第28話 彼を取り巻く思惑




 大迫おおさこ啓太けいたは、三木みき結菜ゆいなと初めて出会った公園のベンチで、ぼんやりと遠くを眺めながら考えていた。


 頭にあったのは、大昔に大魔法使いと呼ばれた青年と会話した記憶だった。


 啓太と同じ顔をした青年は、啓太にいろいろなことを教えてくれたが、中には今だに理解できないものがあった。




「——ねぇ、ケイタ。愛を知っているかい?」


 大魔法使いの言葉は、いつも唐突だった。仕事の最中に声をかけてくるものだから、たまに面倒に思えることもあったが、聞かないという選択肢はなかった。


 そしてその日、啓太は暖炉の傍でつくろい物をしながらも、仕方なしに口を開いた。


「いいえ。俺にはわかりません。人間じゃないからでしょうか?」

「そんなことはないよ。君は僕と同じ素材でできているんだから、人を愛することだってできるはずだ」

「……愛とは、どんなものなのでしょうか?」

「そうだな。痛いことや苦しいこともあるが、幸せな感情だと聞いたよ」

「聞いた?」

「実は僕にもよくわからないんだ」


 そして記憶は変わり、大魔法使いの最期の時。


 荒れた部屋に横たわる大魔法使いを、啓太は座り込んで見守っていた。


 そんな啓太の顔に手を伸ばす大魔法使い。その手はいつになく優しかった。


「ケイタ……える、えるよ。君の未来が……だけど何も残さずに死ぬのもしゃくだから、呪いをあげよう。他者を傷つければ、君の大切な人が遠ざかる呪いと……花嫁でなければ君を殺せない呪いだよ。……覚えておいて。僕の言葉はくさびとなって、この先も君と一緒にいるからね」


 大魔法使いはそれだけ告げると意識を落とした。

 

 遠い過去の記憶。それに縛られながら生きてきた啓太には、大魔法使いの最期の言葉を守る以外に、できることなど思い浮かばず。ただがむしゃらに〝鏡の魔女〟だけを探してきた。

 

 だがまさか結菜に拒絶されるとは思うはずもなく——啓太は混乱していた。


 そんな風に結菜や大魔法使いのことばかり考えていた啓太だが。


 ふとその時、聞き覚えのある声に呼ばれた。


 顔を上げると、目の前にいたのは——結菜の祖母だった。


「啓太くん、こんなところでどうしたんだい?」

「……あ、結菜のお婆ちゃん」

「なんだか暗い顔をしているけど、何かあったのかい」

「うん……ちょっと」

「もしかして、結菜と喧嘩でもしたのかい?」

「どうしてわかったの?」

「昨日は結菜も神妙な顔をしていたからね。隣に座ってもいいかい?」

「あ、はい。どうぞ」

「啓太くんはいつもいい子だね」

「そんなことはないです。俺は……」

「結菜もいい子、啓太くんもいい子だよ。けどねぇ、いい子すぎるのも問題だね。ちょっとくらいワガママでもいいんだよ?」

「俺は、ワガママです。だから結菜に……嫌われて」

「結菜は啓太くんを嫌ったりしないよ。あの子はいつも啓太くんの話ばかりするんだから」

「でも、俺は嫌われることをしてしまったから」

「結菜が嫌いだと言ったのかい?」


「結菜は優しいから、嫌いなんて言わないけど……たくさん怒っているはず……です」

「そうかい。私もねぇ、昔はお爺さんとたくさん喧嘩したよ」

「お婆ちゃんが?」

「ええ。喧嘩ばかりして、何度もダメになりそうなことはあったけど……年をとるにつれて、喧嘩をしなくなったんだよ。けど、喧嘩をしなくなったら、それはそれで寂しいものだよ。今思えば、あれも愛情のカタチだったんだよ。全てがそうとは言えないけれど……わかり合いたいから、喧嘩をするんだね」

「……愛情のかたち」

「あんたたちも、たくさん喧嘩をして、前に進みなさい……じゃあね。私はそろそろ帰らないと、娘に叱られるから……よいしょっと」

「お婆ちゃん」


 ゆるく腰を曲げた老人の背中に、啓太は慌てて声をかける。


 すると、彼女はゆっくりと振り返る。 


「なんだい?」

「ありがとう」

「ふふ、頑張ってね」


 結菜の祖母に励まされて、啓太は輝かんばかりの笑みを浮かべた。






 ***






「今日は大迫くん、お休みなんだ? 私の……せいかな? でも、大迫くんが何も言ってくれないから……」


 大迫くんとまともに顔を合わせないまま二日が過ぎた。

 

