君は魔法使い

#zen

第1話 出会ったのは、不器用なマジシャン



結菜ゆいな


 ふと呼ばれて、柔らかいソファから起き上がる。


 すぐ傍には、初老というには若いママが立っていて、にこやかに私を見ていた。


 私の通う高校がお休みということもあって、リビングで暇を持て余しているところだった。


「何? ママ」


 訊ねると、全体的に色素の薄い母親が言いにくそうにお願いしてくる。


「公園に行って、お婆ちゃんの様子を見てきてほしいんだけど」

「えー、お婆ちゃん、また公園にいるの?」

「きっとお腹すいてるだろうから、ついでにお昼のお弁当も渡してほしいのよ」

「……わかった」


 テストも終わったし、休日を満喫したかったけど、毎日のように公園に入り浸るお婆ちゃんのことが心配になった私は、素直に頷いたのだった。




「えっと……お婆ちゃんはどこだっけ。今日は寒いな」


 十月下旬にもなると、秋の肌寒さが少しずつ染みるようになっていた。


 やや厚いフーディを着て公園にやってきた私は、予定通りお婆ちゃんの姿を探すけど——。

 

 木々のいろどりの変化を見ると、なんでだろう。


 今日はいつも以上に会いたい気持ちになった。




 高校生になって半年が過ぎた私——三木みき結菜ゆいなは、特別な苦労もなく、幸せに毎日を過ごしているわけだけど。


 ときどき、どこかに飛んでいきたいような、寂しいような、不思議な気持ちになることがあった。


 ママにその気持ちを伝えたら、思春期だから、のひと言で終わってしまったけど、それも違うような気がするんだよね。


 なんて言えばいいのかな? この、一人じゃないのに、一人みたいな寂寥感せきりょうかん



 ずっと誰かを探しているような——。



 けど、そんな私が「彼」と出会うことで生活が一変するなんて、その時の私が知るはずもなかった。




 幾つもの広場がある公園でひたすらお婆ちゃんの姿を探していた私は、そのうち綺麗な男の子とすれ違って、目をみはった。


「すごい、人形みたい」


 同じ年くらいだろうか?

 

 色素の薄いサラサラの髪に、大きな瞳をしたその男の子は、私と同じファストファッションブランドのトレーナーを着ているにもかかわらず、どこか上品な雰囲気があって。


 通り過ぎる人たちはみな、その男の子を興味深そうに見ていた。


 それに、注目されているのにはもう一つ理由があった。


 男の子は一番大きな広場の中心で、腰の高さにある台を用意していて、その上にある道具箱のようなものを漁っていた。


 今にも何かを始めそうなその雰囲気に、道行く人は興味を持って見守っていた。


 ——何をするつもりなのだろうか。


 私も気になって観察していた、その時——。

 

