4
目を覚ますと誰かに頭を撫でられていた。まるで自分が猫になったような気分で微睡んだが、はっとして意識を起こす。
「……何してるんだ?」
眼鏡の男は短く答えた。
「頭撫でてる」
「触んな」
不機嫌に言って起き上がり、ショウは頭を振る。
リュウセイはベッドの端に腰かけており、ため息まじりに言った。
「どれだけ考えてもダメだ。やっぱり何か見落としているのかも」
「だったら、他のやつらに話を聞くしか」
「そうしたいのは山々だけど、君はもう少し休んだ方がいいんじゃない? ずっと一人で旅をしてたんでしょう?」
「……そうだな」
申し訳ない気持ちがわいて、ショウは「すまない」と、小さく謝った。
リュウセイもまた小さな声で「別にいいよ」と、優しく返してくれる。
「俺もここへ来た頃、一日中眠ってたことがあってね。自分が思うより疲れてたってことに気付いたんだ」
ショウは彼の隣へ座るようにしてベッドから両足を下ろした。
「オレもそうだな。ベッドに入るとすぐに眠っちまう。――でも、一気に気が抜けたのもあると思う」
小さく息をついてこれまでのことを思い出す。
「ああ、ここには天井があってベッドもある。あまりに安全で気が抜けちゃうよね」
「……オレ、今まで生きてきてよかった」
「そうだねぇ。俺もこんなところで好みの男に会えるなんて思わなかった」
「別にお前のことはどうでもいい」
「ひどいなぁ」
と、リュウセイがどこかおかしそうに笑った。
ショウは枕元に置いたボディバッグを片手で引き寄せた。膝の上へ置くと言葉が口をついて出る。
「運命ってあるのかもしれないな」
「おや、ショウからそんな言葉が出てくるなんて、意外だね?」
こちらを見るリュウセイを軽く横目でにらんだ。
「オレだって意外だよ。けど、今はそうとしか思えないんだ」
「ふぅん? 俺も君には運命を感じているよ」
「急に気色悪いこと言うな」
「ごめん。自分でもキモいと思った」
即答するリュウセイに呆れつつ、ショウはボディバッグを肩へかける。
「そういえば、ユキヤと何の話をしてたんだ?」
「君たちがハーブを取りに行ってた時? 大した話はしてないよ」
「何か気まずそうに見えたけど」
と、ショウが顔を向けるとリュウセイは苦笑した。
「彼のお父さんが宇宙船の開発をしてたらしいよ。でも、ある時不当解雇されたとかで」
「宇宙船、作ってたのか?」
「確か、制御システムだったかな。生きがいを失ったお父さんはその後、死んじゃったらしくてね。根に持ってるみたいだった」
ショウはうつむき、小さな声で「そうだったのか」と、返した。
「ユキヤが機械に強いのはその影響だね。プログラミングを学んだって言ってたし、機械の修理ができるのはそういうバイトをしてたからだって」
「そうか……」
「ショウ、もしかして落ち込んでる?」
思わぬ問いかけにびくっとして頭を上げた。
「落ち込んでるっていうか、その、やっぱユキヤはすごいなって思って」
真剣な顔で舐め回すようにじっと見つめてから、リュウセイはへらりと笑う。
「すごいよねぇ。俺も何か、誰かの役に立ちたいっていう話をしてね。そこから彼の過去の話になったんだよ」
「そうだったのか。でもお前、頭いいだろ? それだけで十分じゃないか?」
「悪いけど、自分ではそう思えないんだよなぁ。俺、自分に自信が無いからさ」
いつものように笑ってごまかそうとするが、自嘲の色を隠せていない。触ってはいけないところに触ってしまったようだ。
ショウは気まずい空気になるのを避けるため、話題の方向性を変えようと試みた。
「けど、お前の方がやっぱり探偵っぽい気がする」
「え、マジ? 俺が?」
と、目を丸くして明るい口調になる。ショウはほっとして返した。
「ああ、マジだ。お前の方がひらめくし、頭の回転も早くてすごい。探偵はオレじゃなくてお前だと思う」
「そっかぁ。でも俺、探偵なんて柄じゃ無いしなぁ。助手くらいがちょうどいいと思ってたんだけど、そっかぁ」
とても嬉しそうに繰り返すリュウセイだったが、ふと思い出したようにたずねた。
「そういや、君のその鞄。いつも持ち歩いてるけど、何が入っているんだい?」
「ああ、拳銃とかな」
「拳銃か。ここでは必要無いような気もするけど」
その気持ちは分からなくもなかったが、ショウは言う。
「何があるか分からないだろ。特に今は二人も殺されたんだし」
