第3話 エスカランテ・ハウス

「わぁーっ」

 グッドリックは感激し、ぽかんと開いた口から声を漏らした。




 4月18日。グッドリックは肺炎の心配も無く回復し、残っていた証明の課題も完璧にしてマウンダーを出た。




 エスカランテは国が集約されるもっと以前のこの当時、イシディスの首都で、文明を代表する大都市であった。リナシメント(ルネサンス)建築の当時最高層の建物が建ち並び、寺院や協会が数多く其処に居を構え、当時地図に載っていた全ての地域から人材が集約したと云う。

 <この様な大都市の協会に、先生は休暇中にいつも行ってらしたのですか?>

 グッドリックはさくさくと手を動かして、師の一刻も早い返答を望んだ。余りに彼が弾んでいるので、アンドレアスはつい苦笑した。

「ああ、そうだよ。私は会員ではないけれど、あそこはとても開かれた協会でね。お呼びが掛るんだ。私も一応数学者だからね。仕事では無く『友達』って感じかな」

 彼等の居たマウンダー地域とは全く違う。まずは明るさが違う。建物は大きいが、大森林に蔽われたマウンダー聾学校は、昼間でも太陽の光が届かず暗かった。この都市は、全体的に景色が白い。太陽の柔かな光が、そう明るく映していた。

「君が討議会であの理論を発表したら、恐らく会員勧誘がくるだろう。会員になると、エスカランテ・ハウスに自分の研究室を設けられて、常時勤務という事になる。それでめでたく就職、という訳だね」

 ずっとアンドレアスの唇を見ていた彼は、目の前にそびえ立つ巨大建築になかなか気がつかなかった。

「!!」

 さぁ、着いたよ。唇を読んで、ようやく気がついたグッドリックはその巨大建築を見上げて唖然とした。



「アンドレアス!」



 大きな扉から小さく人が出て来て、小さな看板を立てていた。その人物が此方を見ると、張りの有る大きな声を上げる。グッドリックは我に返った。


「やぁ、フォークス」

「久し振りだな、友よ。話は聞いている。そちらの彼が、以前から君が噂していた天才児か?」

 グッドリックは圧倒された。その人物は小柄だと思っていたのだが、近づくと自分より遙かに背が高い事実が分ったのだ。あの建物が、どれほど巨大なものであるかを実感せずにはいられなかった。

「そうだよ。彼が私の自慢の教え子・エボラクム=グッドリックだ。25日の討議会では、肝を抜かれる素晴しい演説をしてくれるだろう」

「其は楽しみだな」

 フォークスと呼ばれたその男はわらった。階段に片足を掛けて、案内しようと二人の先を行きつつ背後を向いた。


「公開講座までまだ時間がある。ティー・タイムでおもてなしするとしよう」




 扉を開くと、突き抜けた様に高い天井に、シャンデリアの様な派手で装飾的な照明が、地上と遙かに離れたところに吊るされていた。


 <意外です>

 グッドリックはその場その時感じた事、すぐに手話で表した。

「ん、何で?」

 定刻より早いハウスには、まだ殆ど人は来ていなかった。或いは、皆まだ研究室に篭って、没頭しているのかも知れない。

 がらんどうとした堂内では、普通の声でも響いてしまうので、無意識的にアンドレアスは声を潜めた。

 <皆研究に没頭していて、照明や、建物の装飾にこだわらないものかと思っていました。もっと質素な建物なのかと>

 すると、アンドレアスは口を大きめに開いて笑った。何故笑うのか解らず、グッドリックは首を傾げる。

「其は君の性格だろう」

「?」

 アンドレアスは、遠く煌くガラスの照明を柔かな瞳で見つめて言った。

「あのガラスの屈折率。多くの光源と、その光を複雑で魅力的なパターンで散乱させる為のカットの仕方・・・・・其等は全て物理や数学が絡んでるんだよ」

 グッドリックも照明を見上げた。ガラスが太陽の光を受けて拡散反射を起し、白く瞬いている。

 <では、あの照明の設計等も、エスカランテ・ハウスの研究者の方がされたのですか?>

「そういう事になるね。私も光計算の部分で、ちょっぴり携ったりしたんだけどね」

 へぇ~。 グッドリックはもう一度照明を見た。自分達の住む場所も、一から自分で・・・・・・エスカランテ・ハウス《学術審議会》への憧れを、一層強くした。



「あれ、フック会長。お帰りでしたか」

 フォークスの前に、白いチュルチュルの髪を肩まで伸ばした細身の男が現れた。グッドリックは目を見開く。



(アランデル=フック―――!!)



