終末世界の殺人
晴坂しずか
1日目
1
季節外れの台風だった。季節などもう日本には無いようなものだったが、あまりに異常な暴風と暴雨だった。
強風に進行を妨げられないように、ショウは地面に這いつくばりながら前進していた。頭から靴の先までびしょ濡れになり、わずかな荷物の入った鞄が飛ばされないよう、しっかりと片手に握りしめている。
「クソ……こんなところ、で……」
視界は悪く、進んでいるのがどの方向か分からない。かまわずにひたすら進んでいくと、遠くにぼんやりと光るものが見えてきた。
「光……?」
口を開くと雨が中に入ってくる。ごくりと飲み込み、力を振り絞って腕を前へ出した。
光の正体は建物だった。五段ほどの階段を強風にあおられながらも上りきり、扉のない玄関を入る。自動扉があったと思しき線の先に、三つのLEDランタンがあった。
ショウが立ち尽くすのとほぼ同時に、甲高い声が上がる。
「きゃあっ!」
それを合図に他の二人がこちらを見てぎょっとした。どうやら三人はロビーで話をしていたらしい。ランタンはそれぞれの持ち物なのか、一人一つずつ手にしていた。
「……ここは?」
疲れ切ったショウが小さな声でたずねると、女性二人がランタンを手に動き出す。
「すぐにタオル持ってきますね!」
「待って、場所分かる!?」
「えっ、どこでしたっけ!?」
バタバタと管理人室へ入っていく彼女らを尻目に、残った男が明かりを頭の高さにかざしながら近づいてきた。
「この悪天候の中、よくたどり着いたねぇ」
「光ってた、から……」
「ああ、これ? へぇ、外から見えたんだ」
感心する男は眼鏡をかけていた。背はショウより数センチほど高く痩身で髪は短い。彼の方がいくつか年上のようだ。
例に漏れず電気が通っていないのだろう、ロビーは薄暗かった。男の後ろに外へ続くと思しきガラス扉が見え、風でがたがたと音を立てている。
「持ってきました!」
「これで足りるかな?」
女性たちが戻ってきてショウにタオルを差し出す。寒さで震えながらそれに手を触れ、ぎゅっとつかんだ。
「……あったけぇ」
そう声を漏らした直後、急に気が抜けてしまってその場にしゃがみこんだ。
「おやおや、これは拭いてあげた方がいいんじゃない?」
男が少しおどけたように言い、女性たちは床へランタンを置いた。ショウの体をタオルでそれぞれに拭き始めると、長い前髪の隙間から水滴が伝う。
「こ、こんなところ……まだ、あったのか……」
旅人は泣いていた。生きている人間に会うのは久しぶりだった。しかも彼らには見ず知らずの他人に優しくする余裕がある。
ショウの頬を拭いながら背の高い方の女性が言う。
「よければ、ここで僕たちと一緒に暮らす?」
「暮らす……?」
「うん。部屋は空いてるよ」
にっこりと笑った彼女だったが、よく見ると女性ではなかった。中性的な服装と中途半端に長い髪のせいで見間違えたが、ショウと同じ年頃の若い男性だ。
「それじゃあ、俺はタケフミさん呼んでこようかな」
眼鏡の男が歩き出し、小柄な女性が「お願いします」と、返した。
五年前、世界は終末時代へ入った。自然環境の悪化により洪水や干ばつなどの自然災害が各地で多発し、年々食料が作れなくなっていったのだ。
このまま地球にいても未来などない。そう判断した各国の権力者たちは新天地を求めることにした。それぞれの国で宇宙船を作り、多くの人々を見捨てて地球を去って行ったのだ。政治も経済も法律も、何もかもが崩壊した。
濡れ鼠だったショウが多少マシになったところで彼女が言う。
「あなたのお名前、聞いてもいいですか?」
「イチイ・ショウだ」
「ショウさん。わたしはタマキ・サクラです」
二十代半ばにしては落ち着きのあるしゃべり方をする、優しい印象の女性だった。
「僕はアイハナ・ミソラ」
と、もう一人も返して自己紹介がひとまず済んだ。
するとタイミングよく足音が近づいてきて、ショウは無意識に顔を上げる。
「連れてきたよー」
さっきの眼鏡の男が大柄な男性を連れて戻ってきた。
彼へ場所を譲るように、サクラとミソラはタオルを手に立ち上がって少し離れる。
大柄な男は三十代半ばだろうか、
「よく来たな、お疲れ」
と、無骨な手に肩を叩かれ、ショウは不覚にも再び泣きそうになった。
「俺はここでリーダーをしているエトウ・タケフミだ」
「い、イチイ・ショウ……」
「ショウ、立ち上がれるか?」
自分の力でどうにか立ち上がったが、足元がおぼつかなかった。すぐにタケフミが自分のランタンを眼鏡の男に渡し、ショウを支える。
「部屋は上にあるんだが、階段は上れそうか?」
「わ、分からん……三日前から、何も食ってなくて」
「それはまずいな。なら、俺が運ぼう」
と、タケフミはショウを軽々と横抱きにした。現代においては稀な、筋肉がほどよく付いたいい体をしていた。
「うわっ」
「軽いな。心配になる軽さだ」
タケフミが歩き出し、眼鏡の男が足元を照らしながら付いてくる。
「タケフミさん、部屋決める前に着替えた方がよくないですか? 俺の服貸しますよ」
「ああ、そうだな。濡れた服のままでは風邪をひいてしまう」
「じゃあ、まず俺の部屋に行きましょう」
ショウが大人しくしている間に二階へ上がり、左手へと進んだ。
ここはマンションか何かなのだろう。中央に吹き抜けの中庭があるドーナツ型の建物だった。
