2
まずは住民たちの話を聞きに行くことにした。最初は二〇六号室を訪ねたが不在だった。ハルトがいたのはその真上にある三〇六号室だ。
「お邪魔します」
と、ショウが声をかけつつ扉を開けると、玄関に大きな像が置かれていた。廃材をつなぎ合わせて作られた女神像だ。
「うわ、すごいな」
と、リュウセイが興味を持った様子を見せるが、ショウはさっさと奥へ進む。
ハルトはリビングの床に画用紙を置いて絵を描いていた。奥にある二つの洋室にはそれぞれ作品と思しきものが飾られており、いかにもアトリエといった雰囲気を醸し出している。
「君たちか。アリバイでも聞きに来たの?」
ハルトは
「ええ、まあ。お話、聞かせていただいてもよろしいですか?」
手帳型に束ねた紙とボールペンを手にリュウセイがたずね、ハルトは無感情に言った。
「いいよ」
あっさりとした返事だが、やはりこちらを見もしない。先ほどの一件で彼も不快になったのだろうか、まるで興味が無い様子だ。
やりにくさを覚えながらもショウはさっそく質問に入った。
「キリとの関係について教えてくれ」
「彼女は女性の中では一番の古株だよ。僕らより少し後に来た人で、そういう意味では付き合いが長かった」
窓から外光が差しているために、ハルトはランタンを使っていなかった。ショウたちも同様に部屋へ置いたままだ。
「仲は良かったんですか?」
「普通じゃないかな。彼女との間にトラブルはなかったし、お互いに嫌い合っていることもなかった。だけど、タケフミとは気が合わなかったみたいだね」
そう言ってやや表情を暗くさせる。
「何かトラブルが?」
「
「それじゃあ、サクラとはどういう関係だったんだ?」
「……彼女とは、仲が良かったと思う」
ハルトが手を止めて遠い目をする。
「僕が廃材アートにハマってた時、廃材を集めるのを何度か手伝ってもらったんだ。完成品を見せたらすごく喜んでくれて、僕も嬉しくなったよ」
サクラの人物像に関してブレが無いことを確信する。彼女は誰に対しても優しいため、他人から恨みを買うような人ではないのだ。
「ミソラに誘われて、一緒にハーブティーを飲んだこともある。正直、サクラについては思うところがたくさんあるよ」
「なるほど」
再びハルトが手を動かし、紙にグレーの楕円を描く。
「他に話せることはないか?」
「話してもいいけど、僕が真実を話してるとは限らないよ」
「それは困りますねぇ……」
と、リュウセイが苦い顔になり、ショウはため息をつく。
「さっきの話のすべてが嘘だとしたら、ハルトはオレたちの敵ってことになるな」
ハルトが姿勢を起こしてこちらを見上げた。向けられたのは感情の無い人形のような目だ。
「そんな簡単に決めつけちゃうの?」
「な……っ」
思わずカチンと来たショウだが、すぐに冷静な思考が働く。
「まさか、グレーか?」
彼の手にした色はグレー、黒でも白でも無い。
「どちらでもない、っていうこともあるのが現実だよ」
ハルトは別の色へと持ち替えた。今度は黒だ。グレーの細長い楕円形の中を黒く塗りつぶし始めた。
「人間は間違う生き物だ。簡単に嘘をつくし、無意識に矛盾する。勘違いや誤解もするし、価値観が違えば見方は変わる。自分の正義が誰かを傷つけていることに気付かない人だっている。そんな中から真実を見つけ出すのは、きっと難しいだろうね」
ショウたちには彼の言うことが分からない。否、理解はできるのだが意図が読めない。
「グレーだって黒寄りかもしれないし、白寄りかもしれない。物事は単純なものではないんだ。僕はずっとそんなことを考えてきた。正しくても報われない人や、被害者ではなく加害者が救済される様を見てきた。そんな間違った世界がやっと終わると思うと、これほど安堵することはないね」
「……ハルトは何を憎んでいるんだ?」
ショウの質問にハルトはまた虚ろな目を向けた。
「すべてだよ。僕を救わなかったすべて、僕をこの世に産み落とし、生きながらえさせたすべてを憎んでいる」
うっすらと浮かべた微笑は背筋が凍りそうなほど綺麗だった。白く美しい闇に飲み込まれそうな感覚を覚え、ショウはかろうじて踏みとどまる。
