第29話 魔法使いの図書館

 

 窓から赤焼けが差す放課後。

 

 いつの間にか、私——三木みき結菜ゆいな藤間ふじま先輩だけになった部室で、私は呟くように告げる。


拓未たくみくんにはあんなこと言っちゃったけど……どうすればいいんだろう」


 大迫おおさこくんが死ぬ目的で〝鏡の魔女〟を探していると聞いて、思わず『大迫くんが死なない方法を考えたい』と拓未くんに告げた私だけど——実際は、何をどうすれば良いのかわからなかった。


 そもそも〝鏡の魔女〟がどんなものかもわからないし。


 でも、拓未くんに言われっぱなしも嫌だったから、あの時はあれで良かったんだよね。


 そんな風に自分を鼓舞していると、藤間先輩が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


「結菜さん? 大丈夫ですか?」

「大丈夫だけど……大丈夫じゃないかも。どうすれば大迫くんを助けてあげられるのかな」

「そうですね……まずは大迫様の情報を集めたほうが良いかもしれません」

「情報ですか?」

「では、図書館にでも行きますか?」

「図書館に大迫くんの情報があるの?」

「ええ。魔法使いの図書館があるので」

「魔法使いの図書館ですか?」

「一般人は立ち入り禁止ですが、結菜さんが〝鏡の魔女〟なら……閲覧も可能なはずです」

「〝鏡の魔女〟って……本当に私がそうなのかな」

「大迫様が言うのなら、間違いないでしょう」

「実感はないけど……でも、大迫くんのことを知れるなら、そこへ連れて行ってください。お願いします」

「そうですね。行きましょう」


 こうして私は藤間先輩に連れられて、部室を出たのだった。






 ***






「なんだか思ってたより……普通の図書館なんですね」


 藤間先輩に連れて来られた魔法使いの図書館は、学校と同じようなコンクリート打ちっぱなしの建物だった。

 

 校内にある図書館に似ているけど、違うのは、来客者が顔を隠すようにフードを被っていることくらいだよね。


 普通の図書館にしか見えないその場所をじっくりと眺めていると、藤間先輩はくすりと笑った。

 

「見た目は同じでも、中身は普通の図書館とは違いますよ。ここの本は、魔法使いにしか読めませんから」

「そうなんだ」

 

 魔法使いにしか読めないと聞いて、ドキドキしながら本棚を見ていた私だけど——ふとその時、黄色い腕章をつけたスーツの男の人に声をかけられる。


「ちょっと君」


 なんだか役所の人っぽいスーツの男の人に、鋭い目で見られて、私は思わず狼狽えてしまう。


 スーツの男の人は、まるで異物を見るような目をしていた。


「あ、あの……なんでしょうか?」

「ここは一般人は立ち入り禁止なんだけど」


 やっぱり、魔法使いって普通の人とは違うのだろうか?


