第32話 鏡の過去
「まだ……結菜が覚醒してないのに……まだダメだ」
赤く燃えるような目をした大迫くんは、そう言って自分を抱きしめる。
その体からは火花のようなものが散っていた。
「大迫くん!」
私は大迫くんに近づこうとするけど、それを拓未くんが手で止める。
「結菜ちゃんは下がって! 啓太さんの様子がおかしい」
「ゆ……いな……逃げて」
絞りだすように告げる大迫くんの周囲から、湯気のような揺らめきが立ちのぼっていた。
「大迫くん?」
「——あああああ!」
悲鳴をあげた大迫くんの体が、青い炎を纏う。
その異様な光景に、私は言葉を失くしていた。
そんな中、拓未くんが私に告げる。
「結菜ちゃん、ひとまずここを離れよう」
「どうして? 大迫くんを放置なんて出来ないよ」
「死にたいの!?」
「私は絶対、大迫くんを守るんだから」
「本当に君は……頑固だな」
やれやれといった感じで頭を振る拓未くんを見て、私は違和感を覚える。
「拓未くん?」
一瞬、拓未くんの姿に、大迫くんが重なって見えた気がした。
なんだろう……この感じ。
とても懐かしい匂いがする。
そんなことを思っていると、ずっと黙っていた藤間先輩が、我に返ったように拓未くんに訊ねた。
「これはどうなっているのですか?」
「他の魔法使いに刺激されて、啓太さんが暴走しちゃったみたいです」
「なるほど」
「どうする? 二人とも、戦う気満々の顔してるけど」
茶化すように言った拓未くんに、私はムッとした顔を向ける。
「私は戦いたいんじゃない、大迫くんを元に戻したいの」
「だったら、君の力も解放するしかない」
「私の力の解放?」
「結菜ちゃん、ちょっとだけ痛いかもしれないけど——」
そう言って、拓未くんは手のひらにボールペンで何かを書き込んだ。
その瞬間、拓未くんの姿に再び大迫くんの姿が重なって見える。
なんだか別人のような拓未くんに、私はおそるおそる訊ねた。
「あなた……いったい?」
すると、拓未くんが答える前に、藤間先輩が口を開く。
「大魔法使い様……?」
これでもかと見開く藤間先輩を見て、拓未くんは楽しそうに笑った。
「啓太は僕に似て、魔力が不安定だな……ねぇ、結菜ちゃん。目を閉じて」
「……え?」
いつもと違う拓未くんに目を閉じるように言われて、なんとなく不安になる私だったけど……どうしてだろう。今の拓未くんなら頼ってもいいような気がして、私はためらいがちに目を閉じる。
すると、額に何か温かいものが触れた。拓未くんの手のひらだろう。
それはだんだんと熱くなり——全身が火だるまのような熱さになる。
「うっ……」
思わず逃げ出したい衝動にかられる私だけど、ぐっと堪えてその場に立っていた。
「さぁ……結菜ちゃん、思い出して」
「思い出す……?」
「そうだよ。本当の君を思い出すんだ」
拓未くんが言った直後、私の視界は暗転した。
***
「ねぇ、鏡……聞いてくれるかい?」
気づくと、私の前で大迫くんが難しい顔をして立っていた。
しかも今よりもずっと大人びた顔をした大迫くんは、レースでひらひらしたシャツを着ていて、なんだか悲しげな表情で私をじっと見つめていた。
————違う……これは大迫くんじゃない。
そう気づいて、私は何か言おうとするけど——気持ちとは裏腹に、意図しない言葉が口を飛び出した。
『どうしたんですか? 大魔法使い様』
その言葉で気づいた。
これは先代の魔法使いで、大迫くんじゃないってこと。
そう知った時、大魔法使いはいっそう悲しい顔をして告げた。
「また僕の未来が見えたんだ。本当に嫌になるよ……知りたくもないのに、眠るたびに未来の夢を見てしまうんだ」
ため息ばかりつく大魔法使いに、私は他人事のように告げる。
『未来を先に知れて、良かったではないですか』
「全然よくないよ。先に未来を知って得なんてないよ」
『そうでしょうか』
「ああ、そうだとも」
『それで、どんな夢をご覧になられたのですか?』
「鏡のくせに、気になる?」
『はい、気になります。私は夢というものを見ないので』
「そうかい。じゃあ、特別に教えてあげよう。といっても、面白い話でもないけどね」
それから大魔法使いは、自分の未来について語った。
周囲の圧力により政略結婚をさせられ、すぐに離縁すること。
その後、大魔法使いでありながら暴走してしまうこと。
暴走を止めたのは、ケイタというまだ幼い魔法使いだった。
「子供はいいね……とても可愛い。僕の後ろをよたよたしながらついてくるんだ」
『大魔法使い様……まさか、子供を誘拐されたのですか?』
「変な想像しないでくれ。僕にもそのうち子供ができるみたいだ」
『それなら問題ありませんが……』
「なんだよ。僕が子育てしたらおかしいかい?」
『いいえ。子供が子供を育ているようで面白いと思います』
「君は本当に、口の減らない鏡だね」
『マジックアイテムは、主に似るといいますので』
「僕は君のように冷たい鏡じゃないからね」
『そうでしょうか。大魔法使い様は、ときおり冷たい顔をなさる時が……』
「なんだい、案外よく見ているじゃないか」
笑って言う大魔法使いだったが——まるで番組が切り替わるように、世界が再び暗転した。
そして次に現れたのは、涙を落とす大魔法使いの姿だった。
