第9話 一緒にいた記憶


「こんにちは」


 いつもと同じ放課後の奇術部室……のはずだけど。


 私——三木みき結菜ゆいなが挨拶しても、いつも真っ先に返してくれる真紀先輩の反応がなかった。

  

 それでもあまり気にせず部室の中へと進むと、なんだか妙に暗くて寒気がした。


「教室が暗いね……蛍光灯がそろそろ寿命かな」


 すると、窓際にいた長谷部くんが私のところにやってくる。


「違う違う。照明のせいじゃなくて、真紀先輩が黒いものをしょってるだけだよ」

「真紀先輩が黒いもの?」

「見ろよ、真紀先輩のあのいじけ方を」


 長谷部くんが親指で差し示した方向——教室の隅っこには、膝を抱えて背中を向ける真紀先輩の姿があった。


「学園祭の抽選に外れたことが、よっぽどショックだったんだね」


 真紀先輩が落ち込んでいる理由がわかって私がため息を落とすと、長谷部くんも困ったように頭を掻く。


「学園祭のためにメンバーを集めていたようなものだからな」

「なんとかならないのかな?」

「学園祭のステージを? それは無理だろ。生徒会役員でもない限り」


 長谷部くんの現実的な言葉に、真紀先輩の泣き声がいっそう大きくなった。


 仕方なく私は真紀先輩に近づくと、屈んで声をかけた。


「真紀先輩! 先輩の好きなおしるこ買ってきましたよ。みんなで飲みましょう?」

「結菜……俺はぜんざい派なんだよ」

「ぜんざいはなかったんです。これで我慢してください」


 私が缶ジュースを差し出すと、真紀先輩はゆっくりと立ち上がって、おしるこを口にした。


「うう、甘い……でもうまい。結菜の優しさが沁みる」


 真紀先輩が涙を流しながらおしるこを飲み干す中、大迫くんと一緒にペンで素振りをしていた藤間先輩もこちらにやってくる。


「真紀くん、元気を出してください。もしかしたら、ステージを辞退する部が出るかもしれませんよ」

「なんだと……?」

「さっき生徒会長から聞きましたが、ステージを辞退する部が出たら、再抽選するそうです」


 藤間先輩の言葉に、真紀先輩は顔を輝かせる。先輩ってやっぱり単純だよね。


「それなら、まだ可能性はあるってことだな」

「微々たる可能性ですけどね」

「長谷部、そういうこと言うなよ~。せっかくの希望が」

「また来年もあるじゃないですか」

「来年は受験で忙しいから、今みたいな活動は無理なんだよ」

「じゃあ、実質今年の活動が最後なんですね」

「うう……俺の希望はどこにあるんだ!」


 真紀先輩が頭を抱えて叫ぶ中、大迫くんも素振りをやめてこちらにやってくる。


「今年が最後……」

「どうしたの? 大迫くん」

「俺にも何か、できることはないかと思って」

「大迫くん? もしかして——」


 魔法を使うつもりじゃ? とは言えず。そのまま言葉を切ると、代わりに長谷部くんが口を開いた。


「あきらめろ大迫、さすがに真紀先輩の年齢をとどめることは誰にもできないから。——あ、でも、留年したら来年もできますよ、先輩」

「そうだな……留年か! そうすれば、来年は結菜と同じ学年だな」

「ちょっと本気で考えないでくださいよ! 長谷部くんの冗談ですから」

「え? 冗談なの?」


 奇術部のために本気で留年を考える真紀先輩に、私が呆れた目を向けていると——大迫くんが何やら考えるそぶりを見せる。


「今年が最後……」

「大迫くん?」

「ねぇ、結菜。俺にできること、何かあると思う?」

「それは……魔法を使って何かするってこと?」


 こっそり耳打ちして告げると、大迫くんは小さく頷いた。


「それも含めて、何かできればいいけど」

「うーん……先輩の年齢をいじるわけにはいかないし……学園祭以外のステージを作るとか?」

「学園祭以外のステージ?」

「そうそう、別にみんなに披露したいなら、学園祭じゃなくてもよくない?」

「学園祭以外……でも学園祭みたいな」

「私、変なこと言ったかな」

「そんなことないよ。俺にできること、わかったかもしれない」

「大迫くん?」

「ねぇ、結菜。手伝ってほしいんだ」






 ***






「——失礼します」


 生徒会室のドアをノックすると、


「ああ、入れ」


 いつもより穏やかな生徒会長の声が返ってくる。


「あの、生徒会長」


 生徒会室にやってきた私は、生徒会の人たちの視線を集める中、生徒会長が座っている立派な机に近づく。


 いつも真紀先輩には厳しい生徒会長だけど、今日はそんなに怖い雰囲気ではなかった。


「奇術部のマネージャーか? なんの用だ?」

「ステージって、学園祭以外で借りられないんですか?」

「ステージを? 抽選は外れたって言っただろう」

「だから学園祭以外で、です」

「どうするつもりだ?」

「奇術部のステージとして使いたいんです」

「知名度の低い奇術部のステージなんて、学園祭でもなければ人が寄ってこないぞ」

「いいんです。観客はいなくても」

「おいおい、観客がいなくていいなら、部室でやればいいだろう?」

「ステージがどうしても必要なんです」

「……まあ、学園祭の五日前にはステージを作るから、一日くらい貸してやらんこともない」

「本当ですか!」

「どうせ真紀のためだろう? あいつとは、長い付き合いだからな」

「ありがとうございます!」

「よし、名目としては……ステージ強度の確認ということにしておくか。ついでにステージに足りないものがないかチェックしてくれ。アンケートを渡すから」

