2
自室へ戻ったリュウセイは、缶を開けてビスケットを皿へ出した。一つ手にしてかじりながら、見つけた手がかりをテーブルの上に並べて考える。
・ハルトの遺書
キリを殺したのは僕です。彼女は前からタケフミに色目を使っていて邪魔だったので殺しました。
サクラはキリと仲が良かったから口封じのために殺しました。
ミソラを階段から突き落としたのも僕です。キリやサクラと仲が良かったから、もしかすると気付かれているかもしれないと思い、怖くなってやりました。
ロボットを中庭へ落としたのも僕です。ただただ邪魔でした。
食料を盗んだのも僕です。侵入者はいません。アトリエに盗んだものを隠してあるので探してください。
ごめんなさい。許されることだとは思わないけど、もう疲れました。
タケフミ、本当にごめん。君に出会えて幸せでした。
「キリさんがタケフミさんに色目……?」
ありえなくは無いだろうが、そんな情報は誰からも聞いていなかった。このマンションにおける中心人物同士の色恋であり、タケフミにとっては浮気だ。明らかにトラブルの火種であり、噂になっていてもおかしくない。
「サクラの口封じは分かるとしても、ミソラくんを突き落としたのがハルトさんなのは分からないな。殺さずに階段から突き落としただけでは、前の二件を本当に彼がやったのか疑わしくなる」
遺書にある通りであれば、ミソラも殺されているはずだ。そうしなかったのは何故だろう。
「ロボットを落とした動機も変なんだよなぁ。どうも
キリへの脅しのためにロボットを落としたと推測していたが、遺書はそれを否定していた。しかしそれではキリの言動に説明がつかない。
「この宇宙船の絵も、何を伝えようとしているかさっぱりだ」
画用紙を手に取ってまじまじと見つめる。黒く塗りつぶされた部分に注目し、何か隠されていないかと紙を傾けてみた。
残念ながら何も発見できなかったが、ふと指先に別の感触を覚えた。裏返してみると、一見真っ白なそこに白いクレヨンで何かが描かれていた。
様々な方向に傾けて光の反射具合を調節してみるが、はっきりとは見えない。
「うーん、何かあるのは分かるんだけどなぁ」
リュウセイはため息をついて画用紙をテーブルに置いた。入れ替わりにスマートフォンを手にする。
「あとはスマホだけど……」
側面のボタンを押すと画面がついた。しかし暗証番号を入力するようにうながされてしまい、すぐに手を離した。
「ダメだ、詰んだ。もう行き止まりだ。見つかったのは盗まれた食料だけだった」
椅子の背にもたれて天井を仰ぐ。
「ショウがいてくれたら……」
少しは推理が進んだかもしれない。しかし今は彼の気持ちを尊重し、もう何も考えないでいいようにそっとしておきたい。同時に自分一人ではどうしようもなく、彼の助言を求めたい気持ちも高まっている。
姿勢を戻してビスケットを黙々と食べ、迷いに迷ってからリュウセイは席を立った。
「ごめん、ショウ。俺は君がいないとダメみたいだ」
ベッドで惰眠を貪っていると、突然リュウセイがやって来てそう言った。
ショウは無視して眠っている振りをする。
「アトリエに行って盗まれた食料を見つけた。それと宇宙船の絵を持って行くよう、メッセージが残されていてね。どうやらあの絵の裏に何か描いてあるみたいなんだけど、白いクレヨンだから見えないんだ。あとハルトさんの部屋で鍵を見つけたんだけど、これが何なのかさっぱり分からなくて」
思わずまぶたを開けそうになり、すぐにショウはぎゅっと閉じる。寝返りを打って彼へ背を向けた。
「お願いだよ、ショウ。君の力を借りたいんだ」
リュウセイはため息をつくとその場にあぐらをかいた。後ろ向きになってベッドへ背中をもたれ、大きな独り言をこぼす。
「君の気持ちは理解してるつもりだよ。目をそらしたくなるのも当然だと思うし、他のみんなもどうでもいいって言葉で片付けちゃってるから、右に習えしたくなっちゃったんだよね」