「今から無料でマジックショーを始めるよ~! みんな見に来てね」


 その綺麗な男の子が大声で人を集め始めた。


 ハンカチを広げて持つ男の子に、公園にいる人たちがますます注目する中、数人の子供たちが集まったところで、男の子は何やら歌い始めた。


「ちゃらららららん♪」


 BGMくらい、スマホで流せばいいのに……なんて思っていると、男の子は広げたハンカチの中心から花を取り出してみせた。


 けど——。


「うわっ!」


 突然、すぐ横の道具箱から鳩が飛び出して、男の子がひっくり返った。


 どうやらハンカチから鳩を出したかったみたいだけど……即、タネ明かししてしまったようである。


 男の子はのんびりした動作で起き上がると、観客の子供たちに向かって頭をさげる。


「ごめんごめん、次こそ頑張る……って、わわ!」


 体勢を立て直そうとして、さらに転ぶ男の子。


 その上、鳩が出てきた箱からカエルも飛び出して——。


「あ、ちょっと待って!」


 男の子は慌てて立ち上がるけど、立ち上がった頃にはもう、観客はいなくなっていた。


 周囲の人たちもすっかり興味を失って、通り過ぎてゆく中、静かな笑い声だけが響いて、男の子はがっくりと項垂うなだれた。


「うーん。不器用なんだね」


 私は苦笑しながら遠巻きに拍手する。


 すると、頭を上げた男の子と視線がぶつかった。


「……あ」


 本当に綺麗な男の子だった。私よりも頭ひとつ分高い男の子は、私の顔を見た途端、大きく見開いた。


「えっと……私の顔に何かついてますか?」


 じっと見つめてくる男の子に、私がなんだか居た堪れない気持ちになっていると、男の子はぼそりと呟く。


「見つけた」

「え?」


 その時——チリッと、背筋に電気が走ったような気がして、私は思わず周囲を見回した。

 

 静電気かな? なんて思っていると、男の子は私の元にやってくる。


「マジック、見てくれますか?」


 華やかな顔を輝かせてそう言われると、なんとなく断れなくて、仕方なく私は男の子のマジックに付き合うことにした。


 けど、その後も男の子は失敗ばかりだった。


 何度も同じハンカチのマジックに挑戦しようとするけど、一度も成功することはなくて、そのうち男の子はすっかり自信を失くしてしまい、暗い顔で肩を落とした。


「あの……もうちょっと練習したほうがいいんじゃない?」


 私が苦笑して告げると、男の子は困惑気味に頭を掻く。


「ごめん……これでも毎日練習してるんだけど、なかなかうまくいかないんだ」

「そっか。じゃあ、私はこれで」


 今度こそ立ち去ろうとしたところで、男の子に手を掴まれた。


 思わずぎょっとして振り返ると——そこには男の子の真面目な顔があった。


「ちょっと待って」

「なに?」

「もうちょっとだけ……話したいんだけど」

「何を?」

「実は俺、この町に来たばかりで……」

「ああ、なるほど。町のことを教えてほしいんだね。じゃあ、お婆ちゃんにお弁当を届けてからでもいいかな?」

「お婆ちゃん?」

「うん。私のお婆ちゃんが、この公園のどこかにいるんだ」

「そう……なんだ。わかった、待ってる」


 どうやら私は、この綺麗な男の子に懐かれてしまったらしく、男の子はマジックの道具を片付けると、お婆ちゃんを探す私の後ろをついてまわった。


 それから私は広い公園をあちこち探すうち——大きな銀杏の木の下にいる、ワンピースを着たお婆ちゃんの姿を見つけた。

 

「あ、お婆ちゃん見つけた」

「おや、結菜ゆいなじゃないか」

「お婆ちゃん、お弁当を届けにきたよ」

「まあ、ありがとう」

「今日は寒いし、帰ったほうがいいんじゃない?」

「そんなわけにはいかないよ。私はあの人が来るまでここにいないといけないんだ」

「あの人? あの人って誰?」

「おや、結菜には言ってなかったかい」

「うん。詳しく教えてほしいけど……今日は連れがいるから……」


 お婆ちゃんにマジシャンの男の子を紹介すると、男の子は控えめに告げる。


「俺のことはいいから、君のお婆ちゃんの話を聞きなよ」

「でも、お婆ちゃんの話って長いんだよ」

「かまわないよ」


 彼もなぜか聞きたがったので、結局、私はお婆ちゃんの話を聞くことにした。


 長時間立っていて疲れたのだろう。お婆ちゃんは寄り掛っていた木から離れると、近くにあるベンチに座った。


 そして私たちもお婆ちゃんを囲むようにして座ると、お婆ちゃんはゆっくりと思い出を言葉に乗せた。


「実はね。お婆ちゃんには若い頃、小説家の恋人がいたんだよ。でも、安定しない仕事についている彼のことを家族に反対されてね。無理やり他の人と結婚させられそうになって……駆け落ちすることにしたの。でも、待ち合わせ場所にあの人は来なくて、その翌日……彼が死んだことを知らされたんだよ」


