6
すでに他の住人たちが集まっていた。ショウとリュウセイは踊り場で立ち尽くす三人の隙間から、階下の状況を確認して事態を把握する。階段から落ちたのだろう、ミソラが倒れ込んでいた。
「何があったんだ、ミソラ」
と、たずねるのはユキヤだ。ミソラがこちらに視線をやりながらゆっくりと起き上がった。
「誰かに、背中を押されたの」
ユキヤがはっとして顔を上げる。夕方で辺りは薄暗いにも関わらず、彼の目が血走っていることが分かった。
「誰だよ、誰がミソラを突き落とした!?」
マヒロとナギがそれぞれに首を振る。
「わたしじゃないよ」
「うちもちゃうで」
彼女たちの後ろにいたハルトも言う。
「僕もやってないよ」
ユキヤの視線が自分たちへ向き、とっさにショウも口を開いた。
「オレじゃない」
「俺でもないよ」
誰かが嘘をついているのは明白だった。
「ふざけんな……!」
ユキヤが階段を上がろうとするのを、後ろからタケフミが制止する。
「落ち着け、ユキヤ」
肩を強くつかまれて我に返ったのだろう、ユキヤの様子が少し落ち着いた。
「ごめんなさい、ついカッとなって」
「気持ちは分かるが、あいつらのうち誰かが嘘をついてるのは確かだ。どうしてミソラを突き落としたのかは分からないが、さっさと名乗り出てくれれば解決する」
タケフミもまたこちらを鋭い目でにらんでおり、ショウはどうしようもなく戸惑う。こんな形で容疑者にされるとは思わなかった。しかし、自分もリュウセイも無実である。
「今なら責めないでいてやるから、早く名乗り出ろ」
当然ながら手を挙げる者などいない。夜の気配が徐々に広がっていくばかりで、誰もが口を閉ざしていた。
呆れたようにユキヤはため息をつき、ミソラの肩を抱いて立ち上がらせた。
「歩けるか?」
「うん、大丈夫だと思う」
ユキヤに支えられながら歩き出すミソラだが、右足をくじいたようで引きずるようにしていた。二人が部屋へ戻って行くのを横目に見送り、タケフミもまた息をつく。
「名乗り出てくれないならそれでもいい。けど、お前たち全員が疑われてるってこと、忘れるなよ」
そしてタケフミも戻って行き、息を詰めていたマヒロがため息をついた。
「わたしたちも帰ろう」
「うん」
ナギを連れて階段を上がって行く。ハルトも無言で戻り始め、リュウセイがショウへ言う。
「あの三人のうち、誰だと思う?」
「……知らない。どうでもいい」
と、ショウは階段をさっさと下りた。探偵ごっこはもうやめたのだ。今の事件についても考えるつもりはなかった。
二〇三号室へ戻り、ショウはランタンを点けて救急箱を開いた。湿布とテーピングを手に取って部屋を出る。
二〇八号室へ向かおうと思って躊躇した。容疑者になってしまった今、ミソラの心配をするのは怪しいだけではないだろうか。何もしない方がいいのではないか。
右手に握った湿布とテーピングを見下ろし、考え直して歩き出す。やはりミソラの怪我が心配だ。
あいかわらず隙間から光の漏れている扉の前で足を止め、勇気を出してノックしようと拳を作った。
「君も彼らに用事かい?」
唐突に声をかけられてびくっとする。すぐ横にランタンを提げたリュウセイが立っていた。
「オレはただ、ミソラの怪我が心配で」
「ああ、なるほど。俺はミソラくんの自作自演じゃないかと思ってね」
「は?」
「もちろん手がかりはまったく無いのだけれど、だからこそ自作自演の可能性だけでもつぶしておこうと思ったんだ」
彼は一人になっても考え続けていたらしい。リュウセイらしいと言えば否定できないが、ショウは反発を覚えた。
「ふざけんなよ。ミソラがそんなことするわけ無いだろ」
「俺もそう思ってはいるけれど、話を聞いてみないと分からないからね」
「ユキヤが怒ってたの、見ただろ? っていうか、今はお前だって容疑者なんだぞ? 変な真似するな」
「おや、俺のことを心配してくれるのかい?」
「違ぇよ!」
思わず声を荒らげてしまったところで扉が開いた。
「うるせぇよ、お前ら」
