第5話 開けてはならない箱

「―――そうか。ダメだったか」

 アランデル=フックが、コーヒーを飲んだ後の湿った声で言った。

「・・・アンドレアスの様子はどうだ?」

 フォークスが様子を見に来た時には、グッドリックは既にあの世へ旅立った後だった。アンドレアスが独り、彼の胸に顔を埋めて、うずくまって声も無く悲愴な叫びを上げていた・・・・・・そして今も

「ずっと・・・泣いております。彼の遺体を抱いた侭」

「二人目だろう。かわいそうに。之では、己の失態と思わざるを得ない」

 フックは立ち上がり、全身が映る大きなガラスから窓の外の空を見た。もう立夏になるのに未だ雪が降り注いでいる。

「どうにかしてれないものか・・・・・・」

 傍の椅子に座っていたアイザック=クレーンコートが呟いた。

「・・・あの子の時も、出来なかった訳では無いだろうに・・・」

 フォークスは同意する様に頷いた。

「あの時は、あの理論通りにこなせる腕利きの医師が居ませんでしたので、出来なかったといえば出来なかったですが」

「あいつはすぐに可能性を捨てる。あれはあいつの失態であり、間違い無くあの子を見殺しにした」

 J=イーブリンが憤慨した面持で、彼を非難する様に言った。

「アンドレアスは、我々探求者の中では珍しく倫理を述べますからね」

 各自論議が展開する中、クレーンコートはパイプをくゆらせる。煙いのか、理解し難いのか苦い顔をしてパイプをフックに突き返した。


「・・・何の為の倫理だ。見殺しにする事が人間の倫理か?」


「さぁ・・・余りそちらの分野には私も関心が無いので・・・・・・しかしアンドレアスもようやく、世には神も仏も無く、死んだら終りだという事を解したみたいですよ」

 エスカランテ・ハウス《学術審議会》の中枢から八当りを受け始めるフォークス。彼は巧みにその手を払いながら、探求者にとっては興味深い言葉を口にした。


「・・・どういう事だ?」


「マウンダーから医師を呼んであります。確実に間に合わないと解っていながら」


 其も相当な腕利きの医師の様で、と補足しながらフォークスは頭を下げた。



「・・・・・・間に合わなかったら、あの理論を使う心算つもりだという事か」



 ウィリアム=ペティーが眉を吊り上げて笑う。その顔はとても愉快そうだった。


「あいつはこのエスカランテ・ハウス《学術審議会》の会員になりたがっていた。あの理論を成功させたら、会員に入れてやるかな」

「待て待て。アンドレアスは今回この様な事をするのは初めてじゃないか?我々がサポートをする必要が有る」

 フックは目を見開き、クレーンコートは不敵にわらった。

「・・・フック会長。彼は実に素晴しい人材でした。彼だって、死など望んでいなかったに違い無い。彼は何も、悪くは無かった。今此処で、彼を失えば、我が星の科学文明の停滞が容易に想像できる。そう思いませんか」

「あいつにして遣れる事といったら、其位しか無いのではないか?」

「4月18日のあの日、公開講座の議題を『‘死の螺旋Mortal coil’:科学science,医療で延長する人間の命; medicine and the prolongation of human life』をしましたね。その理論の正確性を早くも確める事が出来る!」

 フックの周りに、エスカランテ・ハウスを共に創立し、共に研究を続けてきた仲間がこぞって集って来る。あの時の様に。

 思想のそぐわない者は、元から会員に選出する事など無かった。アンドレアスを単なる客として接した様に。友人として接した様に。


 ―――倫理をかざす者など、エスカランテ・ハウス(此処)には在ない。


「――――」


 フォークスはフックの返事を待たずして、中枢の話の盛り上がる会議室を出た。

 人間の心というものは、移ろいゆくものだ。いとも簡単に、人を裏切る。そして科学は暴走する。

 科学を個人で遣っていた頃は、両者が同じ状況に立つ事は無かった。あるのは純粋な探求のみで、思惑など無かったからだ。

 此処では、心と科学の相乗効果が臨めるだろうか。

 何れにしろ、彼には関係の無い事だった。何故って、其は興味が無いから。

 只、生きている内に最先端の科学を、科学の究極を見ておきたかった。今回を逃しては、思惑の内にもう拝めなくなるかも知れない。純粋に、探求したい。知りたい。其だけだった。




(―――逝ってしまわれましたか・・・・・・)


