2

 ゼリー飲料を飲み終えて廊下へ出ると、エレベーターの方向に赤い光が見えた。ビービーと警告音らしきものを発しており、そのすぐそばに誰かがいるようだ。

「あれは?」

 たずねたショウへリュウセイが答えた。

「コンシェルジュロボットだよ。今は二階と三階を巡回してるだけなんだけど」

「またあいつ捕まってるのか」

 タケフミが呆れ半分に言ってそちらへ駆けていく。

「ハルト」

「ああ、タケフミ。助かった」

 人型ロボットの前でまごついていた人物が、タケフミに手を引かれてやってきた。

「新入りに顔を見せようと思ったら、捕まっちゃって」

 と、ハルトと呼ばれた長身の男がうっすらと苦笑する。年齢は三十代前半ですらりとした体躯たいくに整った顔立ちの、時代が時代ならモデルかアイドルかという見目をしていた。

 ロボットは警告音を止めると二本足で歩行し始めた。身長は百六十センチほどだろうか、動きは緩慢でどことなく愛嬌あいきょうがある。階段へ向かったところを見ると、確かに巡回するのが彼の仕事らしかった。

「顔認識機能がバグってるんでしたっけ?」

「ああ、ユキヤが何回直してもダメだってぼやいてた」

 リュウセイとタケフミがそんな会話をかわし、ハルトが穏やかに名乗る。

「僕はヤノ・ハルト。よろしく」

「イチイ・ショウだ」

「それで、部屋はどこになるの?」

「すぐそこ、俺の隣の二〇三です」

 リュウセイが答えるとハルトはうなずいた。

「ああ、そうなんだ。じゃあ、まずはゆっくり休んでね」

 にこりと微笑みかけてから、ハルトは来た道をのんびりと戻って行った。ロボットと鉢合わせるのが嫌なのだろう。

 するとタケフミが左隣へ向かい、二〇三号室の扉を大きく開いた。

「さあ、ここが今日からお前の部屋だ」

 ショウはリュウセイにうながされて歩いて行き、中へ入った。

 玄関には三足の靴があり、ショウたちはそれぞれに履き物を脱いで上がった。

 短い廊下の奥にリビングダイニングと思しき部屋があり、テーブルの上にランタンが一つ置かれていた。リビングはキッチンとつながっていて、思ったよりも広さがある。

「タケフミさん、少し汚れてたので掃除しました」

 キッチンのシンクで雑巾を絞っていたサクラが言い、タケフミは確認する。

「ありがとう、サクラ。ベッドとシャワーは使えるか?」

「バッチリですー」

 声がしたのは廊下の方だ。浴室を見ていたであろう女性がやってきて、サクラの隣へ並んだ。

「うちはヒロセ・ナギ。シャンプー残ってたから、遠慮せんで使ってな」

 関西の方言だったが、おっとりした口調でやわらかい印象だ。ショウと同年代で身長はサクラよりも若干低く、セミロングの髪を後ろでひとつ結びにしている。

「ベッドメイキングも終わりましたよ」

 と、奥の部屋から出てきたのは眼鏡をかけた女性だ。年齢は三十歳前後でそこそこ背が高く、ややキツめの顔立ちをしていた。ショウの方へ顔を向け、どことなく圧のある口調で言う。

「はじめまして、私はニシウラ・キリです」

「は、はじめまして。イチイ・ショウです……」

 思わず気圧けおされながら返せば、彼女は口元だけで微笑んだ。悪い人ではなさそうだが、早くも苦手意識が生まれてしまう。

 ランタン一つでは心もとないが、六つもあると互いの顔がよく見えた。リビングダイニングの先に扉が二つあり、間取りが2LDKらしいことも分かってくる。

 そこへ七つ目のランタンが入ってきた。

「わっ、みんないる」

 部屋の入口あたりで立ち止まったのは背の高い二十代半ばと思しき女性だった。中性的なショートヘアでボーイッシュな雰囲気だ。

 振り返ったリュウセイはすかさずそちらへ寄った。

「マヒロ、ちょうどいいところに。新入りなんだけど、下着と靴がないんだ。いいもの持ってないかい?」

「えっ、どうだろう」

 困惑したように返しつつ、女性がショウのそばへ来た。

「はい、これ」

 と、両手に抱いていたものをテーブルの上へ置く。汚れ一つない綺麗な衣服だ。

「わたしはササキ・マヒロ。あなたの靴のサイズは?」

「えっと、二十六」

「分かった。探してくるから待っててね」

 そう言ってマヒロはさっさと出て行った。

 何が起きているのか状況を把握しそこねるショウへサクラが言う。

「マヒロさんはみんなの衣服の面倒を見てくれてるんです。といっても、前に住んでいた住人の物を勝手に取ってきて、使ってるだけなんですが」

「放置されとったマンションやからね。みんな宇宙船に乗ったんかも知らんけど」

「私たちは残されたものをありがたく使わせてもらっているのよ」

 ナギとキリの説明に納得し、ショウは返した。

「じゃあ、本当に遠慮はいらないんだな」

「ああ、お湯は使えないが水は出るしな。今の時代、ここ以上にいい環境はないだろう」

「困ったことがあればタケフミさんに相談すればいいし、すぐ隣に俺もいるから安心してね」

 彼らの言葉にほっとすると同時に、疑問を口にせずにはいられなかった。

「何で、こんなによくしてくれるんだ? というか、ここは何なんだ?」

「ここはメゾン・ド・サンパティ、ナギがさっき言ったようにマンションだ。今は九人、お前を含めて十人になるが、みんな助け合って暮らしてる。食料は十分にあるから、お前が望むならずっとここにいてくれていいんだぞ」

