第33話 魔力を消す薬


 願いを込めたキス。


 ちょっと背伸びして大迫くんの唇に触れると、ガラスが弾けるような音がした。


 大きな目をいっそう大きく見開いた大迫くん。


 さっきまでとは少しだけ、空気が変わったような気がした。


「よし、呪いが解けた」


 拓未くんは嬉しそうに指を鳴らすけど、大迫くんの炎は消えなかった。


 やっぱり、呪いを解くだけではダメなんだね。


「大迫くん! 目を覚まして!」

「結菜さん!」

「きゃあっ」


 私が大迫くんに触れようとして、弾き飛ばされる中——吹き荒れる強風で、教室のガラスがいっせいに砕けた。


 傍らでは、拓未くんの姿を借りた大魔法使いが、腕で頭をかばうようにして強風に耐えていた。


「……近づくのも一苦労だね」

「大迫くん! お願いだから、元の大迫くんに戻って!」


 願いを言葉にしたところで、大迫くんが魔法を止める気配はなくて、嫌な笑みを浮かべていた。


「すっかり意識を失くしてしまったみたいだね」


 ようやく強風がおさまって、大魔法使いが私の元にやってくる。


 お手上げの状態だった。


 そんな時、私はあることを思い出して藤間先輩に訊ねる。


「そういえば藤間先輩、魔力を消す薬はどうでした? 大魔法使い様も言ってたけど、魔力を消す薬なら、大迫くんを止められますよね?」


 けど、藤間先輩はかぶりを振った。

 

「残念ながら……あらゆる情報を集めましたが、見つけることができませんでした。ですが、実際に使った魔法使いがいると聞きました」

「その人は今どこで何をしてるの?」

「わかりません。手に蛇のタトゥーをいれた男だそうですが……」

「わかりました。じゃあ、私が探します」

「結菜さん?」

「私はあらゆる鏡と繋がっていますから」


 そして私は、世界中の鏡に問いかけてみる。


 ありとあらゆる鏡に映った人が、見えては消えていった。


 けど、魔法使いの数も多いので、すぐに見つかるものでもなかった。


「見つけるのも大変かも」


 それでも私が必死になって探す中、大迫くんに大魔法使いがじりじりと近づく。


「啓太!」

「俺はもう……嫌だ……誰も傷つけたくない」

「ダメだ! 啓太、自分を傷つけてはいけない!」

「でも俺は……」

「啓太ならきっと大丈夫だから、自分を守ることを考えなさい」

「……え?」

「今の君には、仲間がいるんだ」

「……拓未くん? 違う——あなたは誰?」


 大迫くんの動きが止まった、その時だった。


「見つけた!」


 手に蛇のタトゥーを入れた魔法使いを見つけた。

 

 その人は、大きなかめにある薬液を混ぜていたようで、薬液の表面に顔と一緒に蛇のタトゥーが映っていた。


 そう、私は鏡のように映るものなら、液体ごしにでも相手を覗くことができた。本来なら、プライバシーもあるし、こんな手を使いたくはなかったけど——非常事態だもんね。


 どこかで見たことのあるその人を見つけた瞬間、私はポケットから手鏡を取り出した。そして鏡を渡って手に蛇のタトゥーを入れた魔法使いに会いに行ったのだった。

 



「——な、なんだ君は!?」


 大きな研究所のような部屋だった。本がびっしりと並んだ部屋の中心で、大きな瓶に入った液体をかき混ぜていた男の人は——薬液のかめから現れた私を見て驚いた顔をしていた。


