3

 ナギはベッドの上で怠惰たいだに過ごしていたようだ。

「えぇ、何? 髪の毛、切らせてくれるん?」

「いや、そうじゃない。話を聞きに来た」

 ショウがそう返すと、彼女はのそりと起き上がって大きなあくびをした。

「さっきまで寝とったから、ちゃんと話せるか分からんよ。それでもええ?」

「ああ、かまわない」

 リュウセイがメモを取る準備を整えたのを確認し、ショウはさっそくたずねる。

「キリとの関係について教えてほしい」

「えー、キリさん? 特に何も……まあ、仲は良かったと思うよ?」

 と、手ぐしでボサボサの髪の毛をかす。

「彼女との間にトラブルは?」

「うーん、せやなぁ。キリさんは何も悪くないんやけど、前に彼女とイケメンの話で盛り上がったことがあってん」

 二人が思わず怪訝な顔をすると、ナギは苦笑した。

「うち、バイセクシュアルやねん。そんでマヒロにバレて嫉妬されてな、ちょっと気まずくなったことがあったって話や」

「ああ、なるほど」

「マヒロはああ見えてやきもち焼きでな、キリさんまで悪く言われて、あん時はほんま申し訳なかったわ」

「そうか。言い方が悪くてすまないんだけど、よく今まで生きてこられたね」

 リュウセイの言葉を聞くなり、彼女は力をなくすように髪の毛から手を下ろした。

「ここだけの話やけど、実はうち、反異性愛をうたう組織にいたんよ」

 思いがけない打ち明け話にリュウセイの手が止まる。

「集団でテロを?」

「前線やなくて、後方支援やったんやけどね……友達にそういうのがいて、断れなかったんや。おかげで生き延びたわけやけど、やっぱり怖くてな」

 うつむく彼女と目線の高さを合わせるように、ショウは自然としゃがみ込む。

「逃げ出したのか?」

「ううん、組織が崩壊したねん。襲撃しても人がいない、奪う物も無い。自分たちがやってきたことの結果やったのに、幹部たちがそれで喧嘩になってな。誰に付いてくかでもめて、誰にも付いて行かへん人たちも出てきて、それでうちもそうした」

 かける言葉が見つからなかった。一般市民を襲撃し、恐怖させていた集団もまた、地上に残された側なのだ。直面する困難は同じだった。

「最初は仲間たちと一緒やったんやけど、食べる物が見つからないせいで、みんなどんどん倒れていってな……一番若かったうちだけが残って、やっとの思いでここへたどり着いたんや」

