終末世界の殺人

5

　昼食をとった後、気分転換に二人は衣服を洗うことにした。

　自分の服を取りに部屋へ戻ると、ショウは椅子の上へ置いたままにしていた服を持ち上げた。

「そういや、これ。リュウセイから借りた服」

　付いて来ていたリュウセイは「ああ」と、手を伸ばしかけてやめた。

「いや、あげるよ。服なんてマヒロに言えば、いくらでも手に入るし」

「そうか、分かった」

　ありがたく自分のものにすることにして、他の服と一緒に抱える。

「で、どうやって洗うんだ？」

「手洗いするんだよ。桶（おけ）に水をためて、洗剤が残ってればそれを使う。水につけるだけでも、多少汚れは落ちるよ」

「そうなのか」

　長らく洗濯というものをしていなかったショウは不思議な気分になる。しかし、生活をするというのはこういうことだ。

　リュウセイの部屋へ戻り、浴室で桶に水をためた。しっかりと袖まくりをして濡れないようにし、服を一つ桶に沈めた。適当に両手で持って水中で擦り合わせれば、汚れが落ちて濁っていく。

「うぅ、地味にしんどい作業だな」

「慣れないと大変だよね。でも、ずっと同じ服を着続けるのも嫌でしょう？」

「うーん」

　ショウが微妙な顔をするとリュウセイは言った。

「分かるよ、ショウくん。俺もここへ来るまでは、同じ服をずっと着てた。下着なんてもう臭くてたまらなかったけど、雨が降らないと体を洗うこともできなかったからねぇ」

「今思うと、麻痺してたんだろうな。服を毎日着替えられる生活ができるなんて、想像もしてなかった」

「同感だね」

　新しい水と入れ替えて、二人はじゃぶじゃぶと洗濯を続ける。

「ぎゅっと絞るのを忘れずにね」

「っ、ぐ……」

　両手に力を込めて服を絞るショウだが、見ていたリュウセイが言う。

「非力？」

「うっせぇ。まだ力がうまく入んねぇんだ」

　リュウセイは笑って「貸して」と、手を伸ばした。ショウが素直に渡すと彼がしっかりと絞ってくれた。

「あとのやつも俺がやろう」

「お、おう」

　こんなことで胸がときめくわけでは無いが、素朴な優しさを嬉しいと感じてしまう。

「やっぱお前、いいやつだよな」

　先ほどの会話を思い出しながら言うと、リュウセイがきょとんとする。

「え？」

　ショウは次の服を桶に入れながら言った。

「小心者でも、冗談にして笑い飛ばしてもいい。弱くたって全然いいと思うし、自分自身と向き合うのはオレだって怖い。けど、オレはお前のこと、けっこういいやつだと思う」

「き、急にそんなこと言われたら……！　あぁ、えーと」

　と、分かりやすく視線をさまよわせる。

　彼が耳まで真っ赤にするのを見て、ショウも恥ずかしくなってしまった。

「顔、赤くしてんじゃねぇよ」

「そういう君だって！　ああ、でもキュンとした。嬉しい、ありがとう」

　素直にリュウセイが微笑し、ショウも少しだけ口角を上げた。

　彼と恋仲になるかどうかは現時点では未知数だが、好意的に見てくれる人がそばにいるだけで嬉しかった。慣れきっていた孤独から解放されて、少しだけ本来の自分に戻れた気がした。

　洗濯を終えた二人はベランダへ移動し、物干し竿にそれぞれの服を干した。

「暑いねぇ」

「昨日まで嵐だったのが嘘みたいだ」

　日が高くなるにつれて気温が上がってきたらしい。まるで真夏のような暑さだ。

「すぐに乾きそうでありがたいけどね」

「そうだな」

　何気ない雑談をしながらすべての服を干し終えると、リュウセイがつぶやく。

「俺たち、同棲してるみたいだねぇ」

「馬鹿か」

　軽く彼の頭を叩いてから先に室内へ戻った。

「ひどいなぁ、ショウ。冗談だよ」

　そう言いながらもリュウセイは残念そうにしていたが、ふと振り返って遠くの空を見上げた。遅れて部屋へ戻り、リビングのソファに座るショウへ声をかける。

「ちょっと気になってることがあるんだよね」

「何だ？」

　テーブルへ置いていた腕時計を左の手首に装着しながら、彼が真面目な口調で話し始める。

「ハルトさん、もうすぐ最後の宇宙船が飛ぶって言ってた。ここへ来るずっと前にそんな話を聞いてはいたけど、俺はそれが何月何日の何時だか知らない」

「ああ、オレもだ」

「でも彼は知っている様子だった。そんな具体的な情報、この時代にどうやって入手したんだろう？」

　言われてみれば少々不可解だ。

「宇宙船に乗れるような人たちであれば、まだインターネットが使えるのかもしれないし、そういうコミュニティの中で情報が共有されているとも考えられる。でも、基地局が死んでるってユキヤは言ってたよね」