 グッドリックの死の瞬間を、グレアムは感じ取っていた。アンドレアスから危篤の通達が届き、名目上は治療であったが、間に合わないと自覚はしていた。

 同時に、彼等とは何の関係も無い嫌な予感がグレアムの胸には引っ掛っていた。エスカランテ(あの場)には、余り行かない方がいい様な・・・

 だが、いずれにしても遺体は引き取りに行かねばならなかった。引き取りは早い方がいい。審議会の人も困っている事だろう。

 そういう、普通の認識をしたのだった。ってみれば、直感より理性を信じたのである。

 彼は直感が鋭い人間だった。だから、直感を信じればよかったのである。直感を信じれば、この様な事態は避けられたのかも知れない



「エジンバラ=グレアムさんですね?」



 エスカランテ・ハウスの扉を叩く所で、グレアムは一人の男に話し掛けられた。其と無く研究者と判る風貌。彼は返事を躊躇った。


「エボラクム=グッドリックの調子は・・・・・見舞いに参りましたのですが」


 グレアムが単刀直入に尋ねると、男は意味深長に哂いながら彼を建物の内側へと誘った。半ば強引に、グレアムの手を引く。


「なかなかストレートな物言いでよろしい。グッドリック君は大丈夫ですよ。今によくなる」


 この男を見て、予感は的中するという更に上からの嫌な予感が増大した。併し彼も、分野が違うとはいえ探求心の塊だった。

 今ならばまだ逃げる事は出来た。彼一人ならば。其でも逃げなかったのは、箱を開けてみたかったからに他ならない。



「!」



 突如、後ろに回り込まれた男に突き飛ばされ、グレアムは同じく突如開かれたベールの彼方へと消えた。




 普通の人間ならば溺死してしまうであろう、この水のたっぷり入ったカプセルの様な水槽。この中でグッドリックの身体は浮んでいた。この国は水葬する文化を持っているのであろうか。だが、厖大ぼうだいな数の配線が、彼の身体に巻きついている。



「・・・之が、学術審議会われわれの目指す完璧な理論『死の復活ホムンクルス』・・・・・・」



 ウィリアム=ペティーがアンドレアスのうるさい口を塞ぐ。アンドレアスは手首を縛られており、肘より上の自由が利かなかった。



「その理論が完璧である事を、ぜひ君に証明して貰いたい」



 アイザック=クレーンコートが、人を喰った様な笑顔で話し掛けた。何処に向かってだろう。彼方のベールにである。


 ベールの彼方には、フォークスに乱暴に案内され此処へ来たグレアムが控えていた。ピストルをすぐさま後頭部に突きつけられる。

(グレアム先生・・・っ・・・)

 アンドレアスがそう言おうと口を動かす。だが、目の前の手が邪魔でくぐもった声しか出ない。グレアムは壇上の彼を散瞳の眼で見た。


「アンドレアス先生・・・」



 自分の教え子がまるで実験サンプルの様に、変り果てた姿でカプセルに保存されている。その姿はまるで、羊水に浮ぶ胎児の様だった。



「・・・之は一体、どういう事でしょう」


 グレアムは努めて冷静そうな声を出した。二人共無事にマウンダーに還って来る筈が、一人は実験材料にされ一人は人質にされている。

「私は、其方のドップラー先生のお話を受けて、遺体を引き取りに伺ったのですが」

「遺体を!?有り得ない!」

 学術審議会の中枢の一人・ジョン=ウォリスがおどけた口調で言った。




「之から君には、この青年を復活させて貰うんだよ」




 クレーンコートがにこにこ微笑みながらグレアムに言った。流石のグレアムもおどろきを隠せない。

 予想通りといえば予想通りのありがちな展開だが、実際問題としては到底無理な難題モノだ。グレアムは己の耳を疑った。


「・・・彼は死んでいるのですか?」


 悲しみに暮れる間も無く、死の確認の時点から始める。死んだら終りだ。生き返る筈が無い。

「ああ死んでるよ。今朝方だったから、6時間以上は経ってるな。なぁアンドレアス?」

 トーマス=ウィリスがグッドリックの眠るカプセルをコンコンと叩く。グレアムは教え子の死亡診断を、愕くほど冷静に行なっていた。

「・・・ではもう、死後硬直が始っている。仮に生き返らせたとしましょう。全身まひになりますね」

 はっはっは!とジョン=ウォリスが莫迦にした様にわざとらしく大笑いをした。




「なら何であの液に、俺達はグッドリック《あれ》を浸けてるんだ?」

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