2
二〇八号室の扉の隙間からかすかに光が漏れていた。薄暗い中ではやや異質な雰囲気を醸し出しており、リュウセイが入る前に声をかける。
「ユキヤ、いるかい? 入ってもいい?」
返事はすぐに返ってきた。
「いいよー」
ユキヤではなくミソラの声だ。かまわずにリュウセイはドアノブに手をかけた。扉が開くと、後ろにいたショウは思わず目を閉じてしまう。
「うわ、まぶしい」
「あいかわらず明るいなぁ」
と、リュウセイは笑いながら上がって行き、ショウも後を追う。
リビングの四隅に電球がぶら下げられ、部屋全体を明るく照らしていた。テーブルにはいくつもの小型機械が並んでおり、ミソラが椅子に座って何かしていた様子だ。室内にある棚には大小さまざまなプラスチック製の籠が並び、中には充電器などの小物類がごちゃごちゃと入っていた。
キッチンの棚には食料が入っているのがガラス戸越しに確認できた。量から見て二人分であるのは間違いなく、彼らが一緒の部屋で暮らしていることを証明していた。
奥の部屋は右側だけ扉が閉まっていた。もう片方は電球がぶら下がっていて明るく、奥にパソコンらしきモニターの設置されたデスクがあり、黒いデスクチェアに座っているユキヤが見えた。
先ほどまでと違って髪をハーフアップに結ったミソラが言う。
「何の用?」
リュウセイは明かりの消えたランタンを高く持ち上げた。
「これ、接触不良っぽくて点かなくなっちゃったんだ。直してもらえるかい?」
「いいぜ、こっち来い」
と、ユキヤの返事があり、リュウセイはそちらへ進んで行く。
ショウは自分のランタンの明かりを消してミソラの前にあるものを見た。
「いろいろ置いてあるな」
「ほとんど動かないガラクタだよ。暇つぶしにいじるのも飽きちゃった」
「ああ、そうなのか」
ショウは苦笑して返し、奥の部屋へそっと足を踏み入れた。リュウセイが立ったままユキヤと話をしていた。
「夜までには直せると思うけど、よければ別のやつと交換するか?」
「そうしてもらえると助かるなぁ、ちょっと光量が弱くて本が読みにくかったんだよね」
「ああ、そうだったのか。じゃあ……」
椅子から立ったユキヤがショウに気付く。
「お前も来てたのか」
「すまん。入っちゃまずかったか?」
「いや、かまわねぇよ」
ユキヤは棚に並んだランタンから一つを取り、明かりが点くのを確認してからリュウセイへ手渡した。
「これ、持ってってくれ」
「ありがとう。ちゃんと対価持ってきたよ」
と、リュウセイはプロテインバーを二本差し出す。
「サンキュ」
にやりと笑って受け取り、ユキヤはそれをデスクの上へ置いた。モニターが三つほど設置されていて、ショウは吸い寄せられるようにして近づく。
「うわぁ……これ全部、動くのか?」
横目にショウを見ながらユキヤは答えた。
「ああ、動くぞ。普段は一つしか使ってないけどな。電力が足りれば三つ全部使える」
「すげぇ……!」
「でもインターネットにはつながってない。というか基地局が死んでる」
「ああ、そうなのか。でも、こんなに綺麗な状態のパソコン、初めて見た」
思わず心が浮き立ってしまうショウへ、ユキヤがたずねた。
「ショウも機械が好きなのか?」
「あっ、いや……」
とっさに否定しようとして顔を上げたが、彼を見られずにさっと視線をそらした。
「興味はある、けど詳しくはない」
「そうか、よければ見てってくれよ。他にもいろいろあるから」
「いいのか?」
「ほら、これVRゴーグルだぜ」
と、ユキヤが近くの棚に移動して指し示し、ショウは隣へ並んだ。
「おっ、おお……!」
「動かないけどな」
「そうだよな」
ショウはすぐに肩を落とした。分かりやすく一喜一憂する彼へユキヤは続ける。
「こっちにあるヘッドセット、使い道ねぇけどかっこいいだろ?」
「ああ、ヘッドホンとマイクか。小さい頃に憧れたな」