不機嫌な顔のユキヤが顔を出し、ショウは慌てて口をつぐんだ。
「すまなかったね。一つ聞きたいことがあって来たんだけど、いいかい?」
と、リュウセイは悪びれることなく問う。
ユキヤは室内をちらりと気にしてから、そっと外へ出て来た。後ろ手に扉を閉める。
「何だ? ミソラが誰かに恨まれてるかどうかなら、心当たりは無いぞ」
「ああ、そうか。実はミソラくんの自作自演なんじゃないかと――」
途端にユキヤの目つきが鋭くなったことに気付き、ショウは慌てて口を挟む。
「違うんだ、そうじゃないことを確かめたい! オレはミソラがそんなやつじゃないって信じたいし、ユキヤのことも信じてる!」
「……そうか」
ユキヤは抑えきれなかった苛立ちをごまかすように頭をがしがしとかいた。
「悪ぃな、まだ気が立っててさ」
「ああ、ごめん。俺も言い方が悪かった」
と、リュウセイが言い、落ち着いたユキヤはふうと息をつく。
「お前らの気持ちは嬉しいよ。信じたいって言ってもらえて、ほっとしてる」
「やっぱりミソラは自作自演なんかしないよな?」
ユキヤはきっぱりと否定した。
「ああ、しない。してたら、こんなに不安定にはならないだろ」
「不安定って?」
「情緒不安定なんだ、あいつは。ここ最近は落ち着いてたんだけどな、突き落とされた恐怖からまた苦しくなっちまったみたいだ」
ショウは驚きのあまり呆然とし、リュウセイがたずねる。
「彼は何か病気を?」
「簡単に言えば鬱だよ。あいつのために詳しい話はできねぇけど、ハーブティーを飲んでるのはそれが心の支えだからだ」
「そういうことだったのか」
ハーブティーを薬のようなものだと言ったミソラを思い出す。
「クソ、マジで許せねぇ。あいつが不安定になりやすいってこと、みんな知ってたはずなのに」
苛立った様子を見せるユキヤへ、ショウは少し躊躇いながらもたずねる。
「知ってて傷つけた、ってことか?」
「そうとしか思えねぇだろ。マジで腹が立つ」
先ほど彼が
ショウはうつむいた拍子に思い出した。
「そうだ、これ。サクラの救急箱から持ってきたんだ、よければ使ってくれ」
と、湿布とテーピングを差し出した。
ユキヤは「サンキュ」と、表情を穏やかにして受け取ってくれた。
「それじゃあ、オレたちはこれで」
「ああ。――お前たちじゃないって信じてるぜ」
そう言ってユキヤは扉の向こうへ消えた。
思わず立ち尽くしそうになり、ショウは意識してさっと歩き出す。後ろをリュウセイが付いて来た。
「ショウは誰がやったと思う?」
「もうやめたって言っただろ。一人で考えてくれ」
エレベーターの前を通り過ぎて時計回りに廊下を進む。
「つれないなぁ。今回の事件は殺人未遂にしても手ぬるいし、殺人犯とは別の人がやったんじゃないかと思うんだけど」
かまわずにショウは二〇三号室へ急いだ。彼を無視して扉を開けると、すぐ後ろから声がした。
「どうしても嫌なら、もう何も言わないよ。でも、どうして急にやめるなんて言い出したのか教えてほしい」
彼の手が扉をつかんでいた。
仕方なく中へ入ってから振り返る。リュウセイもまた足を踏み入れ、扉を閉めた。
二つの明かりがそれぞれを照らす。ショウはランタンを靴箱の上へ置くと、ボディバッグを開けて巾着袋を取り出した。
「お前、頭いいもんな。これで察してくれ」
そう言って巾着袋に入っていたものを彼に見せる。
リュウセイはランタンを掲げて確認するなり目を丸くした。
「これは……ああ、道理で。なるほど、君の気持ちはよく分かったよ。あとは俺一人で進めよう」
理解を得られたことにほっとした。元通り巾着袋に入れてボディバッグへしまってから、ふと花びらの入ったジッパーバッグを取り出す。
「これ、お前が持ってた方がいいだろ」
「ありがとう」
リュウセイは受け取った後もまだこちらを見ていた。
「でも、一人で大丈夫かい? 君、泣き出しそうな顔をしてるよ」
暗いから気付かれていないかと思った。胸がずきんと痛んだがとっさに強がった。
「大丈夫だから、もう行けよ」
