第6話 もう一人の魔法使い
十一月最初の放課後。
いつものように空き教室に集まった私たち奇術同好会のメンバーだけど、今日はいつもとは違っていた。
私——
「皆さん、よく集まってくれました。記念すべき奇術部の始まりの日です。わずかですが、部費も貰えるようになったし、ここはいっちょ、盛大にお祝いでもしましょうか」
そうなのだ。今日から奇術同好会が奇術部に昇格したわけで、空き教室は正式な部室になったのである。
部員も増えたということで、盛り上げようとする真紀先輩だったけど、私はマネージャーとして口を挟む。
「
これには長谷部くんも賛成らしく、苦言を漏らした。
「そうだね。ここにはコップしかないなんて、ありえないし」
「それで、学園祭では何をするんですか?」
大迫くんが訊ねると、真紀先輩は真面目な顔をして告げる。
「そうだな……いっそ皆でコップの水を飲み干すか……」
「じゃあ、俺が全てのコップに細工しておきます」
そう言った長谷部くんも大真面目だった。
長谷部くんのサポートは嬉しいけど、そうじゃないよね。
なんだか嫌な予感しかしない私は、再び口を挟む。
「ちょっと! 真面目に考えようよ! コップの水を飲み干す芸で、どうなるかくらいわかってるでしょ?」
「じゃあ、何するんだよ」
真紀先輩に睨まれて、私が言葉を濁す中——今度は
「あの、いいですか?」
「はい、そこの新入りくん」
「せっかくなら、大きな仕掛けはどうかな? 脱出マジックとか」
藤間先輩の提案に、真紀先輩は考えるそぶりを見せる。
けど、長谷部くんはあまり乗り気じゃないようだった。
「脱出系は素人が手を出すようなものじゃないぞ」
そう告げる長谷部くんを、藤間先輩はじっと見つめて告げる。
「そうかな? このメンバーならできる気がするけど」
すると、なぜか長谷部くんはすぐに態度を変えた。
「あ……ああ、そうだな。このメンバーなら出来るかもな」
「本当に? 脱出マジックとか、テレビでしか見たことないよ」
大迫くんが好奇心いっぱいに見開く中、私はやっぱり心配になってしまう。
「ちょっと、本当に大丈夫なの?」
けど——。
「大丈夫、このメンバーならやれると思うよ」
そう言った
「……藤間先輩がそう言うなら」
「じゃあ、やってみるか!」
真紀先輩の声に、部員たちは手を叩いた。
***
そして真紀先輩は部室に巨大な水槽を搬入すると、水槽に寄りかかりながら説明した。
「はい、ここに大きな水槽があります。これで脱出のマジックをしてみましょう」
「よく、そんなサイズの水槽を調達できましたね」
人が二人くらい入りそうな巨大な水槽は、生物部から譲り受けたらしい。
いったい、何に使われている水槽かわからないけど、とにかく水槽が手に入って大迫くんは大はしゃぎだった。
「じゃ、大迫くん、がんばってください」
「はい! 頑張ります!」
真紀先輩が肩を叩くと、大迫くんは気合いを入れて敬礼した。
なんとなく藤間先輩に流されて賛成しちゃったけど、やっぱり心配だよね。
大迫くん、大丈夫かな?
