第10話 罪の意識


 水曜日の早朝。


 私——三木みき結菜ゆいなよりあとから教室にやってきた大迫おおさこ啓太けいたくんは、なんだか暗い顔をしていた。


「おはよう、大迫くん」


「う、うん……おはよう、結菜」


「?」

 

 ……今日の大迫くん、なんだかぎこちないような?


 いつもと違う大迫くんをじっと見つめていると、そのうち大迫くんは憂鬱そうに息を吐く。


「結菜は真紀まき先輩と仲良いよね」


「大迫くん、それよく言うよね」


 大迫くんの口調がなんだかトゲトゲしく感じて、私が言い返すと——傍にいた山本やまもと明美あけみが、大迫くんに同意するようにうんうんと頷く。


「みんな思ってることだよ」


「そうなの? 別に普通だと思うけどなぁ」


「結菜は心を開くと、とことん距離を詰めるからね。誤解されてもおかしくないよ」


「誤解って何が?」


「そのうち変なことに巻き込まれないでよね」


 明美のよくわからない忠告に首を傾げていると、大迫くんはふわりと優しい笑顔を浮かべた。


「俺は結菜のそういうところ、好きだよ」


「ちょ、ちょっと大迫くん……」

 

 他意はないんだろうけど、好きとか勘違いされるようなことは言わないでほしい。


 なんて思っていると、明美が盛大なため息を吐く。

 

