第21話 視線の意味


「そろそろかな……」


 夜に浸かった住宅街。


 大迫おおさこ啓太けいたは高層マンションの屋上——その端にある大庇おおひさしに座り、三木みき結菜ゆいなの住むマンションを見下ろした。


 高い場所だけに、普通の人間なら圧巻の景色に臆することも少なくはないだろう。だが啓太の顔には恐怖の色はなく、小さな窓を見つめる目は真剣そのものだった。


 そんな風に結菜の様子をうかがう啓太だったが——そのうち啓太の後ろから、同じ制服を着た長身痩躯の少年がやってくる。


「大迫様」


 聞き覚えのある声に、啓太は驚いた顔で振り返った。


藤間ふじま先輩、どうしてここに?」


「大迫様の様子が気になりまして……もしやと思い、あとをつけさせていただきました」


「そっか。藤間先輩も魔法使いだから、知ってるんだよね……俺のこと」


「はい。大迫様は有名ですから……ですが、早まらないでください。きっとこの先、どうにかする方法が……」


「その、どうにかする方法を、見つけたんだ」


「……まさか」


「ああ、結菜ならきっと、なんとかしてくれると思うよ。でも今よりもっと関係を深めない限り……動いてはもらえないと思うけど」


「結菜さんの気持ちを利用するおつもりですか?」


「……俺が普通の人間だったら良かったのに」


「大迫様……」


「普通に学校に行って、普通に友達や家族と過ごして、普通に恋愛ができたなら……どんなに良かったかな」


「……」


「藤間先輩……もしも俺がいなくなったら、結菜をお願いしますね」


 たもつは、何か言おうとしてやめた。


 何を言ったとしても、啓太にとっては残酷な言葉にしかならないからだ。


「俺、藤間先輩に会えてよかった」


 それだけ告げると、啓太は煙のように消えた。


 そして残されたたもつは、結菜のマンションを見下ろしながら、ため息を吐いた。




 ***




「ねぇ、結菜ちゃん。今日は学校帰りにクレープ食べに行かない?」


「え? 突然なに?」


 月曜日の放課後。


 私——三木みき結菜ゆいなが帰り支度をしていると、なぜか須藤すどう拓未たくみくんがやってきた。


 拓未くんは人懐っこい笑みを浮かべて、クレープを連呼するけれど、そんな拓未くんと私の間に明美あけみが入ってくる。


「ちょっと須藤くん、結菜は私と寄り道するんだから、割り込まないでよ」


「いや、明美とも約束した覚えないけど」


「ひどい! 結局、土曜日は遊ばなかったんだから、今日くらい付き合いなさいよ」


「だからごめんって。てっきり、部活は休みだと思ってたから……」


「部活部活って、そんなに部活が好きなら、部活と付き合いなよ」


「明美……意味がわからないよ」


「とにかく! 今日は一緒に寄り道するんだからね!」


「わかったよ。——というわけだから拓未くん、ごめんね」


「じゃあ、俺も一緒に寄り道する」


「はあ?」


「二人も三人も似たようなものだろ?」


「ちょっと、ついてきていいなんて、誰が言ったのよ」


 明美が口を膨らませる中、拓未くんは一歩も退かなかった。


「えー、ダメ? バイト代が入ったから、今日はクレープ奢ろうと思ってたのに」


「そうだよね。二人も三人も一緒だよね」


「明美……ゲンキンだね」


「じゃあ今日は歌いまくるよー!」


 奢りと聞いてご機嫌になった明美は、三人で寄り道する気満々だったけど、私はまだ拓未くんを信用することができなかった。


 ……寄り道なんて……拓未くんはいったい何を考えてるんだろ。


 でも明美は楽しそうだし、今さら断るのも気が引けるんだよね。


 なんて思っていると、ふいに誰かに肩を叩かれる。


「なあ三木」


長谷部はせべくん」


 振り返ると、相変わらずオレンジ色の髪をした長谷部くんが背後に立っていた。


「その寄り道、俺も参加していい?」


「えー、男は奢らないぞ」


 あからさまに不機嫌な顔をする拓未くんに、長谷部くんは無表情で言い返す。


「奢ってくれとは頼んでない」


 対して、明美は顔を輝かせる。


「いいよ。長谷部くんも一緒にカラオケ行こう。その方が部屋代が安くなるんだよね」


「カラオケで決定なんだね」


「今日はパーッと遊ぼうよ!」


 すでに乗り気の明美に、私は思い付いたように手を合わせて告げる。


「そうだ! どうせなら大迫おおさこくんも誘おうよ」


「お、結菜は大迫くんにも来てもらいたいんだ? そうだよね、そうだよね」


「もう、変な言い方しないで。友達なんだから、誘うのは普通でしょ?」


「はいはい。でも大迫くんなら、もう帰ったみたいだよ?」


「え?」


「実は大迫くんにも声をかけたんだけど、今日は無理だって」


「そ、そうなんだ」


「残念だったね、結菜」


「だから! 変な風に気を回すのはやめてよ」


「はいはい」




 ***




「すごーい、長谷部くん歌上手だね。意外~」


 カラオケに来て最初にマイクを持った長谷部くんは、信じられないくらい歌が上手くて、明美が手を叩いて褒め称えた。


 すると、長谷部くんもまんざらではないようで、どこか照れた顔をしながらも、ぶっきらぼうに告げる。


「意外ってなんだよ。このくらい普通だろ?」


「いやいや、あんな高い声出るなんて思わなかったよ。じゃ、次は私の番~!」