「ずっと?」

「ああ、そうだ。他の住人に迷惑をかけなければ、それだけでいい」

「……そっか、分かった。ありがとう」

 胸に温かなものが込み上げてくる。こんな気持ちになるのは何年振りだろうか。まだ自分が人間であり、人間のコミュニティに属せたことが残酷なほどに嬉しかった。と同時に皮肉でさえあった。

「それじゃあ、ひとまず俺たちは戻ろう。ショウ、ゆっくり休めよ」

「うん」

 タケフミたちがぞろぞろと外へ出て行くのを見送り、一人になったところでランタンをテーブルへ置いた。ため息とともにその場に座り込む。

「やっと見つけた……やっとだ」

 片手に握っていた鞄をぎゅっと胸に抱きしめてから、そっと開く。

 中に入っていたビニール袋を取り出し、安堵した。巾着袋に入っているおかげで中身は無事だった。


 ベッドに横になった途端、熟睡してしまったようだ。目を覚ますとすっかり夜になっていた。

 起き上がると体が先ほどまでより軽くなっていたが、同時にだるさも感じた。まだ体力が回復しきっていないのだ。

 のろのろとリビングへ移動すれば、テーブルの上にいくつかの食料とスニーカー、数枚の下着と靴下が置かれていた。

「ああ、いつの間に……」

 メモ書きが二枚、タケフミとマヒロから残されていた。

 ここでは毎週日曜日の夜に七日分の食料を配っていると書かれており、今日の夜の分からそれまでの食料を持ってきてくれたらしい。

 服の上に置かれたメモには服も靴も返さなくていいこと、そして趣味が合わなければ言ってほしいとあった。

 本当にここの人たちは優しいと思いつつ、食料をランタンで照らす。缶に入ったビスケットやかゆに即席麺、味の異なるプロテインバーが数本。

「プロテインバー……」

 そういえばランタンの対価としてプロテインバーを要求されたことを思い出す。ミソラは気にしないでいいと言っていたが、ショウは判断に迷う。

 とりあえず何か食べようとした時だった。雨と強風の立てる音に、何か落ちたような大きな音が混じった。

 びくっとしてショウは音のした方を振り返る。ランタンを持ったまま、そろそろと玄関へ向かった。


 外へ出ると、いくつかの光が見えた。隣のリュウセイも外へ出ており、ショウは彼のそばへ寄る。

「何があったんだ?」

「ロボットが落ちたんだ」

 はっとして吹き抜けの下をのぞき見る。ほぼ真向かいにいたユキヤが懐中電灯の明かりでそれを照らしていた。ロボットは頭から落ちたらしく、頭部がつぶれてへこんでいた。首の部分は折れて内部が見えており、胴体部分も落下の衝撃により外装が割れているのが分かる。

「クソ、誰がこんなこと」

 と、ユキヤが苛立ち紛れにつぶやくと三階から声がした。

「何かと思ったら、ロボットが落ちたん? 何で?」

 不安そうなナギの声に他の者たちもざわつく。いつの間にか、住人たちが全員出て来ていたようだ。

 ショウは下を見つめながら、リュウセイへたずねた。

「あのロボット、巡回するだけだったよな?」

「ああ、そうだね」

「ってことは、自分から落ちるわけないよな」

「うん、階段の上り下りはできても、フェンスを乗り越えることはできないはずだ」

「じゃあ、誰かがやったわけだ」

 リュウセイは顎に片手をやり、口を閉じた。

 中庭の地面はすっかり雨に濡れており、倒れた鉢植えが二つごろごろと転がっている。

 かろうじて手足が動いていたロボットが息絶えるように停止した。機械だと分かってはいても、人型のそれが死にゆく様子を見ると胸が痛む。

 するとミソラが言った。

「ねぇ、タケフミさん。昼間、食料が盗まれてるって話してたよね?」

 ショウたちから見て左手、いくつかの部屋を挟んだところでタケフミが重々しく言う。

「ああ、確かに盗まれてた。けど、ここに盗むようなやつはいない」

 確固たる信頼を感じる言葉だったが、三階からマヒロが返す。

「それなら侵入者がいるってこと?」

「知らない誰かが、勝手に入り込んでるんですか?」

 サクラの声も確かめるようにたずね、ハルトの声がため息の後に言った。

「残念だけど、ありえない話じゃないね」

 秩序が崩壊し、終わりが来るのを待つばかりの時代だ。こっそり誰かが入り込んでいてもおかしくはなかったが、ショウはつぶやかずにいられなかった。

「姿見せれば、ただで食うもんもらえるのにな」

 服ももらえて寝る場所も整えてもらえた。住人たちはみんな優しくしてくれたため、姿を隠す理由がショウには理解できない。

 するとキリの不機嫌そうな声がした。

「ふん、くだらないわね」

 乱暴に扉を開ける音がし、彼女の提げていたランタンの光が扉の向こうに消える。

 多少ざわついたものの、三階にいた人たちがそれぞれ部屋へ戻って行く。侵入者がいるとしても、彼女たちにとってはどうでもいいようだ。

 懐中電灯を消してユキヤが言う。

「タケフミさん、ロボットは後で俺が回収します。雨がやんだ頃にでも」

「ああ、分かった。それじゃあ」

 と、彼も早々に部屋へ入って行き、リュウセイも続いた。

「じゃあ、俺も戻るね。おやすみー」

 ユキヤとミソラは何か話をしてから一緒の部屋へ入り、残されたショウは腑に落ちないながらも二〇三号室へ帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る