2
一階のエレベーターの裏に駐車場があった。天井の一部が崩れ落ちており、塗装もところどころ
誰ともなくロビーに集まった住人たちは一様に暗い顔をしていた。
階段を下りながらリュウセイは言う。
「昨夜、ロボットが落ちたのが九時前だったね。時計を見たから間違いない」
ショウはふと気になって、彼の左手首に目をやった。
「いいもん持ってるよな、お前」
「かっこいいでしょ? 五年前、国がこんなことになるちょっと前に買った、お気に入りの電波時計なんだ」
「ああ、そうだったか」
自慢げなリュウセイを横目に見ながらロビーへ向かう。晴れていれば中庭を抜けた方が早そうだが、生憎なことに嵐はまだ続いていた。
ロビーに着くと、二人の話し声を聞いてか全員がこちらに顔を向けていた。代表するようにタケフミが声をかけてくる。
「何か分かったか?」
「いえ、キリさんが異性愛者だったらしいことしか」
リュウセイの返答にリーダーは呆れた顔をした。
「そんなこと、ここにいるみんなが知ってるぞ」
「ああ、そうでしたか。新参者なものですみません」
笑ってごまかすリュウセイを見てショウはたずねた。
「お前も新入りなのか?」
「うん、実はまだ一ヶ月くらいでね」
「マジかよ」
これでは全然頼りになりそうにない。やはり一人で調べた方がいいのではないかと思うが、ショウのことなどおかまいなしにリュウセイは住人たちを見た。
「昨日の夜、ロボットが落ちましたよね? あの前後に怪しい人影を見た人はいませんか? 足音を聞いた、でもいいです」
壁際に設置されたソファに座っていた女性たちが顔を見合わせて困惑する。
「夜は一度も部屋から出ていないから、俺は知らない」
タケフミが嘆息まじりに言い、管理人室の前にあるカウンターにもたれていたユキヤも言う。
「俺も同じだ。ずっと自分の部屋にいた」
「わたしたちだってそう。怪しい足音も聞いてないよ」
と、マヒロが女性を代表して答える。
タケフミの隣にいたハルトも申し訳なさそうにした。
「僕もずっとアトリエにいたから、何も見てないし聞いてないよ」
「そうですか」
何の情報も得られないかと思ったその時だった。ユキヤのそばにいたミソラがおずおずと口を開いた。
「実は僕、見たよ。見たっていうか、ロボットが落ちるのを見たの」
「本当か?」
ショウとリュウセイは同時に視線を向けた。中性的な格好をしたミソラが真剣な顔で言う。
「あの時、僕は部屋に戻るところだったんだ。階段を下りて二階に着いた時、上から何かが落ちて来たのを見た。すぐに下へランタンを向けたら、ロボットだったことに気付いて、慌ててユキヤを呼んだんだ」
「ということは、怪しい人影を見てはいないんだね?」
「うん、そこまでは見てないよ。ごめんね」
「いや、謝ることないよ。少なくとも二階から落とされたのではなく、その上からだったことが分かったからね」
リュウセイが有益な情報を導き出せば、ミソラは少しほっとしたような顔になる。
するとタケフミがたずねた。
「それで、ロボットを落としたやつとキリを殺したやつはどう関係があるんだ?」
「分かりません。現時点で言えるのは、侵入者がいるかもしれない。侵入者がロボットを落としたかもしれないし、侵入者がキリさんを殺したかもしれない。これだけです」
「かもしれないばっかりじゃないか」
あまりに曖昧なせいか、タケフミが疲労したように顔を
「食料が盗まれたって話、あったよな? 詳しく教えてくれないか?」
タケフミは視線をショウへ移した。
「ああ、盗まれたのは即席麺と缶詰を二つずつだ」
「気付いたのはオレが来た時でいいか?」
「もちろん。時刻は確か……」
「午後の二時十分頃ですね。俺、時計を見たんで確かです」
と、リュウセイ。住人たちの中で唯一腕時計をしているため、彼の証言に疑う余地はない。
ショウはうなずき、質問を続けた。
「盗まれたことに気付く前、最後に確認したのは?」
「最後となると、その前の日の夜だな。三日に一度、在庫を数えているんだ」
「なるほど。じゃあ、食料はどこに置いてあるんだ?」
「二階の二〇四号室だ。食料専用の倉庫として使っている」
「勝手に入っても?」
「かまわないが、管理は俺がやっているからな。もし盗んだら、ただではおかないぞ」
