第27話  唐代のモンタージュ

 謁見式のあと、真備たちは府庫の観覧の許可を得ている。


 府庫ふことは、宮城の宝殿で、さながら国立博物館のバックヤードツアーである。案内役は朝衡――阿部仲満がつとめた。何を隠そう、このツアーの発案者が彼であった。


「『府庫の三教殿の巡見をさせていただけたなら、日本人も仏教同様に道教が敬われていることを知り、道教の重要さに気づくでしょう』と、まぁ機嫌をとるついでに三教殿の巡見を願ってみたが、はたせるかな、それがなった」


 唐人の機微を知り抜いた仲満の巧妙な取り計らいに、一同、稚児のように喜んだ。


 彼等が巡見する三教殿は、儒教・道教・仏教の三教にまつわる三つの宝物殿で、儒教の経史を収めた君主教殿では、荘飾された棚に安置された九経三史や、いまだ名こそ耳にしても市場や経堂では見当たらない未見の経典や史書が所狭しと架蔵されている様を目の当たりにして、真備は羨ましさに白鬚を毟らんばかりに引っ張って、壊れた蛇口のようにたえず溜息を漏らしていた。


 道教の教堂も、先の君主教殿と見劣りしないほど絶佳の品々が配架されてたが、まるで博物館で味気ない古代土器を素通りして、そそくさと後代の刀剣や絵巻物を見に行くように、一同は仏教教殿である釈典殿宇にむかった。


 八世紀の日本最古の僧伝『延暦えんりゃく僧録そうろく』によると、釈典殿宇の厳麗さは殊に絶したとあり、他の教殿より倍ほど広く、高く、仙宮霊宇とばかりに、活けられた樹花の中には宝珠をこめ、厨子や経函はことごとく雑宝でかざり、御座は沈香や白檀の香りでみたされていたという。


 他の二つの教殿は一行で収まるなか、仏教殿は紙面を尽くしていることから、僧伝であることを差し引いても、当時の遣唐使がいたく感動し、言葉をつくした土産話を披露したか、如実に伺い知れる記述である。


 また教殿の巡見のほかにも、他の遣唐使には見られない待遇があった。


「肖像画ですと?」


 鴻臚寺にもどった真備一行は、再び驚かされた。玄宗の伝言をもってやってきた官吏がいうには、遣唐使の肖像画を制作し、蕃蔵に保管したいという。今で言うなら、外務大臣の来日を記念して、国会議事堂に写真を残すようなものだろうか。みんな光栄であると述べて、是非よろしく頼むと了承した。


 後日、唐代きっての絵師が傔人をつれて、さっそく肖像画制作にとりかかった。数日間で一枚、清河卿と古麻呂が終わり、さて真備の番がまわってきた。絵師が床に敷いた上質な紙の上に絵筆の先を落とそうとしたとき、真備はハッとした顔をして、彼をとめた。


「ひとつお伺いしたいことがある」

 絵師は、目の前の日本人が流暢な唐語を話すものだと思いながら、目をぱちくりさせた。


「なんでしょう」

「あなたは空想上のものが描けますかな?」


 筆を止められた絵師は不思議そうな顔をしながら「麒麟でも龍でもなんでも描ける」と豪語した。


「では、私が思い描く人物を描くことはできますか?」

「それは出来ません。見えないのですから」

「でも聴けるとしたら?」


 それから真備は絵師に摩訶不思議な用談を持ち掛けた。あまりにも奇抜な発想だったらしく、唐代きっての絵工も熱病に魘されたようにうんうんと唸っていたが、最後には創作意欲がみなぎり、よろしいと快諾してくれた。そのあと、真備の肖像画にも着工したが、他の二人よりも線がぼやけ、まとまりのない似絵になったのは、請け負った複雑怪奇な依頼に、絵師が心を奪われたからだろう。


 数日後、真備たちの元に一幅の肖像画が届けられた。


 またいつぞやと同じく円座になって用談する四人の遣唐使たちの他にひとり、やや神経質そうな面立ちの下級役人もいる。


「杜甫殿、どうでしょうか」


 杜甫は出来上がった肖像画を前に、満足そうに頷いた。


「まさに。あの男で間違いない」


 肖像画に描かれていた男は、癖のある茶色がかった髪に掘りの深い眼窩。緑眼は大きく見開かれ、右笑窪のうえに小太刀で斬り払われたような刀痕。正しく金樽楼に出入りし、杜甫の詩から脅迫文を作り出し、マリアという胡姫を撲殺した容疑者――疵面の胡人、その肖像画であった。


「見たものを絵師に伝えよと言われたときには耳を疑いましたが」


 杜甫は鼻息を荒げる。真備がこの詩人にさせたのは、記憶に残る疵面の胡人の容姿を口頭でかたらせ、その情報をもとに絵師が人物をあてがきする画術であった。――所謂、モンタージュ法を、真備は時代に先駆けて試したのである。


「この絵を模写して、我等の人数分複製したもらいました。市井の聞き込みも、これがあれば迅速におこなえましょう」


 焦りが募っていただけに人相書は心強かった。脅迫者を見つけださんと鬨の声をあげた一同だったが、その勇ましい気炎が、次の瞬間、水をぶっかけられたように急速に冷えた。


 彼等の昂揚を打ち消したのは、外から轟いた、一匹の馬の高らかな嘶きだった。

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