「では、水槽に水を入れます」
手を縛られた大迫くんが水槽に入ったところで、真紀先輩はホースの水を水槽に投入した。
すると、みるみるうちに水槽は水でいっぱいになって、大迫くんは沈んでいった。
「ごぼぼぼ……」
「もういいぞ、脱出してくれ」
真紀先輩が水槽を叩いて合図すると、大迫くんはみじろぎを始める。
だけど——。
「ごぼぼぼぼ……」
「大迫くん?」
「……でらへはい……ごぼぼ」
明らかに様子のおかしい大迫くんを見て、私は思わず叫んでいた。
「大迫くん! どうしよう! 出られないのかも」
「大迫、大丈夫か!?」
私や長谷部くんが心配して水槽を叩く傍ら、藤間先輩だけはなぜか笑いながら水槽を見ていた。
「藤間先輩……?」
「早く出てこい、大魔法使い」
「え?」
藤間先輩の呟きに私の思考が停止する中、真紀先輩がやれやれといった感じで、どこからともなくハンマーを持ってくる。
「もう、仕方ないなぁ」
そして先輩がハンマーで水槽にヒビを入れた瞬間、亀裂した部分から水が溢れ出して教室が水浸しになった。
「はぁ……はぁ……」
「大迫、大丈夫か?」
長谷部くんが背中をさすると、大迫くんは泣きそうな顔で咳き込む。
「ゴホッ……死ぬかと思った」
「脱出マジックは危険だな」
しみじみ言う真紀先輩に、私は思わず呆れた目を向ける。
賛成した私も私だけど、やっぱりやるべきではなかったよね。
それから水浸しの惨状になった教室を片付けるのに、一時間はかかった。
「——なんだか残念です」
すっかり片付いた教室で、ふいに
私が目を丸くしていると、藤間先輩はジャージに着替えた大迫くんを見据えた。
「大迫くん」
「なんですか? 藤間先輩」
「ちょっと話があるから、屋上に来てもらえるかな」
「話? なんですか?」
「とてもデリケートな話だから、屋上で話すよ」
「わかりました」
藤間先輩のただごとならぬ雰囲気を不思議に思う中、真紀先輩は手を叩いてみんなの視線を集める。
「じゃあ、今日はこれで解散ということで。みんな寄り道せずに帰れよ~」
「先輩、風紀委員みたいですね」
長谷部くんの言葉に、真紀先輩は笑ってみせる。
「ああ。俺は風紀委員だけど?」
「うそ、似合わないですね」
私が思わず本音を口にすると、真紀先輩は泣くような仕草をする。
「結菜……昔はあんなに可愛かったのに」
「はいはい」
真紀先輩の大袈裟な泣き真似に私がため息を落としていると、ふと気づいたように長谷部くんが周りを見回す。
「そういえば、大迫と藤間先輩は?」
「よくわからないけど、二人でどこかに行ったみたい」
「もしかして、もう帰ったのか?」
解散と言っておきながら、不満そうな顔をする真紀先輩に内心呆れながらも、私は部室の隅にあるカバンを見て告げる。
「二人とも、かばんは置いてあるから、まだ校内にいると思います」
「まだ知り合ったばかりなのに、もう二人で花摘みに行くくらい仲がいいのか?」
真紀先輩が驚く傍ら、長谷部くんは不敵に笑う。
「実は二人で殴りあいしてたりして」
私はまさかと思うもの、藤間先輩のただごとならぬ雰囲気を思い出して、少しだけ心配になった。
***
屋上に呼び出された
「う~、外は寒いな。へーくしょいっ……それで、デリケートな話って何ですか?」
すると、藤間はこれまでの柔和な雰囲気とはまるで別人のような物々しさで大迫に告げた。
「お前も気づいているだろう?」
「なんのことですか?」
「とぼけるな! 大魔法使いが、同じ魔法使いに気づかないわけがないだろう」
「え? 大魔法使い?」
「あくまで白を切るつもりか……だが、知らないふりなんてさせないからな!」
「あ、もしかして藤間先輩、魔法使いなんですか?」
「……見てわからないか? 僕のこのオーラが」
「えっと、わかりません」
「僕の魔力がわからないだと? 僕はお前の強大な魔力にすぐ気づいたぞ。やはり僕はお前より上に違いない……だから、僕がお前より優れていることを、今ここで証明してやる!」
「え? 証明? 俺、証明問題苦手なんですけど」
「数学の話じゃない! 口でわからないなら、僕の力でわからせてやる!」
そして藤間が胸ポケットから取り出したのは、手のひらほどの杖だった。
小さな杖を構えて持つ藤間に、大迫は目を瞬かせる。
「え? どうしよ。先輩、魔法使うの? でも俺は人に向けて攻撃魔法は使っちゃいけないって言われてるし……えいっ」
言いながら大迫はボールペンで手のひらに何かを書き込むと、その手を藤間に向けた。
すると藤間はみるみる光に包まれて、忽然と姿を消したのだった。
「ふう、危なかった。『危険な君を運んじゃうぞ♡』の魔法が間に合ったみたいだ」
***
「何してるの? 大迫くん」
屋上にやってきた私——
「あ、結菜! どうしてここに?」
「もう教室閉められちゃったから、カバン持ってきたよ。
「たぶん、この国のどこかにはいると思うけど……」
「は?」
私が首を傾げていると、階下から階段を駆け上がる音がして——そのうち藤間先輩が現れる。
息を切らしてやってきた藤間先輩を見て私が目を白黒させる傍ら、大迫くんはニコニコしながら藤間先輩を見ていた。
「今度こそお前を倒して俺が大魔法使いに——」
「あなたに幸運を」
「うわあああああああ」
光に包まれて消えた藤間先輩を見て、私はドン引きする。
これって、魔法……だよね?
