第11話 衝撃のカミングアウト


 オタクとギャルは"水と油"の関係であり、互いに交わることないはずだった。


 それなのにオタク市之瀬ギャルは、『乳きゅん』の爆乳美少女フィギュアを前にして鉢合わせてしまったのだ。

 いや、鉢合わせただけならまだ救いはあったはずだ。


 オタクの俺がこのフィギュアを狙っていたという状況なら、こうして市之瀬と鉢合わせても『オタクまじキモい』と言われて終わりだっただろう。


 だが市之瀬は、俺を見かけて開口一番に『おいそこのお前っ、そこはあたしがやってた台』と、自分がこの台でやっていた事を言ってしまった。

 つまりそれは、爆乳美少女を獲ろうとしていた事実から言い逃れができない状況を自分で作ってしまった事になる。


「あっ、あんたまさか……あたしの弱味を握るために……」


 市之瀬は動揺で顔を真っ赤にしながら、俺に向かって人差し指を突き立てながら言う。


(また始まった。オタクへの偏見タイム)


 海山もそうだったが、どうやらオタクは弱味を握りたがる生き物だとギャルたちに思われているらしい。


(俺みたいなオタクが弱味を握ったところで、言いふらす相手もいないんだから何にもできないだろうに)


 むしろやっていいなら市之瀬のホワホワな巨胸と、ムチムチな太ももに顔を突っ込みたいくらいだ。


「ねえ……何か言ったらどうなの」


 他人行儀の如く黙って戦況を見守っていると、市之瀬が震えた声で俺に言った。


「あんたはどうせあたしがふぃ、フィギュアを狙ってたこと、高校で言いふらして、あたしのこと破滅に追い込もうとするんでしょ?」

「落ち着いて欲しい。俺がここに来たのは別にそんなこと目的じゃない」

「じゃあなんでここにいるの? ここ隣町だよ?」


 それを言及されると俺も弱い。

 朝のことを聞くために海山から情報を得たなんて言えるわけない。

 そもそも海山と繋がっていることがバレたら、爆乳フィギュアを獲っていた秘密が、さらに重たい秘密になってしまう。


(こうなったら……だ)


「じっ! 実は俺も、このフィギュアを獲りに来たっつうか」


 完璧な切り返しだ。

 これで俺が海山から聞いてここに来たことは誤魔化せる!


「え、あんたもミルクたんの……?」


 ミルクたんというのはこの爆乳フィギュアの女の子のことであり、白髪ツインテールの美少女でB110の爆乳から母乳を発射し、敵の眼をくらませるのが得意……という、かなりエロいキャラだ(もちろんプライズ版は黄色いビキニを着ているため、その母乳を拝むことはできない)。


 って、ちょっと待て。

 "ミルクたん"って呼んでるってことは、市之瀬は転売とか譲渡が目的じゃないってことか?

 よし、次はそこに切り込んでみないと。


「と、ところで市之瀬は、なんでこのフィギュアを狙ってたの?」

「…………」


 問いかけても返事がない。

 市之瀬は肩に垂れた茶髪をクルクルと弄りながら、罰の悪い顔をして目を逸らす。

 答える気はない、とその態度が語っていた。


「えと、誰かにあげるとか? それとも、するのが目的とか——」


 言いかけた瞬間だった。

 市之瀬は急に距離を詰めて来ると、俺の制服の胸ぐらをグッと掴んだ。


「あたしをあんなゲス野郎たちと一緒にしないでっ!」


 普段はダウナーな市之瀬が、突然感情的になった。

 どうやら『転売』というワードが地雷だったようだ。


「あたしは……転売に屈しないためにこうやって獲ろうとしてたの! あんな転売ヤーみたいな人間と一緒にすんな!」


 怒りが爆発中の市之瀬は、俺の顔に頭突きする勢いで顔を近づけながら胸ぐらをグッと引っ張った。

 市之瀬の綺麗で整った顔が近づいて来ると、俺はつい照れてしまう。


(やっべぇ……怖いというより市之瀬の顔が可愛すぎる。てかめっちゃいい匂いするな……)


 市之瀬から香る柑橘系の良い香水の匂いが、俺の鼻腔を刺激する。

 これがギャルの香り……海山とはまた違う、芳醇な香り。


「ちょっと聞いてんの?」


 かなり怒った様子の市之瀬は、もう今にも殴って来そうな雰囲気があった。


(ヤバいな、この状況)