「大迫くんも結菜と似たようなものだね。二人とも、思わせぶりなんだから」


「思わせぶりって何が?」


 きょとんと目を丸くする大迫くんに、明美は苦笑する。


「そういうところも結菜にそっくり」


「結菜が俺なんかに似てるわけないよ。きっと、みんなが思っているよりずっと、俺は嫌なやつだから……」


「そんなことないよ、大迫くんは嫌なやつじゃない」


「嫌な奴だよ。昨日だって……」


「昨日がどうしたの?」


「ごめん、なんでもない」


 大迫くんは謝罪するけど、何に対して謝っているのかわからなくて、私と明美は思わず顔を見合わせた。




 ***




 ——時間はさかのぼる。


 紺野こんの真紀まき三木みき結菜ゆいなとの記憶を夢に見た火曜日の深夜。


 大迫おおさこ啓太けいたはずっと真紀の夢を観察していた。




「真紀先輩、今年の学園祭は、奇術同好会が活躍できるといいですね。先輩のこと、必ず見に行きますからね!」


 そう真紀を勇気づけた結菜は、真新しい高校の制服を着ていた。


 その初々しい様子から、まだ入学したばかりの頃だろう。


 そしてそんな結菜の言葉に、真紀は嬉しくてたまらないといった表情をしていた。


「ああ、任せとけ。今年はドカンとすごいマジックを見せてやるよ」


「ドカンってなんですか」


「だから、一番近くで見てくれよな」


「はい、最前列で見ますから」


「約束だからな。忘れるなよ」


「もちろんですよ。もしかしたら、私以外お客さん来ないかもしれないけど」


「結菜はたまにひどいな。明美ちゃんの影響か?」


「冗談ですよ」


 結菜と会話していた真紀だが——ふと周囲が暗くなり、結菜の存在が消える。


「なんだ?」


 その後、動揺する真紀の元に現れたのは、啓太だった。


「真紀先輩」


「え? 大迫くん? どうして君が?」


「これは夢だからですよ」


「夢?」


「はい。だから結菜との約束も、全部夢です」


「そうなのか? 結菜との約束は……夢なのか?」


「だから起きたら……忘れてください」


 こうして真紀の記憶をなかったことにした啓太は、胸の奥にドロドロとした嫌な感情を持ったまま朝を迎えたのだった。




 ***




「俺は……どうしてあんなことを言ったんだろう」


 啓太は机の上に深いため息を落とす。


「大迫くん?」


 いつもと違う様子を察した結菜が声をかけるもの、啓太はなんとなく気まずい気持ちになり、まともに顔を合わせられなかった。


「どうしたの? 大迫くん」


「魔法は使わなかったけど、先輩の夢に干渉するなんて」


「大迫くん?」


 いくら訊ねても、ブツブツと口の中で呟く啓太に、とうとう結菜が大きな声をあげる。


「大迫くん!」


「え?」


 ぼんやりと返事をする啓太に、結菜は呆れた顔をしていた。


 早朝の教室でいつの間にか意識を飛ばしていた啓太は、慌ててかぶりを振る。


 すると、結菜が少し心配そうな顔を啓太に向けた。


「どうしたの?」


「……いや、なんでもないんだ。ねぇ、結菜」


「なに?」


「今年の学園祭は誰と回るの?」


「それはまだ決めてないけど……」


 結菜は傍にいた明美に視線を送るが、明美は「ごめん」と両手を合わせる。

 

「私は家族が来るから一緒に回れないかも」


「そっか。じゃあ、どうしようかな……真紀先輩は友達がいるだろうし」


 結菜が戸惑う様子を見て、啓太は少し躊躇ためらいながらも、ひと呼吸置いて告げる。


「だったら、俺と一緒に回ってほしい」


「大迫くんと?」


 目を瞬かせる結菜に、啓太はぎこちなく頷いた。


「大迫くん、意外と積極的なんだね」


 すると、意味深な言葉を投げる明美に、啓太はまたもや口の中で呟く。


「結菜が、遠慮しないでって言ったから」


「これはこれは、大迫くんて……」


 明美が興味深そうに目を輝かせる中、結菜は快くOKしたのだった。




 ***




 全ての授業を終えて、廊下を歩いていた私——三木みき結菜ゆいなは、大迫おおさこ啓太けいたくんと学園祭の話で盛り上がっていた。


 中学の時と違って、クラスや部活の出し物にも参加するし、ワクワクが止まらない中、大迫くんもさっきの憂鬱そうな顔はどこへ行ったのか、いつもの元気を取り戻していた。


 そして二人で談笑するうち、あっという間に部室にたどり着いたところで、大迫くんが勢いよくドアを開ける。


「こんにちは!」


 大迫くんが挨拶すると、真っ先に窓際の長谷部はせべあきらくんがこちらに笑顔を向けた。


「お、二人とも、ようやく来たか」


「なんだか今日も暗いね、真紀先輩。まだ沈んでるの?」


 私が小声で長谷部くんに訊ねると、長谷部くんはやれやれとため息を吐いた。


「仕方ない。学園祭が終わるまではあの調子じゃない?」


「そこまで学園祭に賭けてたんだね——先輩!」


 相変わらず三角座りで部屋の隅にいる紺野こんの真紀まき先輩に声をかけると、真紀先輩は泣きそうな顔でゆっくりと立ち上がる。


「なんだよ結菜……俺の青春は終わったんだ」


「何を言ってるんですか。ステージならとれましたよ」


「え?」


 真紀先輩は大きく見開くと、私の肩を揺さぶりながら確認した。


「それは本当か? 結菜」


「は、はい。学園祭の前に、ステージ借りました」


「学園祭の前?」


「大迫くんの提案で、学園祭じゃない日にステージを借りたんです」


「学園祭じゃない日にステージって……観客どうするんだよ」


「それは大迫くんがなんとかしてくれるらしいですよ」


「……」

 

 学園祭前という提案に、真紀先輩が困惑して考え込む中、素振りをやめた藤間ふじまたもつ先輩が手を叩きながらやってくる。


「さすが大迫様! 名案ですね。観客でしたら、私もお力になれるかと」


 ……そういえば藤間先輩も魔法使いなんだよね……けど、この人ちょっとアレだし、頼っても大丈夫なのかな?


