5日目
1
自分の部屋で目を覚ますと、やけに静かに感じられた。自分以外には誰もおらず、外から鳥の鳴き声が聞こえることも無い。
寝返りを打ってから体を起こし、ショウはあくびをした。尿意を覚えてベッドから出る。
今朝も晴れていた。外から入る光を頼りに小便を済ませ、頭をすっきりさせるために洗面所で顔を洗う。夏のような気温のおかげで、冷たい水が心地よかった。
朝食を取ろうと思ってリビングへ戻ると、外から男性の叫び声が聞こえた。ごく近いところからだ。
ほとんど無意識に靴を突っかけて廊下へ走った。
二〇六号室の前でタケフミが腰を抜かして座り込んでいた。扉を開けたまま立ち尽くしているのはユキヤだ。
「何があった!?」
駆けつけたショウへユキヤは苦々しく言う。
「ハルトさんが自殺した」
室内へ目を向けると、トイレの前で首に電気コードを巻いたハルトがぐったりしていた。ドアノブを使った首吊り自殺だった。
「嘘だろ……」
信じがたかったが、視線を移したショウは靴箱の上に一枚の手紙が置いてあることに気付く。
二つ折りになっていたそれを手に取って開くと遺書だった。細い黒のボールペンで
遅れてやって来たリュウセイが後ろから覗き込む。
「ショウ、それは?」
「遺書だ」
すぐにそれを彼へ渡して、室内へ足を踏み入れる。ハルトのそばまで行き、体が冷たくなっていることを確認した。
目を通し終えたリュウセイが外を振り返ってユキヤとタケフミ、そしてやって来たばかりのマヒロとナギを確認してから言った。
「読むよ」
キリを殺したのは僕です。彼女は前からタケフミに色目を使っていて邪魔だったので殺しました。
サクラはキリと仲が良かったから口封じのために殺しました。
ミソラを階段から突き落としたのも僕です。キリやサクラと仲が良かったから、もしかすると気付かれているかもしれないと思い、怖くなってやりました。
ロボットを中庭へ落としたのも僕です。ただただ邪魔でした。
食料を盗んだのも僕です。侵入者はいません。アトリエに盗んだものを隠してあるので探してください。
ごめんなさい。許されることだとは思わないけど、もう疲れました。
タケフミ、本当にごめん。君に出会えて幸せでした。
「な、んで……何でだよ、ハルト……」
いまだ受け入れがたいのだろう、タケフミが顔面蒼白になって彼の名を呼び続ける。
リュウセイは手紙を二つ折りにしてズボンのポケットへしまうと、廊下にいる彼女たちへ言った。
「マヒロ、ナギ。タケフミさんを頼んでもいいかい?」
二人がうなずき、すぐに
「タケフミさん、立てる?」
「お部屋、行こ?」
二人に支えられながらゆっくりと彼が立ち上がるのを見て、ショウはユキヤへ視線を移した。
「ユキヤはミソラのそばにいてやってくれ。ハルトのことを伝えるかどうかはお前に任せる」
「……分かった」
彼が押さえていた手を離すと、扉が静かに閉まって暗くなる。ランタンを持って来ていないため、奥の部屋からカーテン越しにうっすらと朝日が届く程度だ。
リュウセイが真面目な声で言った。
「もう調べるのはやめたんじゃないのかい?」
「ただ遺体を確かめていただけだ。邪魔ならオレも戻る」
さっと立ち上がると彼の視線を感じた。
「駐車場に運びたいから、それだけは手伝って欲しいな」
「……分かった」
キリとサクラの時にも二人がかりでやっていたことだ。リュウセイがすぐに奥の部屋へ向かい、さっとカーテンを開けた。
遺体の首から慎重にコードを外したショウは、その死に顔がまるで眠っているかのように安らかであることに気付く。光を受けた様子は生きていた頃より美しく思われ、気を抜くと見入ってしまいそうになる。
リュウセイがベッドからシーツを外して持って来た。
床へシーツを敷き、遺体を二人で持ち上げると何かが落ちた。二人とも気付いたが、まずは遺体をシーツの上に移動させた。
協力して遺体を包んでから、リュウセイが廊下に落ちた物を拾い上げる。
「スマホだ」
黒いスマートフォンだった。薄暗くてはっきりしないが、直感的に見覚えがあると思った。
リュウセイもきっと同じことを思ったのだろう。意見を聞きたそうにちらりとショウを見てから、スマートフォンをポケットへしまった。
駐車場の分かりやすいところに遺体を運び、置いておいた。
「それじゃあ、戻る」
と、ショウは早々にリュウセイへ背を向けて歩き出す。後ろ髪を引かれないわけではないが、もう犯人探しからは手を引いたのだ。部屋に戻って適当に時間をつぶそうと決めていた。
一方、リュウセイは黙って彼を見送った。いざ一人になってしまうと寂しいものがあったが、今は他にやるべきことがある。
気持ちを切り替えるために深く息を吸い、ゆっくりと吐いてから、リュウセイも駐車場を後にした。
まず最初に訪れたのはハルトのアトリエだ。
主を失ったリビングは殺風景だった。床は綺麗に片付けられており、やけにがらんとして見える。
リュウセイは室内を見回し、テーブルへ近づいた。昨日ハルトが描いていた宇宙船の絵が置かれていた。
「うーん、何か意図があるのか、それともただ置いてあるだけか」
横長の画用紙いっぱいに、グレーの輪郭で黒く塗りつぶされた細長い楕円が描かれている。右側にロケットエンジンと思しき台形が二つあるが、言われないと宇宙船だとは思えない。お世辞にも上手いとは言えない、いい加減で稚拙な画風だった。――下手な絵といえば、連想せずにはいられないものがある。
