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 それからしばらくの間があり、サクラがようやく口を開く。

「きっと、キリさんは許せなかったと思うんです」

 急に立ち上がって二人をまっすぐに見つめた。

「あなたたちと同じだったはずです」

「オレたちと?」

「同じ?」

 首をかしげる二人へ頭を下げ、彼女は早々に「お邪魔しました」と、ランタンを手に去って行った。

 ショウは呆然としながら相棒へ返す。

「おい、今の何だ?」

「いや、俺にもよく分からないよ」

 そう言いながら、リュウセイは先ほどの言葉も紙に書き留めた。

「キリさんは許せなかったと思う、あなたたちと同じだったはず……」

「情報が得られたはずなのに、謎が増えたな」

「そうだね。どういう意味で同じなのかだけでも、分かるといいんだけど」

 キリと自分たちの共通点について考えを巡らせると、確実なものを一つ見つけた。

「宇宙船に乗せてもらえなかった、取り残された側の人間だよな」

「言い換えると見捨てられた、終わりを待つだけの人間だね」

「でも、それなら他のやつらだって同じだよな?」

「うん、ここに住んでる人全員に共通するね」

「つまりそうじゃない。他に共通点があるとすれば……何だ?」

 首をひねるショウに対してリュウセイが投げかける。

「その前の『許せなかった』というのも気になるね。何を許せなかったんだろう?」

「仕事をクビにされたことか?」

「ずっと憎んでいた、恨んでいたとか? でも、俺たちはどうかな?」

 リュウセイの問いかけを受け、自嘲気味に答えた。

「オレはまともな職についたことがない。かれこれ五年くらいは一人で旅してたし」

「俺は中学校で国語教師をしてたけど、クビになったわけじゃないからなぁ。かろうじて治安を維持してた街にいたんだけど、二年くらい前に襲撃されてさ、命からがら逃げてきたって感じなんだよね」

