第2話 儚い命

「グッドリック君、ほら。風邪をひきますよ」


 グレアムは少々困っていた。元々彼は、己の身を顧ず観測に没頭する面があったが、アンドレアスのスカウトによって有名なサイエンス・アカデミーであるエスカランテ・ハウスへ行ける事が決ってからは、更に自分の事は等閑なおざりにする様になった。

 今日も薄着一枚で真夜中の冬の空へ出ている。グレアムは心配になって、上の階へと足を運ぶ回数が増えた。データを出す事も大切だが、風邪をこじらせて行けなくなってしまっては元も子も無い。

 上着をぽす、と肩へ引っ掛けると、グッドリックは驚いて振り向いた。

「頼みますから、御自分を大切にしてくださいね」

 だが、グッドリックは聞いているのか否聞えておらず、早くも手話を使ってのマジンガン‐トークを始めた。

 <新しい星を見つけました>

「え・・・もうですか?」

 グレアムは驚いてグッドリックの指し示す方角を見上げた。彼には、その星が一体何座なのかよくわからない。


 <エチオピアの、あの赤色超巨星。同じエチオピアでも、あなたの見ているガーネット・スターでは無く、こちらの星>


 指摘されて、グレアムは何処を見ればよいのか戸惑う。

 グッドリックが手話を終えて、ガーネット・スターよりも若干先にある星を指さした事によってようやくわかった。

 <この星の等級は、タイム・スパンの中で3m6と4m4の間をウロウロしている。そして、等級が変るその周期は>

 さらさらとまた計算を紙に書き出す。128時間と45分。大まかに計算して5.3日。それがまさに、グッドリックがアルゴリアを発見してからδEthiopiaを発見する迄に掛った時間であった。

 <そしてこれは、決められたタイム・スパンの中で定期的に膨脹と収縮を繰り返す。重力と放射圧との内側の熱核の過程と相互作用の為に。この星が私達の星の太陽の数百から千倍の直径を持ち、数千倍の明るさを持つからです>

「そんなに・・・ですか」

 グレアムには其位それくらいの言葉しか掛ける事が出来なかった。我々太陽系の惑星の住人にとっては太陽が全てだが、まさか太陽以上の星が宇宙を回っているとは。


 もうすぐ、あの星も、死ぬ。


 グッドリックは暫しの間、手を動かさずエチオピア(ケフェウス)の赤く燃える星を見つめていた。珍しく黙っている彼をグレアムは不思議に思って

「・・・グッドリック君?」

 と、手に触れる。とても冷たい。全体的に寒冷なこの星の風を受けて、身体が完全に冷えている。

「ほら、身体が冷たいですよ、グッドリック君。そろそろ部屋へ戻りましょう」

 グッドリックは悩み始めた。今回の星には“ついてくる星”の存在が出てこない。別にアルゴリアを売りとしてエスカランテ・ハウスへ行く訳では無いが、エチオピアの星は既に発見済の典型的な変光星である。変光星と、食変光星アルゴリアの周期の割り出し方の共通性は証明できたが。

(・・・また、別の食変光星型を見つけなければ)




 次の日、グッドリックはアンドレアスに『変光星と食変光星アルゴリアの周期の共通性の証明』と題したレポートを提出した。

「素晴しい!」

 アンドレアスは之を絶賛し、その理論もエスカランテへ持って行こうと言い始めた。その為には他の変光星にもその公式が当て嵌まるのかを事前に確認しておく必要が有ると。

 普段通り講義を受ける中で、グッドリックの時間は確実にレポートと観測へと変移して往った。観測は夜にしか出来ない。前々から夜行気味ではあったが、没頭するに遵って彼の睡眠時間はどんどん削られてゆく。