「あれは、もしかして……」
確信は持てないが少なくとも関連性はありそうだ。
次にキッチンに置かれた棚の前へ移動した。光が届かないため薄暗くはあるが、中に何も入っていないのが分かった。
その場に腰を落として下部の戸を開けると、缶詰と即席麺が見つかった。数も盗まれたものと同じ、二つずつだ。
「本当にあった」
食料を盗んだのは彼だったのだろうか? 疑念を抱きつつそれらを取り出した時、奥にメモらしき
「仲間外れを持っていって」
筆跡は遺書のものとそっくりなため、ハルトが書いて残したのだろう。食料を探して、というのはこの付箋紙に気付かせるためだったのか。
「彼はグレーなのかな」
ふと昨日の会話を思い出す。ハルトはどちらでもない様子だったが、それが黒寄りか白寄りかまでは分からない。ましてやこのメッセージだ。
「遺書に書いてあることが妙なのは確かだけど、どういうつもりでこんなことをしたんだろう?」
ハルトの意図がいまいち読めない。
頭を上げて何気なく横を見ると、二つある洋室の扉がどちらも開け放されていることに気が付いた。一方には廃材で出来た像が並び、もう一方には風景画が何枚も壁に飾られていた。
食料と付箋紙をテーブルの上へ置き、まずは左側の部屋へ入ってみる。
玄関に置かれていた女神像と似た作品がいくつか置かれていた。棚には手の平に乗るような小さなものまであり、ハルトの多才さを今さらながら思い知らされる。
その他に置かれていたのはハサミやカッターなどの道具と画材が乱雑にしまわれた棚だ。色鉛筆だけは引き出しの一つにまとめられており、よく使っていたらしいことがうかがえた。
もう一方の部屋へ移動すると、今度は絵画が壁のあちこちに貼り付けられていた。
おそらく記憶の中にある風景を描いたのだろう、昔のよかった時代を思わせる作品ばかりだ。一枚一枚が色鉛筆で細かく描かれており、まるで写真のように綺麗なため、見ていると懐かしさとともに失ってしまった痛みを覚える。
「本来はこういう作風だったのか」
無意識につぶやいてからリビングのテーブルへ視線を向ける。そこにあるのはクレヨンで描かれた絵だ。どうやら仲間外れというのは宇宙船の絵を示すらしい。
「なるほど、そういうことか」
ありがたく持っていくことに決め、リュウセイはリビングへ戻った。
盗まれた食料を見つけたことを報告すべく、二〇五号室を訪ねた。
「様子はどうだい?」
玄関に入ったリュウセイがたずねると、応対に出てきたマヒロは心なしか声を潜めて答える。
「どうにか落ち着いてはいるけど、ちょっとまだ心配だね」
「そうか。盗まれた食料を見つけたんだけど」
「あー、どうしよう」
困った顔をしてから彼女は言った。
「まだタケフミさんが受け取れる感じじゃないから、とりあえず倉庫に置いといてくれる? どこか分かりやすいところにでも」
「分かった。ところで、君たちに任せちゃってるけど大丈夫かい? 交代したければ言って」
マヒロは一瞬ありがたそうに頬をゆるめてから首を振った。
「ううん、今日はわたしたちで面倒見るよ。タケフミさんにはいつもお世話になってるんだし」
「そっか、分かった。じゃあ、また後で様子を見に来るよ」
「うん、それじゃあ」
と、マヒロが部屋へ戻って行き、リュウセイもさっさと廊下へ出た。
隣室の二〇四号室の靴箱の上へ見つけた食料を置いた後、一度二〇二号室へ戻った。
テーブルへ宇宙船の絵と付箋紙、ハルトのスマートフォンと遺書を置いてから再び外出する。
今度はハルトの部屋である二〇六号室へ向かった。
他の部屋と異なり、家具がほとんど置かれていなかった。一見すると生活感の無い部屋だ。
何が見つかるか期待はしていなかったが、彼の意図を理解するにはとにかく調べるしかない。
リビングにはテーブルと椅子があるばかりだった。食料がテーブルの隅にまとめて置かれているが、キッチンの食器棚は埃を被っている。シンクには一枚の皿とスプーンとフォークがあり、どうやらこれらをずっと使い回すのみで他の食器は一切使っていないようだった。
不思議なことにスマートフォンの充電器すら見当たらず、はからずもユキヤの部屋で充電していた理由が分かった。ハルトは充電器を持っていなかったのだ。おそらく対価を渡して充電してもらっていたのだろう。
寝室もまた簡素だった。置かれているのはベッドとクローゼット代わりの白い収納ケース、黒いビニール袋のかけられたゴミ箱が一つ。
「これは……」
ゴミ箱の中は空だった。唯一入っていたのは金属製の鍵だ。桃色のツチノコのマスコットが付いていて、一種異様な感じを覚える。
床へ片膝をついて取り出してみたが、リュウセイにはそれが何だか分からなかった。
「どこの鍵だろう? いや、そもそも鍵を使うような部屋ってあったっけ?」
しかし怪しいものであることは確かだ。立ち上がってポケットに鍵をしまい、朝食を取りそびれていたことをふいに思い出す。
他に気になるものが無いか目で探しつつ、一度自室へ戻ることにした。
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