「ああ」

　うなずいたショウだが、すぐにはっとした。

「でもユキヤはパソコンを使ってるって言ってなかったか？　普段は一つしか使ってないけどな、って」

　リュウセイが怪訝な顔でショウを見る。

「まさか矛盾してる……？」

「ネットにつながなくても使えるが、できることなんて限られてる。それなのに普段からパソコンを使うってことは、本当はインターネットにつながってるんじゃないか？」

「じゃあ、もしかしたらハルトさんはそこから情報を得た？」

「ユキヤと、あとたぶんミソラも知ってるはずだ」

「それならユキヤは嘘をついたのか。いや、ただショウを警戒しただけかもしれない」

「うーん、知らない相手に便利な道具を与えたくないもんな」

　ショウは思考を働かせてうんざりした。

「オレがユキヤの立場なら、とっさに基地局が死んでるって言いたくなる気持ちは分かる。よっぽど仲良くなって信頼してもいい相手だと分かるまでは、絶対に使わせない。相手が機械に興味あるならなおさらだ」

「そうだよねぇ。で、次はどうしようか？」

　と、ソファの背もたれへ軽く腰かける。

「俺、もう一度キリさんとサクラの部屋を調べたいと思うんだけど」

「一度調べたのにか？」

「今日は晴れてて明るいから、前には見えなかったものが見えるかもしれないよ」

　窓から入る光を見てショウは立ち上がった。

「そうだな、行ってみよう」

　嵐と快晴では光の入り具合が明確に異なる。彼の提案を断る理由はなかった。

　三〇一号室はあの日以来、変わっていないように思われた。

　あらためて寝室へ入り観察をする。ベッドマットには血が染み付いて黒くなっていた。

「キリさんは枕に頭を置いた形でベッドの上に倒れていたね」

「腹部を二回刺されていた。死因は大量出血によるものだ」

　サイドテーブルに置かれているのは男性グラビア誌と眼鏡、底に茶葉が残ったマグカップ。

「彼女は異性愛者だった。それはみんなが知っていることだった」

「あの時は侵入者がいる可能性があったから、犯人は反異性愛者かもしれないっていう話になったな」

「でもそれは否定された。サクラの証言によって、キリさんが正義感の強い人だと分かったから。前日の夜にロボットが落とされた時、彼女が『くだらない』と言って真っ先に部屋へ戻ったのは、誰がやったのか分かっていたからだ」

「侵入者がいれば彼女はオレたちのように探したに違いない。彼女はそうしなかったから、ここに住んでいる人の中に犯人がいると分かった」

「彼女は就寝する前にハーブティーを飲んでいた。それがこのマグカップなんだけど」

　リュウセイがマグカップを手に取り、ショウは気が付いた。

「ここにあるのって、血じゃないか？」

　指差したのはサイドテーブルの端だ。返り血が飛んだと思われるそこを見てから、リュウセイはマグカップの外側をまじまじと観察する。

「こっちには付いてないね。位置から考えて、こっちに付くはずなのに」

「ということは殺害された時、ここにマグカップは置かれてなかったことになるな？」

「うん、犯人が後から置いたんだ。つまり、彼女が襲われたのは眠っている間ではなくて、就寝前だったのかもしれない」

　はっとしてショウは彼の手にしたマグカップを見る。

「茶葉が偏ってるのはこぼしたからじゃないか？　彼女が持っていたマグカップが殺害された時に床へ落ちて転がった。それで変な匂いがしたんだ」

「ハーブティーがこぼれて絨毯（じゅうたん）に染み込んだ、というわけか。マグカップだけでなく眼鏡も外してサイドテーブルに置いただろうから、就寝前の犯行だとバレるのは犯人にとってまずいらしい」

「そういや、ドアガードがかかってたよな。あれは匂いを逃がすためだったんじゃないか？　あの時はサクラとタケフミが扉を何度も開け閉めしてた。それで部屋に残った匂いを逃がして、キリがハーブティーを飲んでいたことを隠そうとしたんだ」