 私——三木みき結菜ゆいなは罪悪感を覚えながらも、部室に足を運んだ。


 けど、部室にはほとんどの部員が来ていなかった。


「日直で遅くなりました! ――って、藤間ふじま先輩? 今日は一人ですか?」

「部長はお休みです。長谷部はせべくんは用事があると言ってさきほど帰りました。拓未たくみくんのことはわかりませんが」


 真紀先輩が休み? ……それって、やっぱり私のせいだよね。


「そうですか。じゃあ、今日は部活お休みにしますか?」

「大迫様もお休みですか?」

「……はい」

「何かありましたか?」

「え?」

「今日はいつになく暗い顔をしているようなので」

「そんなにひどい顔してますか?」

「ええ」

「……そういえば、藤間先輩も魔法使いですよね?」

「はい」

「あの……いきなりこんなことを言うのもなんですが……大迫くんのことを教えてくれませんか?」

「大迫様のこと? どんなことが知りたいんですか?」

「大迫くんって、大魔法使いなんですよね? えっと……」

「大迫様の、噂のことですか?」

「うわさ?」 

「ええ、花嫁でなければ、大迫様を倒すことができないという噂がありますね」

「みんな知ってるんだ……」

「魔法使いは噂に敏感ですからね」

「そうなんですか」

「それで、大迫様の噂がどうかしましたか?」


 私は一瞬ためらうけど、思い切って打ち明けてみる。


「実は……大迫くんに『殺してほしい』なんて言われて……私逃げちゃったんです」

「大迫様がそんなことを?」

「はい。大迫くん、真剣な顔してたから、きっと冗談ではないと思います。花嫁じゃないと大迫くんを倒すことはできないって……私が〝鏡の魔女〟だからって……もう、よくわからなくて」

「結菜さんは〝鏡の魔女〟なのですか?」

「大迫くんはそう言ってました」

「……そうですか。結菜さんが〝鏡の魔女〟なら……ようやく巡り会えたのですね。あのお方もきっと、浮かばれることでしょう。しかし——大迫様はあのお方の言葉を引きずっているようですね」

「あのお方って……?」

「大迫様の生みの親で、私の大切な友人のことです」

「大迫くんの生みの親が友人? 藤間先輩って、本当はいったいいくつなんですか?」

「それは秘密です。それにしても、困ったお方だ……大迫様を言葉で惑わせるなんて」

「どういうことですか? 藤間先輩は何を知っているんですか?」

「そうですね。私が知っているのは——」


 藤間先輩が言いかけた時、教室のドアがガラガラと開く音がする。


 入ってきたのは、拓未くんだった。


「先輩たち、何してるの?」

「拓未くん」

「今日は藤間先輩と結菜ちゃんだけ?」

「ごめん、拓未くん。今大事な話をしているから」

「大事な話? 俺も聞きたいな」

「……それは」

「啓太さんが休みなのは、結菜ちゃんのせいとか?」

「……」

「あは、図星だった。ごめんね、勘が良くて」


 悪い顔をして笑う拓未くんに、私が絶句していると、藤間先輩は困惑したように口を開く。


「結菜さん、お話はまた今度にしましょう」

「……はい」

「なんだ、つまらないな。俺のことはそこらへんの木とでも思ってくれたらいいのに」

「拓未くん」

「なんですか、藤間先輩」

「いくらあなたが優れた魔法使いだったとしても、人格が伴わなければ破滅しますよ」

「藤間先輩は俺の人格を否定するの? ひどいなぁ」

「あなたの目的はだいたい予想がつきますが、大迫様は絶対に死なせませんから」

「藤間先輩……」


 藤間先輩の言葉に、私はなんだか泣きそうになる。


 やっぱり、人が死ぬとか聞くのは嬉しい話じゃないよね。


 私も大迫くんには生きていてほしいと思うし。


 そんな風に私が思う傍らで、拓未くんは苦笑する。


「なんだかすっかり俺が悪者扱いだね。俺は啓太さんの望みを叶えてあげたいと思っているだけなのに……」

「それはご自分の都合のためでしょう?」

「お互いの利益のためなら、問題ないでしょ? それとも何? 藤間先輩は啓太さんをそのままにして、この国ごと破滅させたいの?」

「……私は」

「結局みんな、自分の都合のために動いてるんだから、俺だけ非難されるのはおかしくない?」


 辛辣な拓未くんの言葉に、藤間先輩は口を噤んだ。


 けど、私は言わずにはいられなかった。


「……そうだね。みんな自分の都合のために動いているのかもしれないね」

「結菜さん」

「確かに私も、大迫くんを自分の都合で傷つけたりしたけど……でも、だからといって大迫くんだけを不幸になんかしたくないよ」

「結菜ちゃんは甘いなぁ……啓太さんを生かすことで不幸な人を量産するつもり? 啓太さんだって、他人の不幸の上で生き延びたいだなんて思わないでしょ」

「私は……啓太くんが死ななくて済む方法を考えたい」

「結菜ちゃんってもっと現実的な人だと思ってたけど、意外と夢見る乙女なんだね」

「そうかもしれない。けど私は夢を現実にしたいの」

「……結菜さん」

「だって私は……」


 ——大迫くんのことが好きだから。


 そう言葉にはせずに、笑って見せた。

 

「まあいいや。危機に直面すれば、結菜ちゃんだって力を使わずには済まないだろうし。現実も受け入れるしかなくなるでしょ……じゃ、俺は帰ろうかな。この人数じゃ、まともに部活もできないし」

「拓未くん」

「なに?」

「ありがとう」

「は? 意味わかんないんだけど」

「拓未くんが焚きつけてくれたおかげで、自分の気持ちが固まったから」

「じゃあ、俺は余計なことを言ったのかな」


 拓未くんは複雑な顔をしながら、教室を出て行った。


 静かになった教室で、藤間先輩が心配そうに告げる。 


「結菜さん……拓未くんにあんなことを言って、いったいどうするつもりですか?」

「ああは言ったけど……私に何ができるかな?」

「私もお手伝いしますよ」

「ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらのほうですよ、結菜さん」


 そう言った藤間先輩は、なんだか嬉しそうな顔をしていた。






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