第4話 最初で最後の演説

 <私は、変光星新パターン“食”変光星とそのメカニズム、そして食変光星の周期を求める式を確立致しました>


「ほぉ・・・それは興味深いな。皆、最後に彼の理論を聴こう。討議は其からだ」


 アランデル=フックが手を叩いた。すると、前回の理論で尾を引いていた討論の声が、徐々に凪いでゆく。先程から人影がちらついて見えて気分が悪かったので、動かず此方に注目してくれる事をありがたく思った。


(はい・・・)


 グッドリックが机に手を着き立ち上がる。アンドレアスが此方を向き、力強く大きく頷いた。



 <私は之迄これまでの観測で、変光星新パターン“食”変光星の中にも、更に二つのパターンがある事を見出しました。


 ところで皆さん、変光星とは具体的に何かご存知ですか?>



 周囲がざわめいた。エスカランテ・ハウス《学術審議会》には天文学を専門としていない者も多い。其でも以前は、子供が相手の討議会ではないので細かな説明は省いてきた。天文学は物理や数学を必須とするが、物理や数学は天文学を必ずしも必要としない。正直、星といわれても雰囲気だけで捉えてきた感はあった。

 そこから説明してくれるとは親切な・・・・・・社会に科学を浸透させていくには、この様な人材が必要だとフックは思った。



 <変光星とは恒星の一種で、等級が変化するものの事を謂います。実際、爆発や膨脹・収縮によって等級が変化する星もあるが、周囲の星との関係性で、実際に等級は変っていないのに日によって明るく視えたり暗く視えたりする星がある。


 私はその星の現象を日食に喩えて“食”変光星と名づけました>



 グッドリックは初めて自分の発見した食変光星・アルゴリアの話をした。発見した当初から理論は相当発展しており、アルゴリアという星がイコール食変光星なのではなく、アルゴリアは食変光星の中の一つに過ぎず、アルゴリア『型』という分類が成されていた。

 そして、彼が最後に発見したハーディ=ガーディ《こと座》に属する“シェリアク《Sheliak》”の名を借り、シェリアク『型』というものが出来た。


 <ハーディ=ガーディの星。リュラ(ベガ)より南の方に“シェリアク”という星がある。その星が、引力を及ぼし合って互いの周りを回る連星を持っていて、その星がシェリアクを掩蔽した時に、3.45で安定している視等級が落ちる>


「名前がついているという事は、既にもう発見者が?」


 <シェリアクの名は私が仮につけました。でも、シェリアクはアルゴリアと違い、星の表面の等級が一定ではなく、平常光度というものは存在しない。其は、シェリアクと連星が太陽並みに大きい天体で、互いを熱放射で変形して見せているから。アルゴリアと其についてくる星よりも、こちらの方が互いの距離が近い>


 12日と20時間。グッドリックはその場で手早く計算してみせ、式を書いたレポートを掲げた。周囲が歎声を上げる。


 <之がシェリアクの等度変化の周期。しかし、其に伴って連星の等級も共に落ちている。其はシェリアクが影響しているのではなく、その連星を、更について廻る星があるから。私が観測した時、其等に続いて更に3つの星の影がありました。若しかすると、私達のいる太陽系と、公転という点で似ているのかも知れない>