「・・・・・・」

 講義中にウトウトしながらも、真面目に受けようと頑張る不器用な彼を、グレアムは複雑な思いで見ていた。




 一方で、エチオピアの星を発見して以来、彼は食変光星型の別の星を発見できずにいた。エスカランテへの旅立ちまで二週間を切っていた。

 この頃になると、彼は夜の間中ずっと寒空の下へ出ている様になった。延々と、星を数えレポート用紙の裏に何か緻密な図を画き込んでいる。

 アンドレアスが悪い訳では無い。全ては彼がエスカランテにとの執念だった。だからこそ、グレアムも止める事が出来ない。


『彼は褒めて伸びる子です』


 ―――何年も前に、アンドレアスからそう言われた事が有った。グレアム自身、伸びるだとか、伸びないだとかに興味を持たないので深く理解しようとはしなかったが、彼の天才の芽がここまで伸びる事が出来たのは、間違い無くアンドレアスの御蔭おかげだろう。両親と長らく離れて暮している彼にとって、アンドレアスは最高の養父だ。

 しかし、彼は天才であると同時に聴覚障碍者だ。アンドレアスは彼ならば何でも出来ると思って、並の人間以上の仕事を簡単に彼に言い渡すが、聞く事が出来ず話す事も出来ないとは、想像以上に疲労する事であろうと思う。障碍との付き合いが長いといえばそうであろうが、10歳程度で彼が腱鞘炎だと診断された時には、やはり相当の負担が掛っているのだと思い知らされた。


 グレアムが見るだけでも、グッドリックは多分に焦っているのだという事がわかった。アンドレアスに全く悪気は無い。純粋に彼に期待し、誠意を以て課している事はグレアムの眼で何度見直しても同じだった。

「・・・・併し、選択を誤りましたかねぇ・・・・・・」

 エスカランテへ行く事を許可したのは、誤りだとは思わない。アンドレアスを信用できる人だと判断した事も、誤りだとは思わない。だが、確実に何かが違っている。そしてその誤りが何であり、之からどの様な作用を及ぼすのか、グレアムはまだわからなかった。




 エスカランテへ旅立つ、一週間前―――


 何やら、部屋の外が騒がしい。グレアムは新聞を畳んで机の上へ抛り、部屋のドアを開けた。騒がしいのは階段上だ。

「どうしたのです、グッドリック君」

 ・・・・・・返事が無い。いや其は当り前の事なのだが。胸騒ぎがする。グレアムは階段を駆け上がった。

「グッドリック君・・・グッドリック君?」

 上の階のドアを勢いよく開けると、グッドリックが丁度屋根から室内へ戻ったところだった。紙やペンが散乱している。

「・・・・・・」



「グレアム先生!」



 彼に続いて男が一人、室内へ入ってグレアムの元へ駆け寄って来た。アンドレアス=ドップラーである。

「アンドレアス先生・・・」

「素晴しいですよグレアム先生。彼はりました!」

「・・・・・・え?」

 アンドレアスがグレアムを外の屋根に連れ出す。グッドリックがいつもする様に、天高くハーディ=ガーディ《こと座》の星を指した。

「あの白い星です。あれが、アルゴリアと同じ食変光星型の星である事を、彼は発見したのです!」

 専門的な名称ばかり出てきて、混乱しそうになる。グレアムは待って。と言ってアンドレアスを制止すると、ゆっくりと内容を噛み砕く様に、自分の言葉に言い直した。

「・・・其は、また新しい星を発見したという事ですか?」

「・・・・・・」

 グッドリックが、グレアムやアンドレアスの背後に当る室内で、散乱している紙を一枚一枚拾い上げて片づける。ペンも机の上へと移動させるが、すぐに転がりまた床へと墜ちた。

「そうです!1ヶ月そこそこで2つの星を、しかも確立した夫々それぞれの法則を発見する事が出来るなんて、素晴しい業績だ。後は之を討議し易いよう纏めて・・・」

 グッドリック君、とアンドレアスが振り返る。

 グッドリックは落したペンを拾おうとしたが、頭を下へ向けるといつもより重たく感じた。そのままふっと目の前が暗くなる。



「グッドリック君!」



 アンドレアスの大きな声に、グレアムはおどろいて室内の方を見た。アンドレアスより一拍早く行動に移る。


「グッドリック君」


 窓枠をひらりと越えて、彼の側へ早足で行き体を支える。額に手を当てると、グレアムの冷たい手が一気に熱くなった。

「熱があるではありませんか・・・・・・!」

「何ですって!?」

 アンドレアスが追い着いて彼を覗き込む。グレアムの腕の中で、グッドリックはぐったりしていた。アンドレアスは焦った。


「遂に風邪を抉らせましたか・・・」

「風邪!?」


 この時代、まさに「風邪は万病のもと」であった。日和見感染の心配では無く、もっぱら肺炎や気管支炎等、呼吸器の病に発展する事が懸念される。そうなれば最後、当時の薬技術では抑えられずに呼吸困難で死に至る人がたくさんいた。