「はい、着いた。ここ、二〇二号室が俺の部屋ね」
眼鏡の男が扉を大きく開け、タケフミはショウをその場で下ろした。
「それじゃあ、俺は食べるものを取ってくる」
「はーい」
すぐにタケフミが廊下を進んで行き、眼鏡の男はショウの肩に手をやって中へと入らせた。
「立ってるの辛いでしょう? 座ってていいよ」
と、玄関マットに座らせてくれる。扉が閉まると暗く、彼のランタンがかろうじて照らしていた。
「ちょっと待っててね」
男が部屋の奥へと入って行き、ショウは背中を丸めてうつむいた。濡れた靴から水が滴り、玄関に水溜まりを作っていく。
三十秒ほどで彼は戻ってきた。
「着替えられるかい?」
「……下着と靴も、脱いでいいか?」
「あー、かまわないけど替えがないんだよなぁ。後でマヒロに相談しとくよ」
言いながら男はショウの隣へ服を置いた。
「いや、スリッパならあるかも。ちょっと待っててね」
と、再び奥へ消えていく。
ショウはすぐに鞄を下ろして服を脱いだ。先ほど拭いてもらったものの、絞ればまだ水が出てきそうだ。
気持ちまでぐっしょりとしながらも、暗闇の中で目をこらして乾いた服に着替える。下着も脱いでしまったので変な感じだが、思えば最後に下着を替えたのはいつだったろうか。
「あったあった。新しい靴が見つかるまで、これ使って」
男が戻ってきて新品同様の綺麗なスリッパを置いた。
「……ここの人たちは、優しいんだな」
言いながらボロボロの鞄をぎゅっと握る。男はショウの気持ちなどおかまいなしに言った。
「まあね。この服、まとめて捨てちゃっていい?」
「うん」
「おっと、靴も捨てちゃおうねー」
先ほどまでショウの身につけていたものをまとめて持ち上げ、さっとゴミ箱へ捨てて戻る。その間にショウはスリッパに足を入れた。
「さて、そろそろタケフミさんが戻ってくるはずだけど」
と、男はショウの隣に腰を下ろした。膝の上にランタンを置いたことで、彼の左手首に着けた電波時計がはっきりと見える。今日は四月二十五日だった。
「遅いなぁ、何かあったのかな?」
「……あ、あの」
「ん、何だい?」
「お前の名前、まだ聞いてないと思って」
「ああ、俺はカヤキ・リュウセイだよ」
にこりと気さくな顔で笑ったリュウセイへショウは言う。
「服、貸してくれてありがとう」
「うん。それよりショウくん、前髪だけでも切らない? 何も見えないでしょ」
「えっ、ああ……」
指摘されて初めて、旅をしている間に
「待たせたな」
と、タケフミの声がして扉が開く。
「何かあったんですか?」
すぐにリュウセイがたずね、タケフミは扉を片足で止めつつ答えた。
「ああ、数が合わなくてな。後でもう一度確認するが、盗まれたのかもしれない」
「えっ。そんなことするやつ、います?」
「分からない。とりあえず、しばらく固形物を食べてないようだから、これで」
と、タケフミがショウへ差し出したのは非常食用のゼリー飲料だ。すでに蓋は開けられており、細かな気遣いが嬉しかった。
「ありがとう」
「気にするな。ショウの部屋なんだが、隣の二〇三にしよう」
「中の様子ってどうなってるんですか?」
「今、サクラたちが確認してくれている。あと、ミソラがユキヤにランタンをもらいに行った」
ふとショウはタケフミの提げたランタンへ視線をやった。察したリュウセイが説明をしてくれる。
「ここではランタンが必需品なんだよ。電気が通ってないし、今日みたいな天気の日だと薄暗くてしょうがない」
「なるほど」
ショウはゼリー飲料を口にした。久しぶりに舌へ刺激が与えられると、生きていることを無性に実感する。
するとミソラの声がした。
「お話中、失礼しまーす」
タケフミが振り返って場所を譲り、ミソラに連れて来られた男が中へ入ってきた。
背丈はショウとあまり変わらず、年はリュウセイと近いらしい明るい雰囲気の好青年だ。
「新入りってのはお前か。俺はシイバ・ユキヤだ」
その手にあったのはランタンだ。リュウセイが持っているものと形が似ていた。
「これをやるから使ってくれ」
「……あ、ありがとう」
思いがけないことに少しぼーっとしながら、ショウは片手を伸ばして受け取った。するとユキヤがにやりと笑う。
「プロテインバー二本、後払いでな」
「え?」
戸惑うショウへすぐにミソラが言った。
「気にしないでいいよ。ユキヤってば、すぐに対価を要求するんだから」
「当然だろ? 誰が発電してると思ってるんだ」
ユキヤの言葉にはっとした。電気が通っていないのにLEDランタンがある。おそらくは全員分だ。
ショウは彼を見上げながら問う。
「お前、電気作ってるのか?」
「ああ、俺の部屋には発電機があるんだ。あとソーラーパネルも使って、必要な電力をまかなってる」
「すげぇ……」
静かに感激するショウへ、ユキヤはにっと笑った。
「機械のことなら何でも相談してくれ。いつでも力になるぜ」
「うん、ありがとう」
「そんじゃあ、またな」
と、彼はミソラを連れて出て行った。
膝の上に置いたランタンの温かさを感じつつ、ショウはつぶやいた。
「マジですげぇな……」
また泣きそうになり、鼻をすすってごまかした。
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