 ・・・之は、纏める必要も無かったかな。アンドレアスはグッドリックの横顔を見上げると、ほっとして微笑んだ。

「・・・どうだ、クレーンコート。天文学に於ける彼の理論は完璧か」

 フックが口を隠す様にしてアイス‐ティーを飲みつつぼそぼそと訊く。クレーンコートは流し眼でフックを見ながら、ふっとわらった。

「・・・素晴しい理論だ。一点の曇りも無い。かといって一点の、はっきりとした矛盾も無い。実に明快で、完璧な理論だ」

 グッドリックの発表が終った。その議題ではもう、討議にはならなかった。誰もが彼の理論に賛成だった。盛大な拍手が会場を包む。

「・・・・・・」

 アランデル=フックが立ち上がり、彼の眼に見える様に両手を高く掲げて拍手した。クレーンコートも立ち上がり、拍手を送る。

「・・・・・・」

 泣きそうになる。気が抜けてよろめくと、アンドレアスが確りと後ろから彼を支えた。

「・・・よく、頑張ったな」

 感激の涙というものは、止める事が出来ないのだという事がわかった。




「明日の討議会はどうするかな・・・」

 会議室で、フック等エスカランテ・ハウス《学術審議会》の中枢はいい意味で困っていた。ゴッドフリー・メダルの授与候補がもう出て来てしまったのである。

「インパクト大でしたもんね・・・」

「彼を超える人材は明日には現れないでしょう」

 皆が共通して思っていた事は、グッドリックの発表を26日の方にすればよかったという事。明日の討議会が白ける事は必至である。




 だが、26日では彼の身がもう持たなかった。25日夜、彼は倒れ、とても立ち上がれる状態では無かったからだ。

「グッドリック!グッドリック!!」

 グレアムが多めに用意してくれた上着を着て毛布に包っても、全然体が温かくならない。体が勝手にがたがた震え、時折意識が飛ぶ。

「寒いのか!?グッドリック!」

 アンドレアスが必死に呼び掛ける。だがその声は、グッドリックには届かない。

 聞えないのに心臓の音がドクドクと速くなるのを感じた。意識が何とか飛ばない様にするのが彼にとっての精一杯だった。

「ごほっ!ごほっ、ごほっ・・・ごほ!」

 本人は非常に寒がっているが、体に触れると燃える様に熱い。街の医師を呼んだところ、肺炎を引き起している事を告白された。

「どうして・・・っ!」

 風邪は完全に治してからエスカランテへ来たはずなのに・・・アンドレアスの心を、大きな後悔の波が襲う。

「私が最初から、エスカランテへ行こうと言い出さなければ・・・!!」

「・・・・・・」

 アンドレアスが何かを苦しげに喚いている。だがグッドリックには其が何を言っているのか、もう判別がつかなかった。熱の余りに視点が左右にぶれて、唇が読み取れない。手が震えて言葉を紡ぎ出せない。声の出し方を知らない自分自身を、彼は怨んだ。


「何を不謹慎な事を言っている。アンドレアス」


 アンドレアスに付き添って医師の話を聴いていたフォークスが啖呵を切った。



「君は常にそうだな、アンドレアス。数学者のくせに感情ばかりを追いかけて、そこに秘める可能性を見出そうとしない。まるでロイルの女の様だ」



 アンドレアスは、普段は無口で口を開けば冗談しか言わない彼が初めて論じるのを、愕きだけの心此処に在らずの状態で只見ていた。

 其に気づいたフォークスが、アンドレアスの肩を掴み半ば苛々した様に言い聞かせる。



「之位は解っていると思っていたが、アンドレアス。ライカ=スプートニクはあの時死んだ。今此処に居るのはエボラクム=グッドリックだ。また君は何の手を打つ事も無く見殺しにしようというのか」



 アンドレアスははっとした。エスカランテへ旅立つ前に、同じ様な事を言った人物がいる。




『グッドリック君は、あなたの以前担当していた子供ではありません』




(グレアム先生―――!!)




