3
それからしばらくの間があり、サクラがようやく口を開く。
「きっと、キリさんは許せなかったと思うんです」
急に立ち上がって二人をまっすぐに見つめた。
「あなたたちと同じだったはずです」
「オレたちと?」
「同じ?」
首をかしげる二人へ頭を下げ、彼女は早々に「お邪魔しました」と、ランタンを手に去って行った。
ショウは呆然としながら相棒へ返す。
「おい、今の何だ?」
「いや、俺にもよく分からないよ」
そう言いながら、リュウセイは先ほどの言葉も紙に書き留めた。
「キリさんは許せなかったと思う、あなたたちと同じだったはず……」
「情報が得られたはずなのに、謎が増えたな」
「そうだね。どういう意味で同じなのかだけでも、分かるといいんだけど」
キリと自分たちの共通点について考えを巡らせると、確実なものを一つ見つけた。
「宇宙船に乗せてもらえなかった、取り残された側の人間だよな」
「言い換えると見捨てられた、終わりを待つだけの人間だね」
「でも、それなら他のやつらだって同じだよな?」
「うん、ここに住んでる人全員に共通するね」
「つまりそうじゃない。他に共通点があるとすれば……何だ?」
首をひねるショウに対してリュウセイが投げかける。
「その前の『許せなかった』というのも気になるね。何を許せなかったんだろう?」
「仕事をクビにされたことか?」
「ずっと憎んでいた、恨んでいたとか? でも、俺たちはどうかな?」
リュウセイの問いかけを受け、自嘲気味に答えた。
「オレはまともな職についたことがない。かれこれ五年くらいは一人で旅してたし」
「俺は中学校で国語教師をしてたけど、クビになったわけじゃないからなぁ。かろうじて治安を維持してた街にいたんだけど、二年くらい前に襲撃されてさ、命からがら逃げてきたって感じなんだよね」
彼の語る口調は平然としていたが、どうしても疑問を口に出さずにはいられなかった。
「お前は憎んだり、恨んだりしてないのか?」
「うーん、もうどうでもいいかな。あの時に殺されておけばよかったとさえ思ったよ」
リュウセイが何故かくすりと笑い、気まずくなって視線をそらす。
「やっぱりお前も死にたいんだな」
「でも自分から死ぬ気もない。ずっと宙ぶらりんのまま、惰性で生きてるよ」
先ほどは死にきれないと言った彼だが、死にぞこないという言葉の方が適切のように思われた。
ショウはこれ以上話題を引っ張る必要は無いと感じて話を戻す。
「サクラが言ってたこと、全部メモしてあるんだよな? 見せろ」
「ああ、どうぞ」
ショウは彼の手元にあったメモを奪うようにして取り、端から端まで目を通す。
<サクラの証言>
・キリについて
彼女はとても強い人でした
気が強いという意味だけじゃなくて
正義感があるというか、しっかりしてて
聞いた話では議院事務局で働いてたらしくて
でも、正義感が強いせいで不正を許せなくて
仕事をクビになって、気付けばここにいたって話してました
実はキリさんに憧れてたんです
彼女、こんなわたしによくしてくれました
彼女が異性愛者だってことは知っていたので、一度も想いを伝えたことはありません
それでもよかったんです、一緒にいられるだけでよかった
でも彼女の仇を討ってほしいわけじゃないんです
ただ、知ってて欲しかったというか
きっとキリさんは許せなかったと思うんです
あなたたちと同じだったはずです
何度読んでもサクラの伝えたいことが見えてこない。途中、長い前髪が邪魔になって片手でかき上げた。
「クソ、マジで何が言いたかったんだ? サクラに直接聞くしかないか?」
もう一度、今度はちゃんと話をしてくれたらいいのだが……と、考えたところで視線を送られていることに気が付いた。
「何だ?」
リュウセイは前のめりになってじっとショウの顔を見つめていた。目が合った途端、我に返ったように笑う。
「ああ、ごめん。ショウの顔、初めてちゃんと見たなと思って」
「そんなどうでもいいこと考えてないで、頭使えよ」
と、メモを彼の手元へ戻す。
「うんうん、ちゃんと考える。でも、これだけ言わせて」
リュウセイが再びショウを見つめた。
「君の顔、すっげータイプかも」
「……ガチのトーンじゃねぇか」
思わず苦い顔になりながら返すが、リュウセイは真剣な顔で返した。
「ガチだよ、もちろん。普通に今、心臓がドキドキしてるもん」
ショウは見つめられていることに耐えられなくなり、がたっと立ち上がった。
「部屋に戻る。何か分かったら教えろよ」
「えっ、戻っちゃうの? 一緒にいようよ、もっと君のこと教えて」
「変なことされそうだから嫌だ」
さっさと玄関へ向かい、ショウは逃げるようにして廊下へ出た。
こんな骨と皮だけの男のどこがいいのか理解できない。彼は目が腐っているのだろうか、それとも眼鏡の度が合っていないのではないか。もしくは
吹き抜けにも雨粒が入り込み、時折廊下を濡らしている。ショウは立ち止まって頭上を見上げた。最上階は破損しているらしく、シルエットが
このマンションは北側にエレベーターが二台並んでおり、すぐ左に階段があった。エレベーターの上部に取り付けられた表示板から十階建てだと分かる。一つの階につき部屋が九つあり、部屋番号は時計回りに付いていた。
「キリの部屋は三〇七だったな」
しかし、まだどの部屋に誰が住んでいるかを正しく把握していない。一部屋ずつ訪ねてみようかと思っていると、横から声をかけられた。
「ショウくん、何しとるん?」