「え? ちょっと! 藤間先輩に何したの?」
「なんだかよくわからないけど、攻撃魔法使ってくるから飛ばしちゃった」
「え? 藤間先輩も魔法使いなの?」
「たぶん」
すると再び階段を駆け上がってくる音がして、もしかしたらと思っていたら、やはり藤間先輩だった。
「まだまだっ! 今度こそお前を——」
「以下略」
「うわあああああああ」
再び消えた藤間先輩に、私がなんとも言えない気持ちになる。
「藤間先輩、体弱いとか言ってなかった?」
それからものの数分で戻ってきた藤間先輩は、小さな杖を前に構えてみせた。
「今度こそ!」
「案外しつこいね」
けど、今度は大迫くんが呪文を唱える前に、藤間先輩が口早に呪文を告げる。
すると、藤間先輩の杖の先端に
「きゃっ! 痛いっ」
「結菜!? 大丈夫?」
「何かが顔をかすったみたい」
「結菜、血が出てる……」
「ちっ、また外したか」
「ちょっと、藤間先輩! 結菜になんてことするんですか」
「お前が避けるからだろう? 僕は知らない」
「魔法を俺に向けるのは構わないけど……結菜の顔に傷をつけるのは許せない」
「大迫くん?」
大迫くんはいつになく怒った顔で、呪いのような言葉を口にする。
————あなたに凶運を。
「うわああああああああ」
すると今度は、藤間先輩が崩れるようにして倒れた。
「大迫くん……藤間先輩に何をしたの?」
「ちょっとだけ、眠ってもらっただけだよ。それより、大丈夫? 結菜」
「うん、私は大丈夫だよ」
「良かった……結菜に何かあったら、俺は生きていけない」
「大袈裟なこと言っちゃって」
「ほんとだよー」
「はいはい。じゃ、帰ろっか」
そして私たちは、藤間先輩を屋上に残して帰宅したのだった。
***
翌日の放課後。
私と大迫くんは、部室まで続く廊下を歩いていた。
「今日も奇術部楽しみだなぁ」
「藤間先輩、また大迫くんに攻撃してくるのかな」
「今度、結菜に何かしたら、俺が許さないから」
「はいはい」
そしてガラガラと部室の引き戸を開けると、そこには——。
「大魔法使い様、おはようございます」
礼儀正しく正座をする藤間先輩の姿があった。
「藤間先輩、何言ってるんですか?」
思わず訊ねると、藤間先輩はやや高揚気味に告げる。
「僕……いや、私はあなた様の魔法で完全に目が覚めました。ですから、どうか私を弟子にしてください!」
「え、いやだよ」
「大魔法使い様っ」
抱きつく勢いの藤間先輩に、大迫くんはひいていた。
とりあえず私は、藤間先輩にそっと告げる。
「藤間先輩、大魔法使い様はやめたほうがいいですよ」
「どうしてですか?」
「ああ見えて、魔法使いであることを内緒にしてほしいみたいだし」
「なるほど、わかりました。大迫様っ! 私を弟子にしてください!」
私の話を聞いていたのだろうか。
さっきとあまり変わらない藤間先輩の態度に頭を抱えていると、長谷部くんがやってくる。
「何? なんのさわぎ?」
誰となく訊ねる長谷部くんの言葉を、拾う人はいなかった。
「大迫様っ」
「真紀先輩、今日は何をすればいいですか?」
藤間先輩がはしゃいで大迫くんについて回る中、大迫くんは真紀先輩に訊ねる。
すると真紀先輩は相変わらずの調子で、
「もちろん、ペンの素振り百回で」
という無茶振りに、大迫くんが素直に従っていると——。
「私もお供します!」
藤間先輩も同じように素振りを始めたのだった。
それを見た長谷部くんが私に耳打ちする。
「なに? 藤間先輩、大迫の舎弟になったの?」
「……よくわからないよ」
「やっぱり昨日は、殴り合いでもしたのか」
「……」
奇術部は前途多難だった。
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