多少使われた形跡のある黒いヘッドセットだった。洗練されたデザインが目を引き、かつてのよかった時代を想像させる。
「よければやるよ」
「えっ、でも対価が必要なんじゃ……?」
「当然だ。プロテインバー三本な」
「うーん、考えとく」
微妙な顔をするショウにかまわず、ユキヤは部屋の隅を指差した。
「で、あれは見ての通りエアロバイク型発電機だ。あいつのおかげで運動不足にならなくて済んでるよ」
「おお、かっこいい……」
「普段からよく使ってる発電機はこっちな」
と、棚の横にある小さめのデスクの前へ移動する。椅子はなく、雰囲気からして作業台と呼ぶ方がよさそうだ。
後を付いて行ったショウはそこに小型の発電機を見つけた。
「ペダル式か。ちょっと古いな」
「触ってもいいぜ」
「え、触らせてくれるのか?」
びっくりして顔を向けると、ユキヤは笑顔を浮かべていた。
「ああ、ケーブルがつながってるの確認してから、ペダルを
「うん」
言われた通り、機械にケーブルがつながっていることを確かめる。その先にあるのは黒いスマートフォンだ。
ショウはランタンを空いたところへ置いてから、おそるおそるとペダルに両手を置いた。ぐっと握って前へ漕げば、スマートフォンの画面が明るくなった。充電を開始した様子だ。
「おお、すげぇ!」
らしくもなく興奮してペダルをどんどん回していく。
「おもしろいか?」
「ああ、すっげぇおもしろい!」
「ははは、可愛いやつだ。頑張りたまえ」
と、ユキヤがデスクチェアへ戻ったところで、ショウは我に返る。
「ち、違っ……オレはこんなことをしに来たわけじゃなくて!」
ぱっとペダルから手を離し、熱くなった頬を隠すようにうつむいた。逃げるようにリュウセイのそばへ寄るが、彼にもからかわれてしまう。
「ショウって実はけっこう単純?」
「うっ、うるせぇ!」
「顔真っ赤だねぇ、可愛い可愛い」
リュウセイにまで可愛いと言われて逃げ場を失い、その場にしゃがみ込んだ。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
するとミソラが隣の部屋から口を出した。
「もう、二人していじめちゃダメでしょ。ユキヤは発電させないの」
「触りたそうにしてたからやらせただけだ」
否定できないショウはぎゅっとうずくまる。完全に踊らされてしまったことは理解できるが、楽しい気持ちがあったのも事実だった。
「意地悪でごめんね。ショウくん、大丈夫?」
と、ミソラが優しく言ってくれて、ショウはうなずいた。
「う、うん……もう大丈夫だ」
どうにか気分が落ち着いてきて、顔の熱も引いた。おもむろに立ち上がったショウは、リビングの壁に飾られた婚姻届に目を留めた。
「結婚してるって、そういうことか」
紙は一部が折れて跡が付いていたが、綺麗に伸ばされた状態で茶色の額縁に収められていた。
「おっ、婚姻届だ。こんなのあったんだ、気付かなかったなぁ」
付いてきたリュウセイが言い、ミソラはにこりと嬉しそうに笑う。
「役所にはもう出せないから、こうして飾ってるんだ。いいでしょ?」
「うん、いいね。俺も欲しいな」
「ねぇ、ユキヤ。これ、どこで手に入れたんだっけ?」
「あー……どこだったかな」
ユキヤが腰を上げてこちらへ寄ってくる。
三人が話をする
「タケフミさんが持ち帰ったんじゃなかったか? ちょっと西の方まで行った時だよ」
「ああ、それだ。だから、手に入れるのは難しいかも」
「それは残念だねぇ。で、ショウはいつまで婚姻届を見てるんだい?」
はっとしてショウは視線を彼らへと戻す。
「ああ、いや……ユキヤの字、幸せって書くのかと思ってたから、意外でさ」
「たまに言われたな、それ。でも『雪』っていう字、けっこう気に入ってるんだよな」
ユキヤが明るく返し、ショウは複雑な気持ちになりながら視線を下げた。