「そんな・・・・っ」

「旅立ちの日まで安静にしていなければなりませんね・・・体を休めさえすれば、何の心配も要らない病です。休めれば肺炎や気管支炎の危険性も無い」

 心配に顔を滲ませるアンドレアスに、グレアムは励ます様に言う。グッドリックは呼吸こそ平常だが、見るからに顔が熱くきつそうだ。

「どれ位の日数で、治りそうですか」

「多く見積って、4~5日ほどでしょうね。ぶり返さない為にはその位が必要です」

「4~5日・・・・・・」

 旅立ちの日まで、過ぎてしまった今日を入れずにあと6日である。まだ、今夜発見した星の確立した式を証明できていない。

 旅立ちの準備も討議会への意見の纏めもまだだ。

 アンドレアスは彼の顔をもう一度覗き込む。そして、重症だと判断したのか、彼は今頃になってとんでもない事を言い出した。


「今回の話は・・・見送りましょうか」


「!!?」


 愕くのはグッドリックとグレアムである。グッドリックが頭を起した。

「・・・・・・何故です?」

 極めて冷静に、当り前の事を訊くグレアムに、アンドレアスは半ばムキになった様な上擦った声で言った。

「だって・・・感冒カタルですよ。今回の旅は特にハードだ。其で体調を更に悪化させてしまったら・・・・・・」

 グッドリックがアンドレアスに向かって手を伸ばす。アンドレアスは不思議に思い、彼の空中でふわふわする手を握った。

 グッドリックが、あうあうと口を動かす。

「・・・・・・え?」

(3日で・・・治すから・・・・・・)

 中途半端に開閉する唇を読み取れないアンドレアス。

 グレアムはグッドリックを己に寄り掛らせて、アンドレアスに微笑んで言った。


「旅の間に悪くなる事は、無いです」


「・・・え?」



「何故なら、旅立ちの日までに完全に治すからです」



 力強い師の声を感じる事が出来たのか、グッドリックはぐったりとしたまま屈託無く笑った。

 アンドレアスの心が、ずきんと痛む。


「・・・・・・かなわないなぁ」


 泣きたい様な、笑い飛ばしてしまいたい様な衝動に駆られる。

「・・・・・・よし!」

 拳をぐっと握りしめ、改めて気合を入れ直すアンドレアス。いつもの張りの有る声で、二人に向かって元気に言った。

「わかりました!・・・グッドリック君、討議会への纏めは私がしよう。そして事前に打ち合わせをする。でも、証明は君自身が遣らなければ意味が無い。風邪の治った1~2日で遣ってみてくれ。何なら、旅の間に遣ってくれても構わない」

