第2話 奇術同好会


「夢みたいな話だけど……夢じゃないよね?」


 そんなことを呟きながら、私——三木みき結菜ゆいなは、コンクリート打ちっぱなしの建物に足を踏み入れる。


 近代的な高校の校舎は、ただでさえ硬質なイメージなのに、朝の寒さでいっそう冷たい印象が深まって見えた。


 昨日はマジックの下手な男の子に会って、町のことを教えてほしいと言われたから一緒にいたけど、実は魔法使いだったなんて——驚きのあまり、その後男の子とは、ほとんど喋らなかった。


「昨日は何を喋ったのか覚えてないよ。なんだか申し訳ないことしたなぁ」


 私が無機質な廊下でため息を落としていると、ふいに後頭部を叩かれたような感じがして振り返る。


「え? なに?」

「おはよう、結菜ゆいな

「ああ……真紀まき先輩」


 朝から話しかけてきたのは、わりと仲の良い男子生徒の、紺野こんの真紀まき先輩だった。


 ほがらかな雰囲気の真紀まき先輩は、後輩の私をいつも気にかけてくれる優しい先輩である。


 先輩は私の顔を見るなり、心配そうな顔をしていた。


「なんだか変な顔してるけど、何かあった?」

「変な顔ってなんですか!」

「じゃあ、謎めいた顔?」

「ますますわかりません」

「それはそうと、今日の放課後、うちの奇術同好会きじゅつどうこうかいでマジックショーをやるから、結菜ゆいなも見においで」

「……うちの同好会って……先輩一人ですよね?」

「今は一人でも、いつかは五人以上集めてみせる」


 うちの高校では、同好会を部に昇格させるには、部員を五人以上集めないといけなくて、そのために先輩は一人でパフォーマンスショーを定期的にやっていたりするのである。


 けど、いつも人が集まらないので、私しか観客がいないんだけど……。


「部員が集まる頃には先輩が卒業してそうですね」

結菜ゆいなは冷たいな」

「先輩、運動でもなんでもできるのに、なんで奇術同好会なんて作ったんですか?」

「もちろん、手品が好きだから」

「でも先輩の手品って……いつも微妙だし」


 そこでふと、昨日のことを思い出す。


 そういえば昨日出会った自称魔法使いのあの子も、手品が好きだと言っていた。


 けど、魔法が使えるなら、なんで手品なんてやるんだろう。


 そんなことを思っていると、真紀まき先輩に今度はおでこを小突かれた。


結菜ゆいな、眉間にしわが寄ってるよ。可愛いのに台無しだ」

「先輩はどうしてそういうことをサラッと言っちゃうんですか? そんなだから、女の子に勘違いされちゃうんですよ」


 先輩はカッコイイし優しいから、女の子に好かれやすいのである。


 一緒にいると、ファンの子によく睨まれるからたまったもんじゃない。


「苦情は姉に言ってくれ。小さい頃から、女子の扱いにうるさかったから」

「先輩には女の子が集まるんだから、奇術同好会に入ってもらえばいいのに」

「俺の手品を見せたら、みんな帰ってしまうんだよ。それに根性ナシの部員はいらないよ」

「……確かにあれを見たら帰りたくなりますね」

「なんだと! 次のマジックショーでぎゃふんと言わせてやるから、覚えておけよ」

「ぎゃふん」

「あ、バカにしてるなぁ」

「ふふ、じゃあ放課後、見に行きますね」

「ああ」


 真紀先輩とわかれた私は、自分の教室を目指して歩き始める。


 私のクラスは校舎の二階の端にあって、入り口からけっこうな距離があるんだけど——教室に近づくにつれて、なんだかいつもと違う雰囲気に気づく。


 見れば、私のクラスの前にはなぜか沢山の女子生徒が集まっていた。


「なんだろう? うちのクラスに何かあるのかな?」


 一年A組の教室に入ると、周囲がなんとなくざわざわしていた。


 教室の中心には人だかりができているけど、何があるのだろう。


 私は最後列にある自分の席に座りながら、人だかりを見つめる。


「なに? なんなの?」

結菜ゆいな、おはよ」

「おはよう、明美あけみ。これはなんの騒ぎなの?」