「・・・全く、そんな事も言われなければ解らないとは・・・・・・情けない」

 呆れた様に言うフォークス。彼自身は命の重さを、余り解していない様に見えた。

「グレアム先生・・・・・・」

 アンドレアスが声を震わせる。フォークスは彼を見た。


「私達のいたマウンダーに、腕利きの医師が居る。彼に恃(たの)んだら・・・!」


「間に合わないかも知れないが?」


 不謹慎だと言っておきながら、意地悪な質問を投げ掛けるフォークス。アンドレアス、又も絶望に、顔を歪ませると思いきや・・・

 口の端をキュッと結び、瞳には強い意志を宿している。


「・・・・・・そう。其でこそ数学者だ」


 フォークスは目を瞑って、初めて哂った。




「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」

 グレアムを呼んで3日のちになったが、彼はまだ到着しない。その間にも、グッドリックの病状は悪化の一途を辿っていた。

 もう咳をする余力も無く、痰が喉に詰りそうになる。其が原因で、呼吸困難に陥る事も度々だった。胸が痛み、どの様な体位で寝ても眠れない。

「グッドリック君。ほら」

 アンドレアスが熱い手の上に、ひんやりと冷たい円形の物を載せた。彼が手を離すとずっしりと重く、手がベッドへと墜ちてゆく。

「重いだろう。これ、ゴッドフリー・メダルだよ」

 アンドレアスが再び手を握って、ゴッドフリー・メダルを持つ手を支えた。彼の手は震えている。

「ゴッドフリー・メダルはね、その年、素晴しい業績を出した人に、たった一人に贈られるメダルなんだ。其が君に贈られたんだ。君の研究が、認められたんだよ」

 声が震える。彼の声が震えている事はグッドリックにはわからなかったが、泣きそうな顔をしているのが見えた。

(悲しまないで、欲しい・・・・・・)

 併しもう、そう伝えるべき手段は尽きた。口を動かしても、不安定な相手を途惑わせてしまうだけだろう。

「・・・ほら、賞状も貰ったんだよ。ここに、アランデル=フックの署名(サイン)・・・・・・君に、正式に会員勧誘の通達が来たんだよ」

 ・・・そういえば、今日はやけに視界がいい。アンドレアスが何を言っているのか、はっきりと解った。グッドリックは目を見開く。

「君も今からでも会員となって、この研究所で働く事が出来るんだ。君はもう、エスカランテ・ハウス《学術審議会》の一員なんだよ」

 アンドレアスが必死に呼び掛ける。グッドリックはまた、泣きたくなった。エスカランテへ来てから、急に涙脆くなった様な気がする。


(・・・あぁ、遂に私も会員に・・・・・・)


 だが、自分の命がほんの少ししか残されていない事は、彼自身が一番よく理解していた。段々と、また視界がぼんやりとしてくる。


 ・・・まだ、消えないで欲しい。実感を、噛みしめていたい。



 出来る事なら・・・まだ、死にたくなかった。



「・・・グッドリック君・・・?」

 ゴッドフリー・メダルを、強く握りしめる。グッドリックの眼が虚ろになってゆくのを、アンドレアスは絶望的な眼で見ていた。


「・・・まだだ!まだだよグッドリック君!!まだ君は・・・之からじゃないか・・・・・・!!」


 アンドレアスの眼から涙が溢れ出る。涙のしずくは、ぽたぽたとグッドリックの頬に落ちていった。


「之から君は、この研究所で働いて、もっと遠くの星々を見つけ出すんだろ!?此処にしか無い、クレーンコートの発明した立派な望遠鏡を使って・・・・・・!」


 グッドリックが微かに目を開ける。アンドレアスは近くに居た。目を瞑ると、全てが無になってしまう様で、少し怖かった。

 だが、もうかなければならないのだろう。この時になって、彼は漸く気がついた。死ぬ時になって、一番に実感が欲しいのは―――



「先・・・生・・・・・・」



 アンドレアスが顔を上げる。はっきりとした声色に、誰が言ったのか彼にはわからなかった。グッドリックが彼の手を強く握って示す。


「グッドリック・・・・・・?」


 グッドリックはアンドレアスの手を強く握りしめ、最後に彼らしく、無邪気に笑った。




「あり・・・・・が・・・と・・・・・・」




 彼の握りしめる力が急に弱くなる。彼の手がアンドレアスの手から滑り落ち、柔かなベッドへ転がった。

 アンドレアスが彼の身体を揺さ振る。

「・・・グッドリック。グッドリック君待ちなさい。私はそんな答えを聞きたいんじゃない」

 だが、グッドリックは一瞬身体を固くしただけで、後はもう動かなかった。人形の様に、只だらんと、四肢を伸ばしているだけである。




「グッドリック―――!!」




 ―――エボラクム=グッドリック。享年22。

 4月30日の、まるで雪が光る埃の様に風に舞う、綺麗な朝だった。

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