「それでも生きてるのはどうしてだ?」
「タケフミがいるからだよ。ああ見えて彼、とても弱い人でね……僕がいないとダメなんだ」
「それって、共依存ってやつじゃないのか?」
「さあ、どうだろう。でも、僕たちよりもその言葉がふさわしい二人がいるように思うね」
「それって……?」
「推理してみれば分かるよ」
楕円の中を満足行くまで塗りつぶし、ハルトは黒のクレヨンを箱へ戻した。
その様子を見てリュウセイがたずねる。
「ところで、今描いてるのは何ですか?」
「宇宙船」
「見たことがあるんですか?」
「無いよ。だから想像で描いてる」
まるで小さな子どもが描いたような画風で、とうてい宇宙船には見えなかった。ますます彼が何を考えているのか分からなくなる。
「もうすぐ最後の宇宙船が飛ぶ。だから描くんだ」
ごく一部の権力者の間で進められていた計画がスクープされた時、製造する宇宙船は三隻とされていた。その三隻目がもうすぐ飛ぶ、というらしい。
あまりぴんとこない情報だったが、いよいよ見殺しにされる実感を覚える。しかしハルトの絵から感じられるのは、悲しみや寂しさではなく諦めと虚無だ。
何だかやりきれなくなって、ショウは話を終わらせることにした。
「最後に一つ、聞かせてくれ。この中に犯人がいるわけだが、ハルトは怖くないのか?」
「別に、何とも思わないよ。殺されるならそれでいいし、他の人が死ぬならそれでもいい」
ハルトの口調に変化はない。本当に何とも思っていないようだ。
「ああ、でも……タケフミが殺されたら、ちょっとは怒るかもね」
「芸術家の言うことは分からんな」
廊下に出たところでショウがぼやき、リュウセイは苦い顔をする。
「何と言うか、俺たちに推理させないようにしてたよね。何が真実で何が嘘か、分からなくさせられた気がするよ」
「協力的なのかそうでないのか、はっきりしないのが嫌な感じだな。グレーでも黒寄りか、白寄りかなんて話もしてたし」
するとリュウセイがわずかに表情を曇らせた。
「実は前にちらっと聞いたことあるんだよね。ハルトさん、赤ん坊の頃に捨てられたんだって」
思わず愕然とするショウを見て、彼は困ったように眉を下げる。
「君がそんな顔することないよ。ほら、行こう」
すべてを憎んでいると言った彼の表情を思い出し、妙に腑に落ちてしまった。いくら見目に恵まれようとも幸福が約束されているわけではない。
ショウはうつむきそうになるのをこらえて「次はマヒロだったな」と、三つ隣の扉を見た。
「わたしの話? 他のみんなにも聞いて回ってるの?」
マヒロは怪訝な顔をし、とっさにリュウセイが返した。
「ああ、もちろんだよ。だから、話を聞かせてもらえるかい?」
「うーん、まあ、それならいいけど」
彼女は二人のしていることに関して、思うところがある様子だ。協力はしてくれるが、すべてを正直に打ち明けてくれる雰囲気ではない。
かまわずにショウはたずねた。
「じゃあ、まずはキリとの関係について教えてくれ」
「キリさんとは普通に仲良かったよ。っていうか、女性のリーダーは彼女だったし」
と、視線を手元へ戻す。今日も彼女は窓辺でカラフルなクッションに囲まれて裁縫をしていた。
「わたしたちの面倒をよく見てくれて、頼れるお姉さんって感じだったなぁ」
作っているのはスカートだろうか、白い布にシフォン生地のフリルを縫いつけているところだった。すぐ脇には大量の布が山になっており、彼女の性格がうかがえる。
「ちょっと融通の利かないところはあったけど、だからって険悪になることもなかったし」
「それじゃあ、彼女を恨んだりは?」
リュウセイの質問にマヒロはすぐ否定する。
「してないよ。でも彼女、男性からのウケは悪いタイプだったかも」
と、手を止めて懐かしむように遠い目をした。
「タケフミさんとよく衝突してたから、彼の愚痴を夜通し聞かされたりしたなぁ」
「ハルトとは?」
「えっ、ハルトさんとは特に何もなかったと思うけど……?」
どこか怪訝そうにマヒロが二人の方を見て、ショウは言う。
「ユキヤやミソラとは?」