 ポニーテールの可愛いクラスメイトがやってきたので、私は人だかりについて訊ねた。


 友達の山本やまもと明美あけみだった。


「あの人だかりの中心を見ればわかるよ」


 明美あけみに言われて、私は背伸びをする。そして人だかりの中心を見ると、なんとそこには昨日出会った魔法使いの男の子が座っていた。


「すごく綺麗な子だよね。転入生みたいだけど」


 明美あけみは他人事のように言うけど、私は苦笑してしまう。


 すると、こちらに気づいた魔法使いの男の子が驚いた顔をする。


「——あ! 昨日の」


 突然、声をかけられて、私が注目を浴びる中——明美あけみも面白そうな顔をしていた。


「え? なに? 結菜ゆいなの知り合い?」

「うん……知り合いというほどでもないけど」


 私が動揺していると、男の子は人だかりを避けて私の席にやってくる。


「良かった、君にはもう一度会いたいと思ってたんだ」

「そ、そう?」


 キラキラと輝いた目を向けてくる男の子に、私は困惑していた。


 けど、男の子はそんな私のことなどおかまいなしに話しかけてくる。


「えっと君は確か……」

三木みき結菜ゆいなです」

「改めまして、俺は大迫おおさこ啓太けいた。同じ学年だったんだね」

「う、うん」


 周囲が興味深げに見守る中、私は視線に耐え切れず下を向いてしまった。


「なんだか人がたくさん集まってるみたいだけど、今日は何かあるの?」


 そんな風に訊ねてくる大迫くんに、私はしどろもどろ答える。

 

「……転入生が珍しいからだと思う」

「へー、じゃあ今注目されてるのは俺?」

「そう……みたいだね」

「これはもう、あれをするしかない」

「え」

「みんな、今からマジックショーをやるよ!」

「えええ!?」


 嫌な予感がした。


 けど、大迫おおさこくんを止める方法がわからず、私はただ見ていることしかできなかった。


「ちゃらららららん♪」

「始まってしまった……」


 この上なく目立つ転入生は、教壇にのぼると、透明なガラスコップを手に、堂々と告げる。


「ここにはなんのへんてつもない、コップと水があります。でも……」


 転校生は水を飲み干すと、コップの中身を見せつける。


「はい! 中身が消えました!」

「飲んだらそりゃ消えるよね!」


 思わずツッコミを入れてしまった。


 周囲が寒い空気に包まれる中、大迫くんはやりきった顔でコップを掲げていた。




「すっかり人が集まらなくなったね」


 みんなの前でマジックを披露した直後から、大迫くんを注目する人は誰もいなくなった。


 おかげで無駄に緊張することもなくなったんだけど、大迫くんだけが状況をわかってなくて、不思議な顔をしていた。


「そりゃ、あんな寒いギャグを見せつけられたら……」


 明美の冷めた呟きに共感しつつも、私は少しだけ大迫くんを心配する。


「でも、大迫くんも一生懸命考えたみたいだし……」

「一生懸命考えてアレなの!?」

 

 ぎょっとする明美に、大迫くんは目をうるませる。


「みんなひどいよぉ」

「君のマジックのほうがひどいよ」

「明美!」

「だって、こんなに顔が綺麗なのに、寒いんだもん」


 明美の歯に衣着せぬ物言いで、大迫くんはすっかり意気消沈していた。


「でもほら、これから化けるかもしれないし、今後に期待しようよ!」

「結菜はやっぱりイイコだなぁ」


 なんか呼び捨てにされてるけど……まあ、いいか。


 私は少し考えて、思い立ったように告げる。


「あ、そうだ! 放課後に奇術同好会の先輩がマジックを見せてくれるって言ってたし、良かったら皆で行かない?」

「ごめん、私はパス。今日はコンサートがあるから」


 即、断る明美の傍ら、大迫くんは目を輝かせる。


「え? ほんとに? 俺が行ってもいいの?」

「うん。きっと真紀まき先輩も喜ぶよ」

「奇術同好会かぁ……いいな」


 嬉しそうに手を合わせる大迫くんを見て私はなんだかほっとした。






 ***

 