ショウは真実を知るのが怖かった。世の中には知らなくていいことだってたくさんある。
「それに犯人を見つけたところで追い出すことしかできないんだ。穏やかな暮らしは手に入るかもしれないけど、食料が尽きたらそれまでなんだよなぁ。病気になったら治せないし、あと何年、いや、何ヶ月生きられるか分からない。もしかすると明日には心臓が止まってしまうかも」
どこか虚ろにため息を吐き出して、リュウセイは続けた。
「でもせっかく出会えたんだ。生きていられるうちは楽しく過ごしたいじゃないか。たとえ思うようには行かなかったとしても、さ」
「……神様がいるのかと思ったけど、勘違いだった。神様なんていない、ただ運がよかっただけだ」
背中を向けたままショウがつぶやき返すと、彼は相槌した。
「俺もきっとそうだ」
「でもやっぱり、世界は残酷で優しくない。もうオレ、どうしたらいいか分からないんだ」
「それでも俺は感謝したいね、君と出会えたことに。君が辛くて、苦しくて、死にたくなってしまっても、俺は一緒にいたいよ。君は君のままでいい、君のやりたいようにすればいいって背中を押したい」
優しいのは彼だけだ。世界は常にショウを見捨ててきた。幸せだったのは無垢だった小さな頃だけで、新しいことを知れば知るほど残酷さに晒されてきた。溶け込もうと必死に頑張ってきた社会も崩壊した。本当はもうとっくに限界だったのだ。
「どうせいつか終わるなら、何も知らなかったことにして終わりたい」
「そうだね、その方がいい場合もある。でも、まだ証拠が無いとは思わないかい? あと動機も分かっていないよ」
急に話を戻されてショウは少し嫌な気分になる。
「……ハルトがやったんだろ、それでいいじゃないか」
「それじゃあ、どうして彼は宇宙船の絵の裏に白いクレヨンで何かを描いたんだろう? どうして部屋に鍵があったんだろう? そもそも、どうして自殺したんだろう?」
言われてみればハルトの自殺には謎が残る。リュウセイが見つけた手がかりらしきものも踏まえると、何を考えていたのか気になってしまう。
「もしかすると俺たちは、何か勘違いをしているのかも」
ぽつりと放たれた言葉が耳に残った。
「ハルトさんも言ってたもんなぁ。人間は間違う生き物だ。簡単に嘘をつくし、無意識に矛盾する。勘違いや誤解もするし、価値観が違えば見方は変わる、って」
「……もし、そうなら」
「可能性がわずかでもあるなら確かめないとね。真実が単純なものだとは限らないし、知ってみないとどうにもならない。ああ、でも君が悲しくなるような結末なら、その時には謝るよ。ごめん」
寝返りを打つとリュウセイの顔がすぐ近くにあった。ドキッとした勢いで上半身を起こしてしまう。
「やる気になったかい、探偵さん」
「そ、そういうわけじゃ……っていうか、近ぇよ。離れろ」
何故か近づこうとする彼を手で押し離し、視線をそらす。不意打ちだったとはいえ、心臓がドキドキしているのが
テーブルの上に物が増えていた。ハルトのスマートフォンと遺書だけでなく、文字の書かれた付箋紙に宇宙船の絵、そして見覚えのある鍵も置かれている。
いつものように向かい合って座り、リュウセイは説明した。
「まずはスマートフォンだけど、暗証番号が分からないから開けなかった。それからアトリエで盗まれた食料を探していた時に見つけたのがこれだ」
彼が差し出したのは付箋紙だ。「仲間外れを持っていって」
「ハルトさんは元々、色鉛筆を使って写実的な風景画を描いていた。アトリエには何枚もの絵が飾られていたから、これは間違いようのない事実だ。でも、これだけがクレヨンで描かれている」
ショウは付箋紙をテーブルへ置くと、手を伸ばして宇宙船の絵を取った。
「こいつが仲間外れってことか」
「裏に何かあるのは見つけたけれど、どうすれば見えるようになるのか思いつかなくてね」