「うーん、ユキヤと仲が良いイメージは無いけど、悪いってわけでもなかったんじゃない? ミソラとはお茶友達だったよ」
と、また手を動かし始める。
「彼女もハーブティーを飲んでたのか」
「うん、わたしだって何度も誘われてるし。ミソラとはみんなそれぞれ、仲良くしてたはずだよ」
ミソラは他の住人たちと程よく付き合いがあったようだ。本人が性別にこだわらないため、男女どちらにも溶け込めそうなところがある。キリとも仲が良かったであろうことは想像に難くなかった。
「それじゃあ、次はサクラについて聞かせてくれ」
マヒロは少し馬鹿にするようにくすりと笑った。
「サクラとも仲良かったよ。っていうか女性が四人しかいないから、仲良くならない方がおかしいでしょ」
「じゃあ、サクラとトラブルは?」
「ないない。わたしを疑ってるのかもしれないけど、彼女を殺してわたしに何のメリットがあるの?」
聞き返されてしまうと返答に困る。リュウセイは冷静に言い返した。
「それを俺たちは突き止めようとしてるんだ」
「ああ、そうだったね。でも、わたしじゃない」
マヒロは二人をまっすぐに見つめて言った。
「キリさんもサクラも殺してないよ」
はっきりと否定するのは怪しいことこの上ない。ショウは彼女の脇に置かれた小型の機械へ視線を向けた。
「ところで、こいつは発電機だよな?」
マヒロはちらりと目をやってから答えた。
「そうだけど?」
「サクラが言ってたんだ。ラジオが付いていて、手回しで発電ができて、ライトにもなる黒い多機能発電機。それがキリの部屋から無くなっている、と」
いかにも不快そうに彼女がショウをにらんだ。
「持ち主が死んだんだから、わたしが使ったっていいでしょ」
「ということは、お前が盗んだのか?」
「引き継いだだけ」
「赤いスマートフォンも無くなっていたんだが、それもお前が持ってるのか?」
「は? スマホ? 知らない。わたしが発電機をもらった時には、もうなかったと思うけど」
リュウセイがそっとショウの肩に手を置いた。これ以上はやめておけというらしい。もう少し詮索したいところだが、今は従うことにした。
「分かった、疑って悪かった」
マヒロは窓の方へ顔を向けると不機嫌に言う。
「別にいいけど。勝手にもらっちゃったのは確かだし。けど、サクラの救急箱もなくなってた。そっちはどうなの?」
はっとしてショウは返す。
「それはオレが持ってる」
「何よ、あんたも盗んだんじゃない!」
マヒロが急に大きな声を上げ、ショウは申し訳なくなった。言われてみれば、自分もまた他の住人に許可を得ることなく、サクラの救急箱を自分のものにしていた。
「まあまあ、落ち着いて。ショウに悪気は無いんだ」
「だったらわたしだって同じ! 悪気があってもらったんじゃない、使わせてもらおうと思っただけ!」
「オレも同じ気持ちだ。悪かった、ごめん」
素直にショウが謝罪すると、マヒロはふんと鼻を鳴らした。
リュウセイが「それじゃあ、最後に聞きたいんだけど」と、話を戻す。
「この中に犯人がいることについて、どう思う?」
マヒロは横目にショウをにらんでから答えた。
「別に何とも思わないよ。あんたたちが犯人だったとしても、殺してくれるならそれでいいし」
マヒロの返答はハルトと同じだった。
「でも、ナギが殺されたら悲しいし、許せないってなると思う」
「さっきは君が失言したね。盗むって言い方が悪かった」
部屋を出たところでリュウセイが言い、ショウは落ち込んだ。
「すっかり自分のことを棚に上げてた。本当に悪かったと思ってる」
「でもまさか、救急箱がなくなってることに気付いてたなんてね。ますます怪しいかもしれない」
「あの後、サクラの部屋に行ったってことだもんな」
彼女の部屋からも何かもらえるものがないか、物色しに行ったのかもしれない。そうではなかったとしても、マヒロが怪しい動きをしていることは確かだ。
「ナギにも話を聞いてみよう」
「ああ」
エレベーターの前を通り過ぎて、三〇一号室へ向かった。
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