「フック先生、お久し振りです!」

 アンドレアスが彼の側へ駆け寄る。


「おぉ、アンドレアス。元気だったか」

「ええ。この度、公開講座及び討議会の便りをくださり有り難うございます!」

 まるで子供返りをした様にはしゃぐアンドレアス。初めて偉大なる科学者と謁見したグッドリックも、胸が高鳴り舞い上がっていた。

「今回は、教え子を連れて来るとの話だったが、教え子とはフォークスの後ろに居る彼か?」

 アンドレアスがグッドリックの手を引き、フックの前まで連れて来る。共に頭を下げた。

「彼が私の自慢の教え子・エボラクム=グッドリックです。25日の討議会では、先生の肝を抜く素晴しい発表をしてくれる事でしょう」

「ほぉ。其は楽しみだな」

 フックは目尻に皴を寄せて笑った。そしてグッドリックに握手を求める。

「・・・・・・実に、賢そうな顔立ちだ」

(有り難うございます)

 はっきりと聞き取れないその言葉に、フックは少し眉をひそめた。グッドリックはその表情に困惑する。

「フック先生。彼は、聾唖者なんですよ」

「聾唖者?」

 フックは弾けた様に驚いた顔をした。

「マウンダー聾学校で学び、読唇術を身につけていますので他人の言っている事は大体解るのですが、口に出して喋るのは不得手でして・・・」

 アンドレアスが笑顔を崩さずに説明をする。崩れたのはフックの方で、あからさまに困った顔になった。グッドリックは不安になる。

「・・・其では、ゆっくり話したがよいかな」

 想像とは逆の、気遣いの言葉にグッドリックは感激した。泣きそうになる。

「彼の会話の手段は主に手話ですが、討議会での発表は私が通訳をしますので、心配は不要です」

「そうか」

 フックは安心した表情になった。

「・・・・・・あぁ、だから先程、独り言を言っている様に聞えたのか」

 背後でぼそりと言うフォークスに、アンドレアスは愕いて振り返った。

「・・・・・・え!?」

「何せ声は一つしか聞えないのに、質問したり答えたり、やけに会話調だったからな。前々から変人だとは思っていたが、遂に気が触れたかと思った」

「更に上をいく変人の君に言われたくはないよ・・・・・・」

 笑い出すフック。アット‐ホームな雰囲気と障碍を気に留めない事に、グッドリックは感動し、安心の吐息をついた。




 公開講座が始った。本日の議題は『‘死の螺旋Mortal coil’:科学science,医療で延長する人間の命; medicine and the prolongation of human life』グッドリックには興味の無い議題であったがエスカランテ・ハウス(学術審議会)会長であるアランデル=フック本人が出てきて話を展開したり、側にはアイザック=クレーンコートやハンス=スローンという大物が控えて具体例を示してくれた。幼い頃受けた学校の授業の、何倍も愉しい。

 共に講座を聴いている生徒達も、6~7歳の子供からどう見ても堅物そうな大人まで、様々だった。だが、どんなタイプの生徒でもこのハウスは受け容れ、研究の個性を伸ばしてくれる。自分にも、解り易いようゆっくり話し、だが対等に接してくれた。


(会員に、なりたい・・・・・・)


 その想いはこの日1日で益々ますます強くなり、更に具体さをしていった。




 グッドリック最大の見せ場は25,26日の討議会。エスカランテとマウンダーは離れた位置にあり、飛行機も無い当時の交通では一時帰郷は難しかった。アンドレアスの頼みで、当日までエスカランテ・ハウスに泊らせて貰える事となった。

 しかし、この年を境にこの星は徐々に公転周期が遅れ始め、エスカランテはこの時期になっても太陽に背を向けていた。本来はマウンダーより温暖な地域であるのに、寒かったのである。体が慣れておらず、長旅の疲れに加え病み上がりであったグッドリックは、風邪をぶり返し始めた。

「ごほっ、ごほっ・・・」

 グッドリックは短い数日間、自主的に部屋にこもる様になっていった。風邪を治す目的は勿論だが、アンドレアスに知られてはマウンダーに連れ帰られる不安があったからだった。

(早く・・・治さねば・・・・・・)

 だが、薬も無しに自力で風邪を治すのは、思いの外難しい事だった。そして体調の悪いまま、彼は討議会本番を迎える事となった。




 呼吸をする度に、喉の辺りがひゅーひゅー音を立てる。聞えはしないが感じる事だった。アンドレアスに気づかれないよう、事前の打ち合わせ中は口を開けて、ゆっくりと息を吸って、吐いた。

これが、君の証明を纏めたレポートだ。君自身の言葉で話す事が重要だから、最低限の事しか書いていない。君が発見したものだから式を示せば理論は言えるね?」

 グッドリックは静かに頷いた。

「よし。今迄の想いを全てぶつけて、思い切ってるんだ。君の発表しゅわは私が責任を以て正確に訳す。安心して臨んでくれ」

 アンドレアスが強くグッドリックの手を握る。体温の熱さを感じ取られないよう、彼は遂にその拳を開いて握り返す事は無かった。




 討議会場は公開講座の行なわれた部屋と同じであるのに、ひどく目まぐるしく見え実際に眩暈がした。初めて見た時の白い空間の新鮮さは、眩しくて気分を害する代物へと変りつつあった。

 公開講座を凌ぐ参加人数の多さは、数少ない酸素を奪われている様で息苦しかった。所々で、眼球の明りが一瞬落ちるのはフィラメントが燃え尽きそうだからか。


(―――討議会これで、もてばいい・・・・・・)


 エボラクム=グッドリック君。名を呼ばれた。遂に、発表の機会を与えられた。彼は最後に、席を立った。

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