5

 誰に見つかることもなく、無事に自分の部屋へ帰ることが出来た。食料をしまっておいた棚にタケフミからの賄賂を隠し、さっそくマヒロを訪ねることにする。

「確か、三〇九だったか」

 すぐにまた部屋を出て、すたすたと廊下を進んで行く。

 階段は建物と同じ古びたコンクリート製で、壁にはひび割れている箇所がいくつも見られた。上り下りをすれば多少足音が聞こえるが、暴風雨の音に紛れてしまう程度のものだった。


「何の用? 服が好みじゃなかったとか?」

 マヒロはショウの来訪を受け入れてくれた。

「いや、鞄が欲しいんだ」

 窓辺でクッションに囲まれて裁縫をしていた彼女が立ち上がる。

「どういう鞄?」

「えーと、小さいやつでいい。大事なものを持ち歩きたいだけだから」

「ああ、そうだよね。怪しい人がいるかもしれないんだもんね」

 マヒロはすぐにクローゼットを開けて物色し始めた。中には防寒用のコートやカーディガン、ワンピースなどがぎっしりと詰められている。

「うーん、ちょっと待ってね」

 次に彼女は引き出しを開けた。そこには靴下やタオルなど、小物がやはりたくさん詰め込まれていた。

「ああ、そうだ。男性用の鞄は隣の部屋だ」

 と、思い出した彼女がリビングを経由して隣へ向かう。間取りはどの部屋も共通だった。

「こっちおいでー」

「ああ」

 呼ばれて後を追いかけ、ショウは室内にずらりとかけられた衣服を見て圧倒される。物干しロープが三本かかっていて、男女別にさまざまな服がかけられていた。

 マヒロは窓際の棚の前に立っており、ショウがおずおずとそばへ寄ると黒い横型のボディバッグを渡してくれた。

「これでいい?」

 ナイロン製のシンプルな鞄だ。あまり洒落しゃれていると気後きおくれしてしまうため、ちょうどよかった。

「おう、十分だ。ありがとう」

「他に欲しいものがあったら言ってね」

 彼女がさっさと戻って行こうとするのをショウは引き止めた。

「ちょっと待て、聞きたいことが――」

「何?」

 マヒロはリビングへ出たところで足を止めた。振り返った彼女へ歩み寄りながらショウは問う。

「何でこんなにいろいろ持ってるんだ?」

「……ああ」

 質問の意図を理解した様子で返す。

「わたしね、アパレル関係の仕事がしたかったんだ。できればファッションデザイナーになりたかった。でも、こんな時代でしょ?」

 と、悲しみと困惑の混ざったような顔をする。

「どれだけ願っても夢が叶うことはもう無い。だから、このマンションに残された服や靴、鞄とかファッションに関するものをいろいろ集めてね、自分のお店みたいにしてるんだ。ただそれだけ」

 言わばごっこ遊びだ。彼女は好きなものに囲まれて遊んで暮らしているのだと理解した。

「そうか。楽しく暮らしてるみたいだな」

 しかし彼女は否定した。

「ううん、全然つまらないよ。だって金銭のやり取りがないし、全身コーディネートしたところで、それを見せつけられる場所も人もいない。最悪な時代に生まれちゃったなって、悲しくなることの方が多いよ」

