして様々な能力が使える事。ほんの一瞬ですが、この方は神の現身では無いのかも知れない、そう疑念がよぎりました。
私はこっそりと、神の奇跡を行使しました。啓示は、はっきりとした意味のある言葉で伝わるものばかりでは有りません。その大半は酷く曖昧なものです。天啓とは主との結びつきを強化し、より鮮明なイメージ、言葉を賜る奇跡です。
不敬では有りましたが私は主へと問いかけました。貴方様は偉大なる神なのですか、と。
ですが、その時ばかりは主の気配を感じる事が出来ず、天啓が得られなかったのです。初めての経験で、私は驚きの余りに言葉を失ってしまいました。
主は何故答えてはくださらなかったのでしょうか。
ですが結果として、ご主人様が神の現身である事への確信を深める事になりました。
神の現身たる御方がここにいらっしゃるから、主は天啓を与えてはくださらなかったのだと。そうで無ければ説明が出来ません。
この方にとってはこの世界は未知です。進むべき道の見えぬこの方と共にあり、助けとなる事が私に与えられた使命なのです。主はかつて私にこう使命を授けられました。「神の現身たる者と、共にあれ」と。
その夜、私はご主人様に身も心も捧げました。元より神に捧げたこの身です。いつかご主人様に仕える為に、厳しい修行に耐えてきたのですから私にとっては当然の事でした。
でも本当は違いました。本当は怖かったのです。この方が本当に神の現身たる方なのかと。主はその問い掛けには答えてはくれません。あれ以来、私は神の言葉を失いました。ですが、奇跡の力は変わらずに有り、奇跡を行使すれば主の気配を微かながら感じる事が出来ます。
決して確信が揺らいだ訳では有りません。ですが、一抹の不安が有るのは事実です。今までの私は主の言葉を心の頼りに生きてきました。何時の日か、主のお傍に共に有り、その腕に抱かれる日が来る事を夢に見て来たから。ですが、その声を失ってしまったから。
だからこそ、私は何時も、ご主人様を通して主を見ていたのだと思います。
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