第29話 古麻呂の席次争議

 天宝十二載、歳は癸巳に在る正月朔日。


 蓬莱宮含元殿に百官・諸蕃が朝賀した。日本の参列者として、そして玄宗にあらん限りの厚遇を得た遣唐使として、諸蕃の範たらんとした足取りで、官吏の案内する席に向かっていた一行は、席に近づくにつれて、段々と動揺の色を濃くした。


 ――西畔?


 朝賀の席次において、唐の方位観で振りかけられ、日本は勿論東畔に座るべきであることは先に述べた。だが案内されたのは、間違いなく西畔で、それも吐蕃(チベット)の下、西畔第二であった。更に一行を仰天させたのは、本来自分たちが座るべきと信じてやまなかった東畔の第一位に日本の朝貢国である新羅が座っていたことである。


 一行は遅まきながら、虢国夫人の影響力に荒肝をひしがれた。


 楊貴妃の義姉とはいえ、諸外国の席次まで口を出しうるのか。恐れ、また困惑し、そして怒りが湧いてきた。なかでも怒髪天を衝く勢いでだったのは、大伴古麻呂だ。


 彼は近くにいた礼部れいぶ侍郎じろうを呼びつけ、猛烈な勢いで抗議した。


「我が日本は古より東の日出ずる国として栄え、貴国とは太宗皇帝の御代より礼を尽くしている。そんな我々をどの蕃国とお間違いになったのか。まして我が国を西畔として扱うではないか。如何様に方位をみれば、そのような誤解が出来るのだろうか。我が国はこの大明宮が完成する以前より縁のある国である。貴方が我々を古き友として歓迎しているのなら、席次は東畔の第一席において他にないはず。しかし今、こうして案内されているのは、あろうことか古来より我が国に朝貢している新羅国ではないか。儒教を生んだ国が、どうしてこのような過ちを正さずにいられようか!!」


 古麻呂がまくしたてた抗議はおよそこのようなものだった。

 というのも、渡唐経験があるとはいえ、一年の遊学にとどまった古麻呂の唐語なのだから、文法もイントネーションも滅茶苦茶で意図の一割を伝え切れたかどうか。


 しかし丈夫武雄ますらおと謳われた古麻呂の論ずる様は、流暢な言葉よりかえって迫力が増し、礼部侍郎も席次のことで、異国の使節使が口角泡飛ばしていることを察してか、小走りになって上役に上奏した。このとりまとめをしていた人物の名が残っている。


 懐実かいじつという宦官で、調整役として通事舎人を侍らしてやってきた。古麻呂の抗議を改めて聞き取ると、至極呆気なく東畔第一の新羅の席と西畔第二の席を入れ替えた。


「迅速な対応感謝する」


 日本の面目は守られた。古麻呂は会心の笑みで礼を言う。

 

 対してこの宦官は一揖するにとどめ、その顔に侮りと憐れみを過ぎらせた。

 

 侮りの意図は、真備には察することができた。蕃国の席次の順序は、各国のパワーバランスではない。これは唐への貢献順なのだ。そのため「二十一年に一度の朝貢使」である日本より、毎年朝貢使を送る新羅のほうが当然優遇されて、席次が上であるべきである。

 

 清河卿や真備は政界に近く事情に明るいだけあって、そのあたりの機微は心得ている。呉懐実はいわば、古麻呂のその機微の分からぬ鈍感さを嘲笑った。


 ――しかし、憐れみは?


 真備は、雷をはらんだ暗雲が重く垂れこめるのを感じていた。

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