 今、市之瀬の中での俺は敵でしかない。

 どうすればこの場が収まるのか考えた時、俺に残された選択肢は一つしかないと思った。


(……仕方ない。今は出費を惜しんでいるほど余裕はないからな)


 俺は胸ぐらを掴まれたまま、制服の尻ポケットから財布を取り出して、そのままUFOキャッチャーに100円入れた。


「ちょっ、何を勝手に!」


「……黙ってくれ」


「へっ?」

「あと胸ぐらから手を離してもらえるか? 今から集中したい」


 集中モードに入った俺は、指をポキポキさせながら偉そうに言う。

 すると意外にも市之瀬は、すんなり手を離して俺の横に立った。


「な、なんか……あんた、雰囲気変わったね」


 そう、俺はUFOキャッチャーを始めると別の人格モードが出てしまう。

 思春期の頃からを獲るためだけに鍛えて来た、極限の集中力とUFOキャッチャーのテクニック。

 それを発揮するには集中モードに入らないといけないのだ。


 UFOキャッチャーは一発で取れるほど甘くない。

 だから"撫でる"作業が大切なのだ。

 景品を撫でて"取れるポジション"に動かしてから、あとはアームで押し切る。


「よし、これで」


 俺は慣れた手つきでアームを動かし、わずか5回のプレイで目の前のフィギュアを落として見せた。


「すっ……ご。あんたマジですごいじゃん」


 見たかギャル? これがスポーツや勉強では普段イキることができないオタクの力だ。

 オタクを舐めたら痛い目に遭うぜ。


 俺は取り出し口からフィギュアを手に取ると、市之瀬の胸元にフィギュアを押し当てる。


「はい、これ」

「え……い、いいの?」

「当たり前だ」

「あ、当たり前って……これはあんたが落としたし、あんたも欲しかったじゃ」

「これが取れたのはここでずっと市之瀬が頑張ってくれたおかげだと思う。だからこれは市之瀬の物だ」


 俺はそう言いながら、乱れていた制服を正す。

 内心は『今日のところはこのフィギュアで勘弁してください!』という気持ちでいっぱいだった。


(さて、フィギュアを市之瀬に上納したことだし、その代わり今日あったことはお互いに無かったことにしてもらおう)


 海山には悪いが、朝のことを聞くどころでは無かった。

 まさかダウナーギャルの市之瀬優里亜が『乳きゅん』のファンだったなんて……むしろ知りたくなかった。


「あのさ市之瀬、今日のことはお互いに忘れ——」

「あんたは馬鹿にしないの?」


 俺が上手いこと纏めようとすると、市之瀬が遮って来る。


「馬鹿にする? なんで?」

「だって……女の子が、それもあたしみたいな女子高生がこんなエロアニメのこと好きなの、どう考えてもおかしいじゃん!」


 市之瀬はグッと歯を食いしばりながら苦い顔をする。

 市之瀬も海山と同じように……過去に何か言われたことがあったのだろうか。

 仮にそうだとしても市之瀬はと思う。


「それは作品に対して失礼だろ」

「え?」

「例え母乳を発射するようなエロアニメでも、好きなものを好きと胸を張って言うのは何も間違ってない……と思う。現に俺は、自分の好きなものが恥ずかしいなんて思ったことない」


 俺の場合はラノベだってカバーをしない。

 何も恥じることはない。それがオタクとして生きるということだからな。


「べ、別に趣味を隠すことが悪いとは思わないけど、ただ、その作品が好きなのに自分から貶すのは、やめた方がいいと思う」

「……っ」


 つい諭すようなことを言ってしまったが、現実では俺がクラスの最底辺で、市之瀬はクラスカーストトップ。

 だからあまり偉そうなこと言える立場じゃないんだが……。


(結局、朝言われたことの意味が分からなかったが、もうここはドロンするか)


「ごめん市之瀬、俺、もう行くよ」

「…………」

「とにかく今日のことはお互い忘れよう。それが一番だし」


「嫌だ……」


「は? いや、その方が市之瀬としても都合が」


「だってあたしも……オタク、だからっ」


「へ?」


 唐突な市之瀬優里亜のカミングアウト。


 俺が空想上の生き物だと思っていた『オタクに優しいギャル』どころか、がそこにいた。

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