 この地球に人間社会や文明があったのはもう昔のこと。世界は変わり果ててしまい、絶望だけが残されていた。

「ユキヤみたいに対価を求めてもいいけど、何か違うんだよね。わたしはやっぱりお金でやり取りがしたいの」

「そうか、勝手なことを言ってすまん」

 ショウが謝ると、マヒロは切ない笑みを浮かべて言った。

「ううん、気にしないで。そういえば、こんな噂があるの知ってる? 宇宙船の中では昔みたいな社会構造が維持されてて、経済がきちんと回されてるんだって」

「そうなのか?」

「あくまでも噂だよ。本当かどうかは知らない。でも、わたしも宇宙船に乗りたかったなぁって、よく考えちゃうんだ」

「乗りたかった、か」

 宇宙船は二年前にも飛んでいた。乗船チケットを手に入れられたのは権力を持つごく一部の層であり、名もなき人々には当然行き渡ることがなかった。

「もうすぐ最後の宇宙船、飛ぶらしいね。わたしには関係ないからどうでもいいけど」

 と、マヒロは締めくくる。

「もう用はない?」

「ああ、もういいよ」

「それじゃあ戻るね」

 彼女はすぐに元いた窓辺へと戻って行った。クッションの上に座り、ランタンをそばに置いてから針を手に取る。もう片方に服を持ち、静かに続きを縫い始めた。

 先ほどは気付かなかったが、その脇に黒い小型の機械が置かれていた。スピーカーと思しきパーツと手回し用のハンドルが付いており、一瞬胸がざわついた。

 しかしショウは「ありがとう」と、声をかけてから部屋を後にした。――あれがキリのものだとは限らない、今は疑うよりも情報を集めるのが先だ。


 二〇三号室へ戻り、さっそく鞄の中身をボディバッグへしまった。真っ先に巾着袋を入れ、護身用に持っていた拳銃を入れてみても余裕がある。他に持ち歩くものなど無いが、ショウは何だか嬉しくなった。

 立ち上がって鞄を肩へかけてみると、子どもだった頃を思い出して懐かしくなる。いつか母親がかっこいいボディバッグを買ってくれたことがあった。人の目を意識する年頃になっていたショウは素直に喜び、ボロボロになるまで使い込んだものだ。