「結菜さん、ご心配には及びません」


「あ、聞こえてた!?」


「私は大迫様のためでしたら、たとえ火だるまの海でも飛び込んでみせましょう!」


「火だるまの海ってなんですか」


「ご存じではありませんか? その昔、大魔法使い様が——」


 藤間先輩が言いかけた時、かぶせるようにして大迫くんが告げる。


「藤間先輩、余計なことは言わないで」


「……どうしてですか? 大魔法使いが英雄と呼ばれるゆえんとなったあの出来事を言ってはいけないなんて」


 不機嫌な顔を見せる大迫くんに、藤間先輩は目を白黒させていた。


「藤間先輩、なんでそんな説明口調なんですか」


「まあ、とにかく。大迫様はすごい御方なのですよ」


「そんな凄い人に、藤間先輩はよくケンカを売りましたね」


「なに? 大迫のやつ、そんなに強いの?」


 私が苦笑していると、長谷部くんも話に加わってくる。


 藤間先輩と大迫くんの話に、長谷部くんも興味津々のようだった。


「長谷部くん」


「どっちも弱そうに見えるけど、二人とも武闘派なんだ?」


「そ、それより、ステージで何をするか決めようよ——って、真紀先輩! 机で寝ないでください! ステージで大きなマジックやるんでしょ?」


「結菜……そこまでして、俺の手品が見たいのか?」


「ええ、見たいですよ。約束したでしょう? 私が最前列で見てるって」


「え? 約束って……夢じゃなかったのか?」


「夢じゃありませんよ。だから、練習してください」


「……わかった。結菜がそういうなら、練習する! じゃあ、素振り百回だ!」


「なんでそこからなんですか……」


「素振りも大事なことだからな! 皆の呼吸を合わせるんだ」


 やる気を取り戻した真紀先輩の傍ら、大迫くんはなぜか暗い顔をして視線を落とす。


 その違和感に気づいた私が、声をかけると——。


「大迫くん?」


「ごめん……今日はちょっと、調子が悪いから……先帰ります」


 いつも率先して素振りをやる大迫くんが帰り支度を始めた。


「大迫様、大丈夫ですか? なんなら、私も一緒に帰りますが」


 心配そうに顔を覗き込む藤間先輩に、大迫くんは苦笑いを浮かべる。


「大丈夫です。みんなは素振り頑張ってください」


「いやですよ、大迫様がいないのに素振りだなんて」


「なんだと。じゃあ、誰が素振りやるんだよ」


 誰も素振りをやりたがらない様子を見て、ふてくされる真紀先輩に、私は呆れた目を向ける。


「先輩がやればいいんじゃないですか?」


「俺は毎日家でやってるからいいんだよ」


 真紀先輩がドヤ顔で言う中、大迫くんは静かに教室を出て行った。


「なんだか心配だな……大迫くんが元気ないなんて。やっぱり私、大迫くんと一緒に帰ります。家も近いし」


 私も帰る支度をすると、真紀先輩は手をひらひらと振ってみせた。




 ***




「大迫くん!」


 帰り道の住宅街。早足の大迫くんにようやく追いついた私は、大迫くんを呼び止める。


 すると、大迫くんは振り返って不思議そうな顔をする。


「え? 結菜? どうして?」


「大迫くんが心配で、私も奇術部さぼっちゃった」


「……いいのに」


「私が一緒に帰りたいと思っただけだから、気にしないで」


「結菜……ごめん」


「ふふっ、大迫くんは遠慮しすぎだよ。たまには頼ってくれたっていいのに」


「……」


「ねぇ、結菜……結菜は先輩のことが好きなの?」


「またそれ聞くの? もう、明美といい、うんざりだよ」


「でも……結菜は先輩と仲いいから」


「大迫くんも先輩と仲いいよね」


「俺は……手品をする時の輝いてる先輩が好きで……俺もそうなりたいと思って」


「手品してる時、大迫くんだって輝いてるよ」


「……そんなことないよ。俺なんかが先輩と手品をする資格なんてないんだ」


「どうしてそう思ったの?」


「俺は、先輩に悪いことをしたから」


「悪いこと? どんなこと?」


「先輩と結菜の邪魔をしたんだ」


「邪魔? なんのこと? よくわからないけど……後悔したことがあるなら、それを挽回するくらい頑張らなきゃ」


「……でも」


「誰だって、間違うことなんてあるし……本当に悪い人は、悪いことをして悩んだりしないと思うよ」


「結菜……ありがとう。そうだね……今度こそ、先輩のために動かなきゃ」


 そう言って大迫くんは、強い眼差しを遠くに向けた。






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