ショウは紙を持って立ち上がり、寝室から届く光に照らしてみる。何度も角度を変えて、よく見えないかと探ってみたがダメだった。
「見えねぇな」
「最後に見つけたのが、この鍵だよ」
示された鍵を見てショウは神妙な顔つきになる。デフォルメされた桃色のツチノコのマスコットが付いているため間違いようがなかった。
「それ、ミソラのだ」
「え?」
「三〇四号室、ハーブを育ててる部屋のやつだよ。あそこには鍵がかかってるんだ」
宇宙船の絵をそっとテーブルへ戻す。
「それは知らなかった。どうしてハルトさんが持っていたんだろう? もしかして昨日の夕方、ミソラくんが落としたのを拾ったのかな?」
「いや、違うな。むしろ突き落とした目的がそれだったのかもしれない」
ショウのひらめきにリュウセイが「どういうことだい?」と、うながす。
「スリをする時の基本だ。ターゲットが他の何かに気を取られている隙に物を盗る。今回だと、ミソラは鍵をズボンのポケットに入れていたはずだから、それを抜き取ったと同時に突き落とした」
「つまり、ミソラくんは鍵を盗まれたことに気付かなかった?」
「そういうことだ。もっとも、ハルトがそんな手癖の悪いやつかどうかは知らないが」
「うーん、赤ん坊の頃に捨てられたって話だし、施設育ちなのは確かだよね」
今になって彼へ親近感を覚えたものの、虚しいだけだった。ハルトはもうこの世にいない。分かっていてもつぶやかずにはいられなかった。
「もしかしたらオレみたいに悪いこと、してたのかな」
「否定はできないね。人は見た目によらないものだし、品行方正に育ったわけじゃなかったのかも」
リュウセイがため息をつき、ショウは話を進める。
「鍵を残したってことは、三〇四に何かあるってことだよな。いかにも調べに行けって誘導されてるみたいだ」
「俺も同じこと考えてた。ハルトさんが敵なのか味方なのか、信じていいのかどうか、はっきりしないよね」
束の間黙り込んでテーブルの上を眺める。
「遺書の内容も変だよな。辻褄が合わない」
「うん、これは嘘かもしれないね。分かりやすく言えば、真犯人をかばって自殺したんだと思う」
「かばう?」
「そうでなければ自殺する理由が無いんだよ。いや、そう言い切れるわけでも無いんだけど、フィクションにはありがちな展開だからさ」
と、リュウセイが苦笑いをし、ショウは微妙な気分になる。
「もしそうだとしたら、何で手がかりをいくつも残したんだよ」
「それは分からないよ。ハルトさんの意図は全然読めない。でも、だからこそ三〇四号室に行ってみるべきだと思う。彼はグレーだと自分でも言ってたでしょう? 俺たちの側である可能性を否定できないんだよ」
リュウセイの言うことは理解できたが腑に落ちなかった。
「そのおかげで犯人が分かったら、都合よすぎだろ」
「うーん、そう言われると困っちゃうな」
苦笑いでごまかす彼から視線を外す。
「他に情報が得られるとしたらタケフミだな」
「そうだね、スマホについても聞いてみようと思ってる。暗証番号なんて知らないかもしれないけど、一応ね」
彼の電波時計を見るとそろそろ昼食の時間だった。
「それなら、どっちを先にやる?」
「タケフミさんはまだ話ができるか分からないし、先に三〇四かな。でも、勝手に入ったことがバレたらまずいよね。ミソラくんだけでなく、ユキヤにもバレないようにしないと」
「ハーブがある部屋だから、あいつが来ることは無いと思うけどな。念のため、二手に分かれるか」
「ユキヤたちを引き付ける役と、部屋を調べる役だね。怪しまれないように彼らの注意を引き付けられるといいんだけど」
「考えるしかないな。腹減ったし、食いながら相談しよう」
と、ショウは席を立った。
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