 彼の語る口調は平然としていたが、どうしても疑問を口に出さずにはいられなかった。

「お前は憎んだり、恨んだりしてないのか?」

「うーん、もうどうでもいいかな。あの時に殺されておけばよかったとさえ思ったよ」

 リュウセイが何故かくすりと笑い、気まずくなって視線をそらす。

「やっぱりお前も死にたいんだな」

「でも自分から死ぬ気もない。ずっと宙ぶらりんのまま、惰性で生きてるよ」

 先ほどは死にきれないと言った彼だが、死にぞこないという言葉の方が適切のように思われた。

 ショウはこれ以上話題を引っ張る必要は無いと感じて話を戻す。

「サクラが言ってたこと、全部メモしてあるんだよな? 見せろ」

「ああ、どうぞ」

 ショウは彼の手元にあったメモを奪うようにして取り、端から端まで目を通す。


<サクラの証言>

・キリについて

 彼女はとても強い人でした

 気が強いという意味だけじゃなくて

 正義感があるというか、しっかりしてて

 聞いた話では議院事務局で働いてたらしくて

 でも、正義感が強いせいで不正を許せなくて

 仕事をクビになって、気付けばここにいたって話してました

 実はキリさんに憧れてたんです

 彼女、こんなわたしによくしてくれました

 彼女が異性愛者だってことは知っていたので、一度も想いを伝えたことはありません

 それでもよかったんです、一緒にいられるだけでよかった

 でも彼女の仇を討ってほしいわけじゃないんです

 ただ、知ってて欲しかったというか

 きっとキリさんは許せなかったと思うんです

 あなたたちと同じだったはずです


 何度読んでもサクラの伝えたいことが見えてこない。途中、長い前髪が邪魔になって片手でかき上げた。

「クソ、マジで何が言いたかったんだ? サクラに直接聞くしかないか?」

 もう一度、今度はちゃんと話をしてくれたらいいのだが……と、考えたところで視線を送られていることに気が付いた。

「何だ?」

 リュウセイは前のめりになってじっとショウの顔を見つめていた。目が合った途端、我に返ったように笑う。

「ああ、ごめん。ショウの顔、初めてちゃんと見たなと思って」

「そんなどうでもいいこと考えてないで、頭使えよ」

 と、メモを彼の手元へ戻す。

「うんうん、ちゃんと考える。でも、これだけ言わせて」

 リュウセイが再びショウを見つめた。

「君の顔、すっげータイプかも」

「……ガチのトーンじゃねぇか」

 思わず苦い顔になりながら返すが、リュウセイは真剣な顔で返した。

「ガチだよ、もちろん。普通に今、心臓がドキドキしてるもん」

 ショウは見つめられていることに耐えられなくなり、がたっと立ち上がった。

「部屋に戻る。何か分かったら教えろよ」

「えっ、戻っちゃうの? 一緒にいようよ、もっと君のこと教えて」

「変なことされそうだから嫌だ」

 さっさと玄関へ向かい、ショウは逃げるようにして廊下へ出た。

 こんな骨と皮だけの男のどこがいいのか理解できない。彼は目が腐っているのだろうか、それとも眼鏡の度が合っていないのではないか。もしくはていのいい理由を付けて性欲を発散させようとしているのかもしれない。いずれにしても、これ以上一緒にいるのはお断りだった。


 吹き抜けにも雨粒が入り込み、時折廊下を濡らしている。ショウは立ち止まって頭上を見上げた。最上階は破損しているらしく、シルエットがいびつだ。

 このマンションは北側にエレベーターが二台並んでおり、すぐ左に階段があった。エレベーターの上部に取り付けられた表示板から十階建てだと分かる。一つの階につき部屋が九つあり、部屋番号は時計回りに付いていた。

「キリの部屋は三〇七だったな」

 しかし、まだどの部屋に誰が住んでいるかを正しく把握していない。一部屋ずつ訪ねてみようかと思っていると、横から声をかけられた。

「ショウくん、何しとるん?」

 少しびくっとして顔を向ければナギがいた。

「ああ、いや、自分の部屋に戻ろうと思ってた」

「それはよかった。ショウくんの髪、切らせてもらおう思てな、下りてきたところやねん」

 にこにこと笑っている彼女は腰にウエストポーチをつけていた。何本かのハサミやくしなどが収まっており、いかにも美容師の格好だ。

「オレの髪を切りたいのか?」

「うん。うち、美容師になるのが夢やってん」

 ショウは戸惑ったがすぐに条件を持ちかけることを思いついた。

「分かった、切らせてやる。代わりに教えてほしいことがあるんだが」

「ええよ、何でも聞いて」

 話の分かる彼女だ。嫌がることなく受け入れてもらえたことに安心し、ショウは二〇三号室へと歩き出した。


 二つのランタンの明かりを頼りに、ナギが傷んだ長い髪に触れる。

「タケフミさんは二〇五号室で、その隣がハルトさんの部屋やね。二〇七は空室で、ユキヤくんとミソラくんが二〇八号室で暮らしとるよ」

「二人一緒なのか?」

「そうやで。あの二人、結婚してんねん」

 同性婚は珍しいことではなかったが、今の時代、結婚という単語には少々能天気なニュアンスがある。

「タケフミとハルトも付き合ってるよな?」

「そうやね、あの二人は熟年夫婦って感じ。同じ部屋におることはあんまないけど、とっても仲がええんよ。朝食はいつも一緒にとってるらしくてな――後ろの髪、ばっさり切ってもええ?」

