第28話 彼を取り巻く思惑
頭にあったのは、大昔に大魔法使いと呼ばれた青年と会話した記憶だった。
啓太と同じ顔をした青年は、啓太にいろいろなことを教えてくれたが、中には今だに理解できないものがあった。
「——ねぇ、ケイタ。愛を知っているかい?」
大魔法使いの言葉は、いつも唐突だった。仕事の最中に声をかけてくるものだから、たまに面倒に思えることもあったが、聞かないという選択肢はなかった。
そしてその日、啓太は暖炉の傍で
「いいえ。俺にはわかりません。人間じゃないからでしょうか?」
「そんなことはないよ。君は僕と同じ素材でできているんだから、人を愛することだってできるはずだ」
「……愛とは、どんなものなのでしょうか?」
「そうだな。痛いことや苦しいこともあるが、幸せな感情だと聞いたよ」
「聞いた?」
「実は僕にもよくわからないんだ」
そして記憶は変わり、大魔法使いの最期の時。
荒れた部屋に横たわる大魔法使いを、啓太は座り込んで見守っていた。
そんな啓太の顔に手を伸ばす大魔法使い。その手はいつになく優しかった。
「ケイタ……
大魔法使いはそれだけ告げると意識を落とした。
遠い過去の記憶。それに縛られながら生きてきた啓太には、大魔法使いの最期の言葉を守る以外に、できることなど思い浮かばず。ただがむしゃらに〝鏡の魔女〟だけを探してきた。
だがまさか結菜に拒絶されるとは思うはずもなく——啓太は混乱していた。
そんな風に結菜や大魔法使いのことばかり考えていた啓太だが。
ふとその時、聞き覚えのある声に呼ばれた。
顔を上げると、目の前にいたのは——結菜の祖母だった。
「啓太くん、こんなところでどうしたんだい?」
「……あ、結菜のお婆ちゃん」
「なんだか暗い顔をしているけど、何かあったのかい」
「うん……ちょっと」
「もしかして、結菜と喧嘩でもしたのかい?」
「どうしてわかったの?」
「昨日は結菜も神妙な顔をしていたからね。隣に座ってもいいかい?」
「あ、はい。どうぞ」
「啓太くんはいつもいい子だね」
「そんなことはないです。俺は……」
「結菜もいい子、啓太くんもいい子だよ。けどねぇ、いい子すぎるのも問題だね。ちょっとくらいワガママでもいいんだよ?」
「俺は、ワガママです。だから結菜に……嫌われて」
「結菜は啓太くんを嫌ったりしないよ。あの子はいつも啓太くんの話ばかりするんだから」
「でも、俺は嫌われることをしてしまったから」
「結菜が嫌いだと言ったのかい?」
「結菜は優しいから、嫌いなんて言わないけど……たくさん怒っているはず……です」
「そうかい。私もねぇ、昔はお爺さんとたくさん喧嘩したよ」
「お婆ちゃんが?」
「ええ。喧嘩ばかりして、何度もダメになりそうなことはあったけど……年をとるにつれて、喧嘩をしなくなったんだよ。けど、喧嘩をしなくなったら、それはそれで寂しいものだよ。今思えば、あれも愛情のカタチだったんだよ。全てがそうとは言えないけれど……わかり合いたいから、喧嘩をするんだね」
「……愛情のかたち」
「あんたたちも、たくさん喧嘩をして、前に進みなさい……じゃあね。私はそろそろ帰らないと、娘に叱られるから……よいしょっと」
「お婆ちゃん」
ゆるく腰を曲げた老人の背中に、啓太は慌てて声をかける。
すると、彼女はゆっくりと振り返る。
「なんだい?」
「ありがとう」
「ふふ、頑張ってね」
結菜の祖母に励まされて、啓太は輝かんばかりの笑みを浮かべた。
***
「今日は大迫くん、お休みなんだ? 私の……せいかな? でも、大迫くんが何も言ってくれないから……」
大迫くんとまともに顔を合わせないまま二日が過ぎた。
私——
けど、部室にはほとんどの部員が来ていなかった。
「日直で遅くなりました! ――って、
「部長はお休みです。
真紀先輩が休み? ……それって、やっぱり私のせいだよね。
「そうですか。じゃあ、今日は部活お休みにしますか?」
「大迫様もお休みですか?」
「……はい」
「何かありましたか?」
「え?」
「今日はいつになく暗い顔をしているようなので」
「そんなにひどい顔してますか?」
「ええ」
「……そういえば、藤間先輩も魔法使いですよね?」
「はい」
「あの……いきなりこんなことを言うのもなんですが……大迫くんのことを教えてくれませんか?」
「大迫様のこと? どんなことが知りたいんですか?」
「大迫くんって、大魔法使いなんですよね? えっと……」
「大迫様の、噂のことですか?」
「うわさ?」
「ええ、花嫁でなければ、大迫様を倒すことができないという噂がありますね」
「みんな知ってるんだ……」
「魔法使いは噂に敏感ですからね」
「そうなんですか」
「それで、大迫様の噂がどうかしましたか?」