 お婆ちゃんの突然の告白に驚いた私は、大きく見開くと——とっさに訊いていた。


「え? じゃあもしかして、お爺ちゃんとは無理やり結婚させられたの?」

「違うわよ。そのあとにまた恋愛して、今度は家族にも認められて結婚したのよ。……でもね、私が結婚して間もない時、町であの人の姿を見かけたの。だから……もしかしたら、死んだなんて嘘だったんじゃないかと思って」

「それでお婆ちゃんはその人を待ってるの? 生きてるかどうかもわからないのに?」

「そうだよ。毎年この時期になると、待ちたくなるのよ。あの時の気持ちが蘇って……」

「お爺ちゃんよりも好きなの?」

「ふふふ、心配しないで。私が一番大切なのはお爺ちゃんだよ。けど、あの人にどうしても言いたいことがあってね……」

「そっか……その人に、会えるといいね」


 生きているかどうかもわからない人を待つなんて、バカバカしいかもしれないけど……いつまでも待つお婆ちゃんの姿が素敵に見えて、会えたらいいなと思った。


 それにお婆ちゃんは待つのも楽しそうだし……私が邪魔しない方がいいかな?


 なんて、そんなことを思っていると——ふいに、男の子が呟く。


「——結菜は変わらないね」

「え?」


 まるで私のことを知っているくちぶりに、目を瞬かせていると、男の子は思い立ったように立ち上がって告げる。


「よし、じゃあ僕がその願いを叶えてあげるよ」

「どういうこと?」

「ちょっと来て」

「え、ちょ、ちょっと!」


 男の子に手を引かれて、私はベンチの後ろにある茂みに回りこんだ。


 直後、男の子は手のひらに黒いボールペンで何かを書き始める。


 そして何かを書き終えた男の子は、手のひらに口付けをしながら囁いた。


「あなたに幸運を」


 すると次の瞬間、辺りが真っ白な光に包まれたかと思えば——光は一瞬で消えた。


 何が起きたのかわからなくて、私が瞠目する中、お婆ちゃんの方から小さな悲鳴があがる。


 慌てて視線をやると、お婆ちゃんのベンチの前には、知らない男の人が立っていた。


 三十代前半くらいだろうか? くたくたのシャツに紺のパンツを履いたその人は、お婆ちゃんを見てにっこりと笑っていた。


「——あなたなのですね?」


 お婆ちゃんが震えた声で訊ねると、男の人は穏やかに笑って肯定する。


「君は、ずっと変わらないね」

「いいえ。私は老いてしまったわ」

「いや、君の心はずっと変わらない。透明な色をしているんだ」

「透明な色……?」


 驚いた顔をするお婆ちゃん。


 茂みで見守っていた私は、思わず男の子の袖を引っ張る。


「もしかして、本当に会えたわけじゃないよね?」


 私が目をぱちぱちさせて訊くと、男の子は得意げに笑う。


 男の子の笑みを意味深に思いながらも、私は再びお婆ちゃんに注目する。


 お婆ちゃんはハンカチで目頭を押さえていた。


「ずっと、お会いしとうございました」


 お婆ちゃんの言葉に、向かいにいる男の人は苦い笑みを浮かべた。


「君が幸せで良かった」

「私はあなたにずっと言いたいことがありました。私はあなたといて……幸せでした。ありがとうございました」


 そんな風に言ってお婆ちゃんが笑うと、男の人は消えてしまった。


 その後は、まるで何もなかったかのように、遊具で遊ぶ子供の声だけが響いた。


 なんだか夢みたいだけど、泣いているお婆ちゃんを見たら、夢じゃないことを知る。


 私は茂みに隠れたまま、マジシャンの男の子に訊ねる。


「今のはいったい何? どういうこと? あなたはいったい何者なの?」

「ふふふ……今のは『遠い日に会えなくなった恋人の本心を聞いちゃおう』っていう魔法だよ」

「魔法? あなた……魔法使いなの? 本当に?」

、信じてくれるよね?」

「よくわからないけど、あなたは私を知っているの?」

「それは内緒」


 人差し指を口に押して当てて、綺麗に笑う男の子。


 これが、私と彼との出会いだった。






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