3日目

1

 夢の中で悲鳴を聞いた気がするが、じきに微睡まどろみにかき消えた。目を覚ましたのはそれから少し後、扉の開く音とユキヤの大きな声がしたからだ。

「ショウ! サクラが部屋で死んでる!」

 寝起きの頭に飛び込んできた情報を理解するまでもなく体が動いた。ぱっと上半身を起こしてベッドから出る。

「どういうことだ?」

「分からない。今、リュウセイが見てる」

 ランタンを引っつかみ、着の身着のままでユキヤと三階のサクラの部屋へ急行する。今朝も雨風は強いままだった。


「首に跡がある。おそらく絞殺だよ」

 サクラはリビングの中央付近に仰向けで倒れていた。首には索条痕が見られるが、凶器は見当たらない。

 他の住人たちは昨日と同じように少し距離を取って、入口より手前の辺りから様子を見ていた。

 ショウは自分のランタンでサクラの首を照らし、じっくりと観察する。

「抵抗した跡がないな。普通なら引っかき傷があるもんだけど」

「吉川線だっけ? 見当たらないよねぇ」

 床はフローリングでキッチンに小さなマットが敷かれているだけだ。電気がない生活ながら、掃除を常にしていたようで部屋は綺麗だった。

「いくら死にたいと思っていても、いざ殺されるってなった時に抵抗しないものなのか?」

「うーん、そう言われてもなぁ」

 と、リュウセイが腰を上げるとマヒロが声をかけてきた。

「ねぇ、侵入者が殺したんじゃないの?」

 マヒロの隣にはナギが立っていた。二人はぎゅっと手を握り合っており、リュウセイは返す。

「その可能性はもちろん捨ててないよ。でも、サクラは同性愛者だった」

「昨日の時点では、反異性愛の侵入者がキリを殺したのかと思ってたんだ。でも風向きが変わってきた」

 ショウが立ち上がりながら言うと、ミソラが口を出す。

「何か他に理由があるんじゃなくて?」

「さあな。それはこれから調べてみないと分からん」

 するとハルトがいぶかしげに言った。

「君たち、犯人探しするつもり? そんなことして意味があるの?」

「うーん、そう言われると困っちゃいますね」

「オレは意味があると思ってる。何と言っても、穏やかに暮らしたいからな」

 ショウの返答にハルトがきゅうしたところで、ナギが口を挟んだ。

「うちも同じ。穏やかに暮らしたい」

「そうだね、わたしもこれまで通り暮らしていきたいかも」

 と、マヒロもナギを見つめる。

 すると苦々しくタケフミが口を開いた。

「でも侵入者がやったんだろう? それでいいじゃないか、わざわざ探すことなんてない」

 リュウセイは何を思ったのか、堂々と失言した。

「だけど、暇つぶしになるじゃないですか」

「え、暇つぶしなん? 正義感とかやなくて?」

 こちら側に傾いていたはずのナギがたずね、ショウはすぐにリュウセイをにらむ。

「軽率なこと言うな、リュウセイ!」

「えっ、だって本当のことだし」

 その場がしんとする。他の住人たちから軽蔑けいべつの空気が漏れ出していた。

 彼らを代表するようにユキヤが苦々しく言う。

「思ってたのとはちょっと違ったみたいだな」

「ひどい人たち。もう戻ろう」

 と、ミソラも言って背を向けた。二人がさっさと部屋から出て行き、タケフミは呆れ果てた。

「そういうことなら勝手にしてくれ。でも俺たちに迷惑だけはかけるなよ。ハルト、サクラを運び出すから手伝ってくれ」