 長谷部くんからマイクを奪い取った明美は、それから誰も知らない演歌を熱唱し始めた。


 そんなとき——。


「ねぇ、結菜ちゃん」


「どうしたの?」


 隣に座る拓未くんに声をかけられて、私は視線を返す。


 拓未くんはいつものように悪い笑みを浮かべていた。


「結菜ちゃんと大魔法……啓太さんはどこまで進んでるの?」


「はあ!? いきなり何言うの? 私と大迫くんはそんな関係じゃないよ?」


「そうかな。少なくとも啓太さんは結菜ちゃんのことを意識してるよ」


「もう……なんで皆、恋愛の方に持っていきたがるの? 私と大迫くんはただの友達だよ?」


「そうかな……ただの友達なら、あんな目で見ないと思うけど」


「あんな目って、どんな目?」


「啓太さんは、いつも結菜ちゃんを目で追ってるんだ」


「おかしなことを言うよね」


「じゃあさ、一度、啓太さんを観察してみなよ。きっと啓太さんの気持ちがわかると思うよ」


「観察って……そんなことしたところで、相手の気持ちなんてわからないよ」


「そうかな? 結菜ちゃんを好きって言う気持ちがあふれてると思うよ。これは魔法使いとしての見解でもあるから」


「魔法使いとしての見解って何?」


「他人の気持ちに敏感なんだ。俺の特殊能力みたいなものだよ」


 胸を張って告げる拓未くんに、私が生返事をしていると、向かいに座る長谷部くんが声をかけてくる。 


 その顔は、警戒の色が滲み出ていた。


「おい、お前」


「なんだよオレンジ頭先輩」


「今度は何を考えているんだ? 攻撃するのをやめたかと思えば、大迫をどうする気だ?」


「どうもしないよ。ただ、啓太さんの気持ちを教えてあげただけだから。オレンジ頭先輩だって気づいてるんだろ? 啓太さんのこと」


「……それは」


「ちょっと、長谷部くんにまで変なこと言うのやめてよ。わかったから、そんなに気になるなら大迫くんを観察してみる」


「さすが結菜ちゃん。わかってるじゃん」


「ちょっと! 私が歌う時だけ、なんで誰も聞いてないのよ!」




 ***




 それから私は、拓未たくみくんにけしかけられて、大迫おおさこくんを観察するようになったのだけど——拓未くんが言った通り、面白いくらい大迫くんは私を見ていた。


 ……大迫くんとこんなに目が合うとか、おかしいよね確かに。


 でも何か理由があるかもしれないし……大迫くんが私を好きだからとは限らないわけで。


 授業が終わった後、ナナメ前の席にいる大迫くんの背中を見つめていると、そのうち大迫くんは立ち上がってこちらにやってくる。


 私がごくりと固唾を飲む中、大迫くんは感情のわからない目で見下ろした。


「結菜」


「どうしたの? 大迫くん」


「今日の結菜はいつもと違うね」


「何が?」


「……いつも明美ばかり見てるのに、今日は……よく目が合うと思って」


 それはつまり、大迫くんがいつも私のことを見てるってことだよね。


 拓未くんの言う通りだった。大迫くんの視線の意味はわからないけど、私のことをたくさん見ていると知って、なんだか顔が熱くなった。


「た、たまたまだよ……」


 なんだろう。大迫くんとまともに目が合わせられないよ。


「結菜、どうしたの? 顔が赤いよ」


「気のせいだよ!」


「ううん、熱があるかもしれないね」


 いきなり顔を近づけてくる大迫くんに、私はぎゅっと目を瞑る。


 おでこにコツンと何かが当たる感触があった。


 きっとおでことおでこをくっつけているのだろう。


 ……大迫くんて、こんな恥ずかしいことをする人だっけ……?


「熱は……ないみたいだね」


「だから、ないって言ってるのに。それより部活に行かなきゃ」


「うん、行こう」


 部活という言葉を出した途端、嬉しそうな顔をする大迫くんだったけど、そこへ拓未くんがやってくる。


「俺も行く」


「拓未くん」


 拓未くんを見るなり、黙り込む大迫くん。


「結菜ちゃん、早く行こう」


「え? ちょっと!?」


 いきなり手を繋いできた拓未くんに引っ張られて、私は教室をあとにした。


「ねぇ、結菜ちゃん。結菜ちゃんはマジックしないの?」 


 私が大迫くんのことを気にする中、廊下を並んで歩く拓未くんが、ふいにそんなことを訊ねてくる。


 けど、今まで私がマジックをするとか、そういうことを考えたことがなかったから、どう答えていいのかわからなかった。


「……わ、私はマネージャーだからしないよ」


「見てるだけでつまんなくない?」


「そんなことないよ、皆が頑張ってるから、私も楽しいし……」


「じゃあさ、俺にマジックのコツを教えてよ」


「それなら、真紀先輩に聞きなよ」


「俺は結菜ちゃんから聞きたいんだ」


「だから、私はマネージャーで見ているだけだから、マジックはできないの」


「でも俺は結菜ちゃんがいいなぁ」


「我がまま言わないの、真紀先輩に教えてもらいなよ」


 ——なんだろう、すっかり拓未くんの保護者みたいになっちゃった。


「そういえばさ、結菜ちゃん……」


「何?」


「後ろをこっそり見てごらんよ。啓太さん、すごく怒っているから」


「え?」


 言われた通り、後ろを見ると——大迫くんがいつになく怖い顔で私のことを見ていた。






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