「うん、そういうことだろうね。就寝前なんてプライベートな時間だし、よほど仲の良い相手でなければ寝室には入れないはず」

　ふいにショウは違和感を覚えて口にした。

「待てよ。誰がロボットを落としたか分かってたのに、そいつを部屋に入れるか？」

「おかしいね。もしかしたらキリさんは思い違いをしていたのかもしれない。考えていたのとは別の人物によって殺されたんだ」

「ということは、それを証明するものが欲しいな」

「マグカップに茶葉が残っていることから、こぼれた時に茶葉も落ちた可能性がある。それを見つけられたら、彼女が就寝前に殺害されたことの証拠になるはず」

「よし、分かった」

　気合を入れてショウは床へ両手を付き、ベッド周辺をくまなく探し始める。

　リュウセイもしゃがみ込んで目視で茶葉を探し、ショウは雑談のつもりで言う。

「でも、茶葉がカップに残ってるって変だよな。ミソラは茶こしを使ってただろ？」

「いや、元は葉っぱや花びらだから食べられるし、キリさんもそのつもりで茶こしを使わなかったんだよ。食べられる物は残さず食べてたんだと考えれば、何もおかしくない」

「それもそうか」

　説明されると納得できた。ショウも旅をしていた時には食べられる草をよく探したものだ。

　ふとベッド下に小さな塊を見つけ、手を伸ばして拾い上げた。

「これ、花びらっぽくないか？」

　サイドテーブルにほど近い位置だった。淡い桃色のそれをリュウセイの方へ差し出す。

「確かに見覚えのある形と色だね」

　すっかり乾いて固まっているものの、ミソラに振る舞ってもらったハーブティーの一部で間違いなかった。

　透明なジッパーバッグへ入れてから、ボディバッグの中へ慎重にしまう。

「他に気になることは無いか？」

「うん、もういいかな。次はサクラの部屋へ行こう」

　三〇三号室もあの日から何も変わっていなかった。

　日が西へ傾き始めていたため、洋室からの外光はわずかに届く程度だ。リビングは薄暗かったが、遺体を発見した日よりはよく見える。

「サクラはこの辺りに倒れていたんだったな」

「うん、廊下の方に頭を向けてね」

　彼女が倒れていたのはリビングのほぼ中央だ。

「ケーブルのようなもので首を絞められて死んでいた」

「索条痕はあったけど吉川線は無い。彼女は抵抗しなかった」

「自分が殺されることを予想してたんだろうな」

　彼女のことを思い出すとわずかに胸が痛む。抵抗せずに死を受け入れたという事実がやるせなかった。

　一方、リュウセイは壊れたランタンのそばにしゃがみ込んだ。

「サクラは自分でランタンを壊したんだよね。ということは、この部屋は真っ暗だったはずだ。犯人の顔が見えたかどうか、怪しいとは思わないかい？」

「そうだな、見えなかったかもしれない。犯人がランタンを持っていても、顔まで照らせたかどうか」

「すると、サクラも思い違いをしていた可能性があるよね」

「キリと同じように？」

「ああ、キリさんと同じように。サクラの場合は推測しか出来ないけれど、もし思い違いをしていたのなら、テーブルの裏に描かれた絵は関係無かった可能性が出てくる」

　ショウは彼のそばへ寄って床へ膝をつき、もう一度確認しようと思ってテーブルの裏を覗き見た。

「おいおい、マジかよ。塗りつぶされてるぞ」

「うわ、本当だ」

　覗き込んだリュウセイが言い、ショウは苦虫を噛み潰したような顔をする。よく分からない奇妙な絵は、上から黒の油性ペンでぐしゃぐしゃに塗りつぶされていた。

「ますます分からなくなっちまったじゃねぇか」

「しょうがない。絵のことは置いておいて、壊れたランタンについて考えよう」

　二人はテーブルの下から出て、今度は床を見た。

「あの時はぴんとこなかったんだけど、不自然な箇所があるって君が指摘したよね。何かがあったのかもしれない、って」

「ああ、言ったな」

　あらためてぽっかりと空いた箇所を観察する。ガラス片か小さなパーツの収まりそうな小さな空間だ。

「サクラは俺たちにキリさんのことを教えてくれたけれど、何故かはっきりとは言わなかった。言えなかった事情があるらしい」

「うん」

「それってさ、もしかしたら盗聴されていたからじゃないかな？」

　びくっとして顔を上げると、彼の真剣な目が見えた。

「まさか」

「そうとしか思えないんだ。だから、この不自然に空いたところには、おそらく小型の盗聴器があったんだと思う」

　急に嫌な想像が脳裏をよぎって、ショウは後ずさるように立ち上がった。

「何言ってんだよ、リュウセイ。それじゃあ、犯人は……」

　はたと気付いた顔で彼も腰を上げたが、どこか疑わしそうに問う。

「もう分かったのかい？」

「いや、分からない。分からないけど、もうやめたい」

　口を突いて出た言葉に我ながら動揺した。何を言っているんだと思ったが、後には引けなかった。

「ごめん」

　気まずい空気から逃げるように玄関へ向かう。

「待ってよ、ショウ！」

　リュウセイが後を追ってくる。かまわずに靴を履いて扉に手を伸ばした時だった。

　外から悲鳴が聞こえて思わず動きを止めた。無意識にリュウセイを振り返ると彼が真剣な顔をしてうなずく。

「行ってみよう」