「お願いします、あなたが持っている魔力を消す薬を分けてください」

「なんだって!? それをどこで知ったんだ? それに君はいったい何者だ」


 よく見ると、その人は黒いレインコートのような服を来ていた。ついさっき、大迫くんを襲った人と同じ姿だ。


「あなたは、大迫くんを襲った……魔法使い?」

「おおさこ? 大魔法使いのことか?」

「ううん、それより——お願いを聞いてください!」

「ふん、なぜ私が君の願いを聞かないといけないんだ。それより大魔法使いの体組織をくれ」

「その大魔法使いに関係があることです」

「なんだと?」

「今、大迫くんは暴走状態にあって、このままだと全てを壊してしまいます」

「そんなこと、私には関係ない」

「私、あなたの言うことなんでも聞きます! だからどうか大迫くんを助けてください」

「君なんかに言うことを聞いてもらったところで——いや、待てよ。君はどうして薬液から出てきたんだ?」

「私は〝鏡の魔女〟なので、姿を映す物なら、なんでも移動手段にできます」

「なるほど、伝説は本当だったのか。だったらこういうのはどうだ?」

「え?」

「君の血液サンプルと交換に、魔力を消す薬を渡そう」

「血液サンプル?」

「ああ。〝鏡の魔女〟の体組織にも興味があるんだ。なんでもすると言っただろう?」

「そんなことでいいんですか?」

「ついでに大魔法使いの体組織もいただきたい」

「——わかりました。大迫くんが元に戻ったらお渡しします!」


 こうして取引が成立し、私は魔力を消す薬を入手することに成功したのだった。






 ***






「大迫くん!」


 鏡を渡って再び大迫くんのいる教室に戻った私だけど、大迫くんは相変わらず青い炎を纏っていた。


 そんな中、教室に戻った私に、大魔法使いが駆け寄った。


「結菜ちゃん、どうだった?」

「薬を手に入れました。あとは大迫くんに飲ませるだけですが……本当に大丈夫なんでしょうか」

「何が?」

「大迫くんが魔法で作られた存在なら、これを使って……消えてしまうとか、そういうことはないですよね?」


 私が懸念を口にすると、藤間先輩も同じように深刻な顔をする。


「その問題がありましたか」

「どうしよう、なんだか怖くなってきた」


 けど、私や藤間先輩が心配する中、大魔法使いはなんでもない風に笑ってみせた。

 