 急に胸が切なくなってうつむくと、玄関から声がした。

「ショウ、いるかい?」

 リュウセイだ。思わずびくっとしながらもショウは返した。

「ああ、いる。何の用だ?」

 がちゃりと扉が開いて、リュウセイがさっさと室内へ入ってきた。

「気付いたことがあるんだ」

 そう言いながら何故か立ち止まり、じっとショウを見つめる。

 時刻は夕方になりつつあった。薄暗くても見つめられることに耐えきれず、近くの椅子へ座った。

「何だよ? さっさと言えよ」

「その前に言わせてほしい。髪の毛切ったんだね、すごく似合ってるしかっこいいよ。鞄もいいね」

 にこにこと機嫌のよさそうな笑みを浮かべる彼へ、むっとして低い声を返した。

「追い出していいか?」

「ごめんごめん、ちゃんと言うから!」

 リュウセイは慌てて咳払いを一つし、決め顔を作ってかっこよく言ってみせる。

「この状況、クローズドサークルだよね」

「出てけ」

「違う違う、ふざけてるわけじゃないよ! 楽しんではいるけどふざけてはない!」

「だから不謹慎だっつーの」

 呆れて言い返し、ショウはボディバッグをテーブルの上へ置いた。

 リュウセイが向かいの椅子を引きながら言う。

「否定はしないけどさぁ、侵入者がいると仮定して考えたら、この建物のどこかに隠れているはずでしょ? 外はひどい暴風雨だし」

 と、勝手に腰を下ろしてランタンをテーブルへ置く。

「オレはその中、這いつくばってここに来たぞ」

「うーん、あれはびっくりしたね。普通なら外に出ないよ」

 ショウは不機嫌な口調で返した。

「それじゃあ、普通は人を殺すのか?」

「えっ」

「こんな時代じゃなければ、それを普通とは言わないよな」

「うーん、そうかも」

 リュウセイが困ったような顔で言い、ショウは息をつく。

「普通なんてのは時代や環境によっていくらでも変わる。普通であることも、普通じゃないことも、理由にはならねぇんだよ」

「そうだね、失言だった。ごめん」

「分かったならいい」

 すると彼はこちらに視線をやったまま頬杖をついた。

「それにしても、君もなかなか意地悪だねぇ」

「もって何だよ」

 ショウが不満げな目を向けると彼は言った。

「ほら、もう一人いるでしょ。意地の悪い電気屋が」

「ああ、ユキヤか」

「今思ったけど、君たち似てるかも」

 急に何を言い出すのかと思ったが、おくびにも出さずにショウは返す。

「っつーか、クローズドサークルって何だよ?」

「えっ、急に戻ったね。しかも知らないであの反応? ひどくないかい?」

「事件と何の関係も無いんだろうなってことだけ察した」

 リュウセイは「そっかぁ」と、残念そうにしながらも説明を始める。

「クローズドサークルっていうのは外に出入りできない、閉鎖的な状況で事件が起こるってこと。警察の介入がなくて科学捜査もできない中で犯人を見つけ出す、ミステリーの一ジャンルだよ」

「それ、おもしろいのか?」

「うーん、俺は好きだけど、ぶっちゃけ使い尽くされたっていうか……」

「だよな。オレ、本読まねぇけど興味わかないもん」

「いやいや、本は読もうよ。本読むの楽しいよ」

「今どき紙の本なんて集めてるの、お前くらいだぞ」

 リュウセイは困った顔でうなった。

「骨董趣味なのは認めるよ。でも、あの紙の感触とか匂いがいいんだよなぁ。あと、昔の人がどんな思いでこの本を読んだり、書いたんだろうって想像するのとか」

 これまでにあまり会ったことの無いタイプの人間だ。知れば知るほどそう感じてショウは言った。

「リュウセイって変わってるよな」

「生きたがりのショウには言われたくないね」

 示し合わせたわけでもないのに視線を交え、互いににやりと笑った。変わり者同士、通じ合うものがある気がした。

「で、他に話すことは?」

「侵入者がいるなら、どこかの部屋に身を隠しているはず。でもここは十階建て。使っているのはたったの十二部屋。探すのは無理だってことだけ伝えに来た」

「言われなくても分かることだな。オレは重要な情報を手に入れたぞ」

「え、どんな情報だい? 聞かせて」

 自分の成果を渡してもいいか少しだけ迷った。彼はずっと部屋にいた様子であり、わざわざ共有することでもないかもしれない。しかし、疑うのは後からでもできる。

「サクラにキリの部屋を見てもらったんだ。そうしたら二つ、物が無くなっていた」

「盗まれたってことかい?」

「それはまだ分からない。無くなっていたのは、赤いスマートフォンと黒い多機能発電機だ」

 リュウセイは目をぱちくりさせてから考えた。

「発電機とスマートフォンなんて、誰もが欲しいものじゃないか」

「スマホがあったところで通信ができないけどな。インターネットにつながらなければ、ただの板だ」

 吐き捨てるように言うショウへ、リュウセイは首をひねった。

「でも、どこかの通信会社が無料開放してなかったっけ?」

「ああ、そんな話もあったか。でも五年前のことだろ、今でも使えるとは思えないな」

「うーん、そうか。ちなみにショウはスマホ、今でも持ってるかい?」

「いや、とっくに捨てた。どこもかしこも電気がねぇんだ。充電できなくてゴミになったから、欲しがってたガキに渡した」

「人にあげちゃったのか。俺はどこかで落としたみたいで、いつの間にか無くなってたなぁ。使えると便利なんだけどね」

 リュウセイがため息をつき、ショウは話を戻す。

「キリを殺したやつが盗んだ可能性があるよな」

「そうだね。反異性愛というより、強盗殺人だったのかも」

「でも、彼女は寝ている時に襲われたんだよな? 盗みが目的なら、わざわざ殺す必要はなくないか?」

「彼女は眠っていたんだもんね。盗んだらそっと出て行くだけでいい」

「やっぱり変だな。殺すのが目的だったとするなら、強盗殺人じゃない」

「するとこれまでの推測通り、反異性愛の侵入者なのかな? 殺したついでに盗んで行った、というだけなのかも」

「スマホと発電機だもんな、盗みたくなるのも分かる」

 と、ため息をついた。スマートフォンを便利に使いこなしていたあの頃が懐かしかった。

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