タケフミが眼光を鋭くさせ、ハルトがなだめるように彼の腕へ触れた。
「前に実際に盗んだ人がいたんだ。その時はタケフミが半殺しにして追い出したんだよ」
昨夜、彼が言っていた「盗むようなやつはいない」と言うのは、盗むことは彼に逆らうことと同義だったからだ。リーダーと言えば聞こえはいいが、実質的に彼がこのマンションにおける権力者であり支配者だった。怪我をさせられて追い出されたくなければ、誰も逆らわないに決まっている。
そのことを強調するかのようにタケフミは言った。
「俺は昔、警備隊に所属していたからな。あの頃より多少は腕が鈍ったが、それでも喧嘩に自信はあるぞ」
「ひええ、こわ……いや、かっこいいですね!」
と、ごまかしきれなかったリュウセイにタケフミは「別にかまわん」と、不機嫌に鼻を鳴らす。
ハルトが少し呆れたような顔をし、ショウはリュウセイに顔を向けた。
「他に聞くことはあるか?」
「えっ、うーんと……そうだ、ユキヤ」
タケフミの前から逃げるように、リュウセイがそそくさとユキヤの方へ向かい、ショウは後を付いて行く。
「あのロボットなんだけど、重さってどれくらいだった?」
「ああ、たぶん五十キロ程度だ。人型だから、女でも背負うようにすれば持ち上げられるな」
「そっか。じゃあ、ロボットが怪しい人物に遭遇した可能性はあるかい?」
ユキヤは少しうつむき加減になってため息をついた。
「あっても、ただ警告音を鳴らすだけだ。離れれば音は止まるし、音量も大してでかくない。ハルトさんがよく捕まってたから、今さら警告音を気にするやつもいないよ」
「うーん、確かに」
昨日のことを思い返し、ショウは考え込む。玄関にいた時は警告音が鳴っていたことに気付かなかった。廊下へ出て初めてロボットの存在を知ったくらいだ。
「ありがとう、ユキヤ。これで聞きたいことはだいたい聞けたかな」
と、リュウセイが振り返る。ショウは視線を上げて提案した。
「一度、情報を整理した方がよさそうだな」
「そうだね。俺の部屋にペンと紙があるから、書き出しながら考えてみよう」
二〇二号室のリビングには本棚が二つほど並んでいた。そのどれもが本で埋まっており、リュウセイは言う。
「ここで暮らし始めた時、上から下まで全部の部屋を回って集めたんだ」
「本が好きなのか?」
「うん、紙の手触りとか匂いが好きでね。あと純粋に物語も好き」
言いながら棚の引き出しを開け、未使用のコピー用紙を適当にまとめて取り出した。隣の引き出しには文房具が詰め込まれており、ボールペンを一本手に取ってテーブルへと向かう。
「そういや、本読みって言ってたもんな」
「小説なら何でも読むけど、一番はミステリーだね。推理するのが楽しいんだ」
自分の部屋とはまるで違う景色に立ち尽くしていたショウは、遅れてテーブルへ寄った。
「それで楽しそうにしてるのか」
「ごめん、できるだけ気をつけるよ。それじゃあ始めようか」
向かい合って座り、リュウセイが一枚のコピー用紙へ情報を書き出す。
食料が盗まれたことに気付いた時刻:昨日の午後二時十分頃
盗まれたのは即席麺と缶詰二つずつ
・ロボットについて
落ちた時刻 夜九時過ぎ
重量 約五十キロ
二階より上から落とされた
・キリについて
殺害された時刻 昨日の夜九時以降
遺体を発見した時刻 午前九時四十分頃
部屋にはドアガードがかけられていた
包丁で刺されて死んでいた
状況からして眠っている間に襲われた
異性愛者だった
「確実な情報はこれだけか」
現時点で分かっている情報をまとめてみたが、犯人につながりそうなものは一つもなかった。
「昨夜のことも書き出そうか」
と、リュウセイは再びボールペンを走らせる。
キリはロボットが落ちた時に「くだらない」と言って真っ先に部屋へ戻った
テーブルの上に置いた二つのランタンのおかげで手元がよく見える。リュウセイの読みやすい文字を見つつ、ショウはつぶやいた。
「『くだらない』か。何か引っかかる言葉だな」
「うーん、ロボットが落ちたことに対して言ったのかと思ってたけど、そういえばあの時の彼女、機嫌が悪そうだったよね」
「ああ、そうだったな。何でかは知らんが……」
「いくらでも推測は立てられそうだけど、結局、根拠になるものがないとダメだよねぇ」