私は一瞬ためらうけど、思い切って打ち明けてみる。
「実は……大迫くんに『殺してほしい』なんて言われて……私逃げちゃったんです」
「大迫様がそんなことを?」
「はい。大迫くん、真剣な顔してたから、きっと冗談ではないと思います。花嫁じゃないと大迫くんを倒すことはできないって……私が〝鏡の魔女〟だからって……もう、よくわからなくて」
「結菜さんは〝鏡の魔女〟なのですか?」
「大迫くんはそう言ってました」
「……そうですか。結菜さんが〝鏡の魔女〟なら……ようやく巡り会えたのですね。あのお方もきっと、浮かばれることでしょう。しかし——大迫様はあのお方の言葉を引きずっているようですね」
「あのお方って……?」
「大迫様の生みの親で、私の大切な友人のことです」
「大迫くんの生みの親が友人? 藤間先輩って、本当はいったいいくつなんですか?」
「それは秘密です。それにしても、困ったお方だ……大迫様を言葉で惑わせるなんて」
「どういうことですか? 藤間先輩は何を知っているんですか?」
「そうですね。私が知っているのは——」
藤間先輩が言いかけた時、教室のドアがガラガラと開く音がする。
入ってきたのは、拓未くんだった。
「先輩たち、何してるの?」
「拓未くん」
「今日は藤間先輩と結菜ちゃんだけ?」
「ごめん、拓未くん。今大事な話をしているから」
「大事な話? 俺も聞きたいな」
「……それは」
「啓太さんが休みなのは、結菜ちゃんのせいとか?」
「……」
「あは、図星だった。ごめんね、勘が良くて」
悪い顔をして笑う拓未くんに、私が絶句していると、藤間先輩は困惑したように口を開く。
「結菜さん、お話はまた今度にしましょう」
「……はい」
「なんだ、つまらないな。俺のことはそこらへんの木とでも思ってくれたらいいのに」
「拓未くん」
「なんですか、藤間先輩」
「いくらあなたが優れた魔法使いだったとしても、人格が伴わなければ破滅しますよ」
「藤間先輩は俺の人格を否定するの? ひどいなぁ」
「あなたの目的はだいたい予想がつきますが、大迫様は絶対に死なせませんから」
「藤間先輩……」
藤間先輩の言葉に、私はなんだか泣きそうになる。
やっぱり、人が死ぬとか聞くのは嬉しい話じゃないよね。
私も大迫くんには生きていてほしいと思うし。
そんな風に私が思う傍らで、拓未くんは苦笑する。
「なんだかすっかり俺が悪者扱いだね。俺は啓太さんの望みを叶えてあげたいと思っているだけなのに……」
「それはご自分の都合のためでしょう?」
「お互いの利益のためなら、問題ないでしょ? それとも何? 藤間先輩は啓太さんをそのままにして、この国ごと破滅させたいの?」
「……私は」
「結局みんな、自分の都合のために動いてるんだから、俺だけ非難されるのはおかしくない?」
辛辣な拓未くんの言葉に、藤間先輩は口を噤んだ。
けど、私は言わずにはいられなかった。
「……そうだね。みんな自分の都合のために動いているのかもしれないね」
「結菜さん」
「確かに私も、大迫くんを自分の都合で傷つけたりしたけど……でも、だからといって大迫くんだけを不幸になんかしたくないよ」
「結菜ちゃんは甘いなぁ……啓太さんを生かすことで不幸な人を量産するつもり? 啓太さんだって、他人の不幸の上で生き延びたいだなんて思わないでしょ」
「私は……啓太くんが死ななくて済む方法を考えたい」
「結菜ちゃんってもっと現実的な人だと思ってたけど、意外と夢見る乙女なんだね」
「そうかもしれない。けど私は夢を現実にしたいの」
「……結菜さん」
「だって私は……」
——大迫くんのことが好きだから。
そう言葉にはせずに、笑って見せた。
「まあいいや。危機に直面すれば、結菜ちゃんだって力を使わずには済まないだろうし。現実も受け入れるしかなくなるでしょ……じゃ、俺は帰ろうかな。この人数じゃ、まともに部活もできないし」
「拓未くん」
「なに?」
「ありがとう」
「は? 意味わかんないんだけど」
「拓未くんが焚きつけてくれたおかげで、自分の気持ちが固まったから」
「じゃあ、俺は余計なことを言ったのかな」
拓未くんは複雑な顔をしながら、教室を出て行った。
静かになった教室で、藤間先輩が心配そうに告げる。
「結菜さん……拓未くんにあんなことを言って、いったいどうするつもりですか?」
「ああは言ったけど……私に何ができるかな?」
「私もお手伝いしますよ」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらのほうですよ、結菜さん」
そう言った藤間先輩は、なんだか嬉しそうな顔をしていた。
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