「オレはあんまり、自分の名前好きじゃない……」
「かっこいいと思うけどな、ショウ」
すかさずリュウセイがフォローを入れると、ミソラがたずねた。
「ショウくんってどういう漢字なの?」
「今宵の宵だ。ショウって読むのはあんまり馴染みがないっていうか」
「それなら、俺とお似合いじゃないかい?」
と、リュウセイが言い出してショウは彼をにらむ。
「は?」
「だって俺、流れ星って書くから」
にこにこと笑って答えたリュウセイへ、ミソラが無邪気に拍手を送った。
「わあ、本当だ! どっちも夜をイメージする名前でぴったりだね!」
「お、おう……」
そう言われてもまったく嬉しくない。するとリュウセイが言った。
「喜んでくれないのかい?」
「いや、だってオレたち、付き合ってるわけじゃねぇし」
もっともなことを返すショウに、リュウセイは真面目な顔をして見せた。
「それじゃあ、今から付き合おう」
「嫌だ」
「振られた……」
リュウセイはがっくりとうなだれる。見ていた二人がおかしそうに笑い、ショウは何となく居辛くなって歩き出した。
「もう用は済んだんだろ、戻るぞ」
と、歩き出そうとしたところでミソラに引き止められる。
「ちょっと待って。よければハーブティー飲んでかない?」
階段へ向かいながらミソラはにこにこと笑った。
「ショウくんと二人だけで話してみたかったんだー」
「そうか」
「お髭剃ったの、すごくいいね。髪型もかっこいい」
まるで
思わず黙り込んでいると、ミソラが階段の前で振り返った。
「どうしたの、ショウくん。もしかして照れてる?」
「ああ、いや、別に。リュウセイにも言われたなと思って」
とっさに返したショウへ、何故かミソラはにやにやと笑う。
「さっき告白されてたよね。何で断っちゃったの?」
「何でって、まだ出会って三日だぞ? 相手のこと全然知らないのに、簡単に付き合えないだろ」
「へぇ、真面目なんだね。リュウセイくんも真面目だし、やっぱり二人ってお似合いかも」
「あのなぁ……」
うんざりしながら階段を上がっていく。
「でもさ、でもさ。リュウセイくんって、なかなかイケメンだと思わない?」
「そうか?」
「もちろんユキヤには負けるけどね」
にっこりと言い切る彼に、ショウはため息をついて見せた。
「っていうか、ミソラは何なんだよ」
「何って?」
「その……男なのか、女なのか、どっちなんだ?」
ショウが内心でどぎまぎしつつたずねると、ミソラはにっこりと微笑んだ。
「僕は僕だよ。というか、男とか女とかどうでもよくない? 性別にこだわることないと思うな」
性別はあくまでも体の形であり、ただの区別でしかない。そうは分かっていても、ショウはどうしても古い考え方から抜け出せなかった。ましてやミソラのようなどっちつかずの性自認をする者に会ったのはこれが初めてだ。
「すまん」
「別にいいよ。知ってくれるだけで十分だもの」
話をしている間に三階へ着いた。特に気分を害した様子もなくミソラは左手の廊下を歩いて行く。
三〇四号室まで来たところで、彼がズボンのポケットから金属製の鍵を取り出した。ずいぶん昔に流行った、桃色のツチノコの小さなマスコットキーチェーンが付いており、その色がやけに鮮やかに見えた。
「この部屋、鍵があるのか」
驚くショウへミソラは解錠しながら返す。
「うん、ここだけ合鍵が残ってたんだ。下の郵便ポストに入ってたの」
「ああ、なるほど」
ミソラが扉を開けて中へ入り、ショウも後を付いていく。
「ショウくんはここで待ってて。すぐ取ってくるから」
「分かった」
玄関にいるだけでも室内から青臭い匂いが漂ってくる。ここでハーブを育てているのは確かなようだ。
ショウは見える範囲のものを何気なく観察しつつ、ミソラが戻るのを待った。
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