と、ペンを置いてリュウセイがため息をついた。
「彼女とは何回か話したことがある程度で、全然人となりを知らないし」
「オレなんてもっと知らないぞ。そもそも被害者に関する情報が無さすぎる」
「そうだよねぇ。あとは彼女と仲の良かった人から話を聞くしかないか」
「本当に地道だな」
首を突っ込まない方がよかったかもしれないと思ったが、侵入者がいるなら放ってはおけない。少しもやもやとした気分になりながら、ショウは席を立った。
「やるならさっさと行くぞ」
「え、もう少し休んでからにしない?」
「何でだよ。早い方がいいだろ」
と、リュウセイを見下ろす。
「それはそうだけど……っていうか、ショウはどうして犯人を捕まえたいんだい?」
急に想定外の質問をされて戸惑ったが、表に出さないようにして返した。
「物騒なのが嫌だからって言っただろ」
「物騒って、どこに行っても似たようなものじゃないか」
それは否定できない。生きている人はみな暴力的で、滅多なことがない限りよそ者を受け入れない。旅の最中には何人もの遺体に遭遇した。他殺と分かるものから自殺まで、老若男女があちらこちらで死んでいた。葬ってくれる者もなく、野生動物のように放置されている様子を見て、ショウはその度に思いを強めたものだ。
「オレは死にたくないんだ」
「えっ、そんなこと言う人初めて見た」
下ろした両手をぐっと握った。
「何とでも言え。オレは生きたい、こんなところで死ぬわけにはいかないんだ」
「理由を聞いても?」
答えるのはいささか気が引けたが、ショウは白状した。
「探してたんだ、ずっと」
束の間、無言になった。静寂を破ったのは玄関の扉がノックされた音だ。
「すみません、お邪魔してもいいですか?」
サクラだった。
「どうぞー」
リュウセイが返すと、「お邪魔します」と、彼女が入ってきた。
ショウは何となく元の席へ戻ってサクラを見る。
「何の用だ?」
「えっと、その、キリさんについて、少し話がしたくて」
今朝は多少明るかった空が再び暗くなっていた。心なしか雨も強まってきているようだ。
「ナイスタイミングだね。ぜひ聞かせて欲しい」
と、リュウセイが姿勢を正して座り直すと、サクラはランタンで室内を照らした。座るところを探しているらしいと察し、リュウセイはすぐにソファを指差す。
「どうぞ、そこのソファに座って」
「ありがとうございます」
彼らを横に見る位置に設置された二人がけのソファだった。サクラはそっと腰かけ、ランタンを足元へ置いた。
「えっと、キリさんのことなんですけど……」
まだ心の整理がついていないのだろう、話をしに来たはずなのにうまく言葉が出てこない様子だ。
ショウとリュウセイが急かすことなく待っていると、サクラはぽつりぽつりと話し始めた。
「彼女は、とても強い人でした。気が強い、という意味だけじゃなくて……正義感があるというか、しっかりしてて」
ショウは相槌を打ち、リュウセイが新しい紙に彼女の言葉を書き留めていく。
「聞いた話では、議院事務局で働いてたらしくて」
「政府関係者だったのか?」
とっさにショウが反応するとサクラはうなずいた。
「ええ、そうみたいです。でも、正義感が強いせいで不正を許せなくて、仕事をクビになって……気付けばここにいたって話してました」
「宇宙船に乗せてもらえなかったんだね」
リュウセイがそう言って息をつき、ショウはうながす。
「それで?」
「うーんと……わたし、実はキリさんに憧れてたんです。彼女、こんなわたしによくしてくれました」
「恋愛的な意味で、か?」
「はい。でも、彼女が異性愛者だってことは知っていたので、一度も想いを伝えたことはありません。それでもよかったんです。一緒にいられるだけでよかった」
自ずと声が小さくなってしまったことに気付いたのだろう、サクラは意識的に声量を大きくした。
「でも、彼女の仇を討ってほしいわけじゃないんです。ただ、知ってて欲しかったというか……えぇと、何て言ったらいいんでしょう」
「ゆっくりでいいよ」
と、リュウセイが優しく返し、サクラは少々戸惑った様子で「はい」と、うなずいた。
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