「うーん、俺としては放っておけないなぁ。それに君のご飯も服も、俺の部屋に置きっぱなしでしょ? 取りにおいでよ」
優しくされると涙が出て来そうになる。しかし、食料と衣服を取りに行かなければならないのは確かだった。
二〇二号室のリビングで自分の食料が入った段ボール箱を見下ろす。
「オレ、自分が生きてたらダメな気がするんだ」
リュウセイはカーテンを閉めながら聞き返した。
「ダメっていうのは、つまり死にたいってことかい?」
「うん、初めて死にたいって思ってる」
戻って来た彼が隣へ並ぶ。
「それはどうして?」
テーブルに置いたランタンから距離を取るように、ショウはソファへ腰かけた。どう話そうかと考えて、昔の話を始めた。
「十四歳の時に母親が病気で死んで、施設に入ったんだ。高校に行かせてくれるって話だったけど、居心地が悪くて逃げ出した。ちゃんと勉強したところで、ちゃんとした職業につける保証もないし、未来が想像できなかった」
リュウセイは隣に座り黙って話を聞いてくれていた。
「それで悪いやつらとつるんで、悪いこといっぱいしたんだ。最初はスリとか万引きとかの、簡単なやつだった。でも、悪い大人たちに目をつけられて、仲間にならないと殺すって脅された。ほとんどパシリだったけど、それでも自分たちが残るには従うしかなかった」
うつむき、声が震えないように呼吸をする。
「それでもっと悪いことを……強盗殺人とか、テロみたいなことも何回かやらされた。人殺しなんてしたくなかったのに、その頃には国が崩壊してたんだ。生き残りたければ殺すしか無い、そんな世界にいつの間にかなってた。でも長くは続かなかった。すぐに内輪もめが起きて、仲間の一人が他のやつを殺してさ……ここにいたらダメだって思って、逃げ出した。それからずっと、一人で旅をして来たんだ」
「……そうか」
「本当はオレ、ずっと嫌だった……誰かを傷つけるの、ずっとずっと嫌だったんだ。でもそうしないと、自分がやられる……だから、ずっと見ない振りしてきた」
「それを見ちゃったんだね」
「だってミソラが、あんな思いしてたなんて知ったら……オレ、どうしたらいいか、分からなくなって」
リュウセイの手が遠慮がちに肩へと回された。
「そうだよね。そもそも医療従事者になりたかった君が、悪いことなんてできるはずないんだ。良心とか罪悪感とか、ずっと押し殺して生きるしかなかったんだね」
「オレは、どうしたらいい? もう悪いことはしたくない、しなくていい暮らしがしたい。でも、それだとこれまでのこと、無視してるみたいで……あんなにたくさんの人を傷つけて、殺してきたのに、オレはどうしたら」
医者になりたかった子どもの頃の自分には顔向けできない。しかし、あの純粋さが懐かしくてたまらなかった。汚れを知らない無知で綺麗なままの自分でいられたら、どんなによかっただろうか。
「無理して償おうとしなくていいよ。俺たちは終わりが来るのを待つだけなんだし、自分のことだけ考えていいよ」
「でも、ミソラみたいなやつが、今もどこかにいるって思ったら……」
「確かに君の罪が消えることは無いね。でも、そうやって胸を痛めているだけで十分だ。罪悪感を自覚できるだけで、十分だと思うよ」
許されるとますます胸が痛くなる。こらえきれずに涙しながらショウは言った。
「ごめん、リュウセイ……」
「どうして俺に謝るの?」
「オレ……生きたいって思ってたのに、こんなに死にたいって思ってる」
感化されてくれた彼に申し訳なかった。ひたすらに情けなくて、そんな自分が嫌でたまらなかった。
しかし彼は受け入れてくれた。
「いいんだよ、ショウ。死にたいっていう気持ちは、結局のところ現実逃避だからね。君は新しい現実逃避の方法を見つけただけだよ」
のしかかる罪悪感は消えない。これまでにしてきたことすべてが許されるとも思えない。それでも今は少しだけ、死にたい気持ちを我慢できそうだった。
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