 おっとりした彼女からは想像もできない、悲惨な体験だった。

「組織に誘ってくれた友達は治安部隊に殺されたし、もう何もかもが嫌やった。自分も早く死にたかったけど、残った者としては許されへんような気もして……」

 ナギは顔を上げてショウを見る。

「せやから、ここで生きてる間はせめて穏やかに暮らしたいねん。マヒロっていうパートナーもいる今、うちはできるだけ幸せでありたいねん」

 彼女は今の穏やかな住環境にすがっているのかもしれない。苦難や悲しみを乗り越えた先で見つけた、メゾン・ド・サンパティでの暮らしに。

 ショウはできるだけ優しい声を出した。

「前にもそんなこと言ってたな。オレも気持ちはよく分かるよ」

「信じてくれるんやね、嬉しいなぁ」

 ナギが笑い、ショウもにこりと微笑した。彼女とは気が合いそうだ。違う時代に出会っていたなら、きっとすぐに意気投合しただろう。

「話を戻すけど、サクラとはどうだった?」

 と、リュウセイがたずね、ナギはそちらへ顔を向けた。

「サクラさんとも仲良かったよ。あの人、めっちゃええ人やったやん? うちもお世話になってな、優しいお母さんみたいな人やったなって思う」

「それじゃあ、トラブルは?」

「無いよ。サクラさんが殺された時、ほんまにショックやったもん」

 そう言って目に悲しみをにじませる。

「それなら他の人たちとも?」

「無いよ。さっきも言ったけど、うちは穏やかに暮らしたいねん。トラブルなんて起こしたくないから、大人しく過ごしてるんや」

 彼女の言葉は信じてもいいだろう。そう判断してショウはたずねる。

「マヒロについても聞かせてくれるか?」

「ええけど、何かあったん?」

「いや、彼女の人となりが知りたいんだ」

 ナギは少し目を瞠ってから答えた。

「マヒロはせっかちさんやね。思い立ったらすぐ行動するタイプで、のろまなうちとは正反対やねん。それが逆に相性いいみたいで、一緒にいると楽しいんや」

 と、何故か自嘲気味に笑う。

「そうか。何か欠点とかは?」

「欠点なぁ。普段は静かだけど、実は感情的っていうか、ちょっとヒステリックなところはあるやんな」

「そのせいでトラブルになったことは?」

「うちが来る前に何度かあったっぽい話は聞いた。ねぇ、もしマヒロが犯人やって疑ってんなら、うちは否定できないって答えるで」

「パートナーなのに?」

「パートナーやからこそ、や。あの子ならやりかねないもん。でもな、うちはそういう全部をひっくるめて、彼女を愛してるんや」

 ショウはリュウセイを振り返り、うなずいてみせた。彼も意図を察した様子で言う。

「まだマヒロだけを疑ってるわけじゃないよ。他の人かもしれない。それについてはどう思う?」

「……どうでもええ、かな」

 ナギは伏し目がちになりながら続けた。

「殺してくれるんやったら、さっさと殺してほしい。他の人が死ぬんもどうでもええ。せやけど、マヒロが殺されたらどうなってまうか分からん。たぶん、気がおかしくなると思う」

「そうか、ありがとう」

 と、ショウは腰を上げた。

「今度、オレの話を聞かせてやるよ」

「え、何?」

「オレも昔、ある集団にいたことがあってな。お前と似てるって思ったんだ」

 彼女が少しだけ表情を和らげた。

「そうなん? せやったら、楽しみにしとるね」

「ああ」

 うなずき返して背を向ける。ナギは再びベッドへ寝転んで、再び彼女なりの穏やかな過ごし方に興じるのだった。


「壮絶だったね……」

「人は見かけによらない、ってやつだな」

「でも、今の話を最初に聞いてたら、キリさんが殺された時、彼女を容疑者にしてたかもしれない」

「内心では許せなかったんじゃないかって? オレはそうは思わないな。ナギだってバイセクシュアルなんだから」

 ショウが否定するとリュウセイは少し意地悪に言い返した。

「君も彼女みたいにどこかに所属してたんでしょ? 境遇が似てるからって、肩入れするのはよくないなぁ」

 嫉妬でもしているのだろうか、少々彼らしくない発言だ。しかしショウはかまわなかった。

「それよりマヒロの方が怪しい」

「そうだねぇ。まさかパートナーから、やりかねないって言われちゃうとは」

「結論はまだ出せないけどな。次、ユキヤのところに行くぞ」

 と、階段を下り始める。


「キリさんとは特に何もなかったよ。ランタンの修理とかはしてたけど、そんくらいだ」

 リビングのテーブルで向かい合い、ユキヤは語った。

「まあ、あんまり好かないタイプではあったけどな。タケフミさんとよく一緒にいるところを見かけたし、近づかないでおこうと思ってたくらいだ」

 奥の部屋ではミソラがこちらの様子を気にしつつ、発電機を手で漕いでいた。

「なるほど。じゃあ、サクラとは?」

「うーん、サクラとは普通かな。特に仲良くはしてなかったけど、悪くも無い。そもそも、共通点がランタンくらいしかねぇからな」

 ユキヤが苦笑いをし、ショウはうなずく。

「それもそうだよな。特に親しくなる必要が無いっていうか」

「そうそう。だから、俺が話せることはもう無いよ」

 あっさりと終わりそうになり、少しでも情報を引き出すべくたずねた。

「ところで話は少し変わるんだが、キリのスマホが無くなってるんだ。何か知らないか?」

「キリのスマホって、赤いやつか? 知らないな、無くなってたことも今初めて知った」

「そうか、ありがとう」

 ショウはリュウセイと顔を見合わせた。

「他に質問あるか?」

「えっとー……ユキヤは、だいたい部屋に引きこもってるよね」

「ああ。外のことはミソラから聞いてるからな、不自由はしてないぜ」

「ってことは、キリさんの部屋に行ったりは?」

「修理したランタンを渡しに行くことはあったぞ。サクラも同じだ」

「あー、そうだよね。うん、ありがとう」

 ユキヤは協力的だが、ほとんど部屋にいるために外との接点が限られている。これ以上質問をしても、有益な情報は出てこなさそうだ。

「一応聞いておきたいんだが、ユキヤは他の人たちとも似たような感じか? ミソラ以外に仲の良い人とかは?」

「うーん、タケフミさんやハルトさんとは、もう三年くらいの付き合いになるからなぁ。仲が良いと言えば良い方だと思うけど、どちらかと言えばハルトさんかな」

「え、意外。彼と仲良いんだ?」

 と、リュウセイが目を丸くし、ユキヤは答える。

「元々写真を撮るのが趣味だったらしくて、最初の頃にデジタル一眼の修理を頼まれたことがあるんだ。残念なことにどうにもならなかったんだけど、それからよくここに来てくれるようになってな」