「うーん、それなら俺もまた持ち歩くべきかな」
「何を持ってるんだ?」
「うん、道に落ちてたナイフをね、護身用にってずっと持ってた。ここへ来てからは部屋に置きっぱなしなんだけど」
リュウセイもかつては旅人だった。おそらくショウと同じように過酷で辛い旅だったことだろう。
「使ったこと、あるのか?」
答えが返ってくるまでに少しの間を要した。リュウセイはいつもよりも少し低く、落ち着きのある口調で言った。
「あるよ。襲撃されたことが何度も、ね」
治安がよかったのは過去のことだ。法が無いために誰を殺しても罰されず、今や命の価値は食料より軽かった。しかし、そうは思えないのがショウだ。
「オレも初めて人を撃った時は、手が震えた。体に当たって、血が出て……。でも、オレを責める人間はいなかった」
狂った世界だ。たった五年でここまで変わってしまったのに、体はいつの間にか順応して心だけが置いてけぼりだった。
「ねぇ、ショウ。犯人を見つけたらどうするんだい?」
「ここから追い出す」
「それだけか。シンプルだなぁ」
「オレはもう、誰も殺したくないんだ。それなら追い出すしかない」
「そうだね。今の時代、何が善で何が悪だったかも、すっかり曖昧になっちゃったけど、俺も誰かを傷つけるのはもううんざりだ」
リュウセイがそう言ってため息をつき、沈黙が訪れる。嫌なものではなく心地よささえ感じた。このまま身を任せたいような気持ちになったところで、急に玄関の方から声がした。
「リュウセイくん、入ってもええ?」
はっとしてリュウセイは立ち上がった。そちらへと駆けて行きつつ、入室の許可を伝える。
「どうぞー」
ショウがリビングへ移動すると、ナギとマヒロが上がってきた。
リュウセイはテーブルの上に置いたランタンを点けて、暗かった室内を明るくする。
「いったい何の用だい?」
彼女たちはにこっと笑った。
「リュウセイに着てほしい服があるの」
「ほら、リュウセイくん、わりと背ぇ高いやん? きっと似合うと思て」
リュウセイは目を丸くして戸惑った。
「え、俺? そういうのはハルトさんの方がいいんじゃ……?」
「前に頼んだことがあるけど、断られちゃったんだよ」
「ハルトさん、せっかく美人やのにオシャレしたがらないねん」
「いや、でも……」
と、何故かショウを見てくる。どうやら助けを求めている様子だ。
ショウは気付かない振りをして適当に椅子へ腰かけた。
「キリさんとサクラが殺されて、次はもしかしたらわたしたちかもしれないでしょ? だから、やり残したことがないようにしたいの」
「リュウセイくん、意外と脚長くてかっこええんよ。今イケメンで遊ばんと、殺された時に成仏できへんと思う」
「うーん、そういうことなら……」
と、優しいリュウセイは苦い顔をしつつも返した。
「ありがとう! じゃあ、まずはこれとこれね」
「待って、マヒロ。その前に眉毛整えさせて」
「あ、そうだね」
「リュウセイくん、こっちおいで」
と、ナギに呼ばれてまだ少し明るい窓辺へと連れていかれる。
残ったマヒロは手にした服をソファの上へ、上下組み合わせて並べており、ショウは何気なく眺めながらたずねた。
「それ、全部着せるのか?」
「そのつもり。でもどういう服が似合うか、いまいち分からないんだよね。ハルトさんなら何でも着こなせそうなんだけど」
と、一度組み合わせたものを入れ替える。あまりに真剣な顔で悩む彼女を見て、ショウは不思議に思った。
「やっぱお前、楽しそうなんだよなぁ」
「え、どういう意味?」
「なんつーか、オレには夢とかなかったからさ。自分の好きなことやってるやつって、かっこよく見えるっていうか」
「わたしが?」
「うん、いいなって思う。楽しそうだなって」
ふと窓辺へ視線を向ければ、真面目な顔でナギがリュウセイの眉を剃っていた。
「君には好きなもの、無いの?」
「うーん、機械には興味があるけど、別に仕事にしたいってほどじゃない。今さら仕事にできるわけも無いしな」
「……そっか」
切ない顔で相槌を打ったマヒロへ、ショウは言った。
「お前はここに来る前、何をしてたんだ?」
「わたしは……」
マヒロは鞄のように肩へかけていたランタンを下ろして片手に持ち、ショウの方へ歩み寄った。
「わたしね、十二歳の時に交通事故に遭ったの。後部座席に座ってたんだけど、頭を強く打ったせいで記憶喪失になっちゃったんだ」