「いや、あまり短くしないでくれ」

「何で? リュウセイくんはばっさり切らせてくれたよ?」

「何か、その、恥ずかしいんだよ」

「恥ずかしい? おもろいこと言うんやなぁ」

 ナギはくすくすと笑い、ショウの後ろ髪に櫛を入れた。

「それじゃあ、ウルフカットでええ? ショウくん似合いそうやし」

「何カットでもいいが、あんまり切らないでくれ」

「分かっとるよ。襟足長めにするね」

「ありがとう。それで、三階は?」

「ああ、三〇一はうちで三〇三がサクラさんやね」

 話しながらジョキジョキと髪の毛を切り落としていく。

「三〇四はミソラくんがハーブを育てとる部屋でな、そこで乾燥もさせとるよ。うちも時々ハーブティー飲ませてもらうで」

「ハーブティーか」

 リュウセイも先ほどそんな話をしていたのを思い出す。

「ミソラくんのハーブティー、美味しくてほっとすんねん」

「それで?」

「えーと、ハルトさんのアトリエが三〇六号室。隣がキリさんで、一つ空いて三〇九にマヒロやね」

「そうか、ありがとう」

 これで誰がどこにいるのか把握することができた。

「もう一つ聞きたいことがあるんだが」

「何?」

「キリが殺されたのに、どうして平然としていられるんだ?」

 ナギはしばらく答えなかった。ショウの背中が見えるようになってから、彼女は落ち着いた口調で言う。

「うちも動揺しとるよ。こんなこと初めてやし、怖いって思う気持ちもある。せやから、自分の好きなことして気を紛らわせたいねん」

「そうだったか」

「マヒロも新しい服作るって話しとった。現実逃避や言われたら否定できへんけど、こんな時やからこそ、普段通りでいることも大事やと思う。ただでさえ、うちらは終わりを待つだけなんやし」

「お前も死にたいのか?」

「うーん、死にたいっていうか……生きたいって思う日もあるし、この国が崩壊したあの日から、ずっと反復横跳びしとるね」

 やはり死にぞこないだ。幸か不幸か、今まで生きながらえてしまったというだけで、彼女たちはいつ死んでもいいと思っているのではないだろうか。

「キリについても聞いていいか? 彼女はどういうやつだった?」

「ええ人やったよ。しっかりしてて、強くて、いかにもバリキャリって感じで」

「やっぱりそういう感じなのか」

「女性にしてはかっこええ人やったね。うちもあんな人になりたかった思たけど、彼女もけっこう苦労してたみたいやな」

「そうか」

 サクラの証言と矛盾するところは無さそうだ。

「他に聞きたいことある?」

 たずねられたショウは、少しうなりながら考えて質問をした。

「ここで最初に暮らし始めたのは?」

「それはタケフミさんとハルトさんやね。二人がここを見つけた時、誰も住んでなかったんやって。それからキリさんが来て、その次にユキヤくんとミソラくんやったかな」

「それでタケフミがリーダーなのか」

「そういうことやね。うちもまだ、ここで暮らし始めて一年ちょっとやねん。その前に何人か出て行った人もおるらしいけど、詳しくは知らんよ」

「まあ、これだけのマンションだもんな。入れ替わりがあっても当然か」

 ふと新しい疑問が浮かび、ショウは言った。

「そういえば、どうしてここだけ無事なんだ? 周りはどこも廃墟だろ?」

「前に聞いた話では、津波に襲われたらしいで。ほら、十年前の地震あったやろ? 首都にも壊滅的な被害があったやつ」

「ああ、関東圏の津波被害がひどかったとかいう」

 ショウはその時初めて、自分が関東に来ていたことに気が付いた。地図もなく、似たような廃墟が並ぶ景色をずっと旅していたため、どこにいるのか判然としなかったのだ。

「あれで街が壊滅して、後から戻って来た人たちもおったみたいやけど、結局みんなどこか行ってもうたんやな」

「部屋に生活感を残したまま、か」

「最初はちょっと気味悪かったけど、そのおかげでうちらは生活できてんねん。前に暮らしてた人たちには感謝せんとな」

「そうだな」

 ショウはうなずき、不思議な巡り合わせに束の間思いを馳せた。

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