 ふっきれた様に歯切れのよくなるアンドレアスを、グレアムは目を細めて見ていた。

「其と、グレアム先生」

「何でしょう」

「大変申し訳無いのですが、グッドリック君の旅の準備をお願いしてよろしいでしょうか?・・・之で、彼の負担がまた少し減る」

 グレアムはくすりと笑った。

「ええ、勿論です。彼は私にとっても、大切な、たった一人の息子ですので」

 そう言うと、アンドレアスは哀しげに笑った。




「アンドレアス先生」

 グッドリックの看病も一息ついて、グレアムがその部屋を出た時には朝が近くなっていた。この星は、夜明けが遅い。

「寝なくていいのですか?」

 アンドレアスは、冷たい廊下の窓に立って、長い間空を見ていた。だが、星を見ていた訳では無い事を、グレアムは知っている。

「・・・・・・風邪を、ひきますよ」

 グレアムが、注いだばかりの温かいコーヒーをアンドレアスに渡す。

 グッドリックが何故己の身体に無頓着なのか、グレアムは解った気がした。師事しているこの教諭が、余りにも己に無頓着だからだ。

 ・・・だが、研究でもないのにわざわざこの寒い処へ身を呈するのは、すごく自棄的である。その理由もグレアムは知っている。

「彼がああなったのは、あなたのせいではありません。冷たい廊下で頭を冷しても、彼が悲しむだけですよ」

「・・・・・・グレアム先生」

 アンドレアスが之程これほどにショックを受ける理由。其はグレアムも知らない。だが予想は簡単につく。

「無理を・・・・・させてしまいましたね」

「彼は、好きな事柄にはいつも無理をします。あなたの責任の範疇ではありませんよ」

「・・・・・・」

 アンドレアスがコーヒー‐カップを両手に持って、湯気を顔に受ける。眼鏡が曇って、目から出る表情がよく分らなくなった。


「・・・・グレアム先生、私ね」


 グレアムがコーヒーを飲むのを止めて、アンドレアスの方を見た。



「タルシスの方で、家庭教師をしていた時期があるのですよ」




 天上で、フォボスとダイモスが交錯する。




「その子も、グッドリック君と同じ天才肌の子で、私は大いに期待した。その子は、厳しくしつけて伸びる様な子で、天才だがグッドリック君の様にエスカランテ・ハウス《学術審議会》に興味をいだく様な子ではなかった。でも、私はその天つ才をどうしても埋れさせたくなくて、その子を椅子に縛りつけて厳しく教育したのです・・・・その結果、その子はどうなったと思いますか」


 何れにしろ死んだのでしょうね・・・だがグレアムは、その決り切った答えを口に出そうとは思わなかった。無視してコーヒーを一口飲む。


「グッドリック君の様に突然倒れて、そしてその子はその日の内に死んでしまったのです。風邪を抉らせ、急性肺炎を起したのでした」

「・・・・・・」

「原因は、私が無理に勉強をさせ続けた事による過労・・・・・私はタルシスを去りました。でも、教師という職業はどうしても捨てる事が出来ませんでした。こうして、また素晴しい頭脳を持つ子に出逢える事を、あの時から予感していたからなのかも知れません」

 全てはグレアムの察した通りだった。が、全て理解の出来ない事だった。次に出てくる彼の言葉も、予想は出来るが理解は出来ない。


「私は誓いました、もう厳しい教育はしない、褒めて伸ばそうと。専門の道に興味を懐かない様であれば、強要はしないと・・・・・・


 ・・・併し、結局は、強要して遣らせた事と同じだ」



「グッドリック君は、あなたの以前担当していた子供ではありません」



 突き放した物言いに、アンドレアスは驚いた表情でグレアムを見た。


「確かに、以前の子供に対しての教育は不味かったかも知れません。併し、グッドリック君がエスカランテ・ハウスに興味を懐いたのは、あなたがその存在を提示したに他ならない。あなたが彼の才能を発掘し、教育していなければ、彼は天才としてここまで成長していなかったでしょう。其は、専門の違う私では出来なかった事です」

 グレアムがコーヒーを飲みほし、アンドレアスを真っ直ぐに視る。

「あなたの以前担当した子供とグッドリック君の確実な違いは、グッドリック君は観測が好きで、己の意思でエスカランテ・ハウスへ行こうとしている点です。其にあなたはチャンスを与えた。認められる為には何が必要かを提示したに過ぎません」

 グレアムは自信を籠めた表情で微笑んだ。

「彼にとってはいい近道になったという訳です。何れにしろ、彼ならばあなたが居ても居なくても、確実に無理をして自分の趣味をきわめていた。あなたの存在は、転機ではあれど精神まで大きく及ぼしてはいません」

 彼はそういう人です。そう言ってグレアムは窓の外を見た。空が明るくなりつつある。

「さぁ、私達ももう眠りましょう。あなたまで風邪をひいたら、グッドリック君は悲しみます」

「其は確実ですね」

 はは、とアンドレアスは苦笑した。グレアムがどういうニュアンスで言ったのかは判らないが、どう転んでも彼は悲しむ。

「前者ですよ」

 グレアムがアンドレアスに先駆けて往く。アンドレアスは、一瞬自分の心を読まれたのかと思い目を丸くした。


「・・・・・・そうですよね」


 アンドレアスが、冷めかけたコーヒーを一口飲む。ドアの向うへ消えるグレアムを、彼は見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る