「うん」

 すぐにハルトが寝室へ行き、シーツを取って戻って来る。

 協力して遺体を包む二人を見てから、マヒロは呆れた顔で言った。

「わたしたちも行きましょ、付き合ってられない」

「せやな……」

 次々に人が去って行き、室内にはショウとリュウセイだけになってしまった。

「何してくれてんだよ、お前のせいだぞ」

「うーん、ごめん。でも君だって、正義感で動いてるわけじゃないでしょう?」

「……否定はしない」

 言ってしまえば、二人とも自己満足でやっているだけだった。他の住人たちに呆れられるのは時間の問題だったかもしれない。

 何とも形容しがたい感情にとらわれていると、唐突にリュウセイがひらめいた。

「あれ? もしかして昨日、サクラも同じことを考えていた可能性はないかい?」

「オレたちが正義感から行動してたって?」

「そうそう。で、キリさんは正義感の強い人だった」

 彼の言いたいことに気付き、ショウもはっとする。

「同じだったって、まさかキリが生きてたら、オレたちと同じように事件を調べてたかもしれない、ってことか!?」

「そういうことだよ!」

 光明が差したかに思われたが、ショウはふと冷静に頭を働かせて問う。

「でも、侵入者がいるかもしれないって話になった時、キリが言ったのは『くだらない』だったよな?」

「正義感の強い彼女なら、むしろ侵入者を捕まえようとしたはずだ」

「ってことは、まさか……」

 二人は顔を見合わせて愕然がくぜんとする。

「彼女は侵入者がいないことを知ってたのか!」

「言い換えれば、誰がロボットを落としたのか分かってたんだ!」

「じゃあ『くだらない』ってのは、犯人に向けて言ったわけだ!」

 辻褄が合っていき、一つの結論が導き出される。

「だから真っ先に部屋へ戻った。侵入者がいないって分かってたから」

「で、何故か知らんが殺された」

「つまり、住人の中に犯人がいる……!」

 薄暗い室内でも分かるくらい、リュウセイの目は輝いていた。興奮する彼を見るなり気持ちが冷めてしまった。

「お前、わくわくしてないか?」

「してるさ、もちろん。俄然がぜん、誰が犯人なのか突き止めたくなってきた」

 本を読む人間とはこうも容易たやすく好奇心に負けるものなのか。ショウはうんざりと息をついて話を進めた。

「犯人の動機がはっきりしないが、サクラまで殺されたのはどうしてだ?」

「うーん、何だろう? 可能性として考えられるのは、犯人を知ってたからかな」

「そりゃ知ってはいるだろ。同じところに住んでるんだから」

「そういう意味じゃなくて、キリさんを殺した犯人に心当たりがあった、って可能性だよ」

「心当たり?」

「そうすると、昨日はもしかしたらそれを伝えるために、俺たちに話をしに来たのかも。何か様子が変だったし」

 一人でサクラを訪ねた時のことを思い出す。彼女には詳しく話せない事情があったように見えた。

「そういや何回か探りを入れたけど、詳しく話せないって感じで何も話してくれなかったな」

「詳しく話せない理由?」

 リュウセイが考え込んでいる間、ショウはテーブル付近をランタンで照らした。廊下に近い下座の椅子がテーブルに対して少し斜めになっていた。誰かが席を立った後のようだ。その向かいの席のすぐ近くには壊れたランタンが落ちていた。