少しびくっとして顔を向ければナギがいた。
「ああ、いや、自分の部屋に戻ろうと思ってた」
「それはよかった。ショウくんの髪、切らせてもらおう思てな、下りてきたところやねん」
にこにこと笑っている彼女は腰にウエストポーチをつけていた。何本かのハサミや
「オレの髪を切りたいのか?」
「うん。うち、美容師になるのが夢やってん」
ショウは戸惑ったがすぐに条件を持ちかけることを思いついた。
「分かった、切らせてやる。代わりに教えてほしいことがあるんだが」
「ええよ、何でも聞いて」
話の分かる彼女だ。嫌がることなく受け入れてもらえたことに安心し、ショウは二〇三号室へと歩き出した。
二つのランタンの明かりを頼りに、ナギが傷んだ長い髪に触れる。
「タケフミさんは二〇五号室で、その隣がハルトさんの部屋やね。二〇七は空室で、ユキヤくんとミソラくんが二〇八号室で暮らしとるよ」
「二人一緒なのか?」
「そうやで。あの二人、結婚してんねん」
同性婚は珍しいことではなかったが、今の時代、結婚という単語には少々能天気なニュアンスがある。
「タケフミとハルトも付き合ってるよな?」
「そうやね、あの二人は熟年夫婦って感じ。同じ部屋におることはあんまないけど、とっても仲がええんよ。朝食はいつも一緒にとってるらしくてな――後ろの髪、ばっさり切ってもええ?」
「いや、あまり短くしないでくれ」
「何で? リュウセイくんはばっさり切らせてくれたよ?」
「何か、その、恥ずかしいんだよ」
「恥ずかしい? おもろいこと言うんやなぁ」
ナギはくすくすと笑い、ショウの後ろ髪に櫛を入れた。
「それじゃあ、ウルフカットでええ? ショウくん似合いそうやし」
「何カットでもいいが、あんまり切らないでくれ」
「分かっとるよ。襟足長めにするね」
「ありがとう。それで、三階は?」
「ああ、三〇一はうちで三〇三がサクラさんやね」
話しながらジョキジョキと髪の毛を切り落としていく。
「三〇四はミソラくんがハーブを育てとる部屋でな、そこで乾燥もさせとるよ。うちも時々ハーブティー飲ませてもらうで」
「ハーブティーか」
リュウセイも先ほどそんな話をしていたのを思い出す。
「ミソラくんのハーブティー、美味しくてほっとすんねん」
「それで?」
「えーと、ハルトさんのアトリエが三〇六号室。隣がキリさんで、一つ空いて三〇九にマヒロやね」
「そうか、ありがとう」
これで誰がどこにいるのか把握することができた。
「もう一つ聞きたいことがあるんだが」
「何?」
「キリが殺されたのに、どうして平然としていられるんだ?」
ナギはしばらく答えなかった。ショウの背中が見えるようになってから、彼女は落ち着いた口調で言う。
「うちも動揺しとるよ。こんなこと初めてやし、怖いって思う気持ちもある。せやから、自分の好きなことして気を紛らわせたいねん」
「そうだったか」
「マヒロも新しい服作るって話しとった。現実逃避や言われたら否定できへんけど、こんな時やからこそ、普段通りでいることも大事やと思う。ただでさえ、うちらは終わりを待つだけなんやし」
「お前も死にたいのか?」
「うーん、死にたいっていうか……生きたいって思う日もあるし、この国が崩壊したあの日から、ずっと反復横跳びしとるね」
やはり死にぞこないだ。幸か不幸か、今まで生きながらえてしまったというだけで、彼女たちはいつ死んでもいいと思っているのではないだろうか。
「キリについても聞いていいか? 彼女はどういうやつだった?」
「ええ人やったよ。しっかりしてて、強くて、いかにもバリキャリって感じで」
「やっぱりそういう感じなのか」
「女性にしてはかっこええ人やったね。うちもあんな人になりたかった思たけど、彼女もけっこう苦労してたみたいやな」
「そうか」
サクラの証言と矛盾するところは無さそうだ。
「他に聞きたいことある?」
たずねられたショウは、少しうなりながら考えて質問をした。
「ここで最初に暮らし始めたのは?」
「それはタケフミさんとハルトさんやね。二人がここを見つけた時、誰も住んでなかったんやって。それからキリさんが来て、その次にユキヤくんとミソラくんやったかな」
「それでタケフミがリーダーなのか」
「そういうことやね。うちもまだ、ここで暮らし始めて一年ちょっとやねん。その前に何人か出て行った人もおるらしいけど、詳しくは知らんよ」
「まあ、これだけのマンションだもんな。入れ替わりがあっても当然か」
ふと新しい疑問が浮かび、ショウは言った。
「そういえば、どうしてここだけ無事なんだ? 周りはどこも廃墟だろ?」
「前に聞いた話では、津波に襲われたらしいで。ほら、十年前の地震あったやろ? 首都にも壊滅的な被害があったやつ」
「ああ、関東圏の津波被害がひどかったとかいう」
ショウはその時初めて、自分が関東に来ていたことに気が付いた。地図もなく、似たような廃墟が並ぶ景色をずっと旅していたため、どこにいるのか判然としなかったのだ。
「あれで街が壊滅して、後から戻って来た人たちもおったみたいやけど、結局みんなどこか行ってもうたんやな」
「部屋に生活感を残したまま、か」
「最初はちょっと気味悪かったけど、そのおかげでうちらは生活できてんねん。前に暮らしてた人たちには感謝せんとな」
「そうだな」
ショウはうなずき、不思議な巡り合わせに束の間思いを馳せた。
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