「はい! なんでもやります!」

「そんなに嬉しいか?」

「はい、今の真紀先輩は見ていられないので」

「あいつは良い彼女を持ったな」

「は? 彼女? 違いますよ」

「違うのか? これだけ真紀のことで必死になっておいて」

「今回は真紀先輩のためだけじゃありませんから」

「あいつも報われないやつだなぁ」

「え?」

「まあいい、せいぜい頑張ってくれ」






 ***






「大迫くん、ステージ借りられたよ!」


 奇術部の教室に帰ってきた私は、さっそく大迫くんに報告する。


 すると、ペンで素振りをしていた大迫くんがパッと顔を輝かせながら、こちらにやってくる。


「本当に? 良かった」

「それで……ステージを借りて、観客はどうするの?」

「それは結菜にも内緒。当日のお楽しみだから」

「うーん……気になるけど、まあいいや」

「なに? なんの話?」

「ああ、長谷部」


 私が大迫くんとステージの話をしていると、長谷部くんがやってくる。


 一番真面目にマジックの練習をしている長谷部くんは、手に箱や花を持っていた。


「二人でこそこそ何話してるんだ? アヤシー」

「どうやって真紀先輩に復活してもらうか、相談してたんだ」


 大迫くんが正直に告げると、長谷部くんはなんだかつまらなさそうな顔をする。 


「それで、何か良い案でもあったのか?」

「うん。学園祭のステージを、別の日に借りたんだ」

「へぇ……でもそれって、人いなくて虚しくない?」


 長谷部くんの言うことはもっともだったけど、だからといって大迫くんの魔法に任せるとは言えなくて、私は話をぼかして説明する。


「観客は大迫くんがなんとかしてくれるんだって」

「大迫の人脈ってそんなにすごいの?」

「きっとすごいと思うよ(なにせ魔法使いだし)」

「で、当日は何をやるんだ?」

「あ、そっか。やることを決めなきゃね」

「そんなことも考えてなかったのか? あ、魔法使いだから、魔法を使うのか?」

「いや、だから私は魔法使いじゃないんだってば——って、大迫くん。さっきから黙ってどうしたの?」


 私と長谷部くんの隣で、静かにしている大迫くんに訊ねると、大迫くんは複雑な顔をして告げる。


「真紀先輩はどうして学園祭にこだわるんだろう」

「……そういえば、やたら学園祭を気にしてたよな」


 長谷部くんの言葉を聞いて、大迫くんは真紀先輩を見つめながらぽつりと呟く。


「ちょっと覗いてもいいかな?」

「なにを?」

「先輩の心の中を」


 そう言った大迫くんの瞳が、怪しく光ったように見えた。






 ***




 


 やや白みがかった世界に、ぼんやりと浮かぶ学校の風景。


 学生が行き交う校舎の渡り廊下は、人の声が騒がしく、忙しない空気をかもしていた。


 だが彼女の声だけは、喧騒を遮るようにして、しっかりと紺野こんの真紀まきの耳に届いた。


「先輩、今日の学園祭……楽しみですね」


 今よりも少しだけ髪が短い三木みき結菜ゆいなだった。


 中学生の結菜とは、オープンキャンパスで道案内をしてから仲良くなったわけだが——その頃は行事の度に、真紀がよく結菜を学校に招待していた。


「ああ。結菜は誰と回る予定なんだ?」

「何を言ってるんですか! 先輩、私と約束したこと、忘れたんですか?」

「約束?」

「一緒に回るって約束したじゃないですか」

「そうだったか? 他のやつと回らなくていいのか?」

「私は先輩がいいんです!」


 そこで真紀はようやく気づく。


 ああ、これは少し前の——夢なのだと。


 真紀と結菜は校庭を賑わす屋台の前を歩きながら、会話を続けた。


「ねぇ、先輩。ポテト食べません?」

「俺はたこ焼きがいい」

「じゃあ、両方買っちゃいましょう!」

「そんなに食べたら太るぞ」

「いいんですよ! 明日からダイエットしますから」

「ほんとかー?」


 何をしても楽しい時期があった。それは結菜を独占していたからだ。


 だが今となっては過去でしかないその記憶に、真紀はなんだか切なさのようなものを感じていた。


 そんな中、ふいに景色が切り替わり——。


 結菜が高校生になって三ヶ月が過ぎた七月になる。


 夏になった頃には、結菜の雰囲気も以前よりもずっと明るいものに変わっていた。


「ねぇ、先輩」


 学校の渡り廊下で声をかけてきた結菜は、真紀の返事を聞く前に告げる。


「先輩、私にも友達ができたんです!」

「……そうか良かったな」


 嬉しそうな結菜を祝福してあげたいはずが、なぜか真紀は心の底からおめでとうが言えなかった。


 真紀が複雑な気持ちで見下ろす中、結菜はさらに告げる。


「なので、今日で真紀先輩を解放しますね」

「え?」

「先輩、言ってたじゃないですか。友達と帰りたいって」

「それは……」

「いつも一人だった私のために、ありがとうございました」

「あ、ああ。気をつけて帰れよ」

「はい! じゃあ、また電話しますね」


 本当に嬉しそうな顔をして去ってゆく結菜の背中を見て、真紀はぼそりと呟く。


「ああ、そうか。あれから結菜は俺のところに来なくなったんだ」


 結菜がいなくなると同時に暗転する世界。


 現実を模した夢は、真紀にとっては残酷でもあった。


 そしてそんな真紀の姿を、大迫おおさこ啓太けいたが見守っていた。




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