彼女の年齢から察するに十年以上も昔の話だ。
「運転席と助手席にいた両親は死んで、わたしはそれまでの記憶全部を失った。親戚に引き取られたけど、おじさんやおばさんのことも忘れちゃってたから、ずっと居心地が悪かった」
「記憶が戻ることは?」
「いくつか思い出したこともあったけど、結果的には全然ダメだった。それで七年くらい前だったかな。わたしを引き取って育ててくれたおじさんたちが、テロに巻き込まれて死んじゃった。今度こそ天涯孤独になって、通ってた服飾の専門学校もやめちゃったんだ」
「それで、夢を……?」
「叶えられなかった。そうこうしているうちに、国の偉い人たちが宇宙船で遠くに行っちゃった。わたしは街の治安を維持する活動に参加してたけど、日に日に状況が悪化していくの。それまで普通だった人たちが暴れて、食料や飲み水を奪い合って、殺し合うの」
ショウにも覚えのある光景だ。善悪も上下もなく、人々はただ自分たちのためだけに争い合った。
「心はどんどん
そうやって現実からずっと逃げてきた先にここがあった。だからわたしは今も、現実逃避をしてるだけなんだよ」
マヒロが自身を
「本当に誰も殺したことが無いのか?」
彼女はわずかに目を丸くすると伏し目がちになった。少しの躊躇の後で取り
「正当防衛なら、何度かね」
やらなければやられる今の時代において、正しさなど存在しない。あるのは自分を守るために行使される悪だけだ。自身の中にある悪を見て見ぬ振りしているようで、身勝手なニュアンスを感じざるを得なかった。
するとナギがリュウセイを連れて戻ってきた。
「見てみて、ショウくん。リュウセイくん、イケメンになったと思わへん?」
「え?」
思わず彼を見てしまい、ばっちりと視線が合う。リュウセイは眼鏡を外しており、細く整えられた眉毛のおかげで普段より凛々しく見えた。いつもはある髭の剃り残しもすっかり無くなっている。
「……まあ、いいんじゃないか」
「えっ、それだけ? もっと褒めてくれていいんだよ?」
と、リュウセイが言い、ショウは彼から視線をそらした。
「悪くはないと思う」
「微妙な感想だなぁ」
がっかりするリュウセイを見て女性たちがくすくすと笑い、マヒロがソファに置いた一組の服を彼へ差し出した。
「リュウセイ、この服を着てみて」
「それ、俺に似合うの?」
「分からないから着るの。ほら、着替えはあっちでするよ」
マヒロはそう返し、隣の部屋へとうながす。
「それじゃあ、お楽しみにー」
何故かショウへ笑みを向けてから、彼女は部屋の扉を閉めた。すっかりおもちゃにされているリュウセイがおかしくて、思わずくすりと笑ってしまった。
遊び終えて満足した彼女たちが帰って行くと、リュウセイはすっかり疲れた顔でソファへ座り込んだ。
「何で俺があんな目に……」
「わりと面白かったけどな」
「そりゃ、見てる方はね? やる方は疲れるんだよ。眼鏡かけさせてもらえないから、君の反応もよく見えなかったし」
それもそうかと思いつつ、ショウは席を立って彼のそばへ寄る。
「腹減ったな。夕飯にしよう」
「ああ、そうだったね」
と、リュウセイが上半身を起こした直後だった。玄関の方から扉を叩く音がした。
「リュウセイ、いるか?」
「はい、います」
ソファから下りながら大きめの声を返す。扉がすぐに開いて、段ボール箱を抱えたタケフミが入って来た。
「お、ショウもいたのか」
「ああ、何の用だ?」
「食料の配布だよ。これで一週間分な」
タケフミがテーブルの上へ段ボール箱を置き、リュウセイは「ありがとうございます」と、笑顔を返した。
「ショウの部屋にはもう置いちゃいました?」
「いや、まだだが」
「それならこっちに置いといてください。ショウもその方が」
と、顔を向けたリュウセイをショウはじっとにらむ。
「言っておくけど、成り行きでこっちに寝泊まりするだけだからな?」
リュウセイが無言で苦笑し、タケフミは「まだやってたのか」と、呆れ顔だ。
「すぐに持ってくるから待ってろ」
タケフミは心底どうでもいい様子で返し、玄関へ向かって行った。ショウは否定したいのだが、第三者からすれば二人の関係などどうでもいいのだった。
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