白の上下に身を包んだ大魔法使いは、困惑した顔を私に映していた。
「どうしよう、鏡……」
『どうなさいました? 悪い夢でも見ましたか?』
「ああ、見てしまったんだ。僕の大事な子が、自分を壊す夢を」
『自分を壊す?』
「僕と同じように暴走すると知って、あの子は自ら命を——」
『落ち着いてください。その話、詳しく聞かせてください』
「いつか僕の力は暴走すると言ったよね? そんな僕をあの子が倒してくれるんだ。けど、あの子もいつか暴走して——死を選ぶんだ」
『死を……?』
「そうだ。どうすればいい、鏡よ。僕はあの子に死んでほしくなんかない」
『……』
「そうだ……あの薬があれば」
『薬……ですか?」
「ああ。魔力を消す薬があるという噂を聞いたことがある。それがあれば、僕もあの子も死ななくて済むかもしれない」
『それはどこで売られているのですか?』
「わからない。だがきっと、見つけてみせる」
『どこにあるともわからない薬を探すのですか?』
「じゃあ、お前ならどうするというんだ? あの子を死なせないためなら、僕は薬探しで人生を棒に振ったっていいんだ」
『それもいいですが、こんなのはどうでしょう?』
「?」
『自分では死ねない呪いをかけるんですよ』
「自分では死ねない呪い?」
『そうです。大魔法使いは呪いをかけるのが得意でしょう?』
「……お前は……恐ろしいことを言う。呪いは、かけた方にもかけられた方にも不幸が訪れるというのに」
『ですが、手っ取り早いでしょう?』
「冗談じゃない」
『どこにあるともわからない薬を探し求めるよりも、一番確実でしょう。大魔法使い様ともあろう方が、そんな人間臭いやり方をしてどうするんですか。私なら——』
「馬鹿にするな!」
そう言って激昂した大魔法使いが杖を向けたのは、私——鏡だった。
大魔法使いが呪文を唱えるなり、破裂する私の体。
そこで私という鏡は、割れて砕け散ったのだった。
「お前はいつからそんな偉くなったんだ! 僕のやり方は僕が決めるんだ!」
『大……魔法……使い……様』
砕けた欠片でありながらも、懸命に大魔法使いを映そうとした私は、最後の力を振り絞って声を放った。
すると、顔を歪めた大魔法使いの顔が、欠片たちに映る。
「……ああ、僕はなんてことを!」
マジックアイテムとしては、虫の息だったが——それでも言わずにはいられなかった。
『泣かないでくだ……さい……私が……大魔法使い……様の御子を……守り……ますから……』
きっと私は転生して人間になり、大魔法使い様の御子を守る。
そう誓って——息を引き取ったのだった。
***
「思い出した。私……大魔法使い様の鏡だったんだ」
大魔法使いと共に過ごした日々、そして割れて砕け散った後も大魔法使いの身を案じていたことを思い出した私は——なんだか今までにないエネルギーのようなものを感じていた。
「結菜さんの魔力が……」
瞠目する藤間先輩をよそに、私は自分の体を抱きしめながら告げる。
「今ならわかる。大魔法使い様の気持ち。大切な人を守りたかったんだね」
「鏡よ、君に啓太を止めることが出来るかい?」
拓未くんの言葉に、私は
今の私だからわかる、この人が誰かということも。
「わかりません……この暴走は、大魔法使い様のせいで複雑になっていますね。花嫁でなければ、魔法は通用しなさそうです」
私がため息混じりに言うと、拓未くん——大魔法使い様は、昔と同じ表情で困った顔をする。
「そうか。僕の呪いがこんな風に化けるとは思わなかったな」
「それで、魔力を消す薬は見つかったのですか?」
訊ねると、大魔法使い様は苦笑した。
「人間に生まれ変わっても、憎たらしいのは相変わらずだね。見つからなかったよ、結局。だから呪いをかけたんだ」
「わかりました。魔力を消す薬は私がなんとかしましょう。しかし、それまで大迫くんをどうにか止めないと」
「なら、僕が一時的に……」
「ダメですよ。それは、大魔法使い様の体ではないでしょう? 拓未くんに何かあれば、悲しむ人がいます」
「まるで僕だけなら悲しむ人がいないみたいな言い方だね」
「今はそんなことを言っている場合ではありません。せめて、大迫くんの呪いを解除しなくては……このままだと、どんな魔法も効きません」
「呪いの解除なら、簡単だろう。君に教えたはずだが?」
「呪いの解除? 教えた? なんのことですか?」
「真紀くんに仕掛けた罠を、君は解いたじゃないか」
「真紀先輩の罠……あの時の時限式の魔法は、あなたのせいだったのですか?」
「ああ」
「ということは、呪いを解く方法というのは——」
「お姫様のキスだよ」
「頭が痛いです」
「真紀くんにはできて、啓太には出来ないのかい?」
ちょっと楽しそうな大魔法使い様に呆れた目を向けると——大魔法使い様はぺろりと舌を出してみせた。
けど、ずっと見ていた藤間先輩は真面目な顔を私に向ける。
「お願いです、結菜さん」
「……わかりました」
拓未くんに憑依してる大魔法使いと、藤間先輩にせっつかれて、私は大迫くんに近づく。
「結菜……逃げて」
「私は大丈夫だから、大迫くん」
皆に見られるのは不本意だったけど、仕方なく私は、大迫くんの唇にそっと触れた。
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