「あそこに壊れたランタンがあるの、気付いてたか?」

「もちろん気付いてたけど、まだちゃんと見てない」

 と、顔をそちらへ向ける。二人は近くへ行って観察してみた。

「テーブルから落ちたのか? 派手に壊れてるな」

 電球を覆っていたガラスは砕け、フレームも見事に歪んで外れていた。

「でも抵抗した跡は無いんだ。犯人ともみ合いになったとは考えにくいよ」

 室内に荒れた様子はなく、ランタンが落ちているのみだ。その他は物が整然と並んでいるばかりだった。

「椅子も気になるな。まるで誰かが座ってたみたいだ」

「廊下から入ってすぐの席だよね。他の椅子はテーブルに対してまっすぐ置かれているから、サクラが誰かといたようには思えない」

「ということは、座ってたのはサクラか?」

「そう考えるのが自然だけど、彼女は最終的に床に倒れていた。その間をつなぐ動きとして、ランタンが壊れたのが先か、殺害されたのが先かを考えないと」

「座っていた彼女が立ち上がり、ランタンを落としたとするなら、殺害されたのはその後になるな」

「すると意図的に壊したってことになるね。これは彼女が残した手がかりなのかもしれない」

「もしも犯人だったら目的は何だ? 姿を見られたくなかったとか?」

「心当たりがある彼女を殺すんだから、今さらそんな小細工いらないでしょ」

 ふとショウはひらめく。

「それだ! 心当たりがあるから、抵抗しなかったんじゃないか?」

「殺されることを分かってた、ってこと?」

「きっとそうだ。つまり、ランタンはやっぱり彼女が意図的に落としたんだ」

 リュウセイが再び壊れたランタンを照らそうとすると、明かりが突然消えてしまった。

「おっと、電池切れかな?」

 ボタンを何回か押すと再び明かりがついた。その様子を見ていたショウは言う。

「接触不良っぽいな。ユキヤに直してもらわねぇと」

「そうだね、ここでの調査が終わったら行くよ」

 あらためてリュウセイは明かりを下へ近づけた。ショウも視線を床に戻したところで気が付く。

「ここ、ちょっと不自然じゃないか?」

 ぽっかりと穴が空いたように、何も無い箇所があった。数センチほどの小さな空間で、位置から見てガラスの破片か内部のパーツがあってもおかしくはない。

「うーん、言われてみると不自然かもしれない。だけど、そんなに変とも思えないかな」

「オレは気になるけどな。何かここにあったのかもしれない」

 リュウセイは顎に手をやって考えるが何もひらめかなかったようだ。話題を変えられてしまった。

「ところで、これほど分かりやすく壊れるものなんだね」

「どういう意味だ?」

「ほら、最近のものって丈夫じゃない? あ、最近っていうのは五年前までのことね」

「丈夫……?」

 何か見えてきそうな気がして思わず眉間にしわを寄せた。

「ユキヤからもらったランタン、何度か床に落としちゃったことがあるんだけど、こんな風に壊れなかったなと思ってさ」

「ということは、思いきり力を込めて叩きつけた?」

 この部屋の真下はショウの部屋だが、それらしい物音はしなかった。否、昨夜もショウは早くに就寝してしまった。暴風雨も続いていたため、気付かなかっただけかもしれない。

「テーブルから落としたんじゃなくて、彼女自身が手に持って叩きつけた、の方が正しいんじゃないかな」

「なるほど、完全に意図的だな」

「そうまでして伝えたかったことって、いったい何だろう?」

 サクラは優しい女性だった。第一印象からしてそうだし、話をしてみた感触からしてもそうだ。そんな彼女が意図的に物を床へ叩きつけるなんて、何か理由がなければ納得できない。

 リュウセイがさまざまな角度から照らして観察し、ふとテーブルの下に明かりが届いた時だった。

「リュウセイ、何かあるぞ」

「え?」

 自分のランタンをテーブルの下に差し入れ、もう片方の手で示す。

「ほら、ここに……何だこれ」

 天板の裏側、端の方に黒い油性ペンで奇妙な図形が描かれていた。丸みを帯びた細長い何かがあり、まるでスカートを履いたような台形が片側の端に付き、そこから脚のようなものがいくつか生えていた。

「……えーと、これは何?」

「分からん……でも、劣化してないところを見るに、新しく描かれたものだよな?」

 二人は苦笑いをするしかなかった。

「これをサクラが描いたなら、きっと手がかりってことだよね?」

「それにしても、何と言うか……下手だな」

「うん、申し訳ないけど何なのかちっとも分からないよ」

 二人が奇妙な絵から視線を離すとショウの腹が鳴った。

「悪い、まだ朝飯食ってなくて」

「そういえば俺もだ。ひとまず食べに戻ろうか」

「ああ、そうしてくれると助かる」

 空腹では深く考えることは難しい。それぞれに立ち上がったところで、またリュウセイの明かりが消えた。

「やれやれ、ダメっぽいね。悪いんだけど、君のランタンを頼らせてもらっていいかい?」

「一緒に朝飯食おうってか? まあ、もう少し考えたかったしかまわないけど」

「ありがとう、助かるよ。ユキヤのところへはその後で行く」

 二人で玄関へ向かいながら、ショウはたずねた。

「そういや、今回の第一発見者は誰なんだ?」

「ナギとマヒロだよ。確か、一緒に朝食を食べる約束をしてたとかで」

 玄関に来たところで足を止め、ショウはリュウセイを見る。

「おい待て、それめちゃくちゃ見つけてもらおうとしてないか?」

「うん、俺もそう思ってた。一緒に食べようって言い出したのがサクラなら、自分が殺されるのを予想してたに違いないよ」

「やっぱり彼女は分かってたのか。やるせないな」

 と、自分の靴を履いてから気付く。靴箱の上に置かれた救急箱だ。

「なぁ、リュウセイ。この救急箱、オレがもらってもいいかな」

「え、かまわないと思うけど」

「うん、それじゃあ持って行く」

 ショウの両手が塞がったのを見て、リュウセイが扉を開けてくれた。

「もしかしてショウって、そっち方面詳しかったりする?」

「そっちって何だよ」

「えーと、言うなら医学かな? キリさんの遺体の傷も冷静に見てたし、サクラの首に引っかき傷が無いことにも言及してたでしょう? そして救急箱に興味を持ったことから、医療従事者だったのかと思って」

 これまでの言動から推理されてしまったようだ。探偵はこの男が務めるべきだなと思いつつ返した。

「ガキの頃、夢だったんだ。叶えられなかったけどな」

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