「元々絵を描いたり、廃材アートを作ってたわけじゃないんだな」

「ああ。写真が撮れない代わりに、新しく始めたんだよ」

「なるほど」

 ハルトに関する意外な情報が手に入った。しかし、今聞くべきはそれでは無い。

 ショウはリュウセイへ顔を向けて言った。

「次はミソラだな」

「そうだね、いろいろ知ってそうだ」

「そんじゃ、俺は戻るわ」

「ああ、ありがとう」

 ユキヤが席を立ち、隣の部屋へ入って行く。入れ替わりにミソラがやって来て、先ほどまでユキヤの座っていた席へ着いた。

「それで?」

 と、疲れた両手を軽く振りながら言う。

「キリについて聞かせてほしい。彼女とは仲が良かったか?」

 ミソラはうなずいた。

「うん、良かったよ。キリさんもハーブが好きでね、育て方についてアドバイスをもらってたんだ。だからお礼にハーブティーの茶葉を分けてあげてたの」

「彼女もハーブティーを飲んでたのか」

「一緒にお茶することもあったし、キリさんは夜寝る前によく飲んでたみたい。ハーブティーを飲んでから寝るとよく眠れるんだって話してた」

「彼女との間にトラブルは?」

「えー、無いよ。僕、そういうの好きじゃ無いもん。みんな仲良しがいい」

 むすっと口を尖らせるミソラに内心で苦笑してしまう。あざとい女のような仕草は、人によっては不快になりかねない。ショウはかまわずに続けた。

「キリのスマホについては、何か知らないか?」

「知らない。僕もさっき初めて聞いたよ」

「それじゃあ、サクラとはどうだった?」

「サクラちゃんとは普通に仲良しだったよ。ほら、ショウくんが来た日も、ロビーでおしゃべりしてたし」

 と、ミソラが視線を向けたのはリュウセイだ。

「ああ、そうだったね。あの日は外の様子を見に一階へ下りたら、君たちが二人で話してたんだよね」

「そうだよ。ロビーのガラスが割れないか心配になって見に来たって、サクラちゃんが言ってた。僕は中庭にあった鉢植えを屋内に避難させようと思ったんだけど、手遅れだったんだよね」

 その時のことを思い出したのか、しょんぼりと肩を落としてみせる。リュウセイも彼の証言を補強した。

「そんな話をした覚えがあるなぁ。それで、この雨と風はいつやむんだろうって話してたら、ショウがやって来たんだよね」

「最初、おばけかと思ってびっくりしちゃった。サクラちゃんもすごい驚いてたよね」

「そうだねぇ。まさかあの嵐の中を、人がやって来るなんてね……」

 リュウセイに視線を送られてショウはむっとした。

「何だよ、言いたいことがあるなら言えよ」

「いやいや、何でもないよ。ただ、面白い出会いだったなって思って」

 ミソラがくすくすと笑いながら同意する。

「確かに。あんな出会い、もう二度と無いと思う」

「だよねぇ」

 二人が顔を見合わせて笑い、ショウは不機嫌に顔をそらした。直後に目に留まったのは、部屋の片隅に積まれたロボットのパーツだ。

「あのロボット、直せるのか?」

 ユキヤがこちらへ来ながら言った。

「いや、無理だ。雨ですっかりやられちまってる」

「近くで見ても?」

「かまわないぜ」

 そっと立ち上がってガラクタと化したロボットのそばへ寄る。外装パーツがすっかり外れて、中の精密機器がむき出しになっていた。泥をかぶっている箇所も多く見られ、再び動けるようにするのは不可能だった。

「こいつが動いてるところ、もっとちゃんと見たかったな」

 心から漏れたつぶやきにユキヤが苦い顔をする。

「お前が来た日に壊れちまったもんな」

「うん」

 しゃがみ込んで、無造作に積まれた頭部のパーツへ右手を伸ばす。労るようにそっと撫でた。

「頭がつぶれてる……痛かったろうな」

「お前、本当に機械が好きなんだな」

 と、見ていたユキヤが隣へ膝をついた。

「ロボットに痛覚は無いし感情も無い。けど、俺もショウと同じ気持ちだ」

 ユキヤはじっとロボットの頭を見つめていた。彼もまた心を痛めているのだろう、機械を愛する者の目をしていた。

「そういえば、聞くのを忘れてた」

 唐突にリュウセイが言い出し、ユキヤは振り返りながら立ち上がった。

「二人とも、この中に犯人がいるって聞いてどう思った?」

「結果的にはどうでもいいな。でも、嫌だなって思う気持ちとか、自分が疑われてるかもしれないっていう不快感とかはあるぜ」

「うん、僕もそんな感じ。だけど、ユキヤが殺されたら嫌だな。絶対に犯人を見つけ出して、仇を討とうとするかも」

 ミソラの返答にユキヤも言った。

「そうだな。俺もミソラが殺されたら許せねぇって思うよ」

 彼らの答えもハルトやマヒロと同じだ。自分にとって大事な人が危険に遭わない限り、誰が殺されてもどうでもいいのだった。

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