 それから一日の授業を終えて、空き教室に大迫くんと一緒にやってきた私は、机の上で何やら箱を漁っている真紀まき先輩を発見して、声をかけた。


真紀まき先輩」

「来てくれたんだ? ——って、その子は?」

「転入生で、クラスメイトの大迫おおさこくんです。手品が趣味なので、今日は誘ってみました」

「へー……」


 真紀先輩は大迫くんのつま先から頭までを眺めて、考えるそぶりを見せる。


「どうかしましたか?」


 目を丸くする大迫くんに、真紀先輩は好戦的な笑顔で告げる。


「君とんでもなく綺麗な顔をしているね」

「よく言われます」

「否定しないんだね。けど、手品では負けないよ」


 そして真紀まき先輩は、教壇に立つと、手に持ったコップをこちらに見せつけた。


「種も仕掛けもないコップと水です」


 ……なんだか嫌な予感がする。でも、まさかね……?


 けど、予感は的中し、先輩はその場で水を飲み干すと、空っぽのコップを見せつけた。


「はい! 中身が消えました!」

「だから、飲んだら消えるから!」


 反射的にツッコミを入れると、空き教室は静寂に包まれた。


「明美が来なくて良かった」


 真紀まき先輩の手品(?)で困惑する中、ふと隣を見れば……。


 なぜか大迫くんは、興奮気味に顔を輝かせていた。


「先輩! カッコいいです!」

「え? そう?」

「とくにコップを飲み干す姿が印象的で、衝撃でした!」

「はあ!?」


 いや、飲み干す姿見せてる時点でダメじゃん。


 そうツッコミたかったけど、声にならなかった。


 けど、動揺する私をよそに、大迫くんは感動気味に真紀先輩を見つめる。


「俺、先輩みたいな手品師になりたいです」

「ええ? 本当に?」

「はい……どうやら俺は憧れの手品師を見つけてしまいました」


 大迫くんの言葉に唖然としていると、真紀先輩もまんざらではない顔をする。


「そうか……だったら、君も奇術同好会に入るか?」

「ぜひ! 入りたいです!」

「手品の道は険しいぞ、それでもいいのか?」

「先輩となら、険しい道も乗り越えられる気がします!」

「おお、大迫くん! 君は合格だ!」


 ——何が?


 私が呟く傍ら、大迫くんは拳を握って「やった」と呟く。


 そして真紀先輩は、今度は私の肩をがっしりと掴んで告げる。


「ありがとう、結菜。こんな素晴らしい部員を連れてきてくれて」

「……はあ。楽しそうで何よりです」

「どうだ? どうせなら結菜も入らないか?」

「え!? 私は……」


 困惑して言葉を濁すと、大迫くんが嬉しそうに両手を合わせる。


「結菜も入るの? 嬉しいな! 明日からよろしくね」

「いや、私が入るとは言ってないですけど」

「結菜にも、マジックとはなんたるかを教えてあげるよ」


 笑って話を進める真紀先輩に、私が絶句していると、大迫くんが張り切った声を上げる。


「さっそく、今日は何をすればいいですか?」

「ああ、今日はウォンド——はないから、ボールペンの素振り百回だ! さあ、みんなで学園祭に向けて頑張るぞ」

「学園祭? 先輩、本気ですか……?」


 まだ同好会に入るとも言ってない私が青ざめる中、大迫くんは嬉しそうにボールペンの素振りを始めた。





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