「大丈夫だよ」

「大魔法使い様?」

「啓太は消えたりしない。僕が約束するよ」

「わかりました。じゃあ、これを大迫くんに渡します」


 私は小さな薬の瓶を握りしめると、大迫くんの元に向かった。




「結菜……お願いだから、近づかないで……俺が何をするかわからないから」

「大丈夫、大丈夫だよ、大迫くん」

「結菜?」


 私は今度こそ大迫くんのすぐ側にまで近づくと、薬の瓶を差し出した。


「さあ、これを飲んで」

「これは何?」

「大迫くんの未来を守る薬だよ」






 ***






「もう、どのくらい奇術部に行ってないだろう……今は奇術同好会だったか」


 紺野こんの真紀まきは学校の廊下を歩きながら、ため息を落とす。


「寝ても覚めても結菜の顔がちらついて、イヤだな……」


 未練がましいと言われても仕方がないが、どうしても諦めきれず、奇術部に顔を出すことができなかった。


「俺もしつこい男だな」


 自覚はあっても、どうすることもできないまま——今日も風紀委員の仕事に没頭することで、なんとか一日を過ごしていた。


 そんな時だった。


「あれ? 真紀先輩じゃないですか?」

「……長谷部はせべくん。どうしてここに?」


 転校したはずの長谷部はせべあきらの姿を見つけて、真紀は目を瞬かせる。長谷部は他校の制服を着ていた。


「近くに用事があったので、ついでに奇術部に寄っていこうかと思って」

「外部の人間は立ち入り禁止だぞ」

「まだ手続きが完全に終わったわけじゃないので、大丈夫でしょう」

「長谷部は意外と図太いな」

「真紀先輩はいつまで引きずるつもりですか?」

「あのなぁ、ちょっとは俺のことを考えて喋れよ」

「考えてますよ。時間は有限なのに、いつまでも目を背けているなんて勿体ないじゃないですか」

「お前……ジイさんみたいだな」

「よく言われます」

「先輩はマジックが一番好きだと思ってました」

「悪かったな、好きな女の子に左右されるようなダサい男で」

「ダサいなんて言ってません。辛い気持ちはわかりますから」

「お前も、誰かに振られたのか?」

「いえ、そういう経験はないですけど」

「なんだよ。何が言いたいんだよ」

「そうやって、いじけてても、楽しいことなんて一つもないってことですよ。ほら、行きますよ」


 長谷部は真紀の背中を押して、足を進める。その先には、奇術部の教室が見えた。


「なにするんだよ」

「こうでもしないと、奇術部に行かないでしょう?」

「今は同好会だ。俺は行かないからな!」

「はいはい。本当は背中を押してほしいって、言えばいいのに」

「なんで俺がそんなことを……」

「先輩の顔には、結菜よりもマジックに未練があるって書いてますよ」

「そんなことは……」

「結菜たちに気を遣って、部活に行かないなんてらしくないですよ」

「誰も気を遣ってなんか……!!」

「大丈夫、みんな真紀先輩のことを待ってますから」

「そんなはずはない……結菜は大迫くんさえいれば、楽しいに決まってる」

「だからそうやっていじけて——って、なんだ? 何がどうなってるんだ?」

「どうしたんだ?」


 奇術部室の前に散乱したガラスを見て、長谷部と真紀は瞠目する。


 視線を上げると、部室内には禍々しい炎を纏った大迫と、彼に接近する結菜の姿があった。






 ***






「大迫くん、魔法に飲み込まれちゃダメだよ!」

「ゆ……い……な……」

「早く、薬を飲んで!」


 私——三木みき結菜ゆいなの心からの叫びは、大迫くんには届かず。


 再び意識を失くした大迫くんが嫌な笑みを浮かべてこちらを見た。


 強い力にされて後退あとずさりした私は、唇を噛んで必死に抵抗するけど——。


 そんな時、ガラガラとドアが開いて、聞き覚えのある声が響いた。


「三木、何があったんだ?」

「長谷部くん! それに——真紀先輩?」


 もう会えないと思っていた二人を見て驚いていると、大魔法使いが真紀先輩たちに説明した。


「啓太が自分の力に振り回されてるんだ」

「これはいったい、どういうことなんだ? 自分の力ってなんだ?」


 目を丸くする真紀先輩。


 長谷部くんは大きなため息を落とす。


「最悪のタイミングだったみたいだな」


 その言葉に私が苦笑する間にも、大迫くんは嫌な空気を放っていた。


「ダメだ、正気を失ってる」


 大魔法使いはお手上げとばかりに肩を竦める。


「どうしよう。薬を飲んでくれない……」


 大迫くんは私が渡した薬の小瓶を捨てていた。


 私はなんとか進もうとするけど——足が竦んで近づけなかった。


 どうしてだろう。大迫くんに近づきたいのに、怖くて近づけないよ。今の私だからわかる。大迫くんがどれだけ危険な存在なのか——。


「どうしたんだ? 結菜?」

「ま、真紀先輩」

「この状況はいったいなんなんだ? ――わあ!」


 強風に煽られて、倒れそうになる真紀先輩。


「真紀先輩! ダメ、大迫くん!」


 私は慌てて大魔法使いの杖を取り上げると、その先端を大迫くんに向けた。


 すると、小さな竜巻が発生して大迫くんは数歩後ずさる。


「おい、これはいったい……」

「すみません、真紀先輩。実は私たち、魔法使いなんです」


 とうとう白状するもの、真紀先輩は怪訝な顔をする。


「はあ?」

「信じられないですよね……」

「俺は信じるよ」

「長谷部くん」

「ま、魔法使いだなんて……そんな馬鹿な話」

「お願いです、真紀先輩。今は大迫くんが危険だから、下がっていてください」

「でも結菜は?」

「私は大丈夫です。大迫くんを止めなきゃ」








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る