 私が藤間先輩に視線をやると、藤間先輩は綺麗な笑みを浮かべて、私を安心させるように肩を叩いた。


「司書さん。この子も魔法使いですよ」

「そうかな? そんな風には感じないけど……だったら、これを読んでみてくれないか?」


 そう言って、司書さんと呼ばれた人が差し出したのは、一冊の分厚い本だった。魔法使いの本というだけあって、なんだか豪華な装丁だった。


「本当に魔女だったら、本が読めるはずだね?」

「……えっと」


 私はおそるおそる渡された本を開いてみる。


 すると、見せられた本には、見知らぬ文字がびっしりと並んでいた。


 ——どうしよう、読めない。


「おやおや? どうしたのかな? 君は魔女なんだろう?」


 おかしそうに言う司書さんに、私は内心汗をかきっぱなしだったけど、それでも藤間先輩は涼しい顔をして言った。


「すみません、ちょっと調子が悪いようなので、今日は帰ります」

「そうかい。じゃあ、読めるようになったらまたおいで」


 それから魔法図書館の司書さんは鼻で笑うように言って、去っていった。


 司書さんの背中を見届けて、私は思わず大きく息を吐く。


「すみません……読めなくて」

「どうやら結菜さんはまだ覚醒していないようですね」

「覚醒、ですか?」

「ええ。魔法使いは生まれながらに魔法が使えるわけではないんですよ」

「そうなんですか?」

「血統や修行、あとは前世の因縁で魔法が使えるようになります」

「前世の因縁……?」

「ええ。前世が魔法使いであれば、来世も魔法使いである可能性が高いです」

「私の前世は……大魔法使いの鏡、なんですか?」

「そうですね。結菜さんが〝鏡の魔女〟だとしたら、魔法の鏡だったに違いないです。もしかしたら、前世のことを思い出せば……魔法も使えるようになるかもしれません」

「私の前世……それはどうすれば?」

「それは私にもわかりません。ですが、何かきっかけがあれば思い出すかもしれません」

「……」

「もしくは、大迫様なら、結菜さんの記憶を取り戻せるかもしれません」

「あの……藤間先輩」

「なんですか?」

「藤間先輩は、大迫くんのことをよく知ってるんですね」

「あの方と約束したんです。見守る存在になることを」

「見守る存在ですか?」

「答えをご自身で見つけるまで、決して手を出してはいけないと」

「答え……?」

「もしかしたら、大迫様一人では見つけられない答えも、結菜さんと一緒なら見つけられるかもしれません」

「大迫くんには、何か秘密があるってことですね」


 私が訊ねると、藤間先輩は苦い顔で笑った。




「藤間先輩……結局ちゃんと教えてくれなかったな……大迫くんのこと。答えってなんだろう? ——まあ、いいや。とりあえず逃げちゃったこと、大迫くんに謝らなきゃ」


 藤間先輩とわかれて、大迫くんのマンションにやってきた私は、覚悟を決めるとインターホンを押した。


 けど、大迫くんは留守だった。


「大迫くん……家にいないんだ。明日学校に来るのかな」






 ***






「あの……ただいま帰りました」


 結菜が帰宅した頃、大迫啓太は隣県にある実家に来ていた。


 二階建ての洋館は、一見するとどこにでもある家だが、中は魔法で宮殿のごとく広い仕様になっていた。


 啓太はどこまでも続く赤い絨毯を歩くと、リビングルームのドアを開ける。


「まあ、啓太。久しぶりに帰ってきてくれたんですね」


 リビングルームにしては広すぎる部屋には、骨董品じみた調度品が並んでおり、革張りのソファから妙齢の女性が立ち上がった。


 女性は保護者というより、監視者に近かった。家族と言いながら、腫れ物に触るような接し方しかできない彼女に、啓太はどう接して良いのかわからず黙り込む。


 すると、同じくソファで寛いていたもう一人の——男性も口を開いた。


「啓太が帰ってくるなんて珍しいね。何かあったのかい?」

「いえ……ちょっと調べたいことがあって……」

「そうか。何か手伝えることはあるかい?」

「大丈夫です。俺一人で探せます」

「何かあれば、遠慮なく頼ってくれていいんだよ」

「ありがとうございます」


 こうして偽りの家族と挨拶を済ませた啓太は、二階にある自室に向かう。


 魔法書がぎっしりと並んだ書庫のような部屋で、啓太は本の背表紙に指で揺れながら、呟く。


「呪いを解く方法なんて……あるのかな?」


 結菜が嫌がってる以上、他の方法を考えるしかなかった。


 誰にも頼らずに消える方法を、啓太は模索する。


 先代が残した魔法書をぺらぺらとめくると、ところどころにメモが貼ってあり、その先代の存在感に、なぜか啓太は泣きそうになった。


「先代はどうしてあんな呪いを俺にかけたんだろう。花嫁じゃないと殺せない……なんて、おかしいよね」


 なるべく考えないようにしていたが、先代が残した言葉の意味は、いつまで経ってもわからなかった。






 ***






 啓太が実家に帰った頃と同時刻。


 須藤リアンはダイニングテーブルで食事を待つ兄の拓未に、苛立ちの視線をぶつけた。


「お兄様」

「なんだい、リアン」

「私のことを応援してくださるはずじゃなかったのですか?」

「僕はそんな約束してないけど」

「いいえ。確かに約束してくださいましたわ。それがどうして……結菜さんの味方になるなんて、あんまりじゃありませんか」

「妹よ、そんなに啓太さんを倒して名声を手にいれたいのなら、役目をまっとうした結菜ちゃんを倒せばいいだろ?」

「それは……」

「本当は啓太さんを殺す気なんてないくせに」

「何をおっしゃいますか! 私は啓太様を倒すことだけを……」

「どうしても花嫁になりたいなら、魅力を磨くしかないね。結菜ちゃんと正々堂々勝負すればいい」

「……」

「まあ、顔だけは可愛いんだから、お前のことを好きになってもらえるチャンスはあるかもよ」


 清々しく笑う拓未を、リアンは探るような目で見据える。


 そして——。 


「……あなた」

「ん?」

「いったい誰ですの? お兄様じゃないでしょう?」

「なんのことだよ」

「卑怯なお兄様が、正々堂々と勝負なんて……口が裂けても言いませんもの」

「さすが妹だね。これでも君のお兄さんを忠実に再現しているつもりだったけど」

「何者ですか」

「でも残念ながら、今正体がバレるわけにはいかないんだ」


 拓未は椅子に座ったまま、右手の指先でくるりと弧を描く。


 すると、傍にいたリアンはその場に膝をつくようにして倒れる。


「なんですの……視界が急に歪んで……」

「君は君の役割をすればいいんだよ。他のことを気にする必要はないさ」


 リアンが何か言い返そうとした時、拓未は素早く手のひらに指で何かを書き込む。 


 直後、リアンはゆっくりと立ち上がり、首を傾げた。


「あら? お兄様? 私はいったい何を?」

「なんだ、立ったまま寝ていたの? 僕の妹はだらしないな」

「お兄様こそ! よく壁にもたれかかって寝ているではありませんか」

「あはは、よく見てるね」

「それよりお兄様! 私のことを応援してくださるんじゃ、なかったのですか?」

「またその話? もう、面倒くさいなぁ」






 ***





 ————翌朝。


 結局、魔法使いの図書館で探し物もできず、大迫くんに謝ることもできないまま登校した私——結菜は、朝からモヤモヤした気持ちを引きずっていた。


「覚醒ってどうすればいいんだろ? 魔法使いなんて自覚ないし……って、大迫くん!」


 私よりあとから教室にやってきた大迫くんを見て、私は思わず机に手をついて立ち上がる。


 大迫くんはいつもと変わらない朗らかな笑みを浮かべた。


「おはよう、結菜」

「お、おはよう」

「あのね、結菜」

「……うん」

「この間は、いきなり変なこと言ってごめんね」

「ううん、私の方こそ、逃げちゃってごめん」

「俺……考えたんだ。結菜に迷惑をかけない方法を……でも、何も思いつかなくて……」

「だったら、一緒に考えようよ」

「……え?」

「私に迷惑をかけない方法じゃなくて、私は大迫くんを助けたいの。だって私、大迫くんのことが好きだから」


 